百詩篇第4巻68番

原文

En l'an 1 bien proche non esloigné 2 de Venus,
Les deux plus grans de l'Asie & d'Affrique 3
Du Ryn & 4 hister 5 qu'on dira 6 sont 7 venus 8 ,
Crys, pleurs à Malte & costé 9 ligustique 10 .

異文

(1) l'an : lieu 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1653 1660 1665 1716 1840
(2) non esloigné : esloigné 1557B 1589PV 1627 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840, eslongue HCR
(3) d'Affrique : d'Aphrique 1597 1600 1610 1627 1716, de l'Afrique 1644 1650Ri 1653 1665
(4) Ryn & : Rhyn 1627 1644 1650Ri, Rhine & 1672, Rhin 1653 1665, thin 1840
(5) hister 1557U 1568A 1589PV 1590Ro : Hister T.A.Eds. (sauf hilter 1557B, Ister 1672)
(6) dira : die 1588Rf 1589Rg, dit 1589Me
(7) sont : son 1716
(8) venus : Venus 1665
(9) costé : coste 1557B 1588-89
(10) ligustique 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590Ro 1653 1665 1772Ri 1840 : Ligustique T.A.Eds.(sauf a Lycustique HCR)

(注記1)1588-89では、3-4-1-2行目の順で VI-45 としても採録。そちらでは、3行目 dieやditは他の版同様 dira となっている。
(注記2)HCR はヘンリー・C・ロバーツによる異文。

校訂

 1行目で l'an と lieu のいずれをとるべきかについては一致した見解があるとはいえない。

 4行目について加治木義博は Lycustique を採用し、リグリアとする原文は「訂正」されたものだと主張していたが *1 、上に見るように事実に反する。Lycustique とする異文は古い版本には見当たらず、ロバーツによる単なる誤植であろうと考えられる。

日本語訳

差し迫った年に、ウェヌスから遠からずして、
アジアとアフリカの二人の最も偉大な人物が、
ラインとヒステルから来たと噂されるだろう。
マルタとリグーリアの海岸に叫びと涙。

訳について

 1行目はピーター・ラメジャラーの英訳を参照し、前半律(最初の4音節)が時期を、後半律が場所をそれぞれ指していると見なした。
 「ウェヌスから遠くない至近の年に」と訳すことも可能である。「至近の」(bien proche)と「遠くない」(non esloigné)が重なるのは冗長だが、贅語法の一種と見ることもできるだろう。その場合には異文を採用し、「ウェヌスから遠くない至近の場所に」とした方が意味は通りやすい。

 大乗訳は2行目で最上級表現が訳に十分反映されていないことを除けば、特に問題はない。
 山根訳1行目「金星の年から遠くない近くの場所で」は意味不明。l'an と lieu の両方を訳に反映させたかのようで、不適切だろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、1行目に「差し迫った年」とあることから、ノストラダムスがこれを書いた少し後におこった、スレイマン1世によるマルタ攻略と、それがリグーリア沿岸にもたらした恐怖についての予言と解釈した *2

 その後、アナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードは解釈していなかった。

 1930年代以降、いくつもの解釈が見られるようになる。
 アンドレ・ラモンは、判断占星術(未作成)では1939年は「ウェヌスの年」になると主張し、その年の第二次世界大戦開戦の予言とした。
 ヒステルはドナウ川を指し、その流域のオーストリアにドイツ軍が展開していたことと解釈し、「アフリカの大物」はエチオピア攻略を行っていたムッソリーニ、「アジアの大物」は日本と解釈し、枢軸国が予言されているとした。「マルタ」はイングランドと解釈し(根拠不明)、イギリスの参戦と関連付けた *3

 こうした解釈は Hister とヒトラーを結びつける変形なども含め、セルジュ・ユタン五島勉エリカ・チータムら多くの論者に引き継がれてゆく *4 。なお、ユタンの解釈はボードワン・ボンセルジャンによって、レパントの海戦(1571年)とする解釈に差し替えられている。

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ加治木義博のように、未来に起こる戦争の一場面と解釈するものもいる *5

懐疑的な視点

 山本弘はスレイマンによるマルタ攻略(1565年)がこの詩とある程度一致していることを認めている。しかし、それは当時の国際情勢としてありえそうなことを書いただけに過ぎず、予言といえるほどのものかどうか疑問を呈している *6

 エドガー・レオニも、16世紀にはオスマン帝国がたびたびマルタ島を攻撃していたことを指摘している *7

同時代的な視点

 1行目の「ウェヌスから遠くない」は、日本語同様、フランス語でも「近い」「遠い」が抽象的なものにも適用できることを踏まえれば、「Venus に似た綴り(似た発音)の場所」といった意味だろう。しばしば指摘されるように、ヴェネツィア(Venise)を指している可能性が高いものと思われる。

 エドガー・レオニは「アジアの最も偉大な者」をイスラム教国のスルタン、「アフリカの最も偉大な者」をアルジェ総督だったバルバロス・ハイレッティンやその後継者トルグトとするのが、当時の認識としては一般的なものだったと指摘しており、高田勇伊藤進も同じ見解を示している *8

 山本弘はそれを踏まえ、スレイマン1世がウィーン包囲(1529年)の際に、イスタンブール、ベオグラード、ウィーンと進んだ行軍ルートがドナウ川に沿ったものであったことを指摘している。
 そして、アジアとアフリカの大物はスレイマンとそれに帰順した海賊艦隊(ノストラダムスがこの詩を執筆した頃はトルグトが指揮を執っていた)であり、実際に海賊艦隊はイタリア沿岸やマルタをたびたび襲撃していたことが踏まえられているとしている。
 ライン川はこうした情勢と無関係だが、山本は自分の想像だと断った上で、ノストラダムスは、当時フランスとオスマン帝国が結んでいた同盟が破棄され、オスマン帝国がライン川を西進する形でフランスに進行してくることを警戒していたのではないかとしている *9
 確かに山本も指摘するように百詩篇第1巻18番はそのような読み方がなされているし *10 、そうした読み方は十分に説得的である。

 ピーター・ラメジャラーは、『ミラビリス・リベル』において、中東や北アフリカからの侵略者が地中海の島々を経由してヨーロッパに攻め入ることが予言されていることを踏まえ、そうした情景が投影されたものと見ている *11


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