サン=トーバン=アン=シャロレ

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「サン=トーバン=アン=シャロレ」で検索した結果

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  • フィリベール・サラザン
    ...)の父。  サン=トーバン=アン=シャロレ(未作成)で生まれた。若い頃、パリでプロテスタントの思想に触れ、影響を受けた。その後、ペルピニャン(未作成)で哲学を講じ(同時にこの頃医学博士号を取得したと推測される)、アジャンではジュール・セザール・スカリジェ(未作成)の息子の家庭教師をつとめた。アジャン滞在中にはノストラダムスとも親交があったようだが、プロテスタント傾向のあったサラザンと親しかったことが、ノストラダムスの異端審問召還の理由になったとする説もある。  1540年代にリヨンに移住し、1547年にノストラダムスがリヨンに立ち寄った際には、強く批判したともされる。1550年にはリヨン市立病院(未作成)の医師となり、1552年にはリヨンで医師としての著作も上梓している。  ただし、この出版に先立って彼はリヨンを離れており、1551年8月24日にはジュネーヴ市...
  • シャロン
     シャロン=シュル=ソーヌ (Chalon-sur-Saône) はソーヌ=エ=ロワール県の都市。 概要  ソーヌ川北西岸に発達した河港都市で、古代ローマ時代の名称はカビロヌム (Cabillonum)で、6世紀にブルグンド王国の首都となった。のちブルゴーニュ公領となり、13世紀以降は大市の開催都市として繁栄した。 サントル運河の起点であり、18世紀以降は工業都市として発展した(*1)。 ノストラダムス関連  『予言集』では単にシャロン (Chalon) として言及されている。  フランスにはよく似た綴りで同じ発音のシャロン=アン=シャンパーニュ (Châlons-en-Champagne, 旧シャロン=シュル=マルヌ Châlons-sur-Marne) もある。  しかし、『予言集』の登場箇所(正篇に限れば初版に集中している)の文脈および綴り方(シャンパーニュ地方の...
  • アンリ・トルネ=シャヴィニー
     アンリ・トルネ=シャヴィニー(Henri Torné-Chavigny, 1826年6月20日 - 1880年7月5日)は、フランスの司祭。ノストラダムス予言の信奉者であり、エドガー・レオニが言うところの「19世紀の三大解釈者」の一人である(後2人はウジェーヌ・バレストとアナトール・ル・ペルチエ)。  ロベール・ブナズラは「ノストラダムスの注釈者の中で一番の有名人」(*1)と紹介している。  本名はアンリ=アントワーヌ・トルネ(Henri-Antoine Torné)だが、ノストラダムスの秘書ジャン=エメ・ド・シャヴィニーに肖って、姓に「シャヴィニー」を加えた。  司祭であったことから、トルネ師(アベ・トルネ, l abbé Torné)とも呼ばれる。  日本語文献に、ノストラダムスの秘書(弟子)の名前を「トルネー」としているものがあるのは、明らかにシャヴィニー本人と、この...
  • La Concordance des Prophéties de Nostradamus
     『アンリ2世からルイ大王までの歴史とノストラダムス予言集との一致』(La Concordance des Prophéties de Nostradamus, avec l histoire depuis Henri II jusqu à Louis le Grand)は、バルタザール・ギノーが著したノストラダムス予言の解釈書である。 【画像】1712年版の扉(*1) 出版  パリのジャック・モレル(Jacques Morel)から1693年に初版。1709年にはジャック・モレル未亡人が増補新版を出版し、1712年にも再版した。1718年にユアール(P. M. Huart)も再版しているが、これはモレル未亡人版と同じ版であるという(*2)。両家は住所表示が近いので、おそらく正式に版を譲られたのではないだろうか。 構成  この著作は三部構成になっている。第一部...
  • ジャン・ジフル・ド・レシャク
     ジャン・ジフル・ド・レシャク(Jean Giffre de Réchac, 1604年8月25日-1660年4月9日)は、ドミニコ会の聖職者。宗教上の名前はジャン・ド・サント=マリー。  1604年にアキテーヌ地方のレシャクの領主ジャン=ロジェ・ジフルの子として、キルブーフ(Quilleboeuf)に生まれた。14歳のとき、パリの修道院でドミニコ会士となり、以降学問を積んで伝道師、副修道院長などとして様々な場所に赴任した。  1637年にルーアンの小修道院長として赴任したあたりから、その予言や心霊方面での活動などで知られるようになった。その後、彼はパリに呼び戻されボルドーなどに赴任した後に、1641年からはパリの小修道院の副院長になっていた。  1645年以降、修道会の指導者(le maître de l’Ordre)のトマ・チュルコ(Thomas Turco)と...
