ジェノヴァ

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ジェノヴァ」で検索した結果

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  • 予兆詩第28番
    ...での虚しい騒ぎ。 ジェノヴァは反逆する。蜂起、侵攻、騒乱。 最も偉大な王のもとに、君主制は属するだろう。 選挙、覆われた紛争、葬られた者たち。 信奉者側の見解  ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは、この詩を細切れに理解している。まず1行目は1559年1月に教皇パウルス4世が教皇庁内の改革に着手し、大きな議論を巻き起こしたものの、長く続かなかったことの予言とした。2行目全部と4行目の「選挙」以外は、1570年から1575年までの間、ジェノヴァ共和国内を騒がせた新旧の改革運動についてと解釈した。3行目から4行目冒頭にかけては、1573年にヴァロワ家のアンリ(のちのフランス王アンリ3世)が、選挙によってポーランド王になったことの予言とした(*2)。  ジョン・ホーグは、この場合のジェノヴァ(Gennes)をラテン語のgenus(階級)に由来する言葉と捉え、ロシア革命の予...
  • ピサ
    ...世紀から13世紀にはジェノヴァなどと並ぶ海洋大国として軍事的・経済的に栄華を極めた。有名なピサの斜塔もこの時期に建てられ始めたもので、斜塔の面するドゥオモ広場は、当時の繁栄を伝える優れた建造物群として、ユネスコの世界遺産リストに登録されている。  しかし、メローリアの海戦(1284年)でジェノヴァに敗れてから翳りが見え、15世紀以降はヴェネツィアの支配下に入った。  1409年のピサ教会会議は当時の教会大分裂を収拾させようとしたものだったが、かえってローマ、アヴィニョン、ピサの3教皇が鼎立する異常事態を招くこととなった。  16世紀にはガリレオ・ガリレイを輩出した(*1)。 【画像】レゴ アーキテクチャー ピサの斜塔 21015 ノストラダムス関連  『予言集』では以下の詩篇に登場している。 第1巻71番(未作成) 第6巻26番 第6...
  • スランの港
    ...した三日月型の共和国ジェノヴァにある港町ジェノヴァ(*4)。ラメジャラーは詩百篇第4巻23番の解釈でだけ、この読み方に同意している。 ブライラーはソーヌ川の古称がSeline だったとして、スランの港はリヨン(ローヌとソーヌの合流点に位置し、交通の要衝となる河港をもっている)の可能性もあるとしている(*5)。  ほかにブライラーやラメジャラーが示している可能性として、salin(塩の)の誤記で、Port selin とは単に「塩(塩水、海水)の港」、つまり「海港」の意味にすぎないという説も挙げておく。 登場箇所  偶然なのか意図的なものなのか、全て初版の収録分である。なお、Port を伴わないSelinだけならば、他の詩にも登場している。 詩百篇第1巻94番 詩百篇第2巻1番 詩百篇第4巻23番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管...
  • 百詩篇第7巻13番
    ...もに、16世紀初頭のジェノヴァ情勢がモデルになっていると推測した。フランスは1508年にジェノヴァを支配下においたが、1522年のビコッカの反乱で手放すことになった。まさにその間14年である。  「剃髪」はノストラダムス作品では聖職者の隠喩に用いられることがしばしばである。実際、フランス領時代のジェノヴァの総督は元・司教座秘書官(protonotaire apostlique, 非司教の中では教皇庁の最高位聖職者(*8))のトマ・ド・グライイ・ド・フォワ=ロートレック(Thomas de Grailly de Foix-Lautrec)であった(*9)。 ピーター・ラメジャラー、ブリューノ・プテ=ジラールはこの読み方を支持している(*10)。 名前 ...
  • 百詩篇第6巻81番
    ... レマン湖、島々、ジェノヴァの貴族たち、 血が撒き散らされ、情け容赦のない寒さと飢え。 訳について  3行目はエドガー・レオニやマリニー・ローズの読み方に従い、ジェノヴァを後ろにかからせた(*1)。  4行目frofaimはピーター・ラメジャラーの読みが最も説得的と考え、「寒さと飢え」とした。次善の訳は「極度の飢え」であろうと考えられる。 信奉者側の見解  北イタリアからスイスにかけての戦争の様子なのは一読して明らかだが、ナポレオンの北イタリア侵攻を予言している可能性を示すセルジュ・ユタンのように過去の予言と見る立場と、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌのように未来の戦争の様子と見る立場がある。 同時代的な視点  ラメジャラーは『ミラビリス・リベル』が描くアラブのヨーロッパ侵攻のモチーフが描かれているとしつつ、レマン湖が出ているのは、ジュネーヴを本拠と...
  • vultry
    ...oltri, 現在はジェノヴァ市内の地区)の誤記ないし綴りの揺れと見るのが一般的である。  アナトール・ル・ペルチエ、エドガー・レオニ、マリニー・ローズ、ジャン=ポール・クレベール、ピーター・ラメジャラーらが一致している(*1)。  ル・ペルチエだけは、イタリアの都市ヴェッレトリ(Velletri)の可能性も指摘していた。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • リグーリア
    ...もなっている(州都はジェノヴァ)。 リグーリアが面する海はリグーリア海 (Mar Ligure) と呼ばれており、その海岸が観光地・保養地として高名なリヴィエラである。  地名はこの地に元々住んでいたリグリア人にちなむが、紀元前2世紀にローマ人が進出し、ブドウやオリーブの栽培地帯となった。現代では、より多角的な農業が営まれている。 【画像】 旅名人ブックス52 ジェノヴァとリヴィエラ海岸(第2版) ノストラダムス関連  フランス語ではリギュリー (Ligurie)、形容詞形はリギュリアン (Ligurien) ないしリギュール (Ligure) である(現代語では前者はリグーリア地方について使い、後者は古代のリグリア人について使う)。ただし、ノストラダムスは以下のように、やや変則的な綴りも用いた。 Ligur(e)(s) 詩百篇第3巻39番(未...
