百詩篇第5巻53番

原文

La loy1 du2 Sol3, & Venus contendens4,
Appropriant l'esprit5 de prophetie6:
Ne7 l'vn8, ne9 l'autre10 ne seront entendens11,
Par Sol12 tiendra la loy13 du grand14 Messie15.

異文

(1) loy: Loy 1672
(2) du: de 1649Ca 1650Le 1668
(3) Sol: sol 1588-89 1627 1660
(4) contendens 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590Ro 1597 1772Ri : contendans 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672, contendus T.A.Eds.
(5) l'esprit : l'Esprit 1672
(6) prophetie : Prophetie 1611B 1650Ri 1653 1660 1665 1672 1772Ri 1840
(7) Ne : Ni 1772Ri
(8) l'vn : lun 1557B
(9) ne : ny 1627, ni 1772Ri
(10) l'autre : lautre 1557B
(11) entendens 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV 1590Ro : entendans 1649Ca 1650Le 1667 1668, entendus T.A.Eds.
(12) Sol : sol 1588-89 1600 1627
(13) loy : Loy 1650Ri 1672
(14) grand : Grand 1772Ri
(15) Messie : messie 1588-89

校訂

 1行目と3行目が韻を踏むためには、語尾が揃っていなければならない。
 諸版の異文からは、-ens, -ans, -us という三通りの揃え方の可能性があるが、ピエール・ブランダムールブリューノ・プテ=ジラールらは -us で揃えている。
 ちなみに、-ens という活用形はないので、もともとが -ans(-ants)もしくは -eus(-us)の誤記であったと考えられる。

 なお、この詩を特殊な詩と主張する五島勉は、「17、18世紀には『予言集』からこの詩が削除されることがしばしばあった」と主張していたが、そのような事実はない。
 上にまとめたように、この詩も他の詩と全く変わることなく校異(原文比較)が可能である。
 それは上で比較対象になっていない多くの版*1についても同様である。

日本語訳

太陽の教義と金星(の教義)が争い合うだろう。
預言の精髄を適用しつつ、
一方も他方も理解されることはないだろう。
偉大なメシアの教義は太陽によって保つだろう。

訳について

 大乗訳も山根訳も概ね許容範囲内だが、山根訳4行目「偉大なるメシアの法 太陽により保持される」*2は不適切。五島勉も似たように訳しているが、4行目は「保たれるだろう」(sera tenu)ではなく「保つだろう」(tiendra)となっている。
 この誤訳はエリカ・チータムの英訳に問題があったためだが、英語圏ではロルフ・ボズウェルの著書(1941/1943年)にもこの誤訳が見られる*3

信奉者側の見解

 五島勉は、現代のアメリカ的な価値観(「金星の法」)と日本(「太陽」)が競い合う結果、日本が近未来の破滅を救う存在になると解釈した*4

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は、将来現れる偉大な君主がキリスト教の慈善に基づく法を打ち立てることの予言とした*5

 アンドレ・ラモンは、将来、フランスにアンリ5世が君臨し、キリスト教に基づいた政治を行うことと解釈した*6

 セルジュ・ユタンは、太陽と金星の合が重要であることを示した詩と捉えたが、具体的な事件とは結び付けていない。ボードワン・ボンセルジャンの補訂でも同じである*7

 エリカ・チータムは旧約聖書偽典『エノク書』などに描かれた救世主の降臨が、20世紀(太陽の世紀)に起こることの予言と解釈した*8

同時代的な視点

 詩百篇第5巻には、天体や曜日で宗教を表している箇所が比較的多く、これもそのひとつである。その場合、金星(金曜日)はイスラーム、土星(土曜日)はユダヤ教、太陽(日曜日)はキリスト教となる。これらは安息日などに基づく対応である*9
 つまり、この詩の「太陽の法」(太陽の教義)はキリスト教を指し、「金星の法」(金星の教義)はイスラームを指す。2、3行目についてピエール・ブランダムールは、双方に預言者が現れるがどちらの預言者も理解されないことを描写しているとし、4行目はキリスト教が正しいメシアの教えを保っていることを表現していると理解した。

 2行目については「私(ノストラダムス)の予言によれば」というような意味に過ぎないとする見解もあるが*10、全体としてイスラームに対するキリスト教の優位を示したものとする読み方については、ロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールリチャード・スモーレー(未作成)らからも異論はない*11

 ラメジャラーの場合は、『ミラビリス・リベル』に描かれているキリスト教によるイスラーム勢力撃破の予言が投影されているとしている。


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  • ファティマの奇跡とヨハネパウロ2世暗殺未遂を予言した詩篇 -- とある信奉者 (2010-03-07 22:58:27)
  • 太陽=太陽系の中心で要。金星=太陽系の一惑星。よって、太陽の法の方が、太陽系法則の中心原則。金星を「明星」とすると、聖書預言と関連して来る可能性が在る。 -- Nao_a_jp (2012-06-22 22:52:59)

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百詩篇 第5巻
最終更新:2012年06月22日 22:52

*1 1689年ウルセル版、1689年アブグー版、1691年ブゾンニュ版、1710年ジラン版、1791年ガリガン版、1792年ランドリオ版、1792年ヴァン・デュレン版、1793年ボネ兄弟版、1800年ノストラダムス出版社版 etc.

*2 山根 [1988] p.194

*3 Boswell [1943] p.333

*4 五島『ノストラダムスの大予言・日本編』pp.189-194

*5 M. de Fontbrune [1939] p.194 / [1975] p.207

*6 Lamont [1943] pp.297-298

*7 Hutin [1978/2002]

*8 Cheetham [1990]

*9 Brind’Amour [1993] p.276

*10 Clébert [2003]

*11 Prévost [1999] p.113, Smoley [2006], Lemesurier [2003b]