  • ジャン=アルベール・ジョリ
     ジャン=アルベール・ジョリ(Jean-Albert Joly, ca1755 - ?)はアヴィニョンの出版業者。  父はアヴィニョンの出版業者アンリ・ジョゼフ・ジョリで、アンリ・ジョゼフはフランソワ=ジョゼフ・ドメルグのもとで徒弟修業をした。アンリ・ジョゼフが1767年9月21日に歿すると、妻アンヌ・ジュヌヴィエーヴ・ド・ヴーグレ(Anne Geneviève de Vougrey)が「ジョリ未亡人」(veuve Joly)名義で事業を引き継いだ。このとき、息子のジャン=アルベールが手伝っていたようである。  ジョリ未亡人が1784年に歿すると、ジャン=アルベールは自らの名義で活動するようになった(*1)。  以上はルネ・ムリナの研究に依拠しているが、ムリナはいつまで活動したのかについて何も記載していない。かつてペルシェはジャン=アルベールの活動時期を1769年から18...
  • ミシェル・ノストラダムスの予言集 (マルシャン・ド・ヌヴォテ、刊行年記載なし)
     18世紀末頃には 「新刊書籍の商人たち」 名義での『予言集』も出版された。 正式名 第一部 PROPHETIES DE MICHEL NOSTRADAMVS, Dont il y en a trois cens qui n ont iamais esté imprimees ; Trouuees en vne Bibliotecque laissee par l Autheur. NOUVELLE EDITION, D après un Exemplaire trouvé dans la Bibliothèque du célèbre PASCAL. AVEC LA VIE DE L AUTEUR. A PARIS, CHEZ LES MARCHANDS DE NOUVEAUTÉS. ミシェル・ノストラダムスの予言集決して出版されなかった300篇を含み、 著者の残...
  • ジル・ド・サン=ジル
     ジル・ド・サン=ジル(Gilles de saint-Gilles)は16世紀パリの出版業者。1577年から1589年まで活動した(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス本人の著書は出さなかったようである。  アントワーヌ・クレスパンの『彗星の予兆と影響を提示するための、国王ならびに世紀の哲学論争の当事者たちに宛てた書簡』(1577年)、『五年間の天文的占筮』(1586年頃)を出版した。また、現存しないが、クレスパンの『1581年向けの驚異の大占筮』(1580年頃)も出したらしい。  ほかに、ピエール・メニエが出版したクレスパンの『驚異の予言』の特認はサン=ジルに向けて出されており、末尾にサン=ジルがメニエの出版を許諾した旨の追記がなされている。 名...
  • レランス諸島
     レランス諸島 (Îles des Lérins) はカンヌの南の海に浮かぶ島々で、主としてサン=トノラ島とサント=マルグリット島からなる。日本の観光関連書などでは「レラン諸島」としているものも多い(*1)。  サント=マルグリット島には紀元前3世紀の遺跡なども残っているが、その名前が知られるようになったのは、4世紀にサン=トノラ島にやってきて修道院を開いた聖ホノラトゥス(サン=トノラ)によってである。彼が開いたレランス大修道院は今も残るが、建物は後の時代に再建されたものである。  サント=マルグリット島の名前は聖ホノラトゥスの妹にちなんでおり、彼女がこの島に女子修道院を建てたという。この島の砦には1687年から1698年まで、いわゆる「鉄仮面の男」が収容されていたことで知られている。その要塞は1712年に築城の名手ヴォーバンによって補強され、星型要塞として残っている(*2...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・リブー、1668年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1668年にパリのジャン・リブー(未作成)によっても出版された。 【画像】1668年パリ版の口絵と扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMVS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premiere...
  • ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ
     ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(Jean-Charles de Fontbrune, 1935年 - 2010年)は、フランスのノストラダムス解釈者。  父マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)もノストラダムス解釈者で、親子二代に渡る解釈者として国際的に知られている。  本名はジャン・ピジャール・ド・ギュルベール (Jean PIGEARD DE GURBERT) で(*1)、ド・フォンブリュヌという筆名は、父が使っていた分家の姓に基づく筆名を引き継いだものである。  日本では、五島勉が「ジャン・シャルル・ド・フォンブリューヌ」と表記していたが、当「大事典」では「フォンブリュヌ」と表記する。  邦訳された『新釈ノストラダムス』で「フォンブリュヌ」と表記されていたのが理由の一つである。また、フランス語の brune は brun の女性形で、その発音記号は ...
