予兆詩第63番

予兆詩第63番(旧58番) 1561年について

原文

Le Roy Roy naistre 1 , du doux 2 la pernicie,
L'an pestilent les esmeus nubileux,
Tien'qui 3 tiendra, des grands 4 non leticie 5 ,
Et passera terme des cavilleux 6 . *1

異文

(1) naistre conj.(PB) : n'aistre 1561LN, n'estre T.A.Eds.
(2) doux 1561LN : Doux T.A.Eds.
(3) Tien'qui : Tien qui 1649Xa 1668P
(4) grands : Grands 1594JF
(5) leticie : letitie 1605 1649Xa
(6) des : da cauilleux 1605 1649Xa, de cauilleux 1628 1650Le 1668, de cauillenx 1649Ca

(注記)1561LN は初出である『1561年向けの暦』を指す。この文献は断片が現存しており、この詩についても断片的に比較が可能である。ただし、右半分しか残っていないため、各行の最初の数語は比較できない。

校訂

 最大の論点は1行目の naistre であろう。初出である『1561年向けの暦』で n'aistre となっていたものを naistre と読むか、n'estre で読むかで意味はほとんど正反対になる。この場合は、naistre と読む方が明らかに説得的である。
 というのは、当時 n や l で始まる単語には誤ってアポストロフ(アポストロフィー)が打たれてしまうことがあり、実際、『予言集』の各版を比較するとそういう誤植は珍しくないからである。
 例えば、百詩篇第5巻26番(未作成)では、naistre(1557U etc.)を後代 n'aistra と綴った版が出たし(1600, 1610 etc.)、逆に、百詩篇第7巻10番(未作成)では limitrophe が16世紀の諸版において l'imitrophe と誤って綴られている。

日本語訳

王にして王なる者は生まれる、春からは危険。
悪疫の年、曇らされて動揺したものたちが
保つであろうものを保ち、大物たちには面白くない。
そして嘲弄する者たちの時期は過ぎ去るだろう。

訳について

 1行目 doux(穏やかな、寛大な)を季節の意味にとって「春」と訳すのは、マリニー・ローズの読み方を踏まえたもの。なお、n'estre などの伝統的に受け継がれてきた異文を採用して訳すなら「王にして王なるものは生きていない、ル・ドゥーによる破滅」といった訳になる。

 3行目冒頭の Tien'qui tiendra の訳が難しい。ここでは前の行から連続させて、Tien' をtiennent の略と見なした。アナトール・ル・ペルチエはラテン語の Teneat qui tenebit という言い回しが元になっていると推測しており、それを支持するエドガー・レオニは、every man for himself と英訳していた *2

信奉者側の見解

 以下の解釈は1行目の異文を n'estre と読んだ上に成り立っている。

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、そのまま1561年向けの予言と解釈し、1行目前半を「王(フランソワ2世(未作成))はもはや王にあらず」と読んで、1561年にはもうフランソワ2世が亡くなっていることを的中させたとした(初出の『1561年向けの暦』は、遅くとも1560年夏までには書き上がっていた。フランソワ2世の病死はその年の12月のことである)。
 そして後継者のシャルル9世(未作成)はプロテスタントに寛大(1行目の doux には「寛大」の意味もある)で、カトリック(「曇らされて動揺した者」)には打撃となることもあわせて予言されていたとした。
 さらに、こうした予言の見事な的中の前には、ノストラダムスを中傷していた者たちも口をつぐまざるをえないことが4行目に予言されているという *3

 しかし、現代の信奉者たちの間で定説化しているのは、むしろアンリ3世(未作成)の暗殺を言い当てたとする解釈である。この解釈の元祖は「ルーヴィカンの隠者」ことジャン・ル・ルー(未作成)である。
 彼は1行目を「王にして王なるものは生きていない」と理解し、アンリ3世がフランス王になる前にポーランド王になっていたことを表しているとした。そして、doux(寛大な)はclément の類義語であることから、アンリ3世を暗殺したジャック・クレマン(Jacques Clément)の名前を見事に言い当てていると理解したのである *4
 この解釈は、アナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードジェイムズ・レイヴァースチュワート・ロッブセルジュ・ユタンジョン・ホーグといった多くの信奉者たちに踏襲される形で「定説」と化している *5

 ただし、信奉者の中には、「王にあらざる王」と訳してシャンボール伯アンリ(国王アンリ5世となることが期待された)に結びつけたアンリ・トルネ=シャヴィニーのような例外もないわけではない。

同時代的な視点

 原文の校訂の結果からは、従来の信奉者側の読み方は採用しづらい。
 もっとも、シャヴィニーの読みならば、まだ可能性はあるようにも思える。1560年12月向けの散文の予言には、若者が王国を失うことが書かれていたらしいからである。ノストラダムスは医者だったのだし、フランソワ2世の病弱さをもとにその治世が長くないと推測したとしても、それほどおかしなものではなかっただろう。
ただし、ノストラダムスの散文体の予兆には、大物の死というモチーフが頻繁に登場していることも忘れるべきではないだろう。

 なお、ベルナール・シュヴィニャールは「王にして王なるもの」(Le Roy Roy)を、ほかの予言に出てくる「偉大にして偉大なる者」(Le Grand Grand)と関連付けている。そうなると、偉大な君主の登場を予言していたことになる *6
 果たしてそれが、フランソワ2世が偉大な君主としての頭角をあらわすという意味だったのか、フランソワが早世して後継の王が生まれるという意味だったのかは、はっきりしない。ちなみにシャルル9世の即位は1560年12月だったのだから、どちらが正しかったとしても、見通しとしては不正確だったということになるだろう。


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