原文
De la cité marine1 & tributaire,
La teste raze prendra la satrapie2:
Chasser sordide qui puis sera3 contraire,
Par quatorze ans4 tiendra la tyrannie5.
異文
(1) cité marine : citè marine 1627, Cité Marine 1672
(2) satrapie : Satrapie 1672
(3) puis sera : sera 1716
(4) ans : and 1672
(5) tyrannie : tyranny 1605, Tyrannie 1672
日本語訳
従属的な海辺の都市の
総督の地位を剃髪頭が得るだろう。
やがて彼に背くことになる汚い人物を追い出し、
十四年間、暴政を敷くだろう。
訳について
山根訳1行目「海の属国より」は cité を「国」と訳すのが強引だろう。
2行目「剃髪頭が総督領を奪うだろう」は可能な訳。satrapie はsatrape(サトラップ、総督)の地位や領地を指す。
大乗訳1行目「海岸の町とその衛星都市で」は、若干強引だが可能な訳。それに対し、4行目「四十年間彼は圧制者を遠ざけるだろう」は完全に誤訳。
信奉者側の見解
テオフィル・ド・ガランシエールはリシュリューのことと解釈し、海辺の都市はリシュリューが総督職を持っていたル・アーヴルで、リシュリューの専制政治は14年間続いたと述べた。
リシュリューが権力を握っていた期間は1624年から1642年までで、「14年」がいつからいつまでのことかはっきりしない。そのためかどうか、ガランシエールの解釈をほとんどそのまま丸写しにした
ヘンリー・C・ロバーツは、「14年」に関する部分を省いている。
同時代的な視点
エヴリット・ブライラーは具体的な特定はしなかったが、同時代の北アフリカ情勢に基づいた詩ではないかとした。
ルイ・シュロッセ(未作成)はそれを知ってか知らずか、1532年にバルバロス・ハイレッティンの海賊艦隊がアルジェの攻略を行い、オスマン帝国の宮廷(la Sublime Porte)に臣従させたことと解釈した。
ロジェ・プレヴォは直後の2つの詩とともに、16世紀初頭のジェノヴァ情勢がモデルになっていると推測した。フランスは1508年にジェノヴァを支配下においたが、1522年のビコッカの反乱で手放すことになった。まさにその間14年である。
「剃髪」はノストラダムス作品では聖職者の隠喩に用いられることがしばしばである。実際、フランス領時代のジェノヴァの総督は元・司教座秘書官(protonotaire apostlique, 非司教の中では教皇庁の最高位聖職者)のトマ・ド・グライイ・ド・フォワ=ロートレック(Thomas de Grailly de Foix-Lautrec)であった。
ピーター・ラメジャラー、
ブリューノ・プテ=ジラールはこの読み方を支持している。
最終更新:2010年04月05日 23:08