百詩篇第3巻96番

原文

Chef de FOVSSAN 1 aura gorge couper 2
Par le ducteur 3 du limier 4 & leurier 5 :
Le faict patré 6 par ceux du mont 7 TARPEE 8
Saturne en LEO 9 XIII. 10 de Feurier 11 .

異文

(1) de FOVSSAN 1555 1840 : de Fossan T.A.Eds. (sauf defossan 1611 1660, de Foussan 1627 1644 1650Ri, de foussan 1653 1665)
(2) couper 1555 1840 : copee 1557U 1568A 1589PV 1590Ro, coppee 1557B, coupee T.A.Eds. (sauf couppee 1588-89 1610 1649Ca 1650Le 1665 1668)
(3) ducteur :Ducteur 1672
(4) limier : lumier 1668, Limier 1672
(5) leurier : L'curier 1672
(6) faict patré : faict battre 1588-89, faict paré 1649Ca 1650Le 1668, faict 1610 1716
(7) mont : Mont 1672
(8) TARPEE 1555 : Tarpee T.A.Eds. (sauf Trapée 1716, TARPER 1840)
(9) LEO 1555 : Leo T.A.Eds. (sauf leo 1589PV 1649Ca 1650Le 1668)
(10) XIII. 1555 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : xiij. 1557U, xiij 1557B 1660, 13. 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1672 1716 1772Ri, xiii. 1588-89, treziesme 1589PV 1649Ca 1650Le 1668
(11) de Feurier : Feurier 1649Ca 1650Le 1668, de February 1672

校訂

1行目 couper は、coupée でないとおかしい。

日本語訳

フォッサノの長が喉を切られるだろう、
ブラッドハウンドとグレイハウンドの調教師によって。
タルペイアの岩の人々によって犯された事件。
土星が獅子宮にある二月十三日。

訳について

 山根訳は1行目の「フォッサナ」という表記を除けば、ほぼ問題はない。
 大乗訳は細かい点で問題が多い。前半「フォーサンの首長はのどを切り / 狩りの指導者とグレイハント犬で」 *1 は、1行目を能動態で訳してしまっている上に、文章としてのつながりが分かりづらい。
 3行目「それはターピー山でおこなわれ」は、ターピーという表記に目をつぶるとしても、ceux du(~の人々)が反映されていない時点で明らかに誤訳である。
 4行目「土星がしし座にある二月三十日のこと」は、13日と30日を取り違えている初歩的な誤訳。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、フォッサノの執政官が、ローマの差し金により、喉を切られて殺されることになると解釈していたが、時期には全く触れない漠然としたものだった *2

 しかし、1820年2月13日にベリー公が暗殺されると、信奉者たちはそれと結びつけるようになった。
 アナトール・ル・ペルチエは、フォッサノはそれを含むサルデーニャを指し、ベリー公がサルデーニャ王ヴィットーリオ=アメデーオ3世の血を引いていることを指すとしている。そして、ベリー公を殺したルヴェルは一時期国王の厩舎で働いていた元馬丁で、小さなグレイハウンドを連れていたことが、2行目にあらわされているという。
 3行目の「タルペイアの岩」は、共和制ローマにおいて罪人を突き落とした崖であり、「タルペイアの岩の人々」は共和派を指すとする。
 当日の星位について、ル・ペルチエは土星が宝瓶宮(つまり獅子宮の正反対)にあったことを認めている。これについては、「神託の体系的に曖昧な様式は、一方の状況にも他方の状況にも絶対に反するということはないのだ」と、開き直り気味の釈明を展開している *3

 エリカ・チータムのようにこの解釈をほとんどそのまま踏襲している論者もいるが、実際にはル・ペルチエの解釈は星位以外にも史実に合わない部分がある。
 まず、ベリー公が刺されたのは胸であって、喉ではなかった。これについて、ジョン・ホーグは、実際の被害箇所でなく cut-throat(英語の慣用句で「殺人犯」)を表現したものとした *4
 ル・ペルチエ、ホーグらはルヴェルの職業を国王の厩舎番としているが、ラルース百科事典では「馬具工」(Ouvrier sellier français)とされている。スチュワート・ロッブもそれを認めているが、彼の場合、馬具工は革紐も作るので、猟犬を飼うことと結びつくとしている *5

同時代的な視点

 フォッサノがサルデーニャの地名だというのは事実である。タルペイアの岩が、ローマ七丘のひとつカピトリヌス丘にあった罪人を突き落とす崖だというのも確かだが、ピエール・ブランダムールらは、共和派ではなくローマ人の隠喩だろうとしている。

 この詩はつまり、土星が獅子宮にある2月13日に、ローマが裏で糸を引く形でフォッサノの領主を殺害することを描いているのだろう。
 少なくとも、ベリー公はフォッサノの当主でなく、喉を切られたわけでもなく、猟犬の調教師に殺されたわけでもなく、その日に土星が獅子宮にあったわけでもないので、この詩と結びつけるのには無理がありすぎる。
 しかし、では何がモデルになったのかというと、特定は困難である。

 ロジェ・プレヴォは1536年2月と見ている。このとき、確かに土星は獅子宮にあった。
 この2月にはフランス軍はイタリアに侵攻しており、指揮を執ったのはシャボ・ド・ブリオン(Chabot de Brion)だった。この人物は近い時期に国王フランソワ1世の狩りの供をした人物で、そのときには当然猟犬を従えていた。
 この戦いではフォッサノの指導者の喉が切られるようなことはなかったが、プレヴォはアンブロワーズ・パレが伝える逸話が想起されているとしている。それによれば、ある老兵が厩舎に入った際に、手の施しようのない3人の重傷兵がいたので、苦しまないようにと忍び寄り、喉を切ったという。
 この兵士の行為についてノストラダムスは衝撃を受け、フランス兵でなくイタリア兵の話ということにしようとしたのが、3行目の描写だという *6

 喉を切る話とのつながりが強引にも思えるが、この解釈はピーター・ラメジャラーも支持している。

 なお、ブランダムールによれば、同様の星位は1536年、1565年、1566年、1594年、1595年などにも見られたという *7


コメントらん
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  • なにを予言した詩篇か分からないが、土星の公転周期を考えればそれが特定の星座には29.5年に一回はある。 -- とある信奉者 (2010-09-18 22:10:26)
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