  • Li Presagi et Pronostici di M. Michele Nostradamo
    ...認あり版」は最後に「ジェノヴァ、1564年」の記述がある。 書誌 出版業者  ジェノヴァで出されたという記述しかないが、「特認あり版」についてはリヨン市立図書館のオンライン目録では、マルコ・アントニオ・ベッローネ(Marco Antonio Bellone)と推測されている。 刊行年  木版画のない方が先に出されたと推測されている(*4)。そちらは奥付から1564年と位置付けられており、もうひとつは1565年頃と位置付けられている(*5)。 所蔵先 特認あり版フランス国立図書館、リヨン市立図書館 特認なし版フランス国立図書館 名前 ...
  • Ceres
     アナトール・ル・ペルチエは Gênes(ジェノヴァ)の誤記と見なしたが、現代では支持されているとは言いがたい。  エドガー・レオニはローマ神話の穀物や収穫を司る女神ケレス(Ceres)と理解し、穀物の隠喩と理解した。同様の読みはジャン=エメ・ド・シャヴィニーやマリニー・ローズも行っていた(*1)。  しかし、ベルナール・シュヴィニャールは、女神ケレスは文脈に沿わないとして否定した。  彼やピエール・ブランダムールは、イタリアの都市チェルヴェーテリのこととしている(*2)。チェルヴェーテリのラテン語名はカエレス(Caeres)である。  カエサル(Caesar)がセザール(César)になるように、カエレスがケレスになるのはフランス語化として十分にありうる変形といえる。 登場箇所 予兆詩第35番(旧31番) ...
  • Ribiere
    ...あたるのがイタリアのジェノヴァ湾岸で、リヴィエラ・ディ・レヴァンテ(東リヴィエラ、Riviera di Levante)とリヴィエラ・ディ・ポネンテ(西リヴィエラ、Riviera di Ponènte)に分かれる(*1)。エドガー・レオニは疑問符つきながらリヴィエラと訳していた。  1930年代以降の信奉者は、ファランへ党の創設者であったスペイン人プリモ・デ・リベラを指していると解釈することがしばしばである。 登場箇所 百詩篇第9巻16番 名前 コメント
  • 百詩篇第4巻59番
    ...ネーヴの民だけでなくジェノヴァの民も指したことから、後者の意味に理解している。これはロジェ・プレヴォも同じである。  trasse は trace と同一視されている。原文の綴りを現代式に直しているエドガー・レオニは、原文自体を trace としている。DFE で Trasses を引くと、いくつかの語義の後に Trace を見よと注記されており、ノストラダムスの特殊な綴り替えなどではなく、普通の揺れに過ぎないことが窺える。「ニラの道筋」は「ニラからの」の意味にも「ニラに続く」の意味にも理解できる。  既存の訳についてコメントしておく。  大乗訳について。  3行目 「老いた愛におぼれた人はとりでにとじ込められ」(*6)は誤訳。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳では The fort being filed, an old doting man(*7) となっ...
  • 百詩篇第2巻3番
    ...ろう。 ロードスとジェノヴァが彼らへの堅パンを欠くであろう時に。 訳について  山根訳4行目で biscuits(ビスケット、堅パン)を「食糧」と意訳しているのは許容範囲であるように思える。他の箇所もおおむね問題はない。  大乗訳の後半2行「住む者は苦しめられるだろう/ロードとジェノアがかたいパンを望むとき」(*1)は少々問題だろう。entamer は、「傷つける」「始める」「(食べ物などの)最初の一切れをとる」などの意味で、「苦しめられる」と訳すには少々無理があるし、直前の viendra(来るだろう)なども訳に反映できていない。ヘンリー・C・ロバーツの英訳は The inhabitants shall come to cut them up (*2)で、特におかしくはない。  faudra falloir には「必要とする」という意味のほか、当時は「不足す...
  • Ponteroso
    ...能性としてイタリア・ジェノヴァ近郊のポンテロッソ(Ponterosso)を挙げている。 ピーター・ラメジャラーはポンテロッソの可能性のほか、ponte がラテン語の pontus から来ているのなら、「赤い海」=「紅海」の可能性があることを示している。 ピエール・ブランダムールはコルシカ島の山モンテロッソ(Monterosso)の可能性を示している(*1)。 ロジェ・プレヴォは、ドイツの地名ローゼンハイムとみている。根拠を明示していないが、ローゼンハイムの「ローゼン」とそのラテン語名ポンス・オエニイ(Pons Oenii)の「ポンス」を組み合わせたものと見ているようである(*2)。 登場箇所 詩百篇第8巻49番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • サルデーニャ島
    ...ったが、のちにピサ、ジェノヴァといった都市国家の支配を受けるなど、様々な国の支配を受けた。  1861年にイタリアに統一。  最高峰プンタ・ラ・マルモラ (1834 m) をはじめとする山がちな地形で、古くから農牧畜業が主産業となってきた。  特に牧畜は、料理をはじめとする郷土文化とも深く結びついている(*1)。 【画像】『地中海の聖なる島サルデーニャ』 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言では、以下の詩篇で言及されている。 第2巻81番 第3巻87番 第7巻6番 第8巻88番 予兆詩第19番(旧17番)  このほか、詩百篇第8巻49番に登場する Tardaigne はサルデーニャの誤植という説もある。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • コルシカ島
    ...を持ち、14世紀からジェノヴァ領、1768年以降はフランス領となっているが、伝統的にイタリア文化の影響が濃い。古くから農牧畜業が盛んである。  コルス・デュ・シュド県の県庁所在地であるアジャクシオは、ナポレオン・ボナパルトの出身地として有名である (*1)。 【画像】『コルシカ語基礎語彙集』 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言では、若干変則的な綴りでの登場も見られる。 Corse百詩篇第4巻35番(未作成) 予兆詩第19番(旧17番) 予兆詩第72番 Corseigne百詩篇第3巻87番 Corsicque百詩篇第7巻6番 名前 ...
