詩百篇第10巻6番


原文

Sardon1 Nemans2 si hault3 desborderont,
Qu'on cuidera Deucalion renaistre,
Dans le collosse4 la plus part5 fuyront,
Vesta sepulchre6 feu7 estaint8 apparoistre9.

異文

(1) Sardon : Gardon 1572Cr 1656ECL 1667Wi 1668A 1668P 1672Ga
(2) Nemans : Demaus 1572Cr, Nemaus 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri, Nyme Eaux 1656ECLa 1668A 1668P, à Nisme eaux 1656ECLb, Nyme, eaux 1667Wi, a Nismes eaux 1672Ga
(3) hault / haut : hauts 1650Mo
(4) collosse / colosse : calosse 1590Ro, Colosse 1656ECL 1672Ga
(5) la plus part : la plus par 1568X, la pluspart 1590Ro 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1656ECLa 1665Ba 1667Wi 1668P 1672Ga 1720To 1840
(6) sepulchre : Sepulchre 1672Ga
(7) feu : fut 1653AB 1656ECLa 1665Ba 1668 1720To
(8) estaint / esteint : esteent 1650Mo
(9) apparoistre : à paroistre 1656ECLa 1667Wi 1668A 1668P

(注記)1656ECLは2か所で登場している(pp.137, 341)。p.137 の方を1656ECLaとし、p.341 の方を1656ECLbとした。

校訂

 1行目 Sardon が Gardon の誤植なのはほぼ確実である。
 Nemans は確かにニームを意味するが、1656ECL(1656年の注釈書)などの改変はやりすぎである。ただし、Eaux を補っているのは、(複数形の名詞に対応している動詞の活用形から、複数形の名詞が省略されていることが明らかなので)複数形の主語を補おうとした点で、意図としては理解できる。

日本語訳

ネマウススのガルドン川では、(河水が)余りにも高く溢れかえるので、
デウカリオンが蘇ったと思われるだろう。
円形闘技場の中へ大部分の人が逃げ込むだろう。
ウェスタの墓所で消えた火が現れる。

訳について

 1行目は、複数形の主語が省略されていることが活用形から明らかである。ジャン=ポール・クレベールは、ガルドン川の支流を想定したものだろうとしている。
 3行目 colosse は言葉どおりなら「巨人(像)」の意味で古語でもそれは変わらない*1。だが、この場合は円形闘技場の意味だろうという点で、ロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールは一致している。ローマの円形闘技場の通称Colosseo はもちろん本来イタリア語である。
 フランス語でコロッセオのことはコリゼ(Colisée)といい、中期フランス語でも同様だった*2。ただし、ノストラダムスは用語や用例にイタリア語の影響のあったことが指摘されているので*3、十分に可能性はある。
 なお、ローマの円形闘技場(アンフィテアトルム)をコロッセオ(コロセウム)と呼ぶようになったのは、隣に建っていたネロの巨像にちなむという*4

 山根訳は一応許容範囲内だろう。
 大乗訳は1行目「ニスメスの庭で水は高く流れ」*5が誤訳。「庭」は Gardon を英語の Garden とでも取り違えたのだろう。なお、1行目から2行目にかけて si... que...の構文(英語の so... that...構文と同じ)になっていることも訳に反映されていない。4行目「墓と火を消して あらわれる」も誤訳。4行目は明らかに前置詞などの省略があり、何を補うかで訳の幅はあるだろうが、Vesta が訳に含まれていないのは問題であろう。

信奉者側の見解

 1656年の注釈書では、1557年9月9日のガルドン川大洪水と解釈されている。この解釈はテオフィル・ド・ガランシエール(1672年)、ロルフ・ボズウェル(1943年)、エリカ・チータム(1973年)らが支持している*6
 チータムの場合、1988年に起こったガルドン川の大洪水にも一致しているとした。

同時代的な視点

 1656年の解釈書で展開された1557年9月の大洪水とする解釈は、ロジェ・プレヴォジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースらによっても支持されている。
 1557年9月には、フランスを含むヨーロッパの一部で大洪水が起こったことが、いくつもの年代記に記録されている。ガルドン川の大洪水に関しては、セザール・ド・ノートルダムの年代記でも言及されている。
 この詩を含む第10巻の出版はどんなに早くとも1558年のことであり、1557年9月の大洪水を事後的にモデルにすることは十分に可能である(そもそも従来の信奉者側の解釈自体が、時系列的に見れば単なる事後予言にすぎないことになる。もっとも、エリカ・チータムのように、信奉者側には「ノストラダムスの脳裏に浮かんだビジョンには、未来だけでなく過去も含まれていた」と主張する者もいる)。

 ウェスタの墓所とは、ニームに今も残るディアナ神殿の遺跡のこととされる。4行目はその火が大洪水で一度消えるが、再び灯されることの描写だという*7

【画像】ニームのディアナ神殿(ウィキメディア・コモンズより*8



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