百詩篇第5巻57番

原文

Istra du1 mont2 Gaulsier3 & Auentin4,
Qui par le trou aduertira5 l'armee6 :
Entre deux rocz7 sera prins le butin,
De SEXT.8 mansol9 faillir10 la renommee.

異文

(1) du : de 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(2) mont : Mont 1672
(3) Gaulsier : Gaulfier 1589Me 1610 1628 1716, Gaufier 1600 1644 1650Le 1650Ri 1653, Gausier 1627 1665, Gaulsies 1772Ri
(4) Auentin : Anentin 1665, Aventine 1672
(5) aduertira : aduertila 1628, aduertir a 1611B, aduertir à 1660
(6) l'armee : l'Armée 1672 1716
(7) rocz : rochs 1588-89, Rocs 1672
(8) SEXT. : SEXT, 1600 1644 1650Ri 1653 1665 1791Ga, Sext. 1557B 1588-89 1589PV 1590Ro 1649Ca 1650Le 1668, SEXR, 1627, SEXE, 1793Bo 1794Bo 1800Sa
(9) mansol : mainsol 1588-89, Mansol 1672 1840
(10) faillir : saillir 1588-89, faillit 1772Ri

(注記)1791Ga は1791年J. ガリガン版、1793Bo は1793年ボネ兄弟版、1794Bo は1794年ボネ兄弟版、1800Sa は1800年ノストラダムス出版社版のこと。系譜を考える上で有意義だったので採録した。

日本語訳

ゴシエ山とアヴェンティーノから出るだろう、
穴を通じて軍隊に知らせる者が。
二つの岩の間で戦利品が取られるだろう。
セクストゥスの霊廟の名声は衰える。

訳について

 山根訳は、信奉者的な訳のひとつとしてならば、許容範囲内だろう。ただし、SEXT. mansol を「独身者セクストゥス」*1とする類の解釈は、現代の実証的水準では到底受け入れられるものではない。

 大乗訳1行目「人がゴールシアとアベンチーン山からでて」*2は、固有名詞の読み方に難がある(Aventin はフランス語読みすれば「アヴァンタン」、意味を汲み取れば「アヴェンティーノ」である)。
 同2行目「穴を通って敵に通知し」は誤訳。l'armee をヘンリー・C・ロバーツも the army としか英訳しておらず、「敵」は文脈に合わない。
 同4行目「太陽の栄光はその名声を失うだろう」は、ロバーツの英訳のほぼ忠実な訳だが、そもそもロバーツがどのような根拠で De SEXT. mansol を the glory of the Sun などと訳したのかが全く分からない。

信奉者側の見解

 アナトール・ル・ペルチエはモンゴルフィエール(熱気球)の発明と解釈した。
 彼はモン・ゴルフィエ(mont Gaulfier)という本文を採用し、これがモンゴルフィエール(Montgolfière)を言い当てているとした(1行目)。そして、その気球の穴の下にゴンドラをつけ偵察を行うことが、1794年のフルーリュスの戦い(la bataille de Fleurus)で成果を挙げた(2行目)。
 フランスはローマ(「アヴェンティーノ」)と戦い、1797年のトレンティーノ条約では、フランスとイタリア(「2つの岩」)の間で教皇領の取り合いが行われた(3行目)。
 SEXT. mansol をル・ペルチエは「6番目の名を持つ独身者」と読んでおり、百詩篇集の出版後、初めて6世を名乗ったピウス6世(在位1775年-1799年)と理解した。彼は領土を失った上、ローマから離れたヴァランスで幽閉され、名誉を失い、そこで死んだ(4行目)*3


 ほかの解釈も存在する。
 セルジュ・ユタンは、細かい解釈を一切述べずに、第二次世界大戦時のイタリア情勢と解釈しているが、細かい解釈がないので、どういう根拠なのか全く分からない*5

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、mansol を「太陽の労働」と読む独特の解釈に基づき、教皇ヨハネ・パウロ2世(当時)が将来イタリアを離れざるをえなくなり、その名声が失墜することになる予言と解釈した*6。この解釈の場合、「太陽の労働」という特定性の高さによって他の教皇に転用することはできないので、完全に外れたと評価することができるだろう。

同時代的な視点

 謎と考えられていた SEXT.mansol についてエドガール・ルロワが解明し、それを踏まえてジェイムズ・ランディ(未作成)が現地調査などを行ったことにより、ノストラダムスが幼少期を過ごしたサン=レミ=ド=プロヴァンスの情景に関連がある可能性が高いとされるようになっている。

 ランディによれば、「二つの岩」も現地の地名に過ぎず、ゴシエ山と隣の「二つ穴の岩」(Le Rocher des Deux Trous)をあわせて呼ぶときに「二つの岩」(Les Deux Rochers)を使うのだという。また、「二つ穴の岩」にはその名の通り見晴らしの良い穴があり、そこから周辺の景色を一望できることから、偵察にはもってこいなのだという*7

 ランディは、ノストラダムスが少年時代に夢想した内容が詩に投影されていると考えたが*8ロジェ・プレヴォは史実のモデルを推測している。

 それはカール5世のプロヴァンス侵攻未遂(1536年)である。この時、カール5世軍の徴発部隊に地元サン=レミの住民たちが抵抗した情景ではないかという。ローマ七丘のひとつアヴェンティーノの丘は直接関係がないが、プレヴォは狭い谷間を形作っている地形的類似性から引き合いに出されたのだろうとしている*9

 プレヴォの読み方は、ブリューノ・プテ=ジラールピーター・ラメジャラーが支持している*10


コメントらん
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  • 第三次大戦か、世界最終戦争でノストラダムスの故郷であるサン・レミ・ド・プロヴァンスまで惨劇に出会うことを予言。 アヴァンタンが焼かれるという予言(3章17)があるので。"セクストゥスの霊廟"はその時、破壊されるだろう。 -- とある信奉者 (2020-05-03 10:38:58)

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百詩篇 第5巻
最終更新:2020年05月03日 10:38

*1 山根 [1988] p.196

*2 大乗 [1975] p.163. 以下、この訳詩の引用は同じページから。

*3 Le Pelletier [1867a] pp.199-200

*4 Ward [1891] pp.280-282, Centurio [1977] p.164, レイヴァー [1999] pp.285-287 etc.

*5 Hutin [1978/2002]

*6 Fontbrune [1980/1982]

*7 ランディ [1999] p.257

*8 ランディ [1999] pp.258,262

*9 Prévost [1999] p.161

*10 Petey-Girard [2003], Lemesurier [2003b]