  • ジャン・ド・サン=レミ
     ジャン・ド・サン=レミ(Jean de Saint-Rémy, 1428年頃 - 1504年?)は、ノストラダムスの母方の曽祖父。サン=レミ=ド=プロヴァンスの医師であった。 生涯  ジャン・ド・サン=レミの正確な生年は不明である。1478年10月の公文書で50歳と記載されていることなどから、1428年頃の生まれとされる(*1)。  確認されている限りでは、ジャンはキリスト教徒であった。通俗的には、本人ないしその父親が改宗した元ユダヤ教徒だったとされるが、その辺りの事情を証明できる史料は残っていない(*2)。  時期は不明だがシレット(Sillette)という女性と結婚し、息子ルネをもうけた。ルネはベアトリス・トゥレルと結婚したが、1479年頃に亡くなり、ベアトリスの父ジャックとジャン・ド・サン=レミの間で、ベアトリスの結婚持参金返還をめぐる係争があった(*3)。 ...
  • サン=レミ=ド=プロヴァンス
     サン=レミ=ド=プロヴァンス(Saint-Rémy-de-Provence)は、南フランスのブーシュ=デュ=ローヌ県の都市である。ノストラダムスの生誕地として、また画家ゴッホの療養地として国際的に知られている。 概要  アルピーユ山脈のふもとに位置し、町の歴史は古代ローマの入植地だった頃に遡る。当時の遺跡はサン=レミの近郊に残っている(グラヌムの遺跡)。  10世紀には近隣にロマネスク様式のサン=ポール=ド=モゾル修道院が建造され、1810年から私営の精神病院に転用されている。その病院は画家ゴッホが療養のため滞在していたことがあるため、国際的に有名である(ゴッホが滞在していた部屋は見学可能)。この病院の背後には採石場跡であるマス・ド・ラ・ピラミッドがある。  現在の町の中心部には、町の歴史や文化にゆかりのある博物館がいくつもある。  サドの館(Hôtel de Sad...
  • ルネ・ド・サン=レミ
     ルネ・ド・サン=レミ(René de Saint-Rémy)はノストラダムスの母方の祖父。ノストラダムスの母であるルネ(Renée)とは綴りが異なる。  ベアトリス・トゥレルと結婚し、娘ルネをもうけたことは確かだが、それ以外の伝記的な事柄は全くわからない。  ピーター・ラメジャラーは1479年頃歿と推測している(*1)。その根拠を明示していないが、おそらく1479年にルネの「管財人」でもあった父ジャン・ド・サン=レミと、ベアトリスの父ジャック・トゥレルとの間で、ベアトリスの持参金返却を巡る諍いがあったことを踏まえたものだろう(*2)。いずれにしても、娘ルネとジョーム・ド・ノートルダムが1495年に結婚した時点では、故人として扱われている(*3)。 名前 ...
  • レニエール・ド・サン=レミ
     レニエール・ド・サン=レミ(Reynière de Saint-Rémy)はノストラダムスの母。ルネ・ド・サン=レミ(Renée de Saint-Rémy)とも表記される。  父ルネ・ド・サン=レミ(René de Saint-Rémy)と母ベアトリス・トゥレルの間に生まれたが、詳しいことはわかっていない。エドガール・ルロワは、おそらくキリスト教徒だったと推測している(*1)。  生没年も不明だが、ウジェーヌ・レーは1536年以降に歿したと推測している(*2)。 名前 コメント
  • Ein Erschrecklich und Wunderbarlich zeychen
     『受難の主日にあたる3月10日土曜日の7時から8時の間に、フランス・サロンの町で多くの人に目撃された恐るべき驚異の光景』(Ein Erschrecklich und Wunderbarlich zeychen...)は、1554年頃に出版された片面刷り1ページの文献である。  ノストラダムスが表題にある天体現象について、タンド伯クロード・ド・サヴォワに報告した書簡のドイツ語訳とされる。ニュルンベルクのヨアヒム・へラーによって翻訳・出版された。 【画像】『恐るべき驚異の光景』(*1) 正式名 Ein Erschrecklich und Wunderbarlich zeychen, so am Sambstag fur Jüdica den zehenden tag Martij zwischen siben und acht uhrn in der Stadt Sch...
  • ヴァレンヌ
     ヴァレンヌは「荒地」などを語源とする地名(*1)。  そのありふれた語源ゆえに、フランス国内には現在24箇所のヴァレンヌが存在する。  その中でも有名なのは、ヴァレンヌ事件(1791年)の舞台になった、ヴァレンヌ=アン=アルゴンヌであろう。  ただし、ノストラダムスが想定していたのは、ヴァレンヌ=シュル=ロワールや、アンドル=エ=ロワール県のヴァレンヌなどだった可能性が指摘されている(*2)。 登場箇所 詩百篇第9巻20番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • 詩百篇第8巻40番
    詩百篇第8巻 40番* 原文 Le1 sang du Iuste2 par Taurer la daurade3, Pour se venger4 contre les Saturnins5 Au nouueau lac6 plongeront la maynade7, Puis8 marcheront9 contre les Albanins. 異文 (1) Le La 1627Ma 1627Di (2) Iuste iuste 1594JF 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1672Ga 1697Vi 1720To 1772Ri 1840 (3) Taurer la daurade Taur la Dorade 1594JF 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 16...
  • Arton
     Arton は、意味の確定していない語。諸説がある。 ピエール・ブランダムールはartimon の誤記と見た。ブランダムールはこの語をラテン語 artemon に由来する語として「船の帆」と訳している(*1)。なお、『新仏和中辞典』(白水社、1977年)では、artimon の訳として「後檣」(檣=帆柱)の語があてられている。artimon とする読みはピーター・ラメジャラーやブリューノ・プテ=ジラールからも支持されている。 ジャン=ポール・クレベールは、古代ギリシアの人名アルトンテス(Artontes)と理解した(*2)。 マリニー・ローズはフランスの地名と見て、ヨンヌ県のアルトン(Arton)、アンドル県のアルトン(Arthon)、ロワール・アトランティック県のアルトン(現アルトン=アン=レ Arthon-en-Retz)などの可能性を示した(*3)。アルトン=アン=レの可能...
  • Vraye prognostication nouvelle, composée par maistre Claude Fabri
     『1552年向けの新たなる真の占筮』(Vraye prognostication Nouuelle,... pour l An Mil cinq cens Cinquante Deux.)は、クロード・ファブリの占筮。アジャンのアルノー・ヴィロト(未作成)が出版した。 【画像】 『1552年向けの新たなる真の占筮』の扉(*1) 正式名 Vraye prognostication Nouuelle, Composée par maistre Claude Fabri, Medecin Astrophile demourant en la noble Ville Vniuersité de Dole, natif de Prelz en Argonne pour l An Mil cinq cens Cinquante Deux.Nouuellement Impr...
  • 六行詩52番
    六行詩集 52番* 原文 La grand Cité qui n a pain à demy, Encor vn coup la sainct Barthelemy1, Engrauera au profond de son ame2, Nismes, Rochelle, Geneue Montpellier, Castres3, Lyon, Mars entrant au Belier4, S entrebattront le tout pour vne Dame5. 異文 (1) Barthelemy Berthelemy 1600Au 1600Mo 1611 1628dR 1649Ca, Bartelemy 1627Di (2) ame Ame 1672Ga (3) Castres Castre 1611 1627Ma 1627Di 16...
  • 詩百篇第8巻36番
    詩百篇第8巻 36番* 原文 Sera commis conte1 oingdre2 aduché3 De4 Saulne sainct Aulbin5 Bell œuure6 Pauer de marbre7 de tours8 loing9 espluché10 Non Bleteram11 resister chef d œuure12. 異文 (1) conte contre 1649Xa 1667Wi 1672Ga 1697Vi 1720To 1981EB (2) oingdre/oindre ioindre 1590Ro, oinde 1605sn 1649Xa, Oinde 1672Ga (3) aduché a duché 1590Ro 1650Le, à duché 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri...
  • ノストラダムスの肖像画 (予言され裁定された歴史)
    (*1) 基本データ 作品名 Nostradamus écrit L Histoire prédite et jugée, comprenant toute l histoire de France et les grands faits de l histoire de l Eglise et des peuples étrangers. 日本語訳 ノストラダムスがフランス全史ならびに教会史上や外国人たちの大事件を含む予言され裁定された歴史を記す 作者 ロワール=ミシュレ(Loire-Michelet) 公刊時期 1878年頃 様式 版画 サイズ アトラス判(in-plano, 収録文献のサイズ) 収録文献 Henri Torné-Chavigny, Influence de Nostradamus dans le Gouvernement de la France depuis ...
  • クロード・ファブリ
     クロード・ファブリ(Claude Fabri, 生没年未詳)は、16世紀フランスの医師・占星術師。プレル=アン=アルゴンヌの生まれで、主としてディジョン(未作成)で活動した。  医師としての著作には、『ペスト治療の逆説』(Paradoxes de la cure de la peste, 1568年)、『ペストに対する解毒と確実な経験』(Les contrepoisons et expériences certaines contre la peste, 1580年)がある。なお、このうち前者はブノワ・ティクシエが1551年に刊行したペスト論の盗作と指摘されている。  占星術師として占筮や暦書をパリ、ルーアン、リヨンなどで何度も刊行していたとされるが、現在確認されているのは、『1552年向けの新たなる真の占筮』(アジャン、1552年)、『1572年向けの暦』(パリ、157...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • 地名一覧
     地名記事の一覧。未作成の記事が多いがご寛恕いただきたい。* 印は歴史的地名。 あ アヴィニョン アウクスブルク(アウグスブルク) アウソニア* アグド アジャン アスティ アルビ アルマダ アルモリカ* アルル アングレーム アンスウィ アンチーブ(アンティーブ) アンティオキア* アンティポリス → アンチーブ アンフィポリス* イエール諸島 イギリス諸島 イスタンブル(イスタンブール) イラク → バビロン* イラン → ペルシア* イングランド インスブリア* → Insubre ヴァティカン → バチカン ヴァレンヌ ウィーン(未作成) ヴィエンヌ ヴィチェンツァ ヴィルフランシュ ヴェネツィア ウェールズ ヴェルチェッリ ヴェローナ エヴルー エノー エフェソス* エペイロス*(エピルス) エペソ* → エフェソス オセール(オーセール) オルレアン(未作成) か カオ...
  • 百詩篇断片・9番
    シャストゥイユが伝えた百詩篇 9番 原文 Non loin du port pillerie et naufrage De la Cieutat1 frapte2 Isles Stécades De Saint-Tropé3 grand marchandise nage Classe4 barbare au rivage5 et bourgades. 異文 (1) la Cieutat ta cieudad (Ruzo 1975), la cieudad (Ruzo 1982) (2) frapte frappe (Ruzo) (3) Saint-Tropé St troppe (Ruzo) (4) Classe Ctasse (Ruzo 1975) (5) rivage irivage (Ruzo 1975) 日本語訳 港から遠く...
  • 詩百篇第9巻20番
    詩百篇第9巻 20番* 原文 De nuit viendra par la forest1 de Reines2, Deux pars3 vaultorte4 Herne5 la pierre blanche, Le moine6 noir en gris7 dedans Varennes8 Esleu cap.9 cause tempeste10 feu, sang tranche. 異文 (1) forest Forest 1672Ga (2) Reines Renes 1627Ma 1627Di, Rennes 1672Ga 1840 (3) pars parts 1627Di 1672Ga, par 1644Hu 1650Ri 1650Mo (4) vaultorte vaultote 1627Di, voltorte 1605sn 16...
  • mansol
     mansol はかつて謎とされていたが、エドガール・ルロワの指摘以来、mausole(mausolée)の誤植にすぎないことが有力視されている。 モゾル  モゾル(mausole)もしくはモゾレ(mausolée)は2通りの解釈が可能だが、いずれもサン=レミ=ド=プロヴァンスに近いグラヌム(未作成)遺跡と深く結びついている。  モゾル(Mausole)と読む場合、それはサン=ポール=ド=モゾル(Saint-Paul-de-Mausole)のことだろう。詩百篇第9巻85番(未作成)に見られる saint Pol de Manseoleなどは、この推察を裏付ける。  サン=ポール=ド=モゾルは、グラヌム遺跡近くにある旧修道院で、ゴッホが入院したことでも有名な精神病院に転用されている。一帯は19世紀には単独のコミューン(地方行政単位)を形成していたという。  モゾレ(...
  • 百詩篇第4巻86番
    原文 L an que1 Saturne2 en eaue3 sera4 conioinct, Auecques Sol5, le6 Roy fort puissant7 A Reims 8 Aix sera receu oingt, Apres conquestes meurtrira innocens9. 異文 (1) L an que Icy 1592Pi (2) Saturne saturne 1588-89 (3) eaue 1557U 1557B 1588Rf 1588Me 1589PV eau T.A.Eds. (4) sera estant 1592Pi (5) Sol sol 1588Rf 1589Rg (6) le vn 1592Pi (7) puissant puissant 1610 1716 ...
  • Denys
     Denys は、酒の神ディオニュソス(Dionysos)のこととされる。マリニー・ローズやベルナール・シュヴィニャールはこの読み方をとっている。もちろん、ここで言う「酒」とはワインのことなので、ワインやブドウの比喩として用いられている可能性もある(*1)。  他方でドニ(Denis)を含む地名はフランスのいくつかある。アナトール・ル・ペルチエはパリ近郊のサン=ドニの教会と大修道院と解釈していたし(*2)、アンリ・トルネ=シャヴィニーは、自身が主任司祭を務めていたサン=ドニ=デュ=パンと解釈していた。百詩篇第9巻24番の場合、ルテティアと一緒に登場しているので、おそらくパリ近郊のサン=ドニのことだろう。  なお、ノストラダムスは散文体の「予兆」では何度か「暴君デニス」(Denys le tyran)に触れている。シュヴィニャールによれば、紀元前405年から前344年にシラク...
  • アダン・ド・クラポンヌ
     アダン・ド・クラポンヌ(Adam de Crapponne, 1526年 - 1576年)は、16世紀フランスを代表する水利技師の一人。彼の手掛けた最大の事業であるクラポンヌ運河建設は、不毛のクロー平野を豊かな農地に変えた。  なお、彼の名は "Craponne" と綴られることが多いが、彼自身は "Crapponne" と綴った。日本のノストラダムス関連書では「クラッポン」「クロポンヌ」などと表記されることもあるが、いずれも不適切である。  また、日本語では「アダム・ド・クラポンヌ」と表記されることもあるが、フランス人名の表記としては不適切の可能性がある。  というのは、『ロワイヤル仏和中辞典』のように、Adamの発音記号に /adã/ と /adam/ を併記するものもあるが、普通は『ロベール仏和大辞典』なども含め、/adã/...
  • 百詩篇第6巻67番
    百詩篇第6巻 67番 原文 Au1 grand Empire2 paruiendra3 tout4 vn autre5 Bonté distant6 plus7 de felicité Regi8 par vn issu non loing du peaultre9, Corruer regnes10 grande infelicité. 異文 (1) Au Du 1840 (2) Empire empire 1557B (3) paruiendra par viendra 1672 (4) tout tost 1650Le 1650Ri 1668 (5) autre autres 1672 (6) distant distans 1589PV 1620PD (7) plus plees 1672 (8) Regi Re...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • 詩百篇第8巻12番
    詩百篇第8巻 12番* 原文 Apparoistra aupres1 de Buffalorre2 L hault3 procere entré4 dedans Milan L abbé5 de Foix auec6 ceux de saint7 Morre8 Feront la forbe9 abillez10 en vilan11. 異文 (1) aupres au pres 1568X 1590Ro (2) Buffalorre Buffalarre 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To 1840, Buffalatre 1627Di, Baffalorre 1650Mo (3) L hault Le haut 1590Ro, L hout 1665Ba 1720To (4) entré e...
  • olcade
     olcade ないし olchade はギリシア語の ολχαδος に由来し、「輸送船」を意味する。エヴリット・ブライラー、ピエール・ブランダムール、マリニー・ローズ、ジャン=ポール・クレベール、ピーター・ラメジャラーらはいずれもこの立場である (*1)。信奉者側でもジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌのように、この読み方を示していた者はいた(*2)。  かつてアナトール・ル・ペルチエはスペインのタラゴーナ周辺の地方名とし、エドガー・レオニも一応支持していたが、妥当なものとはいえないだろう(*3)。 登場箇所 詩百篇第3巻64番 予兆詩第35番(旧31番) ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ヴィルフランシュ
     ヴィルフランシュ(Villefranche)はフランスの都市。一般名詞としての ville franche は「自由都市」の意味で(*1)、同名の都市は各地にある。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの詩百篇集でこの都市名に言及しているのは、以下の2篇だけである。 詩百篇第10巻41番 詩百篇第11巻97番  このうち、第10巻41番は南仏のコサドとともに出ていることから、ヴィルフランシュ=ド=ルエルグほか、南仏のいずれかのヴィルフランシュのことと考えられる。  第11巻97番は、ソーヌ川流域のマコン、シャロン(シャロン=シュル=ソーヌ)とともに出ていることから、ヴィルフランシュ=シュル=ソーヌを指している可能性が高い。  このほか、詩百篇第8巻86番にはヴィル・フランク Ville franque という似た地名が出ているが、これは文脈から言っても、スペイン...
