百詩篇第1巻35番


原文

Le lyon 1 ieune le vieux surmontera,
En champ 2 bellique par singulier 3 duelle 4 ,
Dans caige d'or 5 les yeux 6 luy creuera :
Deux classes 7 vne, puis mourir 8 , mort 9 cruelle.

異文

(1) lyon : Lyon 1590SJ 1605 1644 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672 1712Guy 1716 1981EB
(2) champ bellique : camp bellique 1589Me 1590Ro 1627 1630Ma, Champ Bellique 1712Guy
(3) singulier : singuliere 1649Ca 1650Le 1668P
(4) duelle : delle 1656ECLb, Duelle 1672, Duel 1712Guy
(5) caige d'or : Cage d'or 1656ECLb 1712Guy, Cage dor 1672
(6) les yeux : Loeil il 1672
(7) classes : playes 1668 1672 1712Guy
(8) vne, puis mourir : puis vne mourir 1588-89, vne, pour mourir 1649Ca 1650Le 1668
(9) mort : de mort 1611B 1981EB

(注記)1656ECLは2箇所に登場するが、p.143の方を1656ECLa、p.386の方を1656ECLbとした(ただし、1656ECLaのみの異文はない)。

校訂

 3行目の les yeux (両目) を L'oeil (片目) にしたり、4行目の Deux classes(二つの軍隊/艦隊/船団)を Deux playes(二つの傷)に改変したりするのは、解釈にひきつけた単なる改竄に過ぎない。

日本語訳

若き獅子は老いた方を凌駕するだろう、
一騎討ちによる戦いの野で。
黄金の籠の中の両目を(彼は)引き裂くであろう。
二つの艦隊(で勝ち残るの)は一つ、そして死ぬ、酷き死。

訳について

 1行目 le vieux は the old の意味だが、文脈上 lion が省略されていると見て「老いた獅子」と訳しても、おそらく問題はないだろう(後で見るように、一部の解釈では差し障る場合がある)。

 2行目 singulier duelle は、若干冗長な表現。16世紀にラテン語から流入した duel (現代語だけでなく、DMFにもこの綴りで載っている。duelle は語源 duellum の綴りに引き摺られたものだろう) は、その時点で「決闘、一騎打ち」(combat singulier) の意味を持っていた *1 。ラテン語の語源 duellum は単に「戦い」の意味なので、singulier をつけたのは一騎打ちの意味をはっきりさせるためだろうか。ピエール・ブランダムールは特段の説明なしに combat singulier と釈義している。
 なお、現代語の singulier も「単独」以外の語義を持っているが、中期フランス語でも「尋常ならざる」(extraordinaire) などの意味も持っていた *2

 3行目 crevera は直説法三人称単数なので、主語の il が省略されていると見るべきだろう。実際、ブランダムールの釈義では il lui crèvera les yeux... となっている。

 4行目 deux classe une は特殊な表現。ノストラダムスの百詩篇集では百詩篇第6巻77番(未作成)にも登場している。これをブランダムールは「対立する二つの艦隊のうち、勝つのは片方のみ」の意味としている。ブランダムールはノストラダムスの『1563年向けの暦』からもこの表現の例を引いている。
  • 「海がキリスト教徒たち、バルバロイ双方の様々な船や艦隊で半ば満たされ始めるだろう。その結果(勝ち残るのは)二つの艦隊の一つ」(La mer commencera estre demy pleine par divers naufs et classes tant des Chrestiens que des Barbares : de deux classes une)

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 4行目 「二つの傷は一つになり 無残な死がくるだろう」 *3 は、mourir (死ぬ)と mort (死)が畳み掛けられている原文からするとやや物足りないが、意訳の範囲としては許容されるだろう。なお、「二つの傷」は deux playes となっている版に基づいたせいなので、その訳としては誤りでないが、現在では支持できない。

 山根訳について。
 4行目 「一方に二つの傷 やがて彼は醜い死に方をする」 *4 は cruel (残酷な) を 「醜い」 と訳すことがやや疑問。少々ニュアンスが変わってしまうのではないだろうか。

信奉者側の見解

 アンリ2世の死の予言としてあまりにも有名であり、1656年の解釈書の著者、テオフィル・ド・ガランシエール1689年ルーアン版『予言集』に解釈を寄せた「当代の一知識人」、バルタザール・ギノーテオドール・ブーイアナトール・ル・ペルチエジェイムズ・レイヴァーアレグザンダー・チェントゥリオ(未作成)らをはじめとして、過去多くの信奉者がそう解釈してきた *5

 アンリ2世は1559年6月に、妹と娘の婚約によってスペイン、サヴォワ両王家との宴席関係が成立したことを踏まえて祝宴を開いた。彼はその一環で行われた馬上槍試合に出場し、モンゴムリ伯ガブリエル・ロルジュと勝負した際に、事故によって目を負傷し、同年7月10日に死去した。

 詩の「若き獅子」はモンゴムリ伯、「老いた獅子」はアンリ2世、「一騎打ち」は馬上槍試合、「黄金の籠」はアンリ2世の黄金の兜と解釈される。
 4行目の classes が難物で、playes(傷)、casses(兜)などに改竄されたこともあったが、アナトール・ル・ペルチエがギリシャ語 klasis(裂け目、傷)の音訳と解釈して以来、多くの論者が従っている。

 ジョン・ホーグは、アンリ2世の死だけでなく、ケネディ暗殺とも関連付けている *6

懐疑的な視点

 信奉者側の見解と裏腹に、詩の情景がアンリ2世の死の様子と全く一致していないことは、1860年代にフランソワ・ビュジェ(未作成)が指摘していた(ビュジェによる百詩篇第1巻35番の検証を参照のこと)。ビュジェの包括的な指摘には、20世紀の懐疑論者たちが指摘する点のほとんどがすでに登場していた。

