百詩篇第3巻95番

原文

La loy1 Moricque on verra defaillir:
Apres vne autre2 beaucoup plus seductiue,
Boristhenes3 premier viendra faillir:
Pardons4 & langue5 vne plus attractiue6.

異文

(1) La loy : Lu Loy 1672
(2) vne autre : vn autre 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590Ro 1672 1716 1772Ri, vue autre 1611A
(3) Boristhenes : Boristihenes 1588-89
(4) Pardons 1555 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : Par dons T.A.Eds.
(5) langue : langues 1649Ca 1650Le 1668P
(6) attractiue : attractatiue 1627

校訂

4行目 Pardons は Par dons となるべき。

日本語訳

人々はモール人の法が滅びるのを見るだろう。
その後には、もっと誘惑的な別の法が。
ボリュステネースがまず屈する。
贈り物と弁舌とによって、一層魅力的なるもの。

訳について

 山根訳も大乗訳もおおむね問題はない。
 ボリュステネースは現在のドニエプル川のことだから、訳の時点でそのように表記しても特に問題はないだろう。

 なお、1行目については信奉者の一部だけでなくエドガー・レオニなどまで「モアの法」と訳しているが、その適否については、以下の解説とmorisqueの項を参照のこと。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールはイスラームが衰える予言と解釈していたが、20世紀になると、ロルフ・ボズウェルの解釈のようにソビエト連邦崩壊の予言とされることが多くなり、懐疑論者のレオニですら、そうした解釈を好意的に捉えていた。

 それによれば、この場合の Moricque は「モール人の」と訳すべきではなく、トマス・モア(Thomas More)が形容詞化されたものだという。つまり、「モアの法」とは彼の主著『ユートピア』に描かれた私有財産を否定する平等社会を指し、共産主義国家の出現を表現している。

【画像】 沢田昭夫 訳 『改版 ユートピア』中公文庫

 この詩では、それがボリュステネース(ドニエプル川)流域から崩壊することが予言されており、ウクライナの首都キーウ(キエフ/ドニエプル川沿いに発達)が発火点となることが示されていると解釈された。

 事件前に示されていた(レオニの解釈は1961年)ことを考えるなら、一応の的中とは言えるかもしれない。しかし、ドニエプル川とソ連崩壊の関わりは不鮮明であった。

 ヴライク・イオネスクのように、ドニエプル川をロシアそのものの代喩法とみて、川そのものに大した重要性を与えない見解もあったが*1、実際に1991年を過ぎると、イオネスクも含めて全く別の見解が出されるようになった。

 それは、ボリュステネースとボリス・エリツィンを結びつける解釈である。
 イオネスクは Boristhenes を一文字変更した上で Boris tenens(ラテン語で「今度はボリス」)とアナグラムし、1991年6月の選挙でロシア大統領に選ばれたエリツィンも予言されていたとした*2
 何らかの形でボリュステネースとボリス・エリツィンを結びつける解釈は、五島勉ジョン・ホーグも提示している*3


【画像】 下斗米伸夫 『ソ連を崩壊させた男、エリツィン: 帝国崩壊からロシア再生への激動史』

 なお、La loy Moricque を「モール人の法」と訳す場合でも、藤島啓章は、モール人はイスラーム信徒→イスラームは神の前にみな平等→共産主義もみな平等、という連想によって共産主義を導き出せるとしていた。
 このような強引な解釈をするくらいなら、カール・マルクスが家族から「モール人」(ムーア人)というあだ名で呼ばれていたという点*4をもとに解釈する方が手っ取り早いように思えるが、そうした解釈は見られなかったようである。

【画像】 佐藤金三郎 『マルクス遺稿物語』

同時代的な視点

 ノストラダムスの蔵書には確かにトマス・モアの『ユートピア』が含まれていた。これは彼の署名入りの刊本がドラギニャン図書館に現存していることから間違いない*5
 しかし、Morisque(Moricque) という単語は、ノストラダムスはしばしばイスラーム信徒の意味で用いていることが確認されている一方*6、モアの変形とする解釈は裏づけを持っていない。

 ここでは、イスラームが滅び、次に「さらに誘惑的な別の」宗教も滅びること、そしてそれらに先立って最初に躓くのがドニエプル川流域であることが示されていると見る方が妥当だろう。

 ロジェ・プレヴォは、「さらに誘惑的な別の法」とはプロテスタントのことだろうと見ている。つまり、ノストラダムスは、カトリックにとっての二大敵勢力であるイスラームとプロテスタントの没落を織り込んだというわけである。
 それに関連してプレヴォは、最初に躓くボリュステネースとは、ドニエプル川沿いで宗教改革を目指したヤン・フス(1370年頃-1415年)のことだとしている。フスはチェコ語での聖書や説教にこだわりを持っていて、それが支持を広める一因にもなっていた。これが「贈り物と弁舌」に対応するという*7
 ピーター・ラメジャラーもこの解釈を支持しているが、フスの主たる活動拠点であるボヘミア(チェコ西部)とドニエプル川流域(主にウクライナ、ベラルーシ)は少々離れすぎており、その点で少し弱いように思える。

 ノストラダムスの時代には、ドニエプル川下流も含むウクライナ南部は、オスマン帝国の辺境に含まれていた。そのことは、La loy Moricque を素直にイスラームと捉える場合、意識されていて良い点だろう。

 なお、「もっと誘惑的な(seductive)別の法」は、好意的な表現ではないだろう。実際、アンリ2世への手紙には、以下のような表現がある。
  • サラセン人たちの憎むべき誘惑(la seduction detestable des Sarrazins)(第29節)
  • (サタンが)アゾアランたちを使って蜜に胆汁と悪疫の誘惑(leur pestifere seduction)を混ぜることを望むにもかかわらず、イエス・キリストの教会はあらゆる苦難から解放されるでしょう。(第113節)
 seductive と seduction は同じ語源の単語で、この場合は宗教的に良からぬ方向への誘惑を意味している。プレヴォの解釈全体の適否はともかく、これをプロテスタントと結びつけたこと自体は、十分にありうる解釈といえる。



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百詩篇 第3巻
最終更新:2009年09月21日 15:01

*1 イオネスク [1990] pp.275-276

*2 イオネスク [1993] pp.80,82

*3 五島『ノストラダムスの大予言・残された希望編』、Hogue [1997/1999]

*4 佐藤金三郎『マルクス遺稿物語』岩波新書、p.25

*5 Chomarat [2003] pp.32,34,35

*6 Brind’Amour [1996]

*7 Prévost [1999] p.238