原文
Par feu du ciel
1 la cité
2 presque
aduste3:
L'Vrne
4 menasse
5 encor Deucalion
6:
Vexée
7 Sardaigne
8 par la Punique
9 fuste10
Apres que
11 Libra
lairra son Phaëton
12.
異文
(1) ciel :Ciel 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A 1672
(2) cité : Cité 1672
(3) presque aduste : pres qu'aduste 1649Ca 1650Le 1668 1672
(4) L'Vrne 1555 1627 1644 1650Ri 1672 1772Ri 1840 : L'vrne 1557U 1568 1590Ro 1597 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1653 1660 1665 1716, Vrna 1557B 1589PV 1649Ca 1650Le 1668, L'vne 1588-89 1600
(5) menasse : menace 1568B 1568C 1568I 1589Rg 1597 1600 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1672 1716 1772Ri, menac 1665
(6) Deucalion : Ceucalion 1557U 1557B 1568 1588Rf 1589Rg 1589PV 1590Ro 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1772Ri, Deuealion 1653, le Deucalion 1665
(7) Vexée : Vexé 1557B, Vexées 1605 1649Xa, Vexees 1611 1660, Vexcée 1716
(8) Sardaigne : Sardaine 1627
(9) Punique : punique 1557B 1588-89 1589PV 1611B 1649Ca 1650Le 1660 1668 1672
(10) fuste : feste 1588Rf 1589Me
(11) que : le 1605 1628 1649Xa
(12) Phaëton : phaëton 1588-89, Paeton 1627, Phaeton 1611B 1649Ca 1650Le 1660 1668A 1672, Phaéton
日本語訳
天からの火によって都市のほとんどが焼かれる。
宝瓶宮がなおも
デウカリオンを脅かす。
サルデーニャはフェニキアの軽量船に悩まされる、
天秤宮がその
パエトンと別れた後に。
訳について
大乗訳について。2行目「水は他のデウカリオンを威かくし」は、urne が「壺、水瓶」の意味なので少々不適切。また、「他の」というのは encore の訳として不適切。
同4行目「あとで天秤座はプエートンを残すだろう」は、固有名詞の読み方を置いておくとしても、少々不適切。Apres que ... は「・・・の後で」の意味であって、「あとで・・・する」の意味ではない。
山根訳は3行目まではおおむね許容範囲内。4行目「天秤座が獅子座を去ったのちに」はファエトンを獅子座としているのが、
エリカ・チータムの解釈に基づくものなので不適切。
なお、
五島勉もこの詩を訳しているが、その4行目「リブラがファエトンを射(う)ちっぱなしにしたあと」は不適切。「パエトンを残しておく」というような訳は可能だが、「撃つ」という意味合いは導けない。
信奉者側の見解
エリカ・チータムは空から都市が焼かれるというのは空襲が可能になった現代の事件であることを示唆しているとし、それが起こる時期は4行目に示されているとする。彼女はパエトンが太陽の馬車を駆った神話から獅子宮としている。繋がりが不鮮明だが、獅子宮の守護星が太陽であることにちなむのだろう。また、天秤宮は占星術上の地理区分でオーストリアを指すとも主張していた。
五島勉は20世紀末の戦争の一場面として、衛星を打ち落とす光線兵器が登場し、落とされた衛星によって地上に惨事がもたらされることと解釈していた。
加治木義博は1991年から1995年に起こると想定していた第三次欧州大戦の一幕として、リビアのカダフィ大佐がイタリアを空爆することの描写としていた。
同時代的な視点
詩の情景は激しい雷雨の中で落雷によって都市が炎上すること、長雨が大洪水に繋がると危惧されること、サルデーニャがフェニキア(北アフリカの隠喩)の艦船によって侵略されることが描写されている。
パエトンはギリシャ神話の登場人物だが、
ピエール・ブランダムールによれば、ここでは古来、太陽、木星、土星の異称として用いられたことを踏まえているという。ブランダムールは、ここでの時期は太陽が宝瓶宮にある一方、土星が天秤宮を離れた年で、おそらく1542年初めか1571年の冬の描写としていた。
高田勇と
伊藤進はこれを敷衍し、さらに、当時の様々な立場の人物たちの記録を多く引き合いに出しつつ、当時の多くの人々が抱いていたノアの大洪水に対する切迫した恐怖心を指摘している。
ジャン=ポール・クレベールはパエトンが太陽、木星、土星の異称である可能性を認めつつ、散文での予兆の用例などからすると洪水を象徴するデウカリオンとの対比で大旱魃を象徴している可能性があることを指摘している。
また、仮に天秤宮が星位でなく土地を表しているのだとすればそれはスペインのことで、サルデーニャが当時スペイン領であったことにも整合しているという。
ピーター・ラメジャラーはユリウス・オブセクエンスの記録する驚異の中にも天からの火が存在していること、ここではコンラドゥス・リュコステネスが記録した1521年のミラノでの出来事がモデルになっている可能性があること、『ミラビリス・リベル』などでしばしば指摘されていた未来のイスラーム勢力のヨーロッパ侵攻のモチーフも投影されている可能性があることなどを指摘した。
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2010年04月22日 23:14