  • 百詩篇第5巻64番
    ...る。 秋が近づくとジェノヴァとニースでは陰で 田舎と諸都市とを通じ、指導者が反逆される。 訳について  3行目は特に校訂する必要を感じなかったため、そのまま「秋」で訳した。リチャード・シーバースも普通に秋と訳している。  4行目はcontrebanderの訳し方によって「~指導者が立てられる」「~指導者がこっそり運ばれる」などの訳を導きうる。いずれも3行目の「陰で」に対応するだけに、詩のモデルが特定されない限りは、どれが正しいとは確定しづらいものと思われる。  既存の訳についてコメントしておく。  大乗訳は、1行目「会合は多くの残りの人によって」(*1)がまず誤訳。仏語原文を見れば、ヘンリー・C・ロバーツの英訳に使われている rest が「残り」ではなく「休息」の意味なのは明らかで、転訳による誤訳。  2行目「陸や海から、かれらの忠告を思いだし」も誤訳。co...
  • ニーム
    ...イ=ストラウス)が、ジェノヴァ経由で輸出されていたサージを活用して鉱夫・開拓者向けのズボンを売り出した。ブルー・ド・ジェーヌ(Blue de Gênes, ジェノヴァの青布)は転訛してブルー・ジーンズ(Blue jeans)となり、「ニーム産の」(De Nîmes)は「デニム」の語源となった。  現代のニームは、古代遺跡と現代アートが同居する美しい観光都市となっている。フランスが作成している世界遺産の暫定リストには、ニームの遺跡群が含まれている(*1)。 遺跡  ニームに残る古代遺跡の中でとくに有名なのは、以下の3件である。 円形闘技場(Arènes)紀元1世紀末から2世紀初頭頃に建設された円形闘技場で、ガリアに築かれた20か所の中では9番目の規模に過ぎないが、保存状態のよさという点では世界一という評もある。 メゾン・カレ(Maison Carrée)直訳は「方形...
  • 予兆詩第27番
    ...的に血管を開く。 ジェノヴァは飢え、リグーリアはひどい目に遭う。 インスブリア、ニースおよび半分の羊毛は震える。 訳について  2行目は fureur を形容詞的に訳した。 コメント  この詩はオリジナルが残っておらず、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーが転記していた手稿とエクトール・リゴーによるメモしかない。  リゴーのメモを元に最初にこれの存在を公刊したのはダニエル・ルソだったが、特に注目されることもなく、信奉者たちが解釈を重ねることもなかった。  シャヴィニー自身はアンリ4世のイタリア遠征に関連付けていたが、公刊されることのない手稿での解釈だったため、全く引き継がれることがなかった。  4行目の「半分の羊毛」(demi laine, ドミレーヌ)は、ベルナール・シュヴィニャールも認めるように、ミラノ(Milan, ミラン)の言葉遊びだろう...
  • 百詩篇第5巻35番
    ...能性や、三日月の海がジェノヴァ湾をさす可能性を指摘したが、具体的な事件とは関連付けなかった(*9)。  セルジュ・ユタンは第二次世界大戦初期にドイツ軍がダンツィヒを占領したことと解釈した(*10)。彼の原文では3行目の Angloise が Angoise (angoisse, 不安)と綴られている。ボードワン・ボンセルジャンの改訂では、1918年のイタリア軍によるトリエステ占領に差し替えられている(*11)。  ジョセフ・サビノはイギリスとアルゼンチンが争ったフォークランド紛争(1982年)と解釈した。mer Seline をスペイン語訳した mar salina から文字を抜き出し Malinas とし、ワイン(vin)を挟み込めばマルビナス(Malvinas, フォークランド諸島のスペイン語名)を導けると主張し、胃袋型のアルゼンチン本土の横に浮かぶ小さな石ころの...
  • 詩百篇第8巻21番
    ...たとされ、その原因はジェノヴァの貿易船が黒海から持ち込んだものとされる(*8)。  プレヴォは、マルセイユからアグドへと来た3隻のジェノヴァ船がその地にペストをもたらしたことと解釈した(*9)。  ピーター・ラメジャラーはこの解釈を踏襲しつつ、ノストラダムスは『ミラビリス・リベル』に描かれたイスラーム勢力の侵攻を伝染病に喩えているとし、そのイメージも重ねあわされていると推測した(*10)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • アンリ2世
    ...には連合艦隊によってジェノヴァからコルシカ島を奪った。  1559年4月、カトー=カンブレジ条約を結び、長く続いてきたイタリア戦争を終結に導いた。フランスはコルシカ、サヴォワ、ピエモンテを放棄する代わりに、メスなどの三司教区やカレーの領有が認められた。  この条約では、アンリ2世の妹のマルグリットとサヴォワ公、娘のエリザベートとスペイン王フェリペ2世が結婚することも決められていたが、それを祝った6月末の祝賀行事の際に、馬上槍試合でアンリ2世は目を負傷し、7月10日に歿した(*2)。 ノストラダムス関連  アンリ2世は1555年8月にノストラダムスを宮廷に呼んで会見した。成功裏に終わったらしいが、その内容は伝わっていない。  翌年1月付けでノストラダムスはアンリ2世への献辞を執筆し、『1557年向けの予兆』に収録した。  さらに1558年6月付けで作成された別のア...
  • 百詩篇第3巻50番
    ...の大都市の候補としてジェノヴァ、ヴェネツィア、ジュネーヴなどを挙げたが、具体的な事件とは結び付けていなかった(*3)。  アナトール・ル・ペルチエは「バリケードの日」(1588年)と解釈した。この事件はカトリック同盟が中心となってパリ市民が放棄し、国王アンリ3世とその軍勢をパリから追い出した事件である。この解釈はチャールズ・ウォード、ジェイムズ・レイヴァー、エリカ・チータムらが追随した(*4)。  マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)とジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの親子は、普仏戦争中に国防政府が直面したパリ包囲戦(1870年)と解釈した(*5)。  セルジュ・ユタンはルイ16世のヴァレンヌ逃亡事件と解釈した(*6)。  2016年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが勝利すると、3行目の「喇叭兵」(トロンペット)をトランプと結びつける解釈...
  • Selin
    ...ー、ラ・ロッシェル、ジェノヴァ、コンスタンティノープルなどと理解されるが、詳しくは「スランの港」の記事を参照のこと。  なお、ブランダムールは暦書に何度も登場する Solin(未作成)も、この Selin と同じものとして、アンリ2世と理解していた。ただし、これについてシュヴィニャールはむしろ「太陽」に近い意味ではないかとしている。 登場箇所  参考のため、Seline も含めた。用例を紹介しているが、原文は1568Bで統一している。また、校訂された結果 selin と見なされているものも含む。 百詩篇第1巻94番(Au port Selin) 百詩篇第2巻1番(Port Selyn) 百詩篇第2巻79番(par Seline baniere) 百詩篇第4巻23番(Port Selyn, Hercle) 百詩篇第4巻77番(SELIN monarch) 百詩篇第5...
  • 百詩篇第2巻64番
    ...ネーヴの」であり、「ジェノヴァの」を意味するのは génois(e) である。ただ、ジャン=ポール・クレベールによると、フロワサールの年代記をはじめ、中世から16世紀ごろにはこの2つの単語に混同が見られたらしいので、それ自体は単純に誤りとは言い切れない。  しかしながら、大乗訳ではヘンリー・C・ロバーツの解釈文中でも「ジェノバ」と出ているので (原書では Geneva)、この場合は単なる誤りであろうと思われる。  2行目「かれらが気絶するときに希望は近づき」は誤訳であるロバーツの英訳を転訳したことによって、かなり本来の意味合いから遠ざかっている。この場合、近づいた希望が駄目になる意味であろうということは、ピエール・ブランダムール、高田勇・伊藤進、ピーター・ラメジャラー、リチャード・シーバースらが一致している。  3行目「憎むべき法が動揺する地点にあらわれ」も誤訳。sur poi...
  • 主題別索引:飢餓
    ...) 予兆詩第27番(ジェノヴァは飢え、リグーリアはひどい目に遭う) 予兆詩第46番(旧42番)(飢餓、猛威を振るう悪疫) 予兆詩第51番(旧47番)(この年は平和、悪疫、飢餓、分裂を準備する) 予兆詩第57番(旧52番)(飢餓、灼熱、火、血なまぐささ) 予兆詩第58番(旧53番)(悪疫、飢餓、火、灼熱が止むことはない) 予兆詩第99番(旧89番)(悪疫、飢餓、争い) 予兆詩第121番(旧111番)(悪疫、鉄器、飢餓、大災禍が渾然となる) 予兆詩第122番(旧112番)(多くの死、悪疫、鉄器、飢餓は憎しみによるものである) 予兆詩第125番(旧115番)(亡命、崩壊、死、飢餓、困惑) 六行詩27番(柘榴石の時代、そして最後に飢餓) 六行詩33番(もう間もなく非常に大きな困窮があるだろう、穀類がほとんど無いせいで) 関連項目 災厄の三要素 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上...
  • 詩百篇第10巻60番
    ...ース、モナコ、ピサ、ジェノヴァ、 サヴォーナ、シエーナ、カプア、モデナ、マルタ、 新年の贈り物として上方に血と剣、 火、地震、水、不吉にして望まれざるもの。 訳について  1、2行目についてはマリニー・ローズの読みを採用した場合、「モナコ」が「マレンゴ」になるという違いはあるものの、ほぼ異論はないといってよいだろう。  3行目については、estrenne の訳し方が難しい。ここではエドガー・レオニやピーター・ラメジャラーに従い、本来の意味で訳したが、「呪いとして」とも訳せる。あるいは、ジャン=ポール・クレベールが言うように「予兆として空中に血と剣(が見られる)」という意味なのかもしれない。  山根訳はほとんど問題ないが、nolte を「抵抗」と訳すのは、エリカ・チータムの reluctance (不本意)という英訳を踏まえたものにしても、若干ニュアンスが異なる...
