アンヌ・ド・ノートルダム

 アンヌ・ド・ノートルダム(Anne de Nostredame, 1559年12月15日 - 1597年以前)は、ノストラダムスアンヌ・ポンサルドの間に生まれた次女(第五子)。

 1559年12月15日にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に生まれた。かつてエドガール・ルロワらの研究では1558年頃の生まれとされていたが、兄セザールの自筆らしき手稿によって正確な生年月日が特定された*1

 トゥーロン(未作成)の有力者ピエール・ド・スヴァ(Pierre de Seva)と結婚し、息子メルキオール・ド・スヴァ(未作成)(Melchior de Seva)を生んだ。なお、ピエール・ド・スヴァについて、イアン・ウィルソンはラングドック州ボーケールのピエール・ド・セーヴ(Pierre de Sève)として紹介している*2。具体的な根拠があってのことか、単にヴァンサン・セーヴと関連付けようとしたものか、よく分からない。少なくとも、セザール・ド・ノートルダムが甥メルキオールに言及する際には、「ド・スヴァ」(de Seua)と表記している*3

 アンヌの正確な没年は不明だが、1597年付のセザールの遺言書原稿で既に故人として扱われていることから、それ以前に亡くなったと考えられている。

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最終更新:2009年09月21日 11:56

*1 Brind'Amour [1993] p.35, n.59

*2 Wilson [2002/2003] p.324

*3 cf. Dupèbe [1983] p.11