詩百篇第10巻49番


原文

Iardin1 du monde2 au pres3 de cité4 neufue,
Dans le chemin des montaignes5 cauees6,
Sera saisi & plongé7 dans la Cuue8,
Beuuant9 par force eaux10 soulfre11 enuenimees12.

異文

(1) Iardin : Iatdin 1650Mo
(2) monde : Monde 1672Ga
(3) au pres 1568A 1590Ro : aupres T.A.Eds.
(4) cité : Cité 1672Ga
(5) montaignes / montagnes : Montagnes 1672Ga
(6) cauees : eauées 1644Hu
(7) plongé : plonge 1568X
(8) Cuue : cuue 1590Ro 1605sn 1611A 1628dR 1649Xa 1650Le 1665Ba 1667Wi 1668 1697Vi 1698L 1720To 1840 1981EB, cnue 1611B
(9) Beuuant : Bouuant 1605sn 1649Xa
(10) eaux : aux 1697Vi 1720To
(11) soulfre 1568 1590Ro 1772Ri : soulphre 1591BR 1597Br 1603Mo 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Ma 1628dR 1644Hu 1649Xa 1649Ca 1650Mo 1650Ri 1650Le 1653AB 1981EB 1665Ba 1667Wi 1668 1716PR 1840, souphre 1627Di, Soulphre 1672Ga
(12) enuenimees : euenimées 1665Ba

(注記)1697Vi と 1698L は版の系譜を考察するために加えた。なお、1698Lは eaux。

日本語訳

新しい都市に近いこの世の楽園。
穴のあいた山々の途上にて、
(彼は)囚われて水槽に沈められる、
硫黄に毒された水を力ずくで飲まされつつ。

訳について

 山根訳はほとんど問題ない。大乗訳は2行目「地下になっている山々への道で」*1が明らかに誤訳であることを除けば、おおむね許容範囲内である。なお、大乗和子の訳には問題があるが、彼女が参照したはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳は In the way of the man-made mountains*2という更に上を行く曲解であった。大乗の訳は、おそらく五島勉の訳「地下に掘りさげられた山々への道路のなかで」*3に影響されたものだろう。

 1行目 Jardin du monde は直訳すれば「世界の庭園」となるが、Jardinには「楽園」の意味もあり、du monde はしばしば最上級などを強調するときに使われる。ここには最上級表現はないが、ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールが実質的にそのような読み方をしているため、ここでもそれに従った。

 3行目。クレベールは Cuve(水槽)を cavité(窪地)と見なした。強引なようだが、山道に唐突に水槽が登場するのに比べれば、文脈に適しているのかもしれない。

信奉者側の見解

 アンドレ・ラモンは新しい都市を国際連盟の本部ジュネーヴとした上で、当時、ナチ、ファシスタ党、共産主義者たちがおのおのの大義名分に熱弁をふるうプロパガンダの場になったことと解釈した*4

 ロルフ・ボズウェルは、1行目をハドソン川近くにある風光明媚なパリセイズ(Palisades)とし、アメリカ北東部で近未来に起こる災害の予言と解釈した*5

 エリカ・チータムは1行目をニューヨークと世界貿易センター、2行目を摩天楼の建ち並ぶ通りと解釈し、ニューヨークの水源が汚染される可能性があると解釈した*6

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、「新しい都市」を、それをラテン語の語源にもつヌーシャテルと解釈し、「この世の楽園」は豊かな国土のスイスと解釈した。その上で、近未来の戦争ではスイスがトンネルを通じて侵攻されることの予言とした*7

 五島勉は『ノストラダムスの大予言』(1973年)の時点では、工場の排煙などによって引き起こされた極度の水質汚濁によって、多くの死者が出ることの予言とし、対象地域は東京周辺ではないかとしていた*8

同時代的な視点

 ピーター・ラメジャラーは、「新しい都市」をヴィルヌーヴ=シュル=ロット(Villeneuve-sur-Lot ; Villeneuve は「新しい都市」の意味)と解釈し、「この世の楽園」はその近くにあるプレザンス村(Plaisance ; 古語で「悦び」の意味)を指したもので、穴のある山道はドルドーニュへの道、特に岩を刳り貫いた聖堂で知られるオーブテル=シュル=ドロンヌ(Aubeterre-sur-Dronne)のあたりではないかとした。ラメジャラーは特定のモデルを示せていないが、当時の異端審問に関するものではないかとしている*9

 ジャン=ポール・クレベールは「新しい都市」をネアポリス(新しい都市)を語源にもつナポリとし、「この世の楽園」は風光明媚さで知られるナポリの湾岸としている。4行目の soulphre は、ナポリ近郊の火山性の窪地ソルファターラ(Solfatara ; 語源は「硫黄の土地」)と関連付けた。ソルファターラは独特の景観を呈する地形で、水蒸気や硫化水素を恒常的に噴出している。
 クレベールはそれを踏まえて、この詩は風光明媚なナポリ近くのソルファターラで、ある男が山の窪地に落ち込んでしまうことを描写していると理解した。
 彼はひとつの可能性として、紀元前5世紀のアグリジェント出身の哲学者エンペドクレスが、エトナ山に身投げしたことに触発された詩ではないかとしている*10
 モデルの適否はともかく、「新しい都市」と「硫黄」が密接に結び付く可能性が示された点は重要だろう。

 ピエール・ブランダムールは具体的な解釈に触れていなかったが、この場合の新しい都市はナポリのこととしていた*11


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詩百篇第10巻
最終更新:2019年10月24日 23:26

*1 大乗 [1975] p.296

*2 Roberts [1949] p.328

*3 五島『ノストラダムスの大予言』p.171

*4 Lamont [1943] p.151

*5 Boswell [1943] p.350

*6 Cheetham [1990]

*7 Fontbrune [1980/1982]

*8 五島、上掲書、pp.171-173

*9 Lemesurier [2003b]

*10 Clébert [2003]

*11 Brind'Amour [1996] p.83