  • 百詩篇第5巻85番
    ...されても、ジェノア(ジェノヴァ)と訳すのは無理である。  山根訳について。  1行目 「スイスとその周辺地域で」(*6)の問題点は大乗訳への指摘と重なる。  3行目「蝟集する海のイナゴとブヨ」は可能である。ただし、(大乗訳の「羽虫」もそうだが) cousin は普通に「イエカ」(家蚊)の意味なので(語源のラテン語 culex は現在ではイエカの学名にも使われている)、あえてブヨだの羽虫だのと訳す必要があるのか、疑問はある。あるいは『出エジプト記』のブヨの害(8章)とイナゴの害(10章)にひきつけようとしたものだろうか。  4行目「ジュネーヴの失敗が暴露されよう」は上で紹介したラメジャラーの読みに近い。 信奉者側の見解  テオフィル・ド・ガランシエールは、この場合のレマンはジュネーヴのことと注記しただけで「残りは更なる解釈の必要なし」としか述べなかった(*7)。 ...
  • 詩百篇第7巻
    ...長く待たされた後に、ジェノヴァ、ニース、 フォッサーノ、トリノからサヴィリアーノまで掠奪。 31 ラングドックとギュイエンヌから一万人以上が アルプスを再び越えることを望むだろう。 偉大なアロブロゲスたちはブリンディジに対抗して行進し、 アクイノとブレッシャは彼らを再び砕きに来るだろう。 32 王家の山の小屋から生まれるだろう、 地下倉と勘定を壟断しに来るであろう者が。 ミラノ辺境の軍隊を召集するために、 ファエンツァとフィレンツェで黄金も人材も使い切る。 33 詭計によって王国は軍隊を取り除く。 艦隊は攻囲され、通り道は監視される。 二人の偽りの友が加担しに来て、 長い間眠っていた怨嗟を覚醒させるだろう。 34 ガリアの人々は大いなる後悔の中にあるだろう。 空虚で軽薄な心が軽挙妄動を信じるだろう。 ...
  • 詩百篇第8巻17番
    ...市」であったナポリやジェノヴァも掠奪に遭ったのである。  ノストラダムスと同時代にモデルを求めるとすれば、政治情勢への影響力という点で、「三兄弟」がシャチヨン家を指している可能性は高いものと思われる。  反面、より古い時代にモデルを求める場合、確かにフランス王国へとつながる西フランク王国の祖を含む三兄弟は、相応の説得力を持っているのではないだろうか。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • 詩百篇第4巻
    ...入らせるだろう。 ジェノヴァとモナコは真紅の艦隊を押しのけるだろう。 38 公爵が王と王妃を支配するであろう時、 ビュザンティオンの指導者はサモトラケ島で囚われる。 襲撃の前に一方が他方を食うだろう。 鉄の無骨漢が血の跡を辿るだろう。 39 ロードスの人々は救いを求めるだろう、 (島が)その後継者たちの怠慢で放棄されて。 アラブの帝国はその歩みを緩めるだろう。 ヘスペリア諸邦により大義が再興される。 40 攻囲された者たちの閉門された砦は 火薬によって深淵のどん底に突き落とされる。 裏切り者たちは完全に生きたまま鋸引きされるだろう。 香部屋係たちにかくも哀れな分断が訪れたことはかつてなかった。 41 人質として囚われた女人が、 夜に衛兵たちを騙しに来るだろう。 その言葉に騙された陣営の指揮官は、 佳人に屈し、見...
  • 百詩篇第3巻87番
    ...にこぎつけたものの、ジェノヴァや教皇庁を敵に回したことで、それからまもなく制海権を失ったコルシカ駐留のフランス軍は、兵糧を断たれて苦境に立たされることになったのである(*8)。これらの事件は、1555年5月に公刊されたこの詩を書いていたであろう時点から見て、直近の情勢といえるものであった。  この解釈は、高田勇・伊藤進、ピーター・ラメジャラー、ジャン=ポール・クレベール、リチャード・シーバースらが追随しており、実質的に定説化している。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • 百詩篇第6巻26番
    ...力を有していたピサとジェノヴァの対立を解消しようとピサを訪れた際に客死した。  第三次十字軍は次のクレメンス3世 (在位1187年 - 1191年) のときに実現したが、足並みが揃わず失敗に終わった(*10)。  グレゴリウス8世がルキウス3世の直後でないことや、(ラメジャラーも認めるとおり)グレゴリウス8世には私生活上の問題が指摘されていないことなど、若干整合しない要素はあるが、ある程度の一致が見られるのは事実だろう。  なお、上で触れたとおり、実際に十字軍を派遣したクレメンス3世も在位4年である。その次の次に教皇になったのが、クレメンスの甥であり中世の教皇の中で突出した知名度を誇るインノケンティウス3世である。彼は第4回十字軍とアルビジョワ十字軍の派遣に関わっており、想定外の結果に終わった悪名高い第4回に続く新たな十字軍の派遣も模索していた。  ある程度の一致...
