聖マラキの予言

  聖マラキの予言 、正式名「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」は、1595年に公刊された予言文書。アルノルド・ヴィオンの『生命の樹』に収録されており、12世紀の聖人マラキの予言という体裁が取られていたが、実際には1590年頃に偽造されたものだろう。1590年の選挙を巡っては、マラキ以外にも聖ブリギッタなどの過去の聖人を引き合いに出した偽預言が出回っていたことが明らかになっているし、「歴代教皇の予言」 というのは、16世紀には何種類も出回っていた、ごくありふれたモチーフだった。


【画像】 『中世の預言とその影響』。高額だが、教皇予言の背景を論じた数少ない日本語文献のひとつ。

 マラキの予言は短いラテン語のフレーズ111と最後の散文からなり、歴代ローマ教皇を言い当てているとされている。前教皇ベネディクト16世 (在位 2005年 - 2013年) に対応するのは 111番目の「オリーブの栄光」。
 次の教皇とされるのは散文で書かれた予言の中に出てくる「ローマびとペトロ」 (ローマびとペテロ)で、これより後の予言はないため、2012年の終末を信じる論者にも自説の補強材料としていた者たちは複数いた。
 だが、もともと適当に区切られた偽予言の終わりに意味などあろうはずがない。短いフレーズの111人分のうち1590年の選挙以降に当たるのは37人分で、それ以前の74人分のちょうど半分にあたっており、非常に安直に偽作されたことが明らかである。
 そもそも112番目が本当に予言かどうか自体、はっきりしない。もともとは111番目までしか偽作されておらず、112番目は後から追加された注釈のようなものとも言われているからだ。

 ジャック・アルブロンによれば、もともと18世紀末頃に終わりが設定されていたのではないかという。ノストラダムスの予言にも1792年への言及があるように、当時は18世紀末から19世紀初頭がひとつの重要な区切りと認識されていたからだ。それが正しいとすれば、教皇の平均在位期間が近現代になって伸びた結果、21世紀になってもまだ終わっていないだけともいえるだろう(ちなみに1590年以前の約100年間の平均在位年数は7年弱、1700年から2005年までの平均在位年数は14年弱である)。

ローマびとペトロ

 2013年には信奉者にとっての「最後」の教皇フランシスコ (2013年 - ) が即位した (選出当初、「フランシスコ1世」「フランチェスコ1世」 などとも表記されたが、カトリック中央協議会の採用している表記に従う)。

 彼に対応するとされるのが112番目の散文である。
  • 「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう」(In psecutione. extrema S.R.E. sedebit.)
  • 「ローマびとペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」(Petrus Romanus, qui pascet oues in multis tribulationibus : quibus transactis ciuitas septicollis diruetur, et Iudex tremendus judicabit populum suum. Finis.)

 しかし、この予言は初出では2段落に分かれており、ローマびとペトロ (ペトルス・ロマヌス) と「オリーブの栄光」が連続するのかどうか自体、はっきりしない。懐疑派にも信奉者にも、「オリーブの栄光」と「ローマびとペトロ」の間には、何人もの教皇が即位することが想定されているという仮説がある *1

 まとめておこう。
  • そもそもマラキの予言は1590年ごろに作成された偽書であろう。
  • 本当に信頼できるのだとしても、112番目は後から追加された可能性がある。
  • 112番目が最初から予言として書かれたものだったとしても、111番目と112番目の間には、何代もの教皇が即位する可能性がある。

 要するに恐怖の大王のケースと同じように、この予言を人類滅亡と結びつけることができるのは、さまざまな仮定をすべて人類滅亡説に都合の良いように解釈した場合だけなのである。

 ちなみに、フランシスコがローマびとペトロである理由として、ネットでは以下のような根拠が挙げられている *2
  • フランシスコがあやかったアッジシの聖フランチェスコの本名はピエトロ(ペトロ)である。
  • フランシスコはイタリア系移民の家に生まれて、イタリアと接点がある。
  • フランシスコの本名ベルゴリオは名前に「山」を意味する単語を含んでおり、岩を意味する「ペトロ」に対応する。

