百詩篇第2巻24番

原文

Bestes farouches de faim fluues 1 tranner 2 :
Plus part 3 du camp 4 encontre 5 Hister 6 sera,
En caige de fer 7 le grand fera traisner 8 ,
Quand Rin 9 enfant Germain 10 obseruera 11 .

異文

(1) fluues 1555 1840 : fleuues T.A.Eds.(sauf Fleuves 1672)
(2) tranner : tranners 1668P
(3) part : par 1611B 1660
(4) camp : champ 1568B 1568C 1568I 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1716 1772Ri, Champs 1672
(5) encontre : en contre 1590Ro
(6) Hister : Ister 1672
(7) En caige de fer : En Cage de Fer 1672
(8) traisner : treisner 1555A 1557U 1557B 1568 1597 1600 1610 1611A 1716 1772Ri 1840
(9) Quand Rin 1555 1589PV 1649Ca 1650Le 1668 1840 : Quand rin 1557U 1557B 1568A 1590Ro, Quand 1588-89, Quand rien T.A.Eds.
(10) Germain 1555 1589PV 1627 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1840 : de Germain T.A.Eds.
(11) obseruera : n'obseruera 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1672

校訂

 4行目 Rin (Rhin) はそのままで良いだろう。ピエール・ブランダムールピーター・ラメジャラーブリューノ・プテ=ジラールらはいずれもそうしている。
 ジェイムズ・ランディ(未作成)はそれを誤った原文と判断し rien を採用していたが *1 、上記の異文欄の Rin(1555)→ rin(1557U, 1557B, 1568A)→ rien(1568B etc.)という伝言ゲームのような変化からすれば、むしろ rien の方こそ単なる改竄であったことを疑うべきだろう。

日本語訳

野獣が空腹のせいで川を泳いで渡る。
軍隊の大部分がヒステルの方に向かい、
偉大な者を鉄の檻の中に入れさせるだろう。
ゲルマニアの子がライン川を監視するであろう時に。

訳について

 山根訳は1568年版の原文の訳としては、許容範囲内の訳といえる。大乗訳も同じようなものだが、3行目「鉄のかごの中に入って彼はおろおろと」 *2 は不適切である。五島勉の訳「鉄のカゴの中でその大いなる奴はウロウロするだろう」 *3 に引きずられたものだろう。ちなみに彼らが参照したはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳は Into an iron cage he shall cause the great one to be drawn, *4 である。

 さて、この詩の後半の読み方を確定させることはかなり難しい。
 3行目についてはピエール・ブランダムール高田勇伊藤進が指摘したように、le grand を主語にも目的語にも解釈できる。彼らは主語にとったが、ここではピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールの読み方に従い、目的語にとった。
 4行目は enfant Germain でひとまとまりとされることが多く、ここでもそれに従った。
 しかし、ラメジャラーが示したように、この行の前半律(最初の4音節)は Quand Rin enfant までとなるので、enfant が Rin に対して形容詞的に用いられていると読む方が韻律上は自然である。そしてラメジャラーは Rin enfant を le jeune Rin(幼いライン川)と現代フランス語訳し、クレベールは、この場合の enfant を源流(source)と理解し、「ライン川の源流」の意味にとっている *5 。こうした読み方に従うなら、4行目は「ゲルマニア人がライン川の源流を監視するであろう時に」となる。
 なお、ジェイムズ・ランディ(未作成)は Germain が12世紀から16世紀には「兄弟」の意味しかなかったと主張していたが、不正確である。確かに、「同じ父母から生まれた子供がライン川を監視するであろう時に」とも訳せるが、そうとしか訳せないわけではない。この点、詳しくはGermainの記事を参照のこと。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)はかなり漠然としたコメントしかつけておらず、アナトール・ル・ペルチエ(1867年)やチャールズ・ウォード(1891年)は触れていなかったが、20世紀以降、Hister が Hitler と解釈され、アドルフ・ヒトラーを予言したものとして広く知られるようになった。

 最初に誰が言い出したのかは定かではないが、シャルル・レノー=プランスの著書(1940年)でセンセーショナルにあおる解釈として言及されていることから *6 、1930年代には複数の論者が主張するようになっていたのだろう。

 以後、この説を採った論者は、アンドレ・ラモンM.P.エドゥアール(未作成)ジェイムズ・レイヴァーエリカ・チータムジョン・ホーグセルジュ・ユタン等々と、枚挙に暇がない *7
 日本でも、五島勉が『ノストラダムスの大予言』(1973年)の中でヒトラーと結びつける解釈を展開したため、広く知られることとなった。五島の場合、Ister という異文を採用し、ノストラダムスが当初 Ister と予知した名前を後の詩(百詩篇第4巻68番)で Hister に改善し、しかし Hitler までは予知し切れなかったという段階的な予知をうかがわせるものだとも言っていた *8
 その後、日本人でこの詩をヒトラーと結びつけた論者には、藤島啓章池田邦吉 *9 などがいる。

 もちろん、ヒトラーと解釈しなかった論者は20世紀以降にもいる。
 ヘンリー・C・ロバーツは当初ヒトラーと結び付けないでかなり漠然とした解釈を展開していた。彼の場合は後の版でヒトラーとする解釈に差し替えられている。
 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は未来の戦いの情景として解釈しており、Hister についても普通にドナウ川と解釈していた *10

懐疑的な見解

 懐疑論者からは Hister がドナウ川を表すラテン語名称であることがつとに指摘されてきた。それに対して信奉者側からは、ヒトラーの出身地や性格(ヒステリック)を表すために、あえて Hitler ではなく Hister が選ばれたのだといった反論も寄せられてきた。

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーはいくつかの出典からの影響を指摘している。
 まず、1行目の「野獣が空腹のせいで川を泳ぎ渡る」がある種の凶兆として描かれていることはブランダムールなども指摘していたが、ラメジャラーはユリウス・オブセクエンス(未作成)の『驚異について』にでてくる「冬に狼たちが狂うならば、夏に穀物が得られない」を援用している。
 また、ラメジャラーは camp を「戦い」と捉え、2行目を「戦いの大半はドナウ川周辺で起こるだろう」と訳しており、それをティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』と関連付けている。そこには、度重なる侵略の後でバスタルナエ人が故郷を離れドナウ川を渡る描写があるからである。
 そして、全体的に『ミラビリス・リベル』が描くヨーロッパへのイスラーム勢力の侵攻というモチーフが投影されていると解釈している *11

 ルイ・シュロッセ(未作成)は、16世紀のブダペスト情勢と解釈した。4行目のGermain(ここでは「兄弟」)は兄弟のように発展してきたブダとペスト(ペシュト)を指し、うちブダがオスマン帝国に占領されたことが予言されているという(彼は4行目について「兄弟の子供はなにも監視しないだろう時に」とする原文を採用している) *12

 エヴリット・ブライラーもシュロッセに近く、オスマン帝国によるハンガリーやオーストリアへの侵攻と解釈している。彼は4行目を「ラインの子供が兄弟を注視し続けるときに」と訳しており、「ラインの子供」をカール5世、「兄弟」をカールの弟でありハンガリー王だったフェルディナント(のち神聖ローマ皇帝)と解釈している *13

 ラメジャラーの調査は労作といえるが、この場合はむしろシュロッセやブライラーのように当時のオスマン帝国の脅威に警戒したものと見る方が適切なのではないだろうか。オスマン帝国の脅威とヒステルやライン川を結び付けているらしい描写は、百詩篇第4巻68番にも見られる。


名前:
コメント: