原文
Quand robe rouge aura passé fenête,
Fort malingreux, mais non pas de la toux,
A quarante onces on tranchera la tête;
Et de trop prés le suivera de Thou.
日本語訳
赤い法衣は、窓を通るであろう時に、
ひどく虚弱になるが、咳によるものではない。
人々は四十オンスでその頭を斬り落とし、
そして間近で、トゥーに彼の後を追わせるだろう。
訳について
fenête は語義不明だし、ノストラダムス本人はこんな単語を使ったことがない。ここでは、脚韻を整えるために変形させられた fenêtre(窓)と見なして訳した。実際、後で見る注釈からして、そういう意味で書かれているとしか考えられない。
解説
ベソン版では、
詩百篇第10巻100番の後に、「次の解説をつけた2篇は先行する諸版では省略されていたものである。」(Les deux quatrains suivants ont esté obmis dans les precedentes impressions, avec leur explication)として、2篇の四行詩が紹介されている。詩の番号はついていないので、当「大事典」では先に載っている方を便宜上「補遺篇1」とした。
詩の内容については、ベソン版自体に解釈が載っている。
それによると、前半2行はリシュリュー枢機卿(「赤い法衣」)を指しているという。彼はプロヴァンスの叛乱を鎮圧しに赴いたときに病に臥せったことがあり、また、立ち寄った小さなホテルでは壊した窓から出入りしたことがあったという。
後半2行は、リシュリューに背いたことにより国家反逆罪で斬首された2人、サン=マール侯爵(Cinq-Mars)とトゥ(Thou, フランソワ・ド・トゥ)を指しているという。彼らの処刑は1642年9月12日にリヨンのテロー広場で行われた。
サン=マール(Cinq-Mars)は、5マルク(サン・マール / Cinq marcs)との言葉遊びになり、1マルク=8オンスであることから、3行目の「四十オンス」は「サン=マール」を予言したと解釈されている。
以上のようにもっともらしく解釈されているが、ベソン版以前にこの詩は全く見られず、単なる事後予言と見るべきだろう。当然にしてというべきか、長々と解説されていたわりには、後の時代の注釈者たちからは見事に無視された。
最終更新:2019年11月29日 01:51