百詩篇第2巻91番

原文

Soleil leuant vn grand feulon1 verra
Bruit & clarté vers Aquilon tendant2:
Dedans le rond3 mort & cris lont4 orra
Par glaiue5, feu, faim6, mort les attendants7.

異文

(1) feulon 1555 1840 : feu lon 1557U 1568A 1590Ro 1597 1605 1611A 1628 1672, feu on 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668, feu l'on 1568B 1568C 1568I 1588-89 1600 1610 1611B 1627 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1716 1772Ri
(2) tendant 1555 1557U 1557B 1568 1840 : tandant 1590Ro, tendans 1597 1600 1611B 1628 1653 1660 1665 1672
(3) le rond : lo rond 1650Le
(4) lont 1555 1840 : lon 1557U 1568A 1597 1611A 1672, on 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668, l'on 1568B 1568C 1568I 1588-89 1600 1605 1610 1611B 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1716 1772Ri
(5) glaiue : glàive 1650Le, Glaive 1672
(6) feu, faim : Feu, Faim 1672
(7) les attendants : las attendants 1557U 1557B 1568A 1568B 1568I 1590Ro 1772Ri, attendant 1588-89 1589PV

校訂

 1行目 feulon は feu l'on の単純な誤植。同様に、3行目 lont orra は l'on orra の単純な誤植。

日本語訳

日の出に大きな火が見られるだろう、
騒音と閃光をアクィロの方へ差し出しつつ。
球形の中で死と叫びが聞かれるだろう。
剣、火、飢餓によって居合わせた人々は死ぬ。

訳について

 大乗訳はおおむね許容範囲内。山根訳もおおむね許容範囲だが、3行目「地球上 死 断末魔の叫びに満ち」は、やや大袈裟に訳しすぎている感がある。特に「断末魔」に当たる表現は原文にない。
 4行目「武器 業火 飢餓の道で死が待ち伏せする」については、「死が待ち伏せ」とは訳せない。ただし、エヴリット・ブライラーのように「剣と火によって。飢餓と死が彼らを待ち受ける」なら、ありうる訳である(要するに attendants は複数形なので、それに対応する主語が複数必要ということ)。

 なお、ここでは attendants をピエール・ブランダムールの読み方に従って「居合わせた人々」と訳したが、ジャン=ポール・クレベールは「待ち構える人々」の意味の可能性があることを指摘している。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、大破局に先立つ様々な驚異(未作成)の描写としていた*1

 アンドレ・ラモン(1943年)は、第二次世界大戦のあとに起こるであろうロシアでの大戦の予言とした*2

 セルジュ・ユタンは、「日の出」を「日出ずる国」日本と解釈し、広島への原爆投下(1945年)と解釈した。ボードワン・ボンセルジャンは若干追記して、広島と長崎への原爆投下の予言と解釈した*3

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、未来に起こる戦争の一場面として、ロシアに向けて核兵器が使用され、その爆発の火球の中で多くの人々が苦しむ様が描写されているとした*4
 なお、五島勉は、フォンブリュヌが日の出を「東方で」(A l'Est)と訳し日本に核が落ちると解釈したのだと紹介・批判したが*5、実際のフォンブリュヌ解釈はソ連・旧東欧圏とイスラーム勢力の対立の中での描写に過ぎず、日本を匂わせる記述は一切ない。小見出しも「ロシアへの核兵器の使用」(Utilisation d'armes nucléaires contre la Russie)となっている。

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは、ユリウス・オブセクエンス(未作成)の『驚異について』で記録されている紀元前91年の驚異がモデルになっていると推測した。オブセクエンスによれば、その年のある朝に、空に火球が現れ、轟音とともに北方に飛んでいったという。この驚異は、続いて起こった戦争の予兆であったと解釈された。
 ピーター・ラメジャラーもそれを支持しているが、彼の場合、そのモデルと『ミラビリス・リベル』で予言された近未来の戦争の情景が結び付けられていると主張した。

 ロジェ・プレヴォは、ここでの大きな火を1556年に北に向かって観測された彗星と解釈した。この翌年、フランスはサン=カンタンの戦いで大敗を喫することになるが、その予兆とみなされたという。プレヴォは rond を rond-point(町の円形広場)と解釈した*6
 この読み方は興味深いが、この詩が1555年に出版されていることを考えれば事後的にモデルにしたと見ることはできないので、むしろブランダムールらの解釈の方が説得的に思える。


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  • ナチスのポーランド侵攻とソ連侵攻などの予言 -- とある信奉者 (2010-03-07 23:31:57)
最終更新:2010年03月07日 23:31

*1 Garencieres [1672]

*2 Lamont [1943] p.240

*3 Hutin [1978], Hutin [2002]

*4 Fontbrune [1980/1982]

*5 五島『ノストラダムスの大予言IV』pp.34-46

*6 Prévost [1999] p.133