予兆詩第6番

予兆詩第6番(旧7番) 1555年5月について

原文

Le cinq, six, quinze, tard & tost l'on sejourne 1 .
Le né sans 2 fin, les citez revoltées.
L'heraut de paix vint & trois 3 s'en retourne.
L'ouvert cinq serre 4 , nouvelles inventées.

異文

sejourne : subjourne 1555Br, se journe 1650Le
sans : sang 1650Le 1668
vint & trois : 23 1555Br
L'ouvert cinq serre : L'ouvert. 5 serre 1555Br

(注記)下線は異文を分かりやすくするためのもので、原文にはない。

英訳版原文

The. v. the. vi. the. xv they haue soiorned very late
The rest vvithoout end the citie reuolted,
L. the Herauld of peace. 23. doo returne,
The open shut nevves inuented.

(注記)この原文は英訳版『1562年向けの占筮』における英訳である。非正規版での訳ということもあり訳の信頼性は疑問だが、同時代に出された資料的価値を考慮し、掲載しておく。

日本語訳

五日、六日、十五日に、遅かれ早かれ彼らは滞在する。
終わりなき息子。暴動を起こされた諸都市。
平和の伝令官は二十三日に戻る。
開かれた者は五を閉ざす。捏造されたニュース

訳について

 1行目に並んでいる数字は、おそらく「(1555年5月)5日、6日、15日」の意味だろうと判断した。ただし、3行目の数字ともども前置詞を欠いているので、日付かどうかは断言しづらい。
 4行目前半は「開かれた五は閉ざす」とも訳せる。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、1行目と3行目は1555年5月に実現したとしている。彼によれば、この月の5日、6日、15日には、フランスとスペインの間で講和のための話し合いが持たれており、23日にはイングランドのポル枢機卿(Card.Pol)をはじめとする諸侯も集まったが、収穫のないまま帰ったという *1 。2行目は1589年にアンリ3世に抗議し、様々な都市で暴動が起こったことと解釈している *2 。なお、4行目は分からないとして放置している *3

同時代的な視点

 2行目の「終わりなき息子」は分かりづらいが、シャヴィニーは、ウェルギリウスからの借用としている。その作品『アエネイス』に「終わりなき皇帝」という表現があることから、シャヴィニーは王族の息子を表現したものだろうとしている *4 。シャヴィニーがそれをアンリ3世と解釈していることには必ずしも賛成できないが、古典からの借用という指摘は有益だろう。

 なお、シャヴィニーが解釈で示した日付の話が正しいのかは未確認だが、1555年5月にカレー近郊のマルク(Marcq)で講和会議が持たれたこと自体は事実らしい。というのは、ベルナール・シュヴィニャールがシャヴィニーの解釈をまとめた際に、シャヴィニーが述べていない開催地などにも言及しているからである。ただし、シュヴィニャールは会議が開かれたと明言しているわけではない *5


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