詩百篇第1巻2番


原文

La verge1 en main mise au milieu de BRANCHES2
De l'onde3 il4 moulle5 & le limbe6 & le pied7.
Vn peur8 & voix9 fremissent10 par11 les manches,
Splendeur diuine12. Le13 diuin14 prés s'assied.

異文

(1) verge : vierge 1607PR 1610Po 1627Di 1627Ma 1644Hu 1653AB 1665Ba, Vierge 1650Ri, Verge 1672Ga 1712Guy
(2) de BRANCHES : de branches 1588-89, des branches 1589PV 1590SJ 1612Me 1649Ca 1650Le 1656ECL 1667Wi 1668 1712Guy, de Branches 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611B 1649Xa 1650Ri 1981EB, de Branche 1627Di 1627Ma 1644Hu 1653AB 1665Ba, des Branches 1672Ga
(3) l'onde : londe 1649Xa, l'Onde 1672Ga 1712Guy 1772Ri
(4) il : ie 1656ECL 1672Ga 1712Guy
(5) moulle : mouille 1588Rf 1612Me 1650Ri 1772Ri, moüille 1589Rg 1656ECL 1667Wi 1672Ga 1712Guy
(6) le limbe : le l'imbe 1606PR 1607PR 1610Po 1716PRa, limbe 1627Di 1644Hu 1653AB 1665Ba, le Limbe 1672Ga
(7) pied : Pied 1653AB 1672Ga
(8) Vn peur : Vn paour 1588-1589 1612Me, En peur 1656ECL 1672Ga 1712Guy
(9) & voix : i'écrit 1656ECL 1672Ga 1712Guy
(10) fremissent : fremissant 1588-1589 1612Me 1656ECL 1672Ga 1712Guy, premissent 1627Di 1644Hu 1653AB 1665Ba
(11) par : pas 1627Di 1644Hu
(12) diuine : Divine 1672Ga 1712Guy
(13) Le : le 1590SJ 1649Ca 1650Le 1653AB 1656ECL 1665Ba 1667Wi 1668 1712Guy
(14) diuin : Divine 1672Ga, Divin 1712Guy 1772Ri

校訂

 ピエール・ブランダムールは3行目の Vn(Un) peur (ある恐怖)を Vapeur (蒸気)と校訂した。これはもともと19世紀の書誌学者フランソワ・ビュジェ(未作成)が提案したものであるが*1ピーター・ラメジャラーブリューノ・プテ=ジラールリチャード・シーバースらが支持している。

 ちなみに、上の異文欄にあるように、17世紀になって2行目や3行目に「私は」(je / j' )を挿入しようとする読み方が登場している。確かにノストラダムスがこの詩の情景と自身を重ねている可能性はあるにせよ、少なくとも文章上は第三者的に記載しているのだから、そのような改竄を受け入れるべき理由はない。実際、現代の実証主義的論者は誰一人支持していない。

日本語訳

ブランコスの中央で杖を手にし、
水の中で裾と足とを彼は濡らす。
蒸気と声が袖を通じて震える。
神の輝き。神は傍らに座しておられる。

訳について

 1行目「ブランコス」はディデュマにアポロンの神託所を設置したとされる人物だが、ここではその神託所のことを指している*2

 3行目はブランダムールの校訂に従っている。古代の儀式に従ったノストラダムス自身の行為の描写と捉えていた17世紀の何人かの論者の原文では、2行目の「彼」が「私」に、そして3行目前半が「恐怖の中で私は記す」となっている。しかし、この校訂は妥当性を欠く。ノストラダムスはここで預言者を客観視して述べており、必ずしも彼自身の体験に限定していない*3

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目 「神から授かった杖を手にもって枝のまん中に置き」*4は、verge を「神から授かった杖」と訳すのは意訳しすぎではないだろうか。また、BRANCHES は確かに通常なら「枝」だが、上述のように、「ブランコス」(Branchos)のフランス語化であるというのが、現在の実証主義的研究者の定説となっている。
 2行目「私の足と杖を水にひたす」は il (彼は)が je (私は)に改変された原文に基づいているせいはあるにせよ、limbe (ふち、へり)が「杖」になる根拠が不明。
 3行目「私の手は畏敬でふるえながら 何かを待っている」は後半が意味不明。元になったヘンリー・C・ロバーツの英訳に基づく転訳だろうが、par les manches (袖を通じて)が全く訳に反映されておらず、勝手なフレーズが追加されている。

 山根訳について。
 1行目 「手にする杖を三脚台の真ん中に置く」*5は強引だろう。「三脚台」は原文にない。Branches が「枝」(の複数形)と訳せることから、枝のような足を組み合わせたもの=三脚台、という連想が働いたものと思われる。かつてエヴリット・ブライラーのように、比較的信頼されている論者でも同様の読みをした者はいた。しかし、現代ではもはや支持されていない(ブライラー自身、ブランコス説と並立させていた)。
 3行目「声が 恐怖が ガウンに包まれた身体が震える」も強引だろう。manches は「袖、裾」などの意味であって、それを「ガウンに包まれた身体」と訳すのは無理がある。