  • ブランシュ・ド・サント=マリー
     ブランシュ・ド・サント=マリー(Blanche de Sainte-Marie)は、ノストラダムスの父方の祖母。ブランシュ・ド・ノートルダムとも名乗った。 生涯  生年は未詳である。医師ピエール・ド・サント=マリー(未作成)の娘として生まれ、1464年にピエール・ド・ノートルダムと結婚したときには、エクス=アン=プロヴァンスに住んでいた(*1)。  ジョーム、フランソワ、ピエール、カトリーヌ、バルトロメ、マルグリットという6人の子供をもうけた。  没年も未詳だが、1503年2月15日に、借金取立ての権利を代理人ピエール・ジョアニスに譲った記録があるので、少なくともその頃までは生きていたことが明らかになっている(*2)。 名前 ...
  • 百詩篇第4巻8番
    百詩篇第4巻 8番 原文 La grand cité1 d assaut2 prompt3 repentin4 Surprins de nuict, gardes5 interrompus Les excubies6 veilles7 saint8 Quintin9 Trucidés10, gardes les pourtails11 rompus. 異文 (1) cité Cité 1672 (2) d’assaut dassaut 1672 (3) prompt pront 1649Ca, promt 1650Le 1668 (4) repentin 1555 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1840 1981EB repentin T.A.Eds. (5) gardes g...
  • 百詩篇第6巻11番
    原文 Des1 sept rameaulx2 à trois seront reduictz3 Les plus aisnés4 seront surprins5 par mort6 Fratricider les deux seront seduictz, Les coniurés7 en dormans8 seront mors. 異文 (1) Des Les 1672 (2) rameaulx Rameaux 1840 (3) reduictz reduict 1627 (4) aisnés ainsnez 1627 (5) surprins surpins 1672 (6) mort morts 1588-89 1605 1611B 1628 1660 1672 (7) coniurés conjures 1672 (8)...
  • 予兆詩第86番
    予兆詩第86番(旧76番) 1562年10月について 原文 Par le legat1 du terrestre marin2 La grande cape3 à tout s accommoder, Estre à l escoute tacite Lorvarin4, Qu à son advis ne voudra accorder. (*1) 異文 (1) legat Legat 1594JF (2) marin matin 1649Ca 1650Le 1668 (3) cape conj.(BC) cappe 1562LN, Cape T.A.Eds. (4) Lorvarin 1589Rec loruarin 1562LN, LORVARIN T.A.Eds. (注記)1562LN は初出である『1562年向けの新たなる暦』...
  • アルル
     アルル(Arles)はプロヴァンス(未作成)地方の都市。  現在はブーシュ=デュ=ローヌ県アルル郡の郡庁所在地であり、面積だけで見ればフランス最大の市(コミューン)である。古代ローマ時代の名称はアレラテ(Arelate)。  古代ローマ時代の円形劇場や円形闘技場、共同浴場などの遺跡が残っており、ロマネスク様式の旧司教座聖堂(サン=トロフィーム教会)とともに世界遺産に登録されている。 【画像】DVD『ゴッホ -アルルのひまわり-』 ノストラダムス関連  ノストラダムスは、1564年にこの都市に滞在していた国王シャルル9世(未作成)に呼ばれ、「王附常任侍医兼顧問」の称号を下賜された。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ノストラダムス関連年表
     このノストラダムス関連年表では、彼の生涯やノストラダムス現象に関わりのある主な出来事についてまとめた。  信奉者側がどのような事件を的中させたと主張しているかについては的中例として有名な予言を参照のこと。 ノストラダムスの存命中の関連年表 1503年12月14日(木曜日) - 誕生。 1518年頃? - アヴィニョン大学で自由七科を学んだとされる 1520年 - 学業を中断したと推測されている。 1521年 - 各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめる(- 1529年) 1529年10月23日 - モンペリエ大学医学部に入学。数年以内におそらく除籍。 1531年 - アジャンでアンリエット・ダンコスと最初の結婚。 1530年代後半? - 最初の妻と子どもをペスト(?)で失う。以降放浪したとされる。 1545年前後? - 手稿『オルス・アポロ』を...
