百詩篇第7巻13番

原文

De la cité marine 1 & tributaire,
La teste raze prendra la satrapie 2 :
Chasser sordide qui puis sera 3 contraire,
Par quatorze ans 4 tiendra la tyrannie 5 .

異文

(1) cité marine : citè marine 1627, Cité Marine 1672
(2) satrapie : Satrapie 1672
(3) puis sera : sera 1716
(4) ans : and 1672
(5) tyrannie : tyranny 1605, Tyrannie 1672

日本語訳

従属的な海辺の都市の
総督の地位を剃髪頭が得るだろう。
やがて彼に背くことになる汚い人物を追い出し、
十四年間、暴政を敷くだろう。

訳について

 山根訳1行目「海の属国より」 *1 は cité を「国」と訳すのが強引だろう。
 2行目「剃髪頭が総督領を奪うだろう」は可能な訳。satrapie はsatrape(サトラップ、総督)の地位や領地を指す。

 大乗訳1行目「海岸の町とその衛星都市で」 *2 は、若干強引だが可能な訳。それに対し、4行目「四十年間彼は圧制者を遠ざけるだろう」は完全に誤訳。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールはリシュリューのことと解釈し、海辺の都市はリシュリューが総督職を持っていたル・アーヴルで、リシュリューの専制政治は14年間続いたと述べた *3
 リシュリューが権力を握っていた期間は1624年から1642年までで、「14年」がいつからいつまでのことかはっきりしない。そのためかどうか、ガランシエールの解釈をほとんどそのまま丸写しにしたヘンリー・C・ロバーツは、「14年」に関する部分を省いている *4

 ナポレオン・ボナパルトの登場後は、短く髪を刈っていたナポレオンの予言と解釈されることが多くなった。
 アナトール・ル・ペルチエはナポレオンがイギリスに占領されていた海辺の都市トゥーロンを奪還し(1793年)、共和派を追いやって支配権を確立し、ブリュメール18日(1799年11月9日)に第一統領として統領政府に君臨してから1814年4月13日にエルバ島に出発するまで、14年余りにわたって専制君主として君臨したことと解釈した *5
 この解釈はチャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)ロルフ・ボズウェルセルジュ・ユタンジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌエリカ・チータムなどが支持している *6

同時代的な視点

 エヴリット・ブライラーは具体的な特定はしなかったが、同時代の北アフリカ情勢に基づいた詩ではないかとした。ルイ・シュロッセ(未作成)はそれを知ってか知らずか、1532年にバルバロス・ハイレッティンの海賊艦隊がアルジェの攻略を行い、オスマン帝国の宮廷(la Sublime Porte)に臣従させたことと解釈した *7

 ロジェ・プレヴォは直後の2つの詩とともに、16世紀初頭のジェノヴァ情勢がモデルになっていると推測した。フランスは1508年にジェノヴァを支配下においたが、1522年のビコッカの反乱で手放すことになった。まさにその間14年である。
 「剃髪」はノストラダムス作品では聖職者の隠喩に用いられることがしばしばである。実際、フランス領時代のジェノヴァの総督は元・司教座秘書官(protonotaire apostlique, 非司教の中では教皇庁の最高位聖職者 *8 )のトマ・ド・グライイ・ド・フォワ=ロートレック(Thomas de Grailly de Foix-Lautrec)であった *9
ピーター・ラメジャラーブリューノ・プテ=ジラールはこの読み方を支持している *10


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