百詩篇第3巻97番

原文

Nouuelle loy1 terre2 neufue occuper
Vers la Syrie, Iudee, & Palestine:
Le grand empire3 barbare4 corruer5,
Auant que Phebés6 son siecle7 determine8.

異文

(1) loy : Loy 1611B 1672, Ioy 1660 1772Ri
(2) terre : Terre 1672
(3) empire : Empire 1557B 1589PV 1605 1627 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1672 1716 1792Du
(4) barbare : Barbare 1589PV 1649Ca 1650Le 1668 1672 1792Du
(5) corruer : corrouer 1627, courreur 1650Le
(6) que Phebés : que phedes 1588-89, que Pheses 1589PV 1649Ca, que Pliebés 1649Xa, que Phebes 1627 1650Le 1668, que Phebe 1672, qu'Epheses 1792Du
(7) siecle : Siecle 1672, cycle conj.(PB)
(8) determine : determiné 1716

(注記)1792Du は1792年ヴァン・デュレン版の異文。

校訂

 ピエール・ブランダムールPhebés を Phebe と校訂し、現代フランス語の Phébé(月)と理解している。
 これについてはピーター・ラメジャラーリチャード・スモーレー(未作成)が支持している Phébus(太陽)にひきつける読み方もありうる。

 同じ行の siecle は、ブランダムールが校訂しているように cycle と読んだ方が良いだろう。

日本語訳

新しい法が新しい土地を占領する、
シリア、ユダヤ、パレスティナの方で。
バルバロイの大帝国は崩壊する、
ポイベーがその周期を固定する前に。

訳について

 山根訳はおおむね問題はない。4行目「太陽の世紀が完了するまえに」は、Phebés を Phébus と理解した訳としては正しい。
 大乗訳は「バルバロイの大帝国」を「異教の国」としている(=大帝国というニュアンスが完全に落ちている)点と、ポイベー(フェベ)を「ヒィービー」と表記している点が気になる。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは「単語と意味は平易である」とだけ注記していた*1

 アナトール・ル・ペルチエは、偉大なケルト人の到来に関連するひとつとして、シリア周辺を使徒(L’Evangile)が奪還し、キリスト教のもとに統治されることになることと、月の周期が終わる前にオスマン帝国が崩壊することが予言されているとした。なお、月の周期については具体的な限定は行わなかった*2

 実際にオスマン帝国が崩壊した後(1922年)は、それに関連して英仏がシリア周辺の領土分割を行ったことと関連付ける解釈が登場する。アンドレ・ラモン(1943年)やボードワン・ボンセルジャン(2002年)などがそうである*3

 第二次世界大戦後、イスラエルが独立し、アラブ諸国とたびたび戦争を行うようになると、それと関連付ける解釈が出てくるようになった。中東でソ連の影響力が増すことの予言と解釈していたセルジュ・ユタン、第三次中東戦争(1967年)の予言と解釈したジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌヴライク・イオネスク、第二次世界大戦後の中東情勢に関する進行中の予言としていたエリカ・チータムなどがこれにあたる*4

 日本ではしばしば未来の情景と解釈された。
 五島勉は、イスラエルがシリアを占領しようと戦争を仕掛けることになり、それが第五次中東戦争や第三次世界大戦につながると解釈した*5。なお、五島はなぜか4、3、1、2行目の順に訳しているが、どのような版に基づいたのかよく分からない。

 バブル期に展開された原秀人(未作成)の解釈では「日本(太陽)の世紀」が来る前にアメリカ(「野蛮な大帝国」)が崩壊する予言とされていた*6

同時代的な視点

 4行目 Phebés が月を意味しているにせよ、太陽を意味しているにせよ、その周期が確定するというのは、354年4ヶ月(未作成)の周期に従っていると見るべきだろう。ノストラダムスがリシャール・ルーサから引き継いだ年代観では、月の周期は1533年から1887年、太陽の周期は1887年から2242年だった。
 ここから、ブランダムールは、新しい宗教の勃興によって、1887年までにオスマン帝国が崩壊することを描いていると理解した*7

 ラメジャラーは、『ミラビリス・リベル』の予言を下敷きとして、キリスト教による、オスマン帝国の撃破が予言されていると見ている*8。中世以来の予言的伝統を踏まえた描写とする点では、ロジェ・プレヴォも同じである*9

 史実としてのオスマン帝国は1922年に終焉を迎えた。前後する時期に帝国主義という「新しい法」に従う形で、フサイン=マクマホン協定(1915年)、サイクス=ピコ協定(1916年)、バルフォア宣言(1917年)などが、いわゆる「歴史的シリア」(現在のシリア、レバノン、パレスティナ、イスラエル)の独立や分割に関する取り決めを行っていったことを考え合わせると*10、的中例として解釈することは不可能ではないのかもしれない。
 ただし、月の周期と太陽の周期をあわせれば実に700年以上の期間をカバーすることになるわけで、これだけ広い期間の「いつか」にオスマン帝国が滅びると予言すれば、当たったとしても不思議ではないだろう。


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百詩篇 第3巻
最終更新:2010年02月14日 11:13

*1 Garencieres [1672] p.148

*2 Le Pelletier [1867a] p.347

*3 Lamont [1943] p.133, Hutin [2002]

*4 Hutin [1978], Fontbrune [1980], Cheetham [1990], イオネスク [1990] pp.148-150

*5 五島『ノストラダムスの大予言II』pp.124-127, 同『III』p.198

*6 チータム [1988]

*7 Brind’Amour [1996]

*8 Lemesurier [2003b]

*9 Prévost [1999] pp.238-239

*10 cf. 鈴木董『オスマン帝国の解体』ちくま新書、特にその第12章