  • アントワーヌ・ド・ノートルダム
     アントワーヌ・ド・ノートルダム(Antoine de Nostredame, 1523年 - 1597年以降)は、ノストラダムスの弟の一人。ジョーム・ド・ノートルダムとレニエール・ド・サン=レミの間に生まれた。プロヴァンス州サン=レミの役人、法曹家。  1523年4月27日に洗礼を受けた記録がある。1547年から1597年までについては、公証人バディナンクによる記録に多く見出せる。このため、そのときまで生きていたことは確かだが、正確な没年は不明である(*1)。ラメジャラーは1597年没としていたが(*2)、明らかに誤認だろう。  職業は記録によって様々で、1550年から1551年にはサン=レミの徴税吏 (exacteur de la taille)、1557年にはサン=レミ市の代訴人 (procureur)、1558年にはサン=レミ市の執政官 (consul) および法廷...
  • alaise
     alaise は現代フランス語では「継ぎ板、はめ込み板」「接木された部分」「病人用ベッドの敷布」などの意味。  ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、ギリシャ語からの音訳として「幸福」の意味としていた。  しかし、現在では原文比較の結果、これは単なる à l aise の誤植に過ぎないことが明らかになっている(→予兆詩第14番の異文の節)。 名前 コメント
  • 百詩篇第7巻29番
    原文 Le grand duc1 d Albe2 se viendra rebeller, A ses grans peres3 fera le tradiment Le grand de Guise4 le viendra debeller5, Captif mené dressé6 monument7. 異文 (1) duc 1557U 1557B 1568A 1568B 1590Ro Duc T.A.Eds. (2) d Albe l Albe 1600 1610 1650Ri 1716 (3) peres Peres 1772Ri (4) Guise Gurse 1665 (5) debeller deceler 1600 1644 1650Ri 1653 1665 1867LP, decelier 1610 1716, decle...
  • サロン=ド=プロヴァンス
     サロン=ド=プロヴァンス(Salon-de-Provence)は、南フランス、ブーシュ=デュ=ローヌ県の都市である。  ノストラダムスが晩年を過ごした町として、またクラポンヌ運河を建設したアダン・ド・クラポンヌの出身地として知られている。 概要  クロー平野に位置し、かつてはサロン・ド・クローとも呼ばれていた。  古来、オリーブオイルやマルセイユ石鹸の産地として知られている。現在は空軍士官学校の所在地でもある。  市の中心部近くにアンペリ城がそびえる。  かつてはアルル大司教の私邸だったが、現在は博物館に改装されている。  市庁舎の前にはアダン・ド・クラポンヌの像が飾られている(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスは1547年にこの町のアンヌ・ポンサルドと結婚したのを機に、サロンに移り住んだ。  彼は暦書などにラテン語で署名するとき...
  • 詩百篇第8巻60番
    詩百篇第8巻 60番* 原文 Premier en Gaule, premier en Romanie1, Par mer terre aux Angloys Parys Merueilleux faitz par celle grand mesnie2 Violant3 terax4 perdra5 le NORLARIS6. 異文 (1) Romanie Romaine 1606PR 1607PR 1610Po 1650Mo 1653AB 1665Ba 1697Vi 1716PR(a c) (2) mesnie/ ménie mesme 1607PR 1610Po, mesgnie 1672Ga, menie 1665Ba 1697Vi 1720To (3) Violant Violent 1667Wi 1668P (4) terax ...
  • 詩百篇第10巻55番
    詩百篇第10巻 55番* 原文 Les malheureuses1 nopces2 celebreront, En grande ioye, mais la fin malheureuse3 Mary mere4 nore5 desdaigneront, Le Phybe6 mort, nore7 plus piteuse8. 異文 (1) malheureuses Malheureuses 1568X, mal-heureuses 1610Po, mal heureuse 1605sn, nalheureuses 1611A, mal heureuses 1627Di 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A (2) nopces Nopces 1672Ga (3) malheureuse mal-heureus...
  • 百詩篇第3巻30番
    原文 Celuy qu en luite 1 fer au fait bellique2, Aura porté plus grand que lui le pris, De nuit au lit six lui feront la pique, Nud3 sans harnois subit sera surpris. 異文 (1) en 1981EB (2) bellique Bellique 1672 (3) Nud Nuds 1653 1665 日本語訳 戦争に関する出来事にて戦いと鉄器で 自分よりも偉大な者に勝るであろう者、 夜の寝室で六人が彼に槍を向けるだろう。 甲冑をまとわぬ丸裸にて出し抜けに襲われるだろう。 訳について  1行目がやや冗長だが、直訳した。「戦争の中で(指揮官として他人を動かすのではなく)自分が実際...
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