ブロワ城の問答

 『ブロワ城の問答』は、五島勉の著書で言及・引用されていた史料。全く異なる2種類の史料が同じ名称で紹介されているが、そのうちひとつではノストラダムス自身が恐怖の大王の正体を目に見えないものだと語り、その破局を避けるためには別のものの出現が必要だと語っている。
 そのインパクトからか、他の日本人信奉者の著書などにも影響を与えたが、状況証拠や内容から判断して架空の史料にすぎないと考えられる。

『大予言』初巻の「問答」

 五島勉は『ノストラダムスの大予言』において、「ブロワ城の問答」 とは、国王シャルル9世(未作成)が22歳の夏にノストラダムスと対話した内容を、息子セザールが書きとめたものとし、フランス国立図書館に所蔵されていると述べていた *1

 その内容は、ヴァロワ王朝末期の予言を主軸としつつ、追加的に1999年の人類滅亡に関連する予言詩の解説を行ったものだという *2

『大予言II』の「問答」

 五島は『ノストラダムスの大予言II』では、「ブロワ城の問答」を、1555年晩秋に王妃カトリーヌ・ド・メディシス(未作成)が献上されたばかりの『予言集』初版を手に、その内容についてノストラダムスに質問したものとしていた *3
 また、この史料は欧米の研究者たちが断片的に現存するものをつなぎ合わせたものしか参照できないとも述べている *4

 内容は恐怖の大王の正体について問答を繰り広げるものである。ノストラダムスはカトリーヌに対し、恐怖の大王の姿は目に見えないと語り、それが降った後には地上が壊滅的な被害をこうむっているのが予見できると主張した。ただし、その破滅的な未来は、1999年よりも前に 「別のもの」 が出現することで回避できるとも述べたことになっている *5
 こちらの「問答」は、飛鳥昭雄の漫画やMMR(未作成)でも紹介されており、(特に1990年代の若年層に) こちらのバージョンが広まるうえで一定の役割を果たしたのではないかと考えられる。その一方で、信奉者の中でも加治木義博は偽書だといち早く指摘していた (もっとも加治木の批判理由は、あまり正鵠を射たものとはいえない)。

 なお、五島は『ノストラダムスの大予言IV(未作成)』において、1556年春に行われたと主張するブロワ城の問答の続編に当たる対話も紹介している。こちらの情報源は「侍女の日記などをもとに古い研究者たちが伝えた」ものだと主張している *6

批判的検討

 上述の通り、五島は、第1の問答がフランス国立図書館にあると主張し、第2の問答が欧米の研究者たちの文献に散見されると主張していた。
 ピエール・ブランダムールは状況証拠からノストラダムスが百詩篇について解説した原稿を残していた可能性を指摘していたが、そういうものの現存は確認されていない。だから、もし仮に 「ブロワ城の問答」 のようにノストラダムス自身が、詳しい予言解説をやっていた史料が実在するのなら、海外の研究者たちは血眼になって所蔵先を探したことだろう。しかし、ミシェル・ショマラロベール・ブナズラのかなり網羅的といってよい記念碑的書誌には 「ブロワ城の問答」 など載っていないし、それらの書誌の不備を指摘したジャック・アルブロンの論文や研究書でも言及されていない。となれば、実在する可能性は事実上否定される。
 五島が 「ブロワ城の問答」 を紹介した1970年代は現在よりも海外文献へのアクセスが難しかった。そんな時代に、本場フランスのノストラダムス書誌学の世界的権威たちが書名すら認識できていない希少な資料や研究書に、日本人のルポライターがアクセスできたとは考えられないからである。

 そして、五島勉は2012年におこなった飛鳥昭雄との対談で、ブロワ城の問答はアメリカの研究者から聞いたという従来全く述べていなかった主張を展開する一方、この問答に関する 「正式な資料」 はあるかという問いに、それが存在しないことを率直に認めている *7
 他方で、五島や飛鳥は、テレビのドキュメンタリーの手法などを引き合いに出しつつ、「ブロワ城の問答」 について正当化するかのような主張を展開した *8

