原文
Dedans tonneaux hors oingz d'huille
1 & gresse,
2
Seront vingtvn
3 deuant le port fermés
4,
Au second
5 guet par mort feront
6 prouesse
7,
Gaigner les portes & du guet
8 assommés9.
異文
(1) huille : huril 1557B
(2) gresse, : gres. 1557B, graisse, 1672 1712Guy 1772Ri
(3) vingtvn 1557U 1557B : vingt-vn 1644 1649Xa 1772Ri, vingt vn T.A.Eds.
(4) fermés : fermé 1627
(5) second : secon 1627
(6) par mort feront : seront par mort 1672
(7) prouesse 1557U 1557B 1568 1590Ro : proüesse T.A.Eds. (sauf prouesses 1672)
(8) guet : quet 1672
(9) assommés : asso#mez 1668P
(注記1)1712Guy は
バルタザール・ギノーの異文。
(注記2)1668Pの四行目assommezは最初のmが逆に印字されている(#で代用)。
日本語訳
外側に油脂が塗られた樽の中に、
港の前で二十一人が閉じ込められるだろう。
彼らは二度目の巡視の時に、死によって勇敢さを示すだろう。
門を通り抜けて、見張りによって終わりを迎える。
訳について
1行目の huile は「油」(常温で液体)を主に指し、graisse は「脂」(常温で固体)を主に指す。
3行目 au second guet は au second ronde de la garde (衛兵の2度目の巡回)と理解した
マリニー・ローズや
ジャン=ポール・クレベールの読み方に従った。
大乗訳1行目「空の酒樽にオイルとグリースをいっぱいにし」は誤訳。元になったはずの
ヘンリー・C・ロバーツの英訳 In empty tuns slippery with oil and greaseと見比べても明らかにおかしい。
3行目「第二の見張りは死によって武勲をたて」も同様で、ロバーツの英訳 At the second watch by death they shall do great feats of arms と見比べてもおかしい。
山根訳は特に問題はない。3行目「第二の見張り所にて 死を賭して偉業をなしとげよう」も許容範囲と思われる。
五島勉もこの詩をとりあげているが、「ウェンでない油とグレッスがトンノーの中にある/閉じられた港の前の二十一」は明らかに誤訳。
1行目の oingt は確かに名詞の「油」の意味はあるが、この場合は oindre (油を塗る)の過去分詞と理解すべきである。そうでないと huile の直前の de の役割が理解できないし、五島のように名詞としている論者は海外に見当たらない。五島は hors を「~を除いて」の意味に捉えているのだろうが、この場合は単なる「外側に」の意味にすぎない(そう取らないと「塗る」との対応が分からなくなる)。
2行目の fermés は複数形であり、単数の port (港)には対応していない。ゆえに「閉じられた」のは「港」でなく「二十一人」である(厳密に言えば単位が「人」とは限らないが、実証的な論者のあいだでは異論がない)。
信奉者側の見解
テオフィル・ド・ガランシエールは単語や意味は平易だとしか述べていなかった。
バルタザール・ギノーは具体的な事件に対応させず、情景を敷衍したような解釈しか付けていなかった。なお、その中でギノーは、21人という半端な数は、1人の指揮官の下に20人の部下が従っていることを示すとしていた。
エリカ・チータムはトロイの木馬を想起させる詩としていたが、日本語版の『
ノストラダムス全予言』ではおそらく日本語版監修者らによって、外側に油脂を塗るという描写が潜水艦や飛行機を思わせる旨が加筆された。ちなみに、この油を塗ったタルを現代兵器と結びつける見解は
韮沢潤一郎(未作成)も展開していた。
五島勉は油脂の入ったタルをオイルタンカーなどの比喩と解釈し、二十一世紀を前にして産油国の港が閉鎖され、石油ショックが起こることを予言したと解釈していた。
飛鳥昭雄は1行目を樹脂の塗られた空の樽と読んだ上で、ハッブル宇宙望遠鏡のことと解釈した。21が指すのはシューメイカー=レヴィ第9彗星の21個に分裂した核で、それが木星に衝突するさまが観測されたことと解釈した。
同時代的な視点
チータムはトロイの木馬と関連付けたが、英語圏でその対応を最初に示したのは
エドガー・レオニである。
ピーター・ラメジャラーもそうした読み方を支持しているが、具体的な事件との対応は行われていない。
なお、タルの外側に油を塗るのは、滑りを良くして音を立てないようにするためだろうという解釈が、
ジャン=ポール・クレベールによって提示されている。もっとも、彼も事件と対応させていない点では同じである。
その他
1557B はこの詩が最後になっている。
1611B では37番と位置付けられている。