百詩篇第4巻77番

原文

SELIN 1 monarque 2 l'Italie 3 pacifique,
Regnes 4 vnis Roy 5 chrestien 6 du monde:
Mourant 7 vouldra 8 coucher 9 en terre 10 blesique 11
Apres pyrates 12 auoir chasse 13 de l'onde 14 .

異文

(1) SELIN 1557U 1568 1590Ro 1611 1628 1772Ri 1840 : Selcin 1588-89, Selin T.A.Eds.
(2) monarque : Monarque 1605 1611 1628 1644 1653 1665 1672 1840
(3) l'Italie : d'Italie 1568I, l'Italte 1589PV, l'Itale 1611B
(4) Regnes : Rigens 1588Rf 1589Rg, Regens 1589Me, Segnes 1627 1644 1650Ri 1653, Signes 1665
(5) Roy : par Roy 1627 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668
(6) chrestien 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590Ro 1600 1649Ca 1650Le 1660 1716 1772Ri : Chrestien T.A.Eds.
(7) Mourant : Montant 1588-89
(8) voudra : voucra 1610
(9) coucher : couchet 1628
(10) terre : Terre 1672
(11) blesique : belgique 1649Ca 1650Le 1668A, belgigue 1668P, blesque 1627 1644 1650Ri 1653 1665, Blesique 1672
(12) Apres pyrates : Apres 1557B, Apres pyrate 1660, Apres Pyrates 1672
(13) chasse 1557U 1568A 1589PV 1590Ro : chasses 1588Rf 1589Rg, chassez 1589Me, chassé T.A.Eds.
(14) l'onde : londe 1605 1628 1649Xa

校訂

 4行目 avoir chasse は avoir chassé が正しい。

日本語訳

君主スラン、平穏なイタリア。
諸王国はひとつにまとまり、世界のキリスト教徒の王者は、
死に際して、ブロワの地で眠ることを望むだろう、
海賊たちを海から駆逐した後で。

訳について

 山根訳はほとんど問題がないが、「歿するとき」が2行目の末尾であるかのような配置は不適切で、3行目の最初に来るべきである。
 大乗訳1行目「君主によるセリーン」 *1 は意訳にしても不適切ではないか。ちなみにロバーツの英訳は Selyn being monarch *2 である。
 同2、3行目「王国は世界のキリスト教徒の王でむすばれていて / 死骸をヨーロッパの地にほうむることを望み」は誤訳。ロバーツの英訳が Kingdoms shall be united, a Christian King of the world, / Dying, shall desire to be buried in Europe. で、(最後のEuropeはともかく)構文上は正しく訳されているのに対し、大乗訳ではかなり自由なアレンジが加えられている。
 同4行目「あとでかれらは海から海賊を追いだすだろう」も誤訳。après avoir + 不定法は、その動作が主節の動作(この場合は3行目の「望むだろう」)に先行していることを意味している。この用法は普通に辞書などにも載っている平凡な表現である。

信奉者側の見解

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、近未来の戦争の一場面として、イタリアの平和を取り戻すために、フランス王がイスラーム勢力と戦うことを描いているとした *3

 セルジュ・ユタンはナポレオンか未来の大君主と簡単に注記していたが、ボードワン・ボンセルジャンの補注では、レパントの海戦(1571年)後の平穏な状況を予言したもので、「世界のキリスト教徒の王」は神聖ローマ皇帝フェルディナントとしている *4

 エリカ・チータムは後述のエドガー・レオニの解釈を踏まえ、外れた予言としている *5

同時代的な視点

 君主スラン(あるいは「月の君主」)が紋章に三日月を取りいれていた「アンリ2世」を指していると捉えれば、彼がイタリアを平定し、海賊(オスマン帝国の提督バルバロッサか?)を駆逐し、ヨーロッパ全体の君主になるという意味に理解できる。
 ピーター・ラメジャラーは、『ミラビリス・リベル』における大君主のイメージが、アンリ2世と重ねられていると理解している *6 。実際にはこの詩が発表された数年後に、アンリ2世はこの詩の内容を何一つ実現しないまま歿した(彼が葬られたのはパリ郊外のサン=ドニ)。エドガー・レオニリチャード・スモーレー(未作成)は、この線に沿って外れた予言としている *7
 一応、ロジェ・プレヴォのように、1559年のカトー=カンブレジ条約によるイタリア戦争終結と理解すれば、「平穏なイタリア」にはあてはまる *8 。プレヴォは、この条約によるフランスとハプスブルクの和解が2行目に対応しているともしているが、この詩の公刊された時期(1557年)を考慮すれば、彼の解釈は採れない。

 Selin をオスマン帝国の君主と理解するジャン=ポール・クレベールは、この場合スレイマン(1世)を指しているとして、彼の治世には一時的にイタリアが平穏だった時期があったと指摘している。その上で、2行目の諸王国の団結は、フランソワ1世が主導するかたちでフランスとオスマンが手を結んだことと解釈している *9

その他

1557Uでは、詩番号が誤って76と書かれている。


名前:
コメント: