原文
La lune
1 au plain
2 de nuit sus
3 le haut mont
4,
Le
5 nouueau
6 sophe7 d'vn
8 seul cerueau la veu
9:
Par ses
10 disciples
11 estre immortel
semond12
Yeux au mydi. En seins
13 mains
14,corps au feu.
異文
(1) lune 1555 1627 1644 1649Ca 1650Ri 1665 1668 1840 : Lune T.A.Eds.
(2) au plain : en plain 1590Ro, au plein 1589Rg 1597 1600 1610 1644 1650Ri 1653 1665 1716, auplain 1605
(3) sus 1555 1627 1644 1650Ri 1653 1840 : sur T.A.Eds.
(4) mont : Mont 1672 1716
(5) Le : Se 1611B
(6) nouueau : noueau 1557B
(7) sophe : Sophir 1611B 1660, Sophe 1644 1653 1665 1672
(8) d'vn : d'Un 1672
(9) la veu 1555 1557U 1557B 1568A 1590Ro 1672 1840 : le veu 1588-89, l'a veu T.A.Eds.
(10) ses : sés 1597
(11) disciples : disciplines 1588-89, Disciples 1672
(12) semond : le mont 1588-89
(13) au mydi. En seins 1555 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : au midy, en seins T.A.Eds.(sauf au midy, en sens 1589PV 1649Ca 1668, au Midy, en seins 1611B 1772Ri, au Midy, enfin, 1672)
(14) mains : maints 1589Me
校訂
1行目 au plain de は au plein de のほうが良く、2行目 la veu は l'a veu となるべきである。
ピエール・ブランダムールは特に直していないが、現代語訳では事実上そうなっている。
なお、五島勉は2行目 sophe を「スポエ」(spohe)としているが、これは
セルジュ・ユタンの誤植を受け継いだことによる。上の「異文」欄からも明らかなように、古い版にそういうものはない。
日本語訳
真夜中に月は高い山の上、
新しい賢者は唯一の脳でそれを見た。
その弟子たちによって不死たることを叱咤される。
双眼は南に。両手は胸に、体は火へ。
訳について
山根訳はおおむね問題はない。
大乗訳2行目「ただ一つの頭脳をもつ新しい知恵ある人がそこに見られ」は誤訳。
ヘンリー・C・ロバーツの英訳 The new Sophe with only one brain has seen it と見比べても明らかにおかしく、現在完了を受動態と勘違いした上で曲解したのではないだろうか。
同3行目「不死なるものとなることを弟子にしめし」も不適切。ロバーツの英訳 Invited by his disciples to become immortal の方がほとんど直訳に近い。受動態なので、賢者は動作主でなく、弟子たちの動作の受け手となる(on が省略されていると見て「人々は彼の弟子たちを通じて不死たることを叱咤される」=「彼は弟子たちを通じて不死たることを示す」というような訳は、できないわけではない)。
同4行目「彼の目は南に 手と足は火に」も誤訳。胸(seins)に当たる語が訳されていない上、なぜか「体」(corps)が「足」と訳されてしまっている。前者はロバーツの英訳も同じだが、後者は日本語版独自の誤訳である。
信奉者側の見解
ヘンリー・C・ロバーツは、世界の秘密を知った賢者が弟子たちから催促されても、その内容を明かさないという、漠然とした解釈をつけている。
五島勉は、20世紀になって放射線や化学物質の影響を大きく受けるようになった人類(特に日本人)の中から、脳が進化する人々が出現することの予言と解釈した。
朝原彰晃(未作成)は、詩番号は詩の出版(1555年)から431年後にあたる1986年を指し、この年に宗教活動を開始した自分のことと解釈した。彼は4行目について、自分の宗教活動の一つであるシャクティパッドの描写とした。
同時代的な視点
賢者の「両目は南に」向けられ、「両手は胸」(の前で合わせられ?)、「体は火へ」投じられるとあることから、ある宗教指導者が夜中に火刑に処せられる様子を描いたものと読める可能性が指摘されている。
ピエール・ブランダムールはこの詩に描かれているものが16世紀前半にドイツの再洗礼派が被った迫害である可能性を示しているし、
エヴリット・ブライラーは(この詩が発表される2年前に起こった)ミシェル・セルヴェの火刑を描いたものか、カルヴァンがこうなってくれることを予期したものではないかとしている。
そこまで特定できるかはともかくとしても、この詩のモチーフが16世紀的文脈で十分理解しうることは確かであろう(付け加えておくと2行目の時制は直説法複合過去、つまり過去形で語られており、この詩に未来形の動詞は一つも出てこない)。
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最終更新:2009年09月21日 14:44