詩百篇第1巻62番


原文

La grande1 perte las que2 feront3 les letres4 :
Auant le cicle5 de Latona6 parfaict7,
Feu, grand deluge8 plus par ignares sceptres9
Que de long siecle10 ne se11 verra refaict.

異文

(1) grande : grand 1588-89 1612Me
(2) las que : las ! que 1594JF 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1644Hu 1649Ca 1650Le 1650Ri 1665Ba 1668 1716PR
(3) feront : seront 1590SJ 1650Le 1668
(4) les let(t)res : lss lettres 1591BR, les Lettres 1672Ga
(5) cicle : siecle 1588-89 1612Me, ciel 1591BR 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR(a b), Ciel 1605sn 1611A 1611B 1628dR 1649Xa 1716PRc 1981EB, Circle 1672Ga
(6) Latona : Lat on a 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR, latona 1612Me 1627Di, laton a 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668, Latone 1594JF
(7) parfaict, : parfait ! 1594JF
(8) deluge : Deluge 1672Ga, deluges 1716PRc
(9) ignares sceptres : ignares sceptes 1557U 1557B, ignare sceptre 1589Me 1612Me, ignares Sceptres 1672Ga
(10) long siecle : lon siecle 1605sn 1611A 1628dR 1649Xa, l'on siecle 1611B 1981EB
(11) ne se : se 1612Me

校訂

 ピエール・ブランダムールLatona(ラトナ)を Latonia(ラトナの娘)と校訂している。従来、ラトナが「月」の意味で用いられていることは、ラテン語や神話の知識がある論者の間で全く異論がなかった。しかし、それならばラトニア(レト)の娘である月神ディアナを指す Latonia の方が適切であろうことは疑う余地がない。
 また、4行目の long siecle を longs siecles と校訂した。
 これらの校訂について、ブリューノ・プテ=ジラールリチャード・シーバースらは支持しているが、ピーター・ラメジャラーは元々の原文を支持している(Latona は Moon と訳している)。
 ロジェ・プレヴォも「月」と訳しつつも、原文は Latona のままとし、long siecle は(l’on siecle としている異本を底本としていたせいもあってか) son siecle と校訂していた*1

日本語訳

ああ、文芸が大損失を蒙るだろう、
ラトニアの周期が完成する前に、
火と大洪水、より甚だしくは無知な王杖によって。
長き諸時代を経てしか、回復されないだろう。

訳について

 Latona は Latonia とするピエール・ブランダムールの読みを踏まえた。4行目もブランダムールの読みを踏まえているが、世紀が複数であることを示すために「諸世紀」としてしまうと、『予言集』の俗称である『諸世紀』と混同されかねないので、「諸時代」とした。

 大乗訳1行目「ああ 苦しみをなくすことは なんと困難なことだろう」*2は、lettres(文芸、学芸)に対応する言葉が訳されていない上、「苦しみ」がどこから出てきたのか分からない。あとの行は許容範囲として理解できる余地がある。

 山根訳はおおむね許容範囲内。3行目「大火 大洪水が より無知な支配者のせいで」*3にしても、直訳ならば確かにそうも訳せる。

 加治木義博もこの詩を訳しており、「最初の訳が正しければそのままで立派に、次々に起こる複数の別の事件の、どの事件にもぴたりと適合する」*4とまで豪語していたので、その訳にも触れておく。
 1行目「その時、膨大な嫌な損失! 何と冷酷な彼らの言葉」は誤訳。冒頭の La を「その時」と訳しているが、La と Là は別の語である。また、lettre (手紙、文字)を「言葉」と訳すのは意訳の範囲かもしれないが、feront を「冷酷な」と訳すのは根拠不明である。feront は faire (する、作る)の未来形にすぎないが、froid (冷たい)あたりと読み替えたのだろうか。
 2行目「ラトンの、彼らの組織の完璧な秘訣の、その前に」も問題がある。加治木は cycle を cie cle としているが、上の異文欄にあるように、そのような異文はない。しかも、cie を「組織」、cle を「秘訣」と訳すのも、Cieや clé に引きつけた結果であって、原文を書き換えた上にこのような曲解を展開する訳を支持できる理由はないだろう。
 3行目「砲火、大暴風、より多い、ひどく無知な支配者ら」は、par が抜け落ちている。この par の脱落は、訳文だけでなく加治木が引用する原文自体でも抜け落ちている。だが、そんな異文は上記の通り確認できない。
 4行目「なんと長い周期の間、自分で戻すのを見られない」も不適切。冒頭の Que は感嘆詞でなく関係詞だし、後半も代名動詞の処理の仕方などに問題がある。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、戦争の継続、蕩尽、蔵書の焼失、さらには王侯の無知などによって、文学(lettres)が大損害を蒙ることの予言とし、その範囲である「月の周期」(le cycle lunaire)は1558年から1577年であるとした*5

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、前半について、ノストラダムスと同時代のユリウス・カエサル・スカリゲルのような著名な学識者の死を悼んでいるとし、後半は(3行目を若干読み替えて)無知な王権のせいで洪水と火災が引き起こされることを予言しているとした*6

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は、第三共和政(1870年 - 1940年)が終わるまでに優れた作品(belles oeuvres)が被る受難についてと解釈した*7

 アンドレ・ラモン(1943年)は、第二次世界大戦中に、現下の戦争が文学にもたらす被害の大きさを予言したものと解釈した*8

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、月の周期と人類の破局とを結びつけつつも、月の周期が何を指すのか示さない曖昧な解釈にとどまっており*9夫婦の改訂(1982年)でもそのままだったが、の改訂(1994年)では、1980年代から1990年代に人類が環境問題の深刻さに気付くものの、遅すぎた旨の解釈が追加された *10

 セルジュ・ユタン(1972年)は第一次世界大戦の予言とした*11

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、18世紀の文学がフランス革命に繋がり、それがさらに19世紀以降の戦争に繋がっていったことと解釈した*12

 加治木義博(1990年/2002年)は laton を「小鼠」(raton)、cycle を cie cleと分けて「組織」(Cie)と「秘訣」(clé)とするなど、原文を色々と読み替えた上で、ブラック・マンデーの株暴落(1987年)や、9.11のアメリカ同時多発テロ事件(2001年)と解釈した*13

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールが指摘したように、ノストラダムスの予言には、しばしば無知な権力者によって学芸が迫害される様子が登場している(第4巻18番第6巻8番など)。
 セザールへの手紙にも「私は文芸が非常に大きく比類のない損失に見舞われるであろうことを見出す」(第40節)とある。セザールへの手紙では、直後で「世界的な大変動に先立って大洪水や高水位の大浸水が起こり、水で覆われない土地がほとんどなくなるであろうこと」や、「空から多量の火や白熱した石が降って」きて「焼き尽くすので何も残らない」ことなどが語られており、モチーフの共通性は明白である。
 「ラトニアの周期」は「月の周期」と同じことで、354年4か月(未作成)の周期が考慮されているのなら、1533年から1887年を指している。
 ブランダムールや、その解釈を踏まえた高田勇伊藤進は、この詩の中に、学芸に理解のあったフランソワ1世から、武勲を重んじたアンリ2世への治世の治世の交代(1547年)が影響している可能性も指摘している*14

 テレスフォルスの『小著』の影響を指摘したロジェ・プレヴォ、『ミラビリス・リベル』の影響を指摘したピーター・ラメジャラーのように、先行する予言文書との関連性を指摘する意見もある*15


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