百詩篇第5巻39番

原文

Du vray 1 rameau de fleur de lys 2 issu,
Mis & logé heritier d'Hetrurie 3 :
Son sang antique de longue main tissu 4 ,
Fera Florence florir 5 en l'armoirie 6 .

異文

(1) vray : vr#y 1605
(2) de fleur de lys : de fleur de Lis 1620PD 1672, de fleur-de-lys 1644 1689Vo, des fleurs de lys 1649Ca 1650Le 1667 1668 1792Du, de fleurs de lys 1660
(3) d'Hetrurie : d'Etrurie 1644 1689Vo 1840, d'Erturie 1653 1665, d'Herutrie 1792Du, d'Hetturie 1867LP
(4) longue main tissu : longue main issu 1557B 1620PD 1649Ca 1650Le 1668 1792Du, longuement issu conj.(LLV)
(5) Florence florir : Florence Florir 1650Ri, florir Florence 1602insc
(6) en l'armoirie : en l'ermoirie 1649Ca, en l'harmoirie 1867LP, en l'Armoirie 1672, et l'Armorie 1602insc.

(注記1)1605の1行目の vray は a が逆に印字(#で代用)
(注記2)1602insc. は1602年の碑文(後述)に見られる異文。1792Du は1792年ヴァン・デュレン版の異文。

日本語訳

百合の花の真の枝の中から、
エトルリアの後継者が置かれ、とどまる。
長きに渡って織りなされてきたその由緒ある血が、
紋章としてのフィレンツェを花開かせるだろう。

訳について

 3行目 de longue main は直訳すれば「長い手の」(長い手によって)で、エドガー・レオニなどはそう訳しているが、これは中期フランス語で「ずっと前から」(depuis longtemps)を意味する成句である *1

 大乗訳1行目「町の誠の分派から出て」 *2 は誤訳。これは元になったヘンリー・C・ロバーツの Issued out of the true branch of the city *3 をそのまま訳したものだが、fleur-de-lis を city としているのは論外。このロバーツ訳自体がテオフィル・ド・ガランシエールの英訳の丸写しで、おそらくガランシエール版のものは Lily を City と誤植したものだったのだろう。
 3行目「彼の古い血は長いあいだひきはなされ」も誤訳。「引き離す」はロバーツの英訳の weaned の直訳だろうが、tissu にそのような意味はない。この行もロバーツはガランシエール訳から丸写ししているが、ガランシエール訳では weaned ではなく waved になっている。おそらくロバーツが写し間違えたのだろう。
 4行目「フローレンスを軍のおおいで繁栄させるもととなるだろう」も誤訳。「軍のおおい」はロバーツ訳にでてくる the coats of arms を逐語訳してしまったものだろうが、言うまでもなくこれは「紋章」の意味である。

 山根訳はかなり意訳が混じっている。少なくとも3行目「多くの手で編まれた」 *4 は誤訳である。de longue main の訳し方は上で説明した通り。

信奉者側の見解

 詩の意味は比較的分かりやすい。「百合の花」はフランス王家の紋章で、「エトルリア」はフィレンツェを中心とするイタリア中部の古称を指す。つまりこの詩は、フランス王家の出身者がフィレンツェを支配し、繁栄させると述べている。

 セザール・ド・ノートルダムはマリー・ド・メディシスと関連付けた。彼女が1602年にサロン=ド=プロヴァンスを訪れた際、市の筆頭行政官だったセザールは、アンリ4世と彼女の結婚によってフランスもフィレンツェも安泰になったことがずっと前に予言されていた詩として、この詩を新市門に刻ませている。

 1620年の注釈書でも、アンリ4世の再婚によって実現したフランスとフィレンツェの同盟関係の予言として解釈されている *5

 テオフィル・ド・ガランシエールは、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの結婚によって、フランス王家とメディチ家が結びついたことと解釈した。
 ヘンリー・C・ロバーツもこの解釈をほとんど踏襲しているが、その日本語訳版「彼女はフランスの王女になった」 *6 はもちろん「王妃」の誤訳もしくは誤植である。

 アナトール・ル・ペルチエはブルボン家の血を引くボルドー公(シャンボール伯)アンリが1846年にモデナ家のマリー=テレーズと結婚したことの予言と解釈した *7

同時代的な視点

 テオフィル・ド・ガランシエールが指摘するように、そして1724年の懐疑的な論文「ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡」によっても指摘されていたように、フランス王家とメディチ家の結びつきはカトリーヌ・ド・メディシスの存在によって達成されている。

 ピエール・ブランダムールは、この詩(初出1557年9月)はノストラダムスがアンリ2世夫妻に謁見を果たした(1555年8月)後に書かれたと推測していた *8
 ピーター・ラメジャラーは、カトリーヌと結婚したアンリ2世を、『ミラビリス・リベル』などで予言されていた大君主に当てはめようとしたものではないかとしている *9

 ラメジャラーの推測の当否はともかく、執筆時期を考えるなら、自分を呼んでくれた国王夫妻の更なる繁栄を織り込んだ可能性は十分にあるだろう。


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