Les Praedictions de l'almanach de l'an 1562, 1563 et 1564

 『1562、1563、1564年向けの暦書の予言』(Les Praedictions de l'almanach de l'an 1562, 1563 et 1564)は、当時出版されることがなかったノストラダムスの暦書の原稿である。

【画像】手稿の題扉と一部のページ*1

正式名

  • Les Praedictions de l'almanach de l'an 1562, 1563 et 1564 par M. Michel de nostre Dame, Docteur en medecine.
    • Faciebat M. Nostradamus Salonae petrae provinciae XX Aprilis 1561.
  • 医学博士ミシェル・ド・ノートルダム師による1562、1563、1564年向けの暦書の予言
    • プロヴァンス州サロン・ド・クローのノストラダムスが1561年4月20日に完成させた

 ただし、上の画像を見れば分かるように、タイトルとそれ以外のページの字体が若干異なっているようにも見える。このため、タイトルは後の時代に追加された可能性もあるだろう。

内容

 222ページあり、教皇ピウス4世に宛てた献辞に続いて、1562年の各月に関する散文の予言が収録されている。手稿のタイトルには「1562、1563、1564年向け」とあるが、1563年、1564年向けの予言は一切収録されていなかったようである*2

コメント

 この手稿のうち、ピウス4世(未作成)に宛てられた献呈文のみは、エリック・ヴィジエ(未作成)がまとめた資料集『16世紀のノストラダムス(未作成)』にファクシミリ復刻版が収められている。
 実際に刊行された『1562年向けの新たなる暦』の献辞もピウス4世に宛てられたものだが、印刷版は1561年3月17日、手稿は1561年4月20日で日付が1ヶ月以上ずれている。ただし、それらの原文を見比べてみると、基本的なモチーフは共通している。
 ジャック・アルブロンは、これについて、ジャン・ブロトーとの往復書簡などからはノストラダムスが毎年似たような内容の複数の手稿を作成していた可能性が高く、現存する手稿はそうした印刷されることのなかった異本のひとつであろうと推測している*3

所蔵先

 現存は不明である。
 この手稿は18世紀にはドイツのマッティオイ・シュモル(Matthieu Schmoll)という人物が所蔵していた。現存するものの装丁は18世紀のものだというので、おそらくはシュモルによるものだろう。20世紀はじめにはエクトール・リゴーが所蔵していた。
 リゴーの死後、1931年のオークションで売りに出され、その後「ある人文主義者」(un humaniste)の手に渡った。その人物の死後、1966年12月に蔵書一掃オークションが行われた際に売りに出されたが*4、誰が落札したのかもどこに行ったのかも分からなくなっている。

 ただし、リゴーの手にあった1906年に、その知人アンリ・ドゥーシェ(未作成)が復刻版『ノストラダムスの未公刊の手稿の忠実な再版』を出版しており、一応ではあるが内容は伝わっている。とはいえ、現在ではその復刻版自体が参照困難な状況である。


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暦書
最終更新:2010年02月26日 23:42

*1 画像の出典:Très Beaux Livres et Manuscrits Anciens, Romantiques, Modernes, Paris, 1931

*2 Brind’Amour [1993]

*3 Halbronn [1991a]

*4 Bibliothèque d'un humaniste, Paris, 1966