百詩篇第3巻4番

原文

Quand seront proches1 le defaut des2 lunaires3,
De l'vn a l'autre4 ne distant grandement,
Ftoid5, siccité, danger6 vers les frontieres,
Mesmes7 ou8 l'oracle9 a prins10 commencement.

異文

(1) proches :_pches 1557B
(2) des : de 1716
(3) lunaires : Lunaires 1672, lumieres conj.(PB), luminaires conj.(PL)
(4) a l'autre 1555 1649Xa 1672 : à l'autre T.A.Eds.
(5) Ftoid 1555 : Froid T.A.Eds.
(6) danger : dangier 1557B 1589PV, dangers 1588-89 1605 1611 1628 1649Xa 1672
(7) Mesmes 1555 1557U 1557B 1568A 1589PV 1840 : Nesme 1644, Mesme T.A.Eds.
(8) ou 1555 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro 1605 1611 1628 1672 1840 : oú 1568B, où T.A.Eds.
(9) l'oracle : l'Oracle 1644 1653 1665 1672
(10) a prins : à prins 1557U 1557B 1568A 1568B 1589PV 1590Ro 1649Ca 1650Le

(注記)_pの下線は省略の代用。

校訂

 1行目 lunaires(月の)は lumieres(光)もしくは luminaires(発光体)と読み替えるべきだろう。前者はピエール・ブランダムールの校訂で、ブリューノ・プテ=ジラールが支持している。後者は、すぐ後の詩を根拠に、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールが提唱している*1
 2行目冒頭は De l'un à l'autre が正しい。
 3行目 Ftoid はもちろん単なる誤植で、Froid とあるべきだろう。
 4行目は Mesmes où l'oracle a prins commencement.となるべき。

日本語訳

(二つの)光の消失が近づくとき、
―それは互いにさして隔たっていない―
寒波、旱魃、危険が国境付近に、
そして同じく神託が始まった場所にも。

訳について

 1行目はとりあえずブランダムールの校訂に従った。原文に「2つの」という言葉はないが、複数形になっている上に、次の行に「互いに」(直訳は「一方も他方も」)とあるため、補っておくほうが理解しやすい。
 山根訳1行目「欠けた月の落下が近づくとき」は、defaut が「欠けた」「落下」と2重に訳されているようなので、採用した原文の違いを考慮してもおかしい。
 大乗訳1行目「発光体の光が弱まってくるとき」*2は問題ない。彼女が採用した原文は Lunaires だが、テオフィル・ド・ガランシエールヘンリー・C・ロバーツは Luminaries と英訳したのを、そのまま引き継いだことからそのような訳になったのだろう。
 逆に2行目「つぎつぎと大きくなる」は理解に苦しむ。ロバーツはガランシエールの英訳をそのまま引継ぎ、Not being far distant one from another*3としているので、日本語版独自の誤訳だろう。
 同4行目「神託のはじまるところはどこでも」は誤訳、mesmes は、前の行の「国境」と同じくと述べているに過ぎない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、前半に描写された「互いに隔たっていない」「光の消失」を、1556年11月に続けて起こった日食と月食と解釈した。これは、ジャン・スタディウスの暦で示されていたという。
 彼はさらに、ベルフォレ(Belleforest)という人物の証言を引きながら、その年の4月から8月は雨が少なかったことや、12月初旬に酷寒に見舞われたことなどに言及した。国境の危機とは、ピカルディ地方にスペインが攻めてきたことを指しているという。
 さらに、4行目の「神託が始まる地」とは、ノストラダムスが予言を始めた場所、つまり生誕地のサン=レミ=ド=プロヴァンスか晩年を過ごしたサロン=ド=プロヴァンスとし、ノストラダムスがプロテスタントの騒擾で悩まされていたことに関連付けている*4
 懐疑派のエドガー・レオニによる解説を読む限りでは、こうした解釈は1656年の注釈書をそのまま引き継いだもののようである。なお、レオニは、最後の行だけ時期が離れていることを指摘している(ノストラダムスがプロテスタントと衝突したのは1560年代)*5

 エリカ・チータムも当初、ガランシエールらの解釈を基調としていたが、最終的には1行目の lunaires を「月の者たち」(lunar ones)と訳し、隣同士で戦った2つのイスラム教国であるイラン、イラクと解釈した*6

 セルジュ・ユタンは疑問符付きで2度の世界大戦勃発の予言と解釈した*7。この解釈は、ボードワン・ボンセルジャンによって、イスラム勢力の没落とプロヴァンス地方の寒波とする解釈に差し替えられた*8

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは、この詩が、続く百詩篇第3巻5番とともに、1540年3月から4月にかけての月食と日食を指している可能性を指摘している。このとき、3月22日には東欧で月食が、4月7日にはバルカン半島を含む南東ヨーロッパで日食が、それぞれ観測されたからである。
 「神託が始まった場所」とはデルポイのことであるが、当時のバルカン半島周辺は、キリスト教諸国とオスマン帝国の国境地帯に当たっていた。
 つまり、この詩は、バルカン半島周辺で観測された天体現象が、寒波、旱魃、国境紛争などの凶事を予告するものだったと述べていることになる*9
この読み方は、ブリューノ・プテ=ジラールジャン=ポール・クレベールも支持している*10

 ロジェ・プレヴォはこうした見方よりも、ガランシエールらの読み方に好意的である。彼は4行目の「神託が始まった地」とは、『ミラビリス・リベル』に収録されたカンブレー大修道院長の予言を念頭に置いたもので、カンブレーを指すとしている*11
 ノストラダムスがこの詩を発表したのは1555年5月であり、1556年11月の天体現象とそれと前後して起こる災厄を見通したと捉えるのは少し難しい。しかし、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの証言が正しいのなら、ノストラダムスは間違いなくジャン・スタディウスの暦を知っていたはずである。詩の執筆時点(1554年頃?)から見て近未来に珍しい現象が起こると知り、そこに何らかの災厄の予兆を見出したとしてもおかしくないのかもしれない。

 ピーター・ラメジャラーは、『ミラビリス・リベル』に示された終末の情景に、太陽、月、星などが光を失い、様々な災害が起こるさまが描写されていることと関連付けている*12


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  • 1行は経済的衰退を表している。そしてデルフォイの神託の発祥地であるギリシャの2015年経済破綻 (デフォルト)が予言されている。 そして、中国により南シナ海(南沙諸島)を埋め立ててそこに軍事基地を作ることが予言されていた。 尖閣諸島問題を抱える日本も他人事でないことが憂慮される。 -- とある信奉者 (2015-07-01 21:48:58)

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百詩篇 第3巻
最終更新:2015年07月01日 21:48

*1 Brind’Amour [1996], Petey-Girard [2003], Lemesurier [2003b], Clébert [2003]

*2 大乗 [1975] p.98.以下、この詩の訳文、解釈は

*3 Garencieres [1672] / Roberts [1949]

*4 Garencieres [1672]

*5 Leoni [1962] p.602.

*6 Cheetham [1973], Cheetham [1990]

*7 Hutin [1978]

*8 Hutin [2002/2003]

*9 Brind’Amour [1996]

*10 Petey-Girard [2003], Clébert [2003]

*11 Prévost [1999] pp.124-125

*12 Lemesurier [2003b]