予兆詩第51番

予兆詩第51番(旧47番) 1560年1月について

原文

Journée, diete 1 , interim ne concile 2 .
L'an paix prepare, peste, faim, schismatique.
Mis hors dedans, changer ciel 3 , domicile.
Fin du congé, revolte hierarchique 4 . *1

異文

(1) Journée, diete : Iournee, Diete 1560LN, Diete, journée 1589Rec
(2) interim ne concile : Interim ne Concille 1560LN
(3) ciel : Ciel 1649Ca 1650Le 1668
(4) hierarchique : Hierarchique 1560LN, hierachique 1605 1649Xa

(注記)1560LN は初出である『1560年向けの暦』の原文。ベルナール・シュヴィニャールの校訂の段階では行方不明になっていた。1589Rec はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの手稿『散文予兆集成』の異文。

日本語訳

会合、議会、仮信条協定は公会議ではない。
この年は平和、ペスト、飢餓、分裂を準備する。
住居の外と中に置かれたものが空を変える。
認可の終焉、ヒエラルキアの叛乱。

訳について

 2行目は韻律や語順からすれば、「この年は平和を準備する。ペスト、飢餓、分裂」とも訳せる。あるいはジャン=エメ・ド・シャヴィニーの解釈を踏まえて paix を形容詞的に捉えれば、「この平和な年はペスト、飢餓、分裂を準備する」となるか。
 3行目はhors / dedans domicile という句に changer ciel が挿入されているものと見た。ただし、韻を整えるためにしても、若干語順が不自然に思える。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、1行目は1560年1月に再開されるはずだったトリエント公会議が延期されたことと解釈した。2行目は1560年が平穏な1年だったが、離教や分裂に満ちていたこととした。
 後半は、1560年10月に三部会に出席するためにオルレアンに赴いたプロテスタントの大物コンデ親王が国王フランソワ2世の命令で捕らわれ、あちこちの牢を転々とさせられたものの、次の国王シャルル9世が名誉回復を行い、カトリック側が反抗し、不満を持ったことと解釈した *2

同時代的な視点

 当時、トリエント公会議(1545年 - 1563年)が開催されていたが、長らく中断状態にあった。
 interimがアウクスブルクの仮信条協定(1548年)のようなものを念頭に置いていたのなら、ノストラダムスは公会議が再開されないまま、仮信条協定が成立すると見ていたのだろう。1560年に公会議が再開されなかったのは確かだが、仮信条協定などは成立していない。


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