 だが、こんな薄弱な根拠でよければ、歴代教皇の何人もが当てはまってしまう。たとえば、直近の教皇たちを列挙してみると、
  • ベネディクト16世 (在位2005年 - 2013年) は、かつて神聖ローマ帝国があったドイツの出身である。同じ教皇名を持っていたベネディクト13世の本名はピエトロ・オルシーニ、対立教皇ベネディクト13世の本名はペドロ・デ・ルナで、これらはともにペトロを意味する。同じ代数の正教皇と対立教皇がペトロを意味する名をもつ例はほかになく、奇しくも13という数字は、ベネディクト16世が退位した2013年に対応する。
  • ヨハネ・パウロ2世 (1978年 - 2005年) は、バチカン(ローマ)のサン・ピエトロ広場で暗殺未遂事件に遭った。
  • ヨハネ・パウロ1世 (1978年) は、イタリア出身でローマの大学で学んだ。様々な人にあてた手紙という形式の『イルストリッシミ』を著したが、これはペトロが手紙を書いたこと (『新約聖書』ペトロの手紙1・2) に対応する。また、彼はヴェネツィア総大司教だったことがあり、ヴェネツィアは水の都、船乗りとも縁が深い町であり、漁師であったペトロにつながる。
  • ヨハネス23世 (1958年 - 1963年) とパウルス6世(1963年 - 1978年)は、ともにイタリア出身でローマの大学で学んだ人物であり、「岩」(=ペトロ)のような意志の強さで、さまざまな異論が噴出した第二バチカン公会議の開催および決議に漕ぎ着けた。
  • ピウス12世 (1939年 - 1958年) は、在任中にサン・ピエトロ大聖堂の地下でペトロの墓と思われる墓所の発掘を指示した。

 と、こんな具合に屁理屈をつけていけば、全員とまではいかなくとも、歴代のかなりの教皇に当てはめられることは明らかだろう。
 そもそも、教皇はすべてペトロの後継者とされると同時にローマ司教なのだから、象徴的な意味でだったら教皇はすべて 「ローマびとペトロ」 に適合する。「ローマ生まれのピエトロさん」が教皇になるか、ローマ出身の教皇が 「ペトロ2世」 を名乗ったのならまだしも、そうでなければ 「ローマびとペトロ」 は実質的に何も言っていないに等しい予言である。

 フランシスコの治世が終わるまでに世界が終焉を迎えることはないだろうが、それが明白になったときには、むしろこの人騒がせな偽書のほうが終焉を迎えることになる。
 なお、『検証 予言はどこまで当たるのか』でもあらかじめいくつか検討しておいたように、フランシスコの次の教皇の時代になっても、あれこれとこじつけてマラキの予言はまだ有効だと言い出す論者は消えないだろう。

 しかし、通俗的な意味での日本のノストラダムス・ブームが1999年を境に見る影もなくなったのと同じように、112番目で最後だと散々煽った反動で、マラキの予言もそれ以降は大きな注目を浴びることはなくなるものと思われる。


【画像】 『検証 予言はどこまで当たるのか』カバー。手前味噌になるが、当「大事典」管理者は本書において、日本語文献の中では現在のところ最も詳しいマラキ予言への懐疑的検証を展開した。

ノストラダムス関連

 マラキの予言は20世紀後半の時点で残りが少なかったため、ノストラダムス予言とも関連付けて解釈されることがあった。特に、ヨハネ・パウロ2世 (在位1978年 - 2005年) に対応する予言 「太陽の労働」(De labore solis) は、ノストラダムス関連書の中で最も多く引き合いに出された予言だったと思われる。ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌなどは、Mansolを強引に 「太陽の労働」 と読み替え、ヨハネ・パウロ2世が暗殺されると解釈していた。

外部リンク

  • ウィキペディアの「聖マラキの予言」の項目
    • 主加筆者は当「大事典」管理者である。これも手前味噌になるが、日本語で読めるものとしては格段に充実した112個の予言すべての解釈を整備し、懐疑的な先行研究がある場合には、それも添えた。



【画像】Peter Bander, Prophecies of St. Malachy


【画像】 『ローマ教皇事典』


【画像】『西洋歴史奇譚』新装版。マラキの予言に関する章はある程度中立的で、日本語で読めるものとしては比較的まともな部類に入るが、創作と思われるエピソードの存在も含め、いくつもの点で注意が必要。


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