 たしかに、五島や飛鳥の著書は学術書などとは異なるので、一般向けに分かりやすく、ノストラダムスが言ったとしても不思議ではない発言を作るくらいは、「演出」 の範囲として許容できるかもしれない。
 しかし問題なのは、「恐怖の大王は目に見えない」 「別のものが現れれば、恐怖の大王の破局は回避できる」 といった主張をノストラダムスがしていたはずだと合理的に考えうる史料がないのに対し、そのような発言をしたとは考えられない根拠はいくつも挙げられるという点である。本人がまず言ったはずがないであろう発言を作ったら、それはすでに 「演出」 ではなく、「捏造」 にすぎないだろう。以下、順に検討していこう。

舞台設定

 どちらの問答にも共通して言える問題点として、舞台設定がおかしいことが挙げられる。
 まず第1の「問答」についてだが、1550年生まれのシャルル9世が22歳の時というと1572年のことになるが、これはノストラダムスの死後6年目に当たっている。当時は偽ノストラダムスたちが多くいたが、シャルル9世は1564年に晩年のノストラダムスに会っているので、それらを本物と勘違いしたということもないだろう。もちろん、問答の記録者とされる実子セザールが父と偽者を見間違えたということもありえない。

 次に第2の「問答」についてだが、ノストラダムスは1555年8月に国王夫妻に謁見している。『予言集』初版の出版は同じ年の5月であり、このときに献上せずに晩秋になって献上するというのは非常に不自然である。
 また、山本弘も指摘していることだが、『予言集』初版には百詩篇第4巻53番(未作成)までしか収められていないのだから、百詩篇第10巻72番に登場する「恐怖の大王」の正体などを論じるはずがない。飛鳥昭雄が引用している「問答」では、時期が1558年 (第10巻までが刊行された可能性のある年) になっているが、これは山本弘も指摘するように史実に近づけるために書き換えたものだろう *9

 飛鳥のように時期を書き換えれば、ブロワ城の問答は成り立つのだろうか。答えは否である。
 1999年に関心が高まったのは1930年代以降、つまり2つの世界大戦の間の時期であり、それ以前には恐怖の大王などほとんど見向きもされていなかったし、例外的に扱った論者も (アンリ・トルネ=シャヴィニーを除けば) 人類滅亡とは結び付けていなかった。
 そして、16世紀という時代は、小氷期による不作や飢饉、宗教改革による対立などによって社会不安が醸成されており、ヨハン・シュテフラーらが1524年にノアの大洪水が再来すると予言してパニックが起きたり *10キュプリアヌス・レオウィティウスがそれは1584年に起こると予言してまたもパニックが起きたことに表れているように、「世界の終わりは目前まで迫っている」 と信じる人が多くいた時代でもあった。
 ノストラダムスがセザールへの手紙において予言の範囲を3797年までとしたことに対する批判のひとつにしても、「そんなに長く世界が続くはずはない」というものであった *11
 現代人とは時代に対する捉え方が異なるのであり、カトリーヌが目前に迫っている危機を棚上げにし、1999年に強い関心を持つなどというのは、歴史背景を踏まえた言動として不自然なことこの上ない。ましてや1550年代はイタリア戦争の最終局面であり、ハプスブルク家との争いや駆け引きがフランス王宮の重大関心事になっていたはずで、この点からも王妃カトリーヌには、400年以上先の1999年に強い関心を寄せている余裕などなかったであろう。

内容

 そもそも、西暦3797年までというのがノストラダムス自身の打ち出していた予言の範囲であり、(実際には西暦2242年までとする説が実証的にも一定の説得力があるとはいえ) ノストラダムスは1999年を人類滅亡の時期とは位置づけていなかった。この点からして、1999年人類滅亡を前提にした 「ブロワ城の問答」 は、内容的に見ても大いに疑わしいと言わざるをえない。

 別のものが1999年人類滅亡を回避する鍵、という話にしてもそうである。これは五島勉が独自に打ち出した解釈であり、海外の関連書には (信奉者のものであれ、懐疑派のものであれ) まったく登場しない解釈である。
 五島独自の解釈にとって都合のよい問答が、海外の本には出てこないのに、五島の本で初めて登場しているとなれば、これはドキュメンタリーの再現VTRなどと同列に扱える代物ではないだろう。

 以上、「ブロワ城の問答」は、どちらのバージョンについても架空の史料か、実在するとしても論じるに値しない偽書と位置づけて差し支えないだろう。


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