アダン・ド・クラポンヌ

  アダン・ド・クラポンヌ (Adam de Crapponne, 1526年 - 1576年)は、16世紀フランスを代表する水利技師の一人。彼の手掛けた最大の事業であるクラポンヌ運河建設は、不毛のクロー平野を豊かな農地に変えた。

 なお、彼の名は "Craponne" と綴られることが多いが、彼自身は "Crapponne" と綴った。また、日本語では「アダ・ド・クラポンヌ」と表記されることもあるが、フランス人名の表記としては不適切である。ほか、ノストラダムス関連書では「クラッポン」「クロポンヌ」などとも表記されるが、これらも不適切である。

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 クラポンヌの一族は、クラポンヌ=シュル=アルゾン(現オート=ロワール県内)の出身であり、父の代にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に移住した。

 クラポンヌ自身は、1526年の終わり頃に生まれたとされる(生年については異説もある)。青年期のことは余りよく分かっていないが、若いときから水利技術に関心をもっていたとされ、当時岩だらけの不毛の地であったクロー平野を肥沃にすることを計画した。

 1554年8月には、カドネ近くのジャンソンでデュランス川の水を引くことと、その水をサン=シャマやサロンを経由させて、ベール湖に流入させることについて、公的な許可を得た。これにより彼は私財を投じて運河建設に着手し、地元の名士たちからも出資を募って1559年4月に第一段階を完成させた。
 プロヴァンス史家セザール・ド・ノートルダムによれば、当時の地元民の中には実現不可能と見ていた知識人もいたといい、この完成には多くの人々が驚嘆したという。彼の功績は当時サロン・ド・クローの人々から称えられ、現在のサロン=ド=プロヴァンス市役所前などには彼の胸像が飾られている(胸像自体は後世に作られたものである)。

 クラポンヌは更に運河を延長することを計画し、順次延長したが、最終的な完成を見る前にナントで没した。

 彼は生前、クラポンヌ運河以外にも、ブーク運河建設、タラスコンやフレジュスの干拓事業、ナント近郊のグランリュー湖の干拓事業なども手掛けていた *2

ノストラダムス関連

 ノストラダムスはクラポンヌ運河建設に当たり、出資している。

 また、クラポンヌの親類にあたるクレール・ド・グリニャンは、のちにセザール・ド・ノートルダムと結婚した。


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