百詩篇第6巻5番

原文

Si grand famine par vnde1 pestifere,
Par pluye longue le long du polle2 arctique3:
Samarobryn4 cent lieux de l'hemispere5,
Viuront6 sans loy7, exempt8 de pollitique.

異文

(1) vnde : onde 1590Ro 1611B 1644 1650Le 1650Ri 1653 1660 1665 1667 1668 1840, vn de 1588-89 1627, vne 1649Xa 1672
(2) polle : Polle 1588-89, Pol 1611B, Pole 1660 1672
(3) arctique : artique 1557B 1589PV 1605 1649Xa, arctiques 1867LP, Artique 1590Ro 1672
(4) Samarobryn : Samatobryn 1597 1600 1610 1611A 1644 1650Ri 1650Le 1653 1716, Samathobrym 1611B, Samathobryn 1660, Samatrobrym 1627
(5) de l'hemispere 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1589PV 1649Ca 1650Le 1668A : de l'hemisphere T.A.Eds. (sauf del'emisphere 1590Ro, de l'emisphere 1627 1644 1650Ri 1653 1665, de l'Hemisphere 1672)
(6) Viuront : Viendront 1611B 1660, Viuons 1665
(7) loy : Loy 1589Rg
(8) exempt : exemp 1557B

校訂

 ジャン=ポール・クレベールは3行目の lieux を lieues と校訂している。

日本語訳

非常に大きな飢饉が悪疫の波と
北極沿いの長雨によって広がる。
サマロブリウァは、半球から百リューにて
政治から疎外され、法なしに生きるだろう。

訳について

 2行目の「北極沿い」は1行目の「非常に大きな飢饉」にかかっていると見ることもできる。つまり、「非常に大きな飢饉が悪疫の波と長雨によって北極沿いに広がる」ということである。
 3行目 lieux は lieues と同一視されるのが普通なので、上ではそのように訳した。言葉どおり「場所」と読むなら、「サマロブリウァ、半球の百の場所」とも訳せる。サマロブリウァは、アミアンの古称(ラテン語名)である。

 大乗訳1行目「疫病に大飢きんがあり」*1は意訳にしても不適切。3行目「北半球から一〇〇の同盟のサマロブリーンが」は誤訳。ヘンリー・C・ロバーツは長さの単位のリュー(lieux)をリーグ(leagues)と英訳したのだが、「同盟」はそれを訳し間違えたものだろう。ちなみにロバーツの英訳では from the hemisphere となっており、「『北』半球」という訳は日本語版独自のものだと分かる。

 山根訳はほぼ許容範囲内だが、2行目「長雨を北極にまで押しひろげよう」*2は誤訳だろう。par の位置からして、「長雨を」と訳すのは適切でない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールはほとんどそのままなぞっただけの解釈で具体性に乏しかった。19世紀のアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードも全く触れていなかった(ル・ペルチエは用語集の中で Samarobryn をサマロブリウァとしている)。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)は、1999年までの情景のひとつとして、ノール地方に長雨や飢饉があり、アミアンの周囲100リューが無政府状態になることと解釈していた*3

 アンドレ・ラモン(1943年)は Samarobryn を「密集した人々」(a conglomerate people)と解釈した上で、終末には北極圏にも大きな変化が訪れることだとした*4

 エリカ・チータムは、Samarobryn をロシアの宇宙ステーションを意味する言葉であるとともに、エイズの治療薬スラミン(suramin)とリバヴィリン(ribavirin)に似ているとした*5

 五島勉は、Samarobryn を並び替えると英語のサブマリン(潜水艦)に近くなることや、アナグラムで出てくる arom-brysan という言葉は atom(原子)と brisant(砕ける)に近いので原子爆弾のことを見通していたのではないかということを示し、ソ連(当時)の原潜配備のニュースなどと関連付けた*6

同時代的な視点

 基本的な項目として、「長雨と飢饉」は小氷期にあたっていた当時には全く珍しいものではなかった。また、サマロブランがアミアンを指していることもほぼ疑いないだろう。「リュー」は古い長さの単位で、およそ 4.5km である。

 ピーター・ラメジャラーは、「半球」を「東西の接点」(旧国境線)と解釈し、1536年のカール5世のフランス侵攻のあと、アミアンが荒廃したことを指すとし、アミアンはライン川沿いのかつての国境線からは直線距離でおよそ91リューだとしている*7

 ジャン=ポール・クレベールは、「半球」を赤道と同じ意味で用いる例が1544年に登場していることから、「半球から百リュー」は「赤道から遠く離れたところ」くらいの意味だとしている。また、Samarobryn は Sarmatobryn とあるべきで、サルマティア(Sarmatia, 現在のリトアニア周辺)の派生語だろうとし、古代ローマ人たちは「厳冬」の意味でサルマティカ・ヒエマ(Sarmatica hiema)という表現を使っていたと述べている*8


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  • ナント生まれで、アミアン市長をしていたジュール・ベルヌ、彼の小説「海底二万里」で登場した ノーチラス号と同じ名前の原潜(submarine)を米国が開発。 同潜水艦は北極海を航行した。同時期に共産主義が赤道近くのヴェトナムやカンボジアにまで広まった。 中国では毛沢東の大躍進で3000万人を越える餓死者を出した。 -- とある信奉者 (2011-07-23 20:45:42)
  • 原潜の開発国がヴェトナム戦争で、ロン・ノル将軍を支援した結果、カンボジアでは<<疫病>>たる共産主義が逆に広まった。 2行の long から、 G LON → General LON-nol  ロン・ノル 将軍の省略形アナグラムになる。 -- とある信奉者 (2011-07-23 21:02:10)

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百詩篇 第6巻
最終更新:2015年03月10日 18:57

*1 大乗 [1975] p.176

*2 山根 [1988] p.213

*3 M. de Fonbrune [1939] p.274

*4 Lamont [1943] p.351

*5 Cheetham [1990]

*6 五島『ノストラダムスの大予言II』pp.199-200

*7 Lemesurier [2003b]

*8 Clébert [2003]