 日本語文献でもすでに指摘されているように、ノストラダムスが生きていた当時には、この詩は全く話題になっていなかった。最初に指摘したのは息子のセザール・ド・ノートルダムで、1614年のことであった *7 。しかし、山本弘も指摘するように *8 、セザールはこの詩の3行目までしか引用していない。
 4行まとめて解釈したのは1656年の注釈書が初めてだったが、そこでは4行目の classes が playes に改竄され、後の時代の『予言集』にも影響を及ぼした。

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールらによれば、この詩で描かれているのは空中に浮かんだ幻像なのではないかと指摘されている(当時は空中を行進する軍隊を見たとか、何もいないのに空から合戦の音が聞こえた等の「驚異」が多く噂に上っていた)。実際、コンラドゥス・リュコステネス(未作成)は、1547年のスイスで空中での軍隊の合戦の幻が目撃された際に、その幻の下には二頭のライオンが争う幻も目撃されたことを記録している。
 また、実在の人物になぞらえているのならば、むしろ若い方はアンリ2世、老いた方はカール5世を想定していたのではないか、とも指摘されている *9

 別の読み方として、ロジェ・プレヴォが提示し、ピーター・ラメジャラーが敷衍している1204年のコンスタンティノポリス陥落とする解釈がある。当時の東ローマ帝国では、政治犯を金角湾(La Corne d'Or)近くのアネマスの塔(la tour d'Anemas)に幽閉することになっており、特に失脚した皇帝はそこで両目を引き裂かされる慣わしだったという *10 。まさにこれは3行目に対応する。
 そして、中世の歴史家ヴィルアルドゥアンの『コンスタンティノープル征服』では、老皇帝イサキオス2世アンゲロスが、その弟アレクシオス3世アンゲロスと対立した結果廃位され、過去の戦いを描いたフレスコ画のある黄金の王室で盲目にされたことに触れているという(1-3行目) *11
 そこへ十字軍とヴェネツィアの連合艦隊(「二つの艦隊は一つになり」)がコンスタンティノープルを襲撃し、東ローマ帝国を一度滅ぼした(「そして死ぬ」)のである。
 ラメジャラーは、未来においてアンリ2世がカール5世を打ち倒すさまを思い描いたことを解釈の基軸においているが、東ローマ帝国の事件が念頭にあった可能性も指摘している。
 なお、イサキオス2世とアレクシオス3世は年に差がなく、「若い」「老いた」の対比は不適切である。むしろ、アレクシオス3世が甥のアレクシオス4世に追放されたことの方が、まだ対比としては自然である(この2人の年齢差は20歳以上ある)。

 ルイ・シュロッセ(未作成)は、「若き獅子」をイングランド王ヘンリー8世として、彼が1534年に「老いた」学者トマス・モア(当時56歳)をロンドン塔(「籠」)に幽閉し、その書物を奪い(「両目を裂くだろう」)、15ヶ月近い幽閉の後に斬首させ(「そして死ぬ」)、さらし首にした(「酷き死」)ことがモデルになっていると解釈した *12ジェイムズ・ランディ(未作成)も好意的にこの解釈を紹介しているが *13 、ヘンリー8世が当時42歳だった点は、少々都合の悪いものに見える。

 またイヴォンヌ・ベランジェ(未作成)はアンカラの戦い(1402年)で、オスマン帝国皇帝バヤズィト1世がティムールにとらわれ、移送中に憤死したことがモデルになっていると解釈しているらしい *14

 いずれの解釈が最も的を射ているのかを判断するのは難しいが、逆を言えば、出て来る詩句についてよほど明瞭な関連付けを行わない限り、過去の歴史から似たようなモチーフを摘出するのは、それほど難しくないことを示しているようにも思える。
 とりあえず、19世紀のビュジェの指摘すら乗り越えられないレベルで、アンリ2世の死の予言と決め付けるような姿勢が不適切であろうということを確認しておきたい。

その他

 ノストラダムスの生前の名声がこの詩の的中によって確立されたと言われることがあるが、以上から明らかなように俗説である。しかしながら、世界史の概説書の類でもそうした記述を採るものがある。

 『概説世界史研究』(山川出版社)は、旧版にそうした見方に対する好意的な記述があったが、新版では削除された。
 逆に旧版でノストラダムスに言及のなかった『世界史のための人名辞典』(水村光男・編著、山川出版社)では、新版(2010年)でノストラダムスの項目が新たに立てられたものの、この詩の的中によって名声が確立されたかのように書かれている。


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  • カトリックだった英国(lyon)の女王メアリー一世を乗り越えたエリザベス一世と、前者の名前が含まれたスコットランド女王メアリー・スチュアート彼女らの一対一の心理的対決、そして、彼女が処刑されたのでスペインは無敵艦隊を英国へ出発させて敗北した。1576年にはネーデルランドはイギリスを攻撃するため、ドン・フアン・デ・アウストリアとカトリックを国教とする女王メアリ・ステュアートとの結婚が計画された。 -- とある信奉者 (2013-03-09 15:33:38)
  • 1578年8月、しかし、軍事行動中だった彼が体調を崩し、鳩小屋に隔離された。高熱が続いて、下痢や嘔吐、そして失明して死亡した。“黄金の籠”とは、彼が神聖同盟の司令官でありながら、そこで死んだことを表現しているのではないだろうか。ここまで読み解いて1行に戻ると、メアリーの子供、ジェームズが英国王になったことも二重に予言されていることが理解できた。この詩篇はエリザベス一世時代を予言した予言だった! -- とある信奉者 (2013-03-09 15:34:13)

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