ジョヴァンニ・ミキエル

 ジョヴァンニ・ミキエル(Giovanni Michiel)は、1560年代初頭の駐仏ヴェネツィア大使。同じ時期の駐仏大使に、ミケーレ・ソリャーノ(未作成)がいた。

ノストラダムス関連

 ミキエルの1561年の報告書には、ノストラダムスに関する証言がある。

 今後、この哀れな君主(=シャルル9世)は、噂されているように片目を失うかもしれません。そのことは、私に、フランスで非常に人気のあるノストラダムスという占星術師の占いを思い起こさせます。彼は、王太后に、王子たちが全員玉座に就くでしょうと告げたことで、王子たち全員の命を脅かしたのです*1

 「王子達はみな王になる」という有名な予言に関する証言である。カトリーヌ・ド・メディシスの息子達のうち、四男のエルキュールは王にならずに早世したので外れた。
 信奉者達の中には、「4人の王が誕生する」という予言だったと理解しなおすものもいる。その場合、三男のアンリ(3世)は、フランス王になる前にポーランド王だったので、見事に当たったと見なせるわけである。

 さて、この予言はミキエルも不吉なものと報告しているように、王になった王子達が次々と死んでいくことを予言しているようにも見える。しかし、この予言はおそらくアンリ2世が健在だったときになされていたはずで、果たしてそのような不幸を告げたのかと疑問も残る。「アンリ2世への手紙」などに見られる過剰な賛辞とは、明らかに矛盾するからである。
 この予言には別の解釈がありうる。当時は神聖ローマ皇帝カール5世の弟フェルディナントがハンガリー王だったように、大国の君主の一族が小国の王位を継承することがしばしば見られた。既に見たように、アンリ3世にしても、兄が安泰なら国に呼び戻されることなく、ポーランド王のままだったはずである。
 つまり、「みな王になる」という予言は、王太子以外は周辺国の王になり、フランスの権力基盤はさらに強化されるという予言だった可能性もあるのではないだろうか。


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最終更新:2010年03月09日 21:58

*1 Brind’Amour [1993] p.41. 大元の出典は1838年に出版されたニッコロ・トンマーセオによる仏伊対訳版。