  • 詩百篇第1巻94番
    ...オニは、スランの港をジェノヴァと見なし、そこの提督アンドレーア・ドリア(当初フランソワ1世側についていたが、のちに神聖ローマ帝国カール5世側に寝返った)が殺されることを期待したが、外れた予言だろうと解釈した(*19)。  ピーター・ラメジャラーは、古代シチリア島のセリヌスの港とみなし、紀元前409年のカルタゴのシチリア侵攻がモデルになっていると判断した。その出来事について記述されているディオドルス・シクルスの『ビブリオテカ・ヒストリカ』は1515年に翻訳版が出版されていたという(*20)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • 詩百篇第9巻31番
    ...町と呼ばれるように、ジェノヴァが聖ゲオルギウスの町と呼ばれることや、モルターラ市内には中世以来のサン=ジョルジョ宮殿(Palazzo San-Giorgio)があることも指摘している。ただし、サン=ジョルジョ宮殿が地震で大きな被害を受けたことがあるかについては確認できないとした(*11)。  本当に1542年の事件がモデルなのだとしたら、当時あちこちを放浪していたノストラダムスが居合わせていた可能性もある。あるいはそうでなくとも1549年のイタリア小旅行の際には被災者から話を聞くなり、被災した建物の再建現場を見るなどした可能性がある。  そう考えれば、この詩はかなり局所的な話題を描いているのかもしれず、地震は北イタリア(それもモルターラ付近)に限定された話題の可能性もある。  英語圏の文献やその影響を受けた日本語文献では、Saint George を当たり前のように...
  • 詩百篇第1巻18番
    ... Genoise (ジェノヴァの)の誤記と見なす一方、不確かであるとして、ブランダムールの読みも併記していた。クレベールの校訂は根拠が示されていないが、シエーナが内陸の都市であり、「陸と海」とするには不自然である点を踏まえたのではないかと思われる。  当「大事典」はひとまず多数説である「シエーナ」を採用した。後述する1656年の注釈書で言及されている「シエーナ低地帯」(Maremmes de Sienne)という呼称が一般的だったのなら、ティレニア海沿岸の低地帯にシエーナの名を冠することも不自然とはいえない。ただし、シエーナが港町でないことや、後述するように実証主義的にはマルセイユからトゥーロンの沿岸部の出来事がモデルになっている可能性が指摘されていることからすれば、ラ・セーヌ=シュル=メールの可能性も十分にありうるものと思われる。  既存の訳についてコメントしておく。 ...
  • 詩百篇第5巻
    ...せられるだろう。 ジェノヴァの貴人には鉄器が放たれる。 29 自由は元に戻らないだろう。 黒く尊大で卑しく不公正な者がそれを占有するだろう。 ヒステルの橋の資材が加工されるであろうとき、 ヴェネツィア共和国は悲嘆にくれるだろう。 30 大いなる都市の辺り一面で、 兵士たちが野に町に駐留するだろう。 パリを襲撃するために、ローマが唆される。 その時、橋の上では大掠奪が行われるだろう。 31* アッティカの大地での叡智の始原、 それが今や世界のバラである。 橋が壊され、その偉大なる卓越者は 沈められ、波間で遭難するだろう。 32 全てが良好にして順調で、太陽と月が 豊かにある場所。その破滅が近づいている。 空から急いで変えにやってくる、汝の財産を 七番目の巌と同じ状態に。 33 叛乱した都市の主だった人々、...
  • シクストゥス5世
    ...ール(1972年)はジェノヴァ周辺、クルト・アルガイヤー(1982年)はミラノ、エリカ・チータム(1990年)はアンコーナと、論者によって出会った場所がずいぶん異なっている(*8)。  また、時期についてフォアマンは放浪期間(1530年代~1544年頃)の間としており、多くの論者が同じ見解を示しているが、トゥシャールのように1548年頃のイタリア小旅行とするものもある。 コメント  日本では黒沼健が『謎と怪奇物語』(1957年)、『予言と怪異物語』(1964年)、『天空人物語』(1968年)などで度々紹介していたので、比較的早い段階から知られていたものと思われる。なお、それらでは、出会いがミラノであったことと、ペレッティのフルネームがフェリックス・ペレッティになっているという共通点がある。後者は、英仏語では確かにそう表記するので、依拠した資料によるものだろう。前者は元にした...
  • 詩百篇第10巻
    ...て囚われた君主は ジェノヴァから海路でマルセイユまで通り過ぎるだろう。 異邦人たちの強大な軍事力によって打ち破られる、 蜂蜜の小樽の爆発を除いては。 25 ネブロによってブリザンヌへの道が開く。 ずいぶん離れた場所でタホ川が手本を示すだろう。 ペリグーズでは陵辱されるだろう、 劇場の貴賓席に座る貴婦人が。 26 後継者がその義兄(義弟)に復讐するだろう、 復讐の陰の下に王国を支配して。 障害となる者が殺され、その死について彼の血族を非難する。 長いあいだブルターニュはフランスとともにあるだろう。 27 五番目の者と、さる偉大なヘラクレスとが原因で、 (彼らは)好戦的な手でもって神殿を開きに来るだろう。 さるクレメンス、イウルスとアスカニウスが後退させられる。 剣で、鍵も鷲もかつてこれほどに大きな諍いは経験しなかった...
