ジャン・ド・ノートルダム (早世した弟?)

 ジャン・ド・ノートルダム(Jean de Nostredame, 1522年 - 1534年以前)は、ノストラダムスの弟の一人として仮定されている人物。

 ノストラダムスには、エクス高等法院検事を務めた弟のジャンがいるが、彼の生年は従来1507年とされていた。ところが、エドガール・ルロワが見つけた洗礼の記録は1522年のもので、通説とは著しくずれていた。ルロワは通説を支持せず、1522年が正しい生年としたが*1、ルロワの著書の改訂を手がけた人物は、高等法院検事の方を1507年生まれとした上で、1522年の洗礼の記録は、もう一人のジャンのものと位置づけた*2

 このジャンが1534年以前に死んでいたと推測されるのは、この年にジョーム・ド・ノートルダムが執筆した遺言書に名前がないからである。
実在していたのなら、それ以前に死んでいたということだが、逆を言えば、このような人物が実在した証拠は全くないということでもある。

 専門家の間でも、この仮説を支持する者と支持しない者とがいて、結論が出ているとはいえないが、現時点で積極的に支持すべき根拠があるとは思えない。

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最終更新:2009年09月21日 12:00

*1 Leroy [1993] pp.32&39

*2 Leroy [1993] pp. vii-viii