アンヌ・ド・ノートルダム(Anne de Nostredame, 1559年12月15日 - 1597年以前)は、
ノストラダムスと
アンヌ・ポンサルドの間に生まれた次女(第五子)。
トゥーロン(未作成)の有力者ピエール・ド・スヴァ(Pierre de Seva)と結婚し、息子
メルキオール・ド・スヴァ(未作成)(Melchior de Seva)を生んだ。なお、ピエール・ド・スヴァについて、
イアン・ウィルソンはラングドック州ボーケールのピエール・ド・セーヴ(Pierre de Sève)として紹介している。具体的な根拠があってのことか、単に
ヴァンサン・セーヴと関連付けようとしたものか、よく分からない。少なくとも、セザール・ド・ノートルダムが甥メルキオールに言及する際には、「ド・スヴァ」(de Seua)と表記している。
アンヌの正確な没年は不明だが、1597年付のセザールの遺言書原稿で既に故人として扱われていることから、それ以前に亡くなったと考えられている。
関連項目
最終更新:2009年09月21日 11:56