信奉者側の見解

 詩百篇第1巻1番とのセットで取り上げられることが多い(第1巻1番のみが採り上げられることはあっても、第1巻2番のみが単独で採り上げることは普通はない)。

 1656年の解釈書テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)、バルタザール・ギノー(1712年)らはいずれも第1巻1番とともに予言の手法に関する詩篇と解釈していた*6

 第1巻1番同様、書誌学者フランソワ・ビュジェ(未作成)(1860年)が最初にイアンブリコスの『エジプト人の秘儀について』との関連性を指摘し、アナトール・ル・ペルチエ(1867年)がこれを敷衍したことで、実質的に定説化した。

 ただし、信奉者側の中には、マンフレッド・ディムデ(未作成)飛鳥昭雄のように、未来についての予言と解釈する論者もいないわけではない。また、予言の手法と解釈する場合でも、第1巻1番とこの詩から、いわゆる「コックリさん」のような手法を読み取った加治木義博のような論者もいる*7

同時代的な視点

 詩百篇第1巻1番と同じく、イアンブリコスの『エジプト人の秘儀について』が大元の出典であることは確実視されている。

「ブランキデス [ブランコスの子孫たち] の巫女についても、彼女が初めは神から譲渡された棒を持ちながら神の光に満ちているにせよ、車軸に座って未来を予言するにせよ、あるいは水のなかに己の両足とか組紐を浸したり、水をとおして吹き込まれるがままになりながら、神を外から迎え入れるこうしたあらゆる下準備で適応させ下地をつくったうえで、神を受け入れるにせよ、この巫女も神に一役買うのである」(高田勇伊藤進訳)*8

 イアンブリコスのこの叙述はクリニトゥスの『栄えある学識について』(1504年)、コルネリウス・アグリッパの『隠秘哲学』(1533年)などに再録されており、ノストラダムスはそれらに依拠したと考えられている。ピエール・ブランダムールロジェ・プレヴォは前者と見なし*9ピエール・ベアール(未作成)高田勇伊藤進は後者と見なしている*10ピーター・ラメジャラーの場合、『エジプト人の秘儀について』が1552年のリヨンで再版されていたことから、直接的な参照を想定している*11

 クリニトゥスやコルネリウス・アグリッパからの間接的な引用が想定されるのは、「(服の)縁・裾」「蒸気」など、より直接的に四行詩との類似性を想定させる表現が見られることによる。
 ここでは参考のため、ブランダムールのフランス語訳に基づいて、クリニトゥスの該当箇所を紹介しておく(コルネリウス・アグリッパの該当箇所は岩波版の『ノストラダムス予言集』で紹介されている)。

 「同様にブランコスでは、運命を告げる巫女たちは車座になり、あるいはまた何がしかの神から与えられた杖を手で振動させ、あるいはまた自らの両足や(服の)裾を水に浸し、あるいはまたその水場から火によって立ちのぼる蒸気を吸う。そして同時にそれらの手段を通じて神の輝きに満たされ、神で満ちた状態になり、噂されるように、諸事の託宣を下すのである」*12

 3行目の「ある恐怖」を「蒸気」と校訂すべき根拠もここにある。クリニトゥスにしろ、コルネリウス・アグリッパにしろ、彼らの紹介では立ち上る蒸気に関する言及が存在しており、文脈からすれば、そう校訂するのが妥当だからである。

 なお、ここでの描写は第1巻1番同様、『予言集』第一序文(セザールへの手紙)第25節「というのは、知的に創られた理解力は、幽かな炎を通じて裾で生まれる声に拠らなければ、どのような部分からであれ、来るべき未来を神秘的に見ることが出来ないからである。」にも対応している。


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コメントらん
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  • 4行詩の並びは主観的なような気がする。 -- 名無しさん (2014-05-13 23:52:01)

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詩百篇第1巻
最終更新:2018年06月17日 12:52

*1 Buget [1860] pp.1711-1712

*2 Brind'Amour [1996]

*3 Brind'Amour [1996]

*4 大乗 [1975] p.45。以下、この詩の引用は同じページから。

*5 山根 [1988] p.39 。以下、この詩の引用は同じページから。

*6 Eclaircissement..., pp.107-113 ; Garencieres [1672] ; Guynaud [1712] pp.73-76

*7 加治木『真説ノストラダムスの大予言2』

*8 高田・伊藤 [1999] 『ノストラダムス予言集』pp.12-13

*9 Brind'AMour [1996], Prévost [1999] pp.246-247

*10 Béhar [1996] p.128, 高田・伊藤 [1999] p.13

*11 Lemesurier [2010]

*12 Brind'Amour [1996] p.50