百詩篇第3巻2番

原文

Le diuin 1 verbe 2 donrra 3 à la sustance
Comprins ciel 4 terre 5 , or occult 6 au fait 7 mystique
Corps, ame, esprit 8 aiant toute puissance,
Tant sous ses 9 pieds, comme au siege 10 celique 11 .

異文

(1) diuin : Divin 1672
(2) verbe : Verbe 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1672 1716 1772Ri
(3) donrra : dourra 1557U 1568A, pourra 1557B 1589PV 1649Ca, donta 1597
(4) ciel : Ciel 1588-89 1672
(5) terre : Terre 1672
(6) or occult : or occulxt 1627, occult 1660
(7) fait : laict 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1672 1716 1772Ri
(8) ame, esprit : Ame, Esprit 1672
(9) ses : les 1589Me 1589Rg
(10) siege : Siege 1672
(11) celique 1555 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV 1590Ro 1840 : Celique T.A.Eds. (sauf Colique 1627)

校訂

 2行目の or(黄金)は、1660のみで省かれているが、ピエール・ブランダムールブリューノ・プテ=ジラールピーター・ラメジャラーはその読み方を支持している *1 。なお、後の2人は、それを初版の原文としているが、ブランダムールの注釈を読み間違えたのではないだろうか(実際の1555A, 1555V には or が入っている)。

日本語訳

みことばが与えるだろう、実体つまりは
天地を含み、神秘的な事実によって隠されているものへと、
肉体、魂、精神を。それは全能を有するからである、
天の御座にあるようにその足下でも。

訳について

 ブランダムールらの校訂に従って、or を省いて訳している。この詩は or を入れるか入れないかや、どこで切るかによって、いくつかの訳が可能である。例えば「神の言葉が与えるだろう、天地を含む実体に、神秘的な事実によって隠されている黄金を。肉体、魂、精神は、天の御座にあるようにその足下でも全能を有するから。」などとも訳せる。

 そうした観点からは、山根訳は一応の許容範囲内にあると思われる。ただし、Verbe はキリスト教では「み言葉」を意味するので、「神の声」という訳語は不適切だろう。
 大乗訳の前半2行「神のことばが本質をあたえ/天と地と秘密のものは 神秘は事実のうちにかくれ」 *2 は、日本語として明らかにおかしい。ヘンリー・C・ロバーツの訳は The divine word shall give to the substance / Heaven and earth, and gold hid in the mystic fact *3 であり、これと比べても大乗訳は明らかに誤訳である。

信奉者側の見解

 ロバーツは、「賢者の石の秘密を説明したヘルメス主義的な詩」 *4 としている。なお、大乗訳では錬金術の興隆が現代科学の基礎を築いたというような解釈として紹介されているが、原文からかなり離れたアレンジがなされている。

 エリカ・チータムは、ノストラダムスが予言をしたときの体験を詩にしたものとしている *5 。日本語版では、流智明(未作成)による、「神」を名乗る宇宙人の来襲という解釈に差し替えられている *6

同時代的な視点

みことば」(「神の言葉」)はイエスを指す。ブランダムールとラメジャラーは、ともにこの詩が化体説(聖変化, transsubstance)を題材にしたものとしている。
 化体説は、ワインとパンの実体が聖体の秘蹟を通じてイエスの血と肉になるというもので、カトリックの中心的な教義のひとつである。ここでいう「実体」とは、物質的特徴とは独立して、その物にそなわっていると考えられた不可視の本質を指している。まさにノストラダムスが言うように「神秘的な事実によって隠されたもの」である。

 化体説は、当時のプロテスタントから槍玉に挙げられ、いわゆる檄文事件(1534年)でも批判の対象になっていた。ノストラダムスは、化体説を擁護する立場でこの詩を書いたとされる。

 ブランダムールはさらに一歩進めて、この詩のモデルが、ヴァティカン宮殿「署名の間」のフレスコ画『聖体の論議』(ラファエロ作、1510年前後)ではないかと推測している。聖体の秘蹟について議論する人々と天上のイエスを描いたその描写は、確かに「神の言葉」=イエスの全能性を詠ったこの詩の後半部分も含めて、うまく対応しているといえなくもない。

ラファエロ『聖体の論議』 *7

 エヴリット・ブライラーは、宗教的な外観とは別に、皮肉を含む読み方が可能だとしている。彼は2行目の or(黄金)を訳に含めた上で、ロレーヌ枢機卿(「神の言葉」)が聖職(「天」)と世俗(「地」)とで得た財産(「実体」)に、さらに上積み(「隠された金」)を行うさまを描いたという見方を提示している *8 。いささか強引ではあるが、面白い読み方とは言えるだろう。


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