百詩篇第10巻10番

原文

Tasche de murdre 1 enormes adulteres 2 ,
Grand ennemy de tout 3 le genre 4 humain
Que 5 sera pire qu'ayeulx 6 , oncles 7 , ne peres 8
En fer 9 , feu, eau 10 sanguin 11 & inhumain 12 .

異文

(1) murdre 1568 1628 : meurtre 1590Ro, meurdre 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1650Le 1653 1660 1665 1668 1716 1840
(2) adulteres : Adulteres 1672
(3) tout : tou 1665
(4) genre : Genre 1772Ri
(5) Que : qui 1572Cr
(6) qu'ayeulx 1568 1672 : qu'à eux 1572Cr, qu'ayeuls T.A.Eds.
(7) oncles : Oncles 1672
(8) ne peres : ni peres 1572Cr, ou peres 1590Ro, ne Pere 1672
(9) En fer : Vn fer 1572Cr, Enfer 1568C 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1716 1772Ri
(10) feu, eau : eaue feu 1572Cr, feu, eaux 1597 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1716, feu, cau 1628
(11) sanguin : & sanguin 1627 1644 1650Ri 1653 1665
(12) inhumain : humain 1572Cr 1627 1644 1650Ri 1653

校訂

 1行目 murdre は後の異文にあるように meurtre もしくは meurdre の方が良い。
 4行目 En fer (鉄を帯びた、鉄で出来た)を enfer (地獄)と読む異文は面白いが、妥当性は疑問。 eau (水)を eaux (洪水)と読むことについても同じ。

日本語訳

殺人と忌まわしい姦通とによって汚れた、
人類全てにとっての大敵。
その者は祖父たち、おじたち、父たちよりも邪悪だろう。
鉄と火と水で流血を招く人非人。

訳について

 山根訳はおおむね許容範囲内だが、2行目「全人類の不倶戴天の敵」は、grand の訳として「不倶戴天」とまで言ってしまうのは訳しすぎにも思える。逆に大乗訳2行目「全人類の敵」 *1 では grand の意味合いが全くない。
 大乗訳3行目「こんなに祖父 おじ 父を 悪くする者はみたことがない」は誤訳。pire que は比較級を使った表現で、この場合の que... は英語で言えば than... に相当する。
 同4行目「鉄 水 血と 不人情さで」も feu (火)が訳されておらず不適切。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール前の詩(未作成)と関連付けていたが、その解釈は具体性を欠いていた。それ以外では20世紀になるまで解釈する者は現れなかった。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)は未来に現れる反キリストの描写の一つと理解した *2 。この解釈は息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)にも引き継がれた *3

 ロルフ・ボズウェル(1943年)はナチス・ドイツと解釈した *4
 アンドレ・ラモン(1943年)はフランシスコ・フランコの行為と解釈した *5

 エリカ・チータム(1973年)は、ヴェネツィア大使モレニゴ(Morenigo)が「全人類の大敵」と評した相手、ナポレオン・ボナパルトのこととした *6 。チータムは出所を明示していないが、これはエドガー・レオニの指摘を流用したものである *7
 ジョン・ホーグ(1997年)もレオニの名前に触れた上でこの説を紹介しているが、さらに彼は「第2の反キリスト」アドルフ・ヒトラーや、「第3の反キリスト」の候補サダム・フセインなどにも適用できる可能性を示していた *8

 セルジュ・ユタンはヒトラーないしは将来の反キリストの予言としていた *9

同時代的な視点

 ジャン=ポール・クレベールは、4行目前半は鉄器、火、水などを使った刑罰を多く執行することの描写としている *10
 その当否はともかく、大まかな内容として非常に邪悪な暴君が描写されていることは疑いない。しかし、あまりにも漠然としすぎていて歴史上の人物に特定するのは不可能だろう。

 ピーター・ラメジャラーは『ミラビリス・リベル』で予言されていた未来の反キリストのイメージが投影されたものと見ている *11
 たとえば、その第2章に当たる「ティブルのシビュラ」には、次のように描写されている。

 「その時期に、ダンの民族から、アンチキリストという名の、不正の君主が現れます。彼は破壊の子、驕慢の君主、誤謬の教師、悪行の充満であり、世界を破壊し、誤った幻視によって予兆と大げさな徴を示します。・・・彼が支配している間に、2人の有名な人物エリヤとエノクが、主の到来を告げるために活動しますが、アンチキリストは彼らを殺します。・・・それから、その前にも後にもないような大きな迫害が起こります」(伊藤博明・訳) *12

 また、第3章に当たる聖アウグスティヌスの反キリスト論 (とされているが、実際にはモンチエ=アン=デルの修道院長アドソの 『反キリストの誕生と時代に関する書簡』) には、こういう記述もある。

 「彼 〔=反キリスト〕 は贈り物によって堕落させられなかった人々を、恐怖によって打ち負かそうとします。その恐怖にも屈しない人々を、彼は徴と奇跡とで篭絡しようとします。その徴を支持しない人々を、彼は残虐な拷問によって一同の前で惨たらしく殺させるのです。・・・それで、彼の目に留まる全ての敬虔なキリスト教徒・・・は鉄器によって、燃え盛る火によって、蛇によって、野獣によって、あるいはその他何らかの拷問によって殺されるのです」 *13

 こうして見てみれば、確かに、ノストラダムスが描いた暴君は、具体的な歴史人物と見るよりも、中世以来広く知られていた反キリスト像を踏まえていると見る方が、より説得的であろうと考えられる。
 現代では 「ティブルのシビュラ」 などは、一部の宗教学者や歴史学者以外からは省みられなくなっているが、その現存する写本数 (約150) は中世のベストセラー 『東方見聞録』 とほぼ同数であり、かつての影響力の強さを示している *14 。アドソの書簡の写本現存数はそれを上回る170以上であり、これまた中世には広く受け入れられ、さまざまな亜流を生みだす淵源になっていた *15

 ノストラダムスがこの詩で描写している内容には、「ティブルのシビュラ」やアドソの書簡を越える内容は全く含まれていない。その片言節句をもとに強引に解釈しようとすることは、ともすれば中世精神史・宗教史に関する無知をさらけ出すだけに終わることだろう。


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