  • 詩百篇第2巻
    ...ろう。 ロードスとジェノヴァが彼らへの堅パンを欠くであろう時に。 4* モナコからシチリア付近に至るまで、 海辺は荒涼としたままになるだろう。 市外区にも市内区にも町にもないだろう、 バルバロイによって掠奪も強奪もされないところは。 5 鉄器と手紙のせいで投獄された者が 外に出てから、戦争をするであろう時に、 彼の艦隊は多くの櫂で海へと漕ぎ出すだろう、 ラティウムの大地近くに現われて。 6 二つの都市の門の近くと市内とで、 決して見られたことがないような二つの災禍があるだろう。 内部で飢餓と悪疫があり、剣によって外に出された人々は、 不死にして偉大なる神に救いを求めて叫ぶだろう。 7 島流しになった多くの人々の中で、 一人、喉に二本の歯を持つ者が生まれるだろう。 木々が食べつくされ、彼らは餓死するだろう。 彼らのために...
  • 百詩篇第5巻55番
    ...「リグーリアの民とはジェノヴァの人々である」(*7)というコメントしかしなかった。  バルタザール・ギノー(1712年)は、いつの日かアラビアの豊かな国から現れる軍事指導者がグラナダ王国を占領し、海路でイタリアにも攻め入ることになると解釈した(*8)。  その他では、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャン、D.D.、テオドール・ブーイ、フランシス・ジロー、ウジェーヌ・バレスト、アナトール・ル・ペルチエ、チャールズ・ウォード、シャルル・ニクロー、ロルフ・ボズウェル、ジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。  マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)は1999年前後に想定していた反キリストによる騒乱に関する詩の一つとして採り上げていた(*9)。類似の解釈は息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ...
  • 詩百篇第6巻
    ...ティキヌム、ミラノ、ジェノヴァはそれに同意しない。 そして彼ら自身によって偉大なる王位が要求されるだろう。 79 ティチーノの近くで、ロワール、 ガロンヌ、セーヌ、タルン、ジロンドの住民たちは 山々を越えて、橋頭堡を築くだろう。 紛争が与えられる。ポー川は増水し、波に呑まれる。 80 フェズの王国がヨーロッパの諸王国へと到達するだろう。 彼らの都市に火、そして刃が断ち切るだろう。 アジアの貴人が海と陸とで大軍を。 それで紺青の者たちが十字架を死へと追いやるだろう。 81 涙、叫び、嘆き、怒号、恐怖 人でなしで残酷で黒く、凍てついた心。 レマン湖、島々、ジェノヴァの貴族たち、 血が撒き散らされ、情け容赦のない寒さと飢え。 82 開けた野生の地の砂漠で 偉大な教皇の甥が彷徨うことになるだろう。 (彼は)殴り倒される、...
  • ノストラダムス
    ...からはヴェネツィア、ジェノヴァ(未作成)、サヴォーナ(未作成)などを回ったらしいことが窺える(*17)。  ただし、将来シクストゥス5世となる若者の前でひざまずいて教皇になると予言したエピソードは、ほぼまちがいなく創作だろう。  1553年には町の名士として公共の泉の碑文(未作成)を起草している。  また、1550年代後半にはクラポンヌ運河の建設に出資したりするようになる(*18)。 アンリ2世との関係  こうした活動と並行して、翌年1年間を予言した暦書の刊行を始めた。  最初に刊行されたのは1550年向けの暦ないし占筮で、1549年頃に出された。暦書は毎年のように刊行され、『予言集』の執筆につながった。  1555年5月に初版が出された『予言集』は、4巻の途中までしかない不完全なものではあったが、大きな反響を呼び起こしたとされる(*19)。  ...
  • 予兆詩集全訳
    ...的に血管を開く。 ジェノヴァ(未作成)は飢え、リグーリアはひどい目に遭う。 インスブリア、ニースおよび半分の羊毛は震える。 28(25) 1558年3月について ヒエラルキア内部での虚しい騒ぎ。 ジェノヴァ(未作成)は反逆する。蜂起、侵攻、騒乱。 最も偉大な王のもとに、君主制は属するだろう。 選挙、覆われた紛争、葬られた者たち。 29(26) 1558年4月について 不和により、喪失へと傾く。 突然、一人の男がそれを立て直すだろう。 アクィロの方で、騒音が非常に高まるだろう。 負傷、通過点と上方の地点。 30(27) 1558年5月について 異国の帆のティレニア海。 大洋を通じて様々な襲撃があるだろう。 ペスト、毒、血が幕屋の中で。 指導者や教皇特使たちは満潮の海を進むことに動揺する 31(28) 1558年6月について ...
  • 詩百篇第9巻
    ... バルセロナからの、ジェノヴァとヴェネツィアからの、 シチリアからの悪疫にモナコからのも合流し、 バルバロイの艦隊に狙いを定めるだろう。 バルバロイをはるか遠くチュニスまで押し遣る。 43 進攻が近い十字架を持つ軍隊は、 イシュマエルの末裔達に監視されるだろう。 あらゆる側から逸る船に攻撃され、 瞬く間に選り抜きのガレー船十隻に襲撃される。 44 離れよ、一人残らずジュネーヴから離れよ。 黄金のサトゥルヌスは鉄に変わるだろう。 レポの反対が全てを滅ぼすだろう。 到来の前に、天が徴を示すだろう。 45 求めることに飽きることは決してないだろう。 偉大なメンドススは彼の帝国を手に入れるだろう。 宮廷から遠くで取り消させるだろう。 ピエモンテ、ピカルディ、パリ、ティレニア(にとって)、最悪。 46* 赤き者たちよ、トゥ...
