百詩篇第9巻65番

原文

Dedans le coing de luna 1 viendra rendre,
Ou 2 sera 3 prins & mys en terre 4 estrange,
Les fruitz immeurs 5 seront à grand esclandre
Grand vitupere à l'vn grande louange 6 .

異文

(1) luna 1568A 1568B 1590Ro 1665 1772Ri : Luna T.A.Eds.
(2) Ou 1568A 1568B 1568I 1590Ro 1605 1611B 1649Xa 1660 1672 : Où T.A.Eds.
(3) sera : feea 1665
(4) terre : Terre 1672
(5) immeurs : immurs 1653 1665
(6) louange 1568 1590Ro 1597 1611B 1660 1668P : loüange T.A.Eds.

校訂

 2行目 Ou は Où となっているべき。

日本語訳

その者は月の片隅に返しに来て、
その場で囚われ、異国の地に置かれるだろう。
未熟な果実は大きな醜聞になるだろう。
一人に対する大きな非難、大きな賞賛。

訳について

 後半は、ジャン=ポール・クレベールの読み方に従うなら、「未熟な果実は大きな醜聞になり大きな非難にさらされるだろう。(ただし)一人には大きな賞賛」といった意味になる。4行目の前半律は Grand vitupere なので、そこまでが前の行に繋がっていると見るのは、ありうる読み方である。

 大乗訳はヘンリー・C・ロバーツの英訳をほぼそのまま転訳したものだが、例えば3行目「緑の実は不秩序にならび」 *1 などは、esclandre (醜聞、大騒ぎ)の訳し方として不適切だろう。また、熟していない果実の意味で green fruits が使われているのだから直訳するにしても「青い果実」とでもしておくべきだろう。
 山根訳は1行目「彼はルナの片隅に身をはこぶだろう」 *2 が( se rendreならまだしも) rendre の訳し方として妥当なのか少々疑問だが、おおむね問題ないと思われる。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、直前の詩(未作成)と関連付け、熟していない果実や草が損害を受けるときに、スペイン人たちが「the corner of Luna」にまで勢力を伸ばすことと解釈した。しかし、肝心の the corner of Luna については都市名や国名に心当たりがないので「読者に判断をゆだねたい」としていた *3

 その後、バルタザール・ギノー(1712年)、アナトール・ル・ペルチエ(1867年)、チャールズ・ウォード(1891年)、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)、ロルフ・ボズウェル(1943年)、アンドレ・ラモン(1943年)たちは何も解釈していなかった。

 エリカ・チータム(1973年)は1969年のアポロ11号月着陸の予言とし、後半は宇宙飛行士が死ぬか危機にさらされる出来事が起こり賛否両論が起こると解釈していた。のちに、後半はチャレンジャー号の爆発事故(1986年)などと関連付けられた *4
 セルジュ・ユタン五島勉も月着陸の予言とした *5

同時代的な視点

 エドガー・レオニは曖昧な詩篇とした上で、月が指すのはルニジアナ渓谷(valley of Lunigiana)か、オスマン帝国のことではないかとしていた *6
 当「大事典」としては、単にオスマン帝国に送られた使節が囚われてしまい、その不用意な外交姿勢が批判される、といった話の可能性もあると判断している。ノストラダムスはフランス王家がオスマン帝国と同盟を結んでいたことが、のちにイスラム勢力の侵略につながるのではと警戒していたらしいので *7 、そうした文脈で読める可能性はあるのではないだろうか。

 ジャン=ポール・クレベールは、占星術で月の支配下にある地域、つまりイギリス諸島やドイツ北部において一人の君主が囚われ、その幼い子供達が批判にさらされる中、そのうち一人は賞賛されることになるという予言だろうとした。
 その上で、仮に月の支配下の地域を西洋全般に拡大し、広くヨーロッパの事件と捉えられるのなら、パヴィアの敗戦の後にフランソワ1世が捕らわれ、その子供たちも人質になった状況に当てはめられる可能性があるとしている *8



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