予兆詩第38番


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予兆詩第38番(旧34番) 1559年について

原文

Pœur, glas, grand pille, passer mer, croistre regne.
Sectes, sacrez outre mer plus polis.
Peste, chaut, feu, Roy d'Aquilon l'enseigne,
Dresser trophée, cité d'Henripolis. *1

異文

(1) Pœur : Peur 1649Ca 1650Le 1668
(2) croistre regne : croistr eregne 1605
(3) sacrez conj.(BC) : Sacrez T.Eds.
(4) Henripolis conj.(BC) : HENRIPOLIS T.Eds.

英訳版原文

Feare, yce, greate pillynge, to passe the sea, to encrease the raygne.
Sectes, holy thinges beyond the sea more polished
Pestylence, heat, fyer, the enseygne of the Kyng of Aquilon.
To erect a singe of victory, the cyty Henripolis.

(注記)この英訳は英訳版『1559年向けの暦』に掲載されていたものである。1559年向けの予兆詩はオリジナルが現存していないこともあるので、参考のため掲載しておく。

日本語訳

畏怖、氷、大略奪、海を渡って王国は拡大する。
宗派と聖職者たちは、海をこえて一層磨かれる。
ペスト、暑さ、火、アクィロの王の旗。
戦勝記念を建てる。ヘンリポリスの都市。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは1556年11月に、カトリックとカルヴァン主義者がともにブラジルに渡り、海岸に集落を形成したことと解釈している *2
 ただし、この詩の発表はどんなに早くとも1558年のことであった。1556年の「予言」なのだとしたら、事後予言ということになる。ちなみに、シャヴィニーはその集落がヘンリポリスと呼ばれたとしているが、当「大事典」では事実関係を未確認である。

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは第三次世界大戦の予言とし、かつてアンリ4世がいた都市、つまりパリがロシアの侵攻を受けることと解釈した。

同時代的な視点

 ヘンリポリスは「アンリの都市」を意味する造語で、コンスタンティヌス帝が建てた都市がコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と呼ばれたことなどを意識したものだろう。つまり、国王アンリ2世を記念する都市ということである。
 散文体の予兆にも Henricopolis として登場している。

『散文予兆集成』第4巻116番(1559年5月向けの一部)
A la France supreme victoire saluë Roy, Empereur, edifiée neuve cité en Septentrion dite HENRICOPOLIS & SALVE VICTOR *3
フランスに至高の勝利がある。皇帝たる王は歓迎され、北方にはヘンリコポリスと呼ばれる新しい都市が建造される。健やかたれ、勝利者よ。

 アクィロが登場していることからいっても、ノストラダムスはフランスが北方に勢力を伸ばし、拠点都市を建造することを期待していたのではないだろうか。
 ノストラダムスがこの予兆詩第38番を執筆していたのは1558年の上半期と推測されている。 フランスは1557年にサン=カンタンの戦いで大敗を喫したが、1558年1月にはイングランドが大陸に持っていた唯一の拠点カレーを奪還するなど、大きな戦果も挙げていた。
 ノストラダムスはその延長線で、フランスがさらに対外的に領土を拡大することを期待した可能性がある。

 仮にこの読み方が正しいのなら、この予言は明らかに外れたことになる。
 確かに1559年にはカトー=カンブレジ条約が結ばれ、長年にわたる対外戦争は終わった。しかし、その中でサヴォワとピエモンテを手放したことが、不名誉な条約として受け止められる原因になった *4 。さらに、当のアンリ2世自身が7月に横死したことはよく知られている。


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