  • ジェイムズ・レイヴァー
     ジェイムズ・レイヴァー(James Laver, 1899年 - 1975年)は、イギリスの作家、服飾史家。リヴァプールに生まれ、オックスフォード大学を卒業した。服飾史に造詣が深く、複数の専門書を刊行する傍ら、1938年から1945年までヴィクトリア アルバート博物館に勤務した。文学や演劇などにも関心を持ち、小説や詩のほか脚本なども執筆している。 【画像】James Laver, English Costume from the Seventeenth Through the Nineteenth Centuries 主な著書 A Stitch Nymph Erront Taste in Fashion Whistler 日本語訳された著書 中川晃 訳『西洋服装史』洋販出版、1973年(改装新版2000年) ノストラダムス関連  ノストラダムスに関する著作 No...
  • ノストラダムス研究史 (伝記研究)
     ノストラダムスの伝記研究の歴史について概観する。  「ノストラダムスとは何者か」 を考えるとき、彼の生涯を実証的に裏付けてゆく作業は欠かせない。しかし、それが本格化したのは20世紀半ばになってからのことであった。 伝説の形成  ノストラダムスについての最初の評伝はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの 「ミシェル・ド・ノートルダム師の生涯に関する小論」 だろう。これは彼の著書 『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年) に収録され、17世紀以降の『予言集』 の多くの版に再録されたことで、そこに描かれたユダヤ系の名家に生まれ、医師としても予言者としても絶大な成功を収めたノストラダムスの生涯や人物像が、大いに広められた。  断片的な情報ではあったが、ノストラダムスの実子セザール・ド・ノートルダムの『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年) も、ノストラダムスについての情報を提供した...
  • ノストラダムス予言の学術的研究による分類
    ...・・」 フランスのジェノヴァ掌握(1508年)とその喪失(1522年) 百詩篇第7巻13番 「・・・総督の地位を剃髪頭が得るだろう・・・十四年間、暴政を敷くだろう」 フランソワ1世(在位1515年 - 1547年) 百詩篇第4巻54番 「ガリアの王にはかつてなかった名前により、非常に恐ろしい未曾有の雷霆が・・・」  百詩篇第10巻72番 「・・・アングーモワの大王をよみがえらせ・・・」 パヴィーアの戦い(1525年) 百詩篇第4巻75番「いざ戦おうと(いう時に)遁走するだろう。敵方の指導者が勝利をつかむだろう・・・」 プロテスタンティズム 概括的な描写百詩篇第2巻8番 「聖なる殿堂はローマの当初のやり方で、粗雑な土台を拒絶するだろう・・・」 百詩篇第2巻28番 「予言者の異名をとる最後から二番目の者が、ユピテルの日を自分の安息日とするだろう・・・」 ルター派百詩篇第1巻10番...
  • ジャン・ド・ノートルダム
     ジャン・ド・ノートルダム(Jean/Jehan de Nostredame, 1522年 - 1577年頃)は、フランスの法曹家、歴史家。ノストラダムスの弟のひとり。プロヴァンス史(特に文学史)の研究を行い、『最も名高い昔のプロヴァンス詩人たちの生涯』(Les vies des plus célèbres et anciens poètes provensaux(未作成))を刊行した。 生涯  ジャンはかつて1507年にサン=レミ=ド=プロヴァンスで生まれたとされていた。ただし、これは古い文献で示されていた出典の不明な記述である。  エドガール・ルロワは洗礼記録が1522年2月19日であることから、実際の生年を1522年とした(*1)。竹下節子、ジャンに関する研究で博士号を取得したカザノヴァ(J.Y.Casanova)、その研究を紹介したゲラールのように、これを支持する者...
  • パドヴァ
     パドヴァ(Padova) はイタリア、ヴェネト州パドヴァ県の県庁所在地。英語名はパドゥア(Padua)、フランス語名はパドゥ(Padoue)。 概要  伝説上、トロイアの将軍であるアンテノルがトロイア陥落後にイタリアに渡ってきて建設したとされる都市で、古代ローマ時代の名称はパタウィウム(Patavium)。  紀元前4世紀頃に建設されたバッキリオーネ川沿いの都市で、河川を利用した貿易などで栄えた。ティトゥス・リウィウスの出身地でもある。  ロンゴバルト人の破壊を経験するが、中世には自由都市として再興を果たし、イタリアで2番目に古いパドヴァ大学の創立によって学芸の町としても名を馳せた。また、ジョットのフレスコ画に代表される芸術の町でもあり、13世紀前半にパドヴァ近郊で歿した聖アントーニオを記念する巡礼地でもあった。  1405年からはヴェネツィアの支配下に置かれ、18世...
  • BN ms. Lat. 8592
    ...rius はおそらくジェノヴァのチーボ家 (Cibo) の一員だろうと推測されている(*24)。内容はノストラダムスの名声がフランス国内にとどまらず自分のいるリグーリア地方にも伝わっていると称えたあと、自分の姉妹の消息、自分の寿命、不動産売却など5項目について質問している(*25)。 43. ジャン・ド・シュヴィニーからノストラダムスへ (サロン、1563年5月7日) シュヴィニー(シャヴィニー)は当時ノストラダムスの秘書であり、同じ町に住んでいたにもかかわらず、あえて文書の形で返事を出している。内容は、ノストラダムスがシュヴィニーをアヴィニョン総督の秘書に推薦したことに対するもので、この手紙の2日前にノストラダムスはシュヴィニーにそのことで手紙を送っていたらしい。 シュヴィニーはそれに丁寧に礼を述べるとともに、かつてノストラダムスからある重要人物の秘書になると予言されたこと...
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