ジャン・ポワイエ

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  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ディディエ/ジャン・ポワイエ)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)とジャン・ディディエによっても出版された。 【画像】ディディエ/ポワイエ版の第一部扉(左)と第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN DIDIER. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 リヨンにて、ジャン・ディディエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOST...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)によっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN POYET. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Centuries VIII. ...
  • ジャン・ディディエ
    ...  17世紀初頭にジャン・ポワイエ(未作成)と共同で『予言集』を出版した。  また、1627年にも、ほか何人かの業者と共同で『予言集』を出版した。 名前 コメント
  • ピエール・リゴー
    ...ることがほぼ疑いないジャン・ポワイエの版と非常に似通った特色を持っていることもあり(*3)、年代鑑定にはそれほど大きな誤差は見られない。  他方で、1650年頃に出版されたらしいピエール・リゴー版の『予言集』もある。これはピエールの活動時期と一致しないため偽版の可能性を疑う者もいるが(*4)、むしろ甥のピエール・リゴー2世(未作成)が出版した可能性もあるだろう。その場合、少なくとも出版した側に悪意はないので偽版と呼ぶのは適切でない。  なお、扉に1566年と記載されたピエール・リゴー版もあるが、そちらは間違いなく偽版である。作成したのはおそらくジョゼフ=シャルル・シャスタニエで、1716年ころのことと考えられる(*5)。  ピエール・リゴーは、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの『七星集』の出版も手がけた。 ...
  • 予言集一覧
    ...ゴー版 1600年頃ジャン・ポワイエ版 1600年頃ジャン・ディディエ/ジャン・ポワイエ版 1603年シルヴェストル・モロー版 1605年版 1610年ピエール・メニエ版 1611年ピエール・ヴァランタン版 1611年ピエール・シュヴィヨ版 1611年頃ピエール・シュヴィヨ版 1627年ジャン・ディディエ版など 1628年頃ピエール・デュ・リュオー版Les Prophéties de M.Michel Nostradamus, Biblioteca Nacional, 1943 17世紀マルニオル/タンチヨン版 1643年クロード・ガルサン版 1644年ユグタン/ラ・リヴィエール版など 1644年~1665年頃ユグタン/ラ・リヴィエール版など 1649年ジャック・カイユエほか版 1649年頃の偽版 1650年頃ピエール・リゴー版 1650年ピエール・レファン版 1650年シルヴェスト...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
    ...ゴー版か、その亜流(ジャン・ポワイエ版)の影響を受けている。 その一方で、リヨン系の版には含まれていない第7巻と第8巻の補遺篇を含んでいたことは、別系統の出典の存在を推測させる。六行詩の存在などからいっても1605年版が最有力だが、第7巻補遺篇3番はそれにさえ含まれていないため、議論の余地はあるだろう(第7巻補遺篇3番については予兆詩第73番も参照のこと)。  付録はノストラダムスの作品ではなく、ノストラダムス2世の著作 『聖ビルギッタ、聖キュリロスや他の多くの聖者たちや敬虔な人々の啓示と驚くべき預言の集成』を流用したものである。 刊行年  第一部と第二部の扉には記載されていないが、付録の扉に「1611」とあるので、ミシェル・ショマラやロベール・ブナズラはそれを刊行年とみなしている(*2)。  ダニエル・ルソは1630年頃の可能性を指摘していた(*3)。 ...
  • ジャン・ユグタン
     ジャン・ユグタン(Jean Huguetan)は、16世紀から17世紀にかけてリヨンで活動した出版業者である。1世から5世までがいた。ここでは3世からを扱う(*1)。  3世から5世までの活動期間(1600年? - 1667年)は連続しており、どこで区切れるのかについては、確定した見解がない。ここではひとまず住所表示や旗印を基準にしたアンリ・ボードリエの区分に従う。 ジャン・ユグタン3世  ジャン3世は1562年頃に生まれた。ボードリエは1600年から活動していたとしたが、メルランは1610年以降の活動しか確認できないとして懐疑的である。また、ボードリエは終了時期を1630年頃としていたが、これは住所表示の変化を基にしたものであり、メルランではかなり否定的に扱われている。 ジャン・ユグタン4世  ジャン4世は1604年に生まれた。没年は未詳だが、末子が1657年に...
  • ジャン・ウルセル
     ジャン・ウルセル1世(Jean I Oursel, 1642年頃 - 1692年12月1日)は、ルーアンの出版業者。生年は1692年12月1日の死亡記録で50歳とされていることに基づく。1661年にひとり立ちし、生涯現役だった(*1)。 ノストラダムス関連  晩年に『予言集』ルーアン版を出版した。 名前 コメント
  • ジャン・ド・サン=レミ
     ジャン・ド・サン=レミ(Jean de Saint-Rémy, 1428年頃 - 1504年?)は、ノストラダムスの母方の曽祖父。サン=レミ=ド=プロヴァンスの医師であった。 生涯  ジャン・ド・サン=レミの正確な生年は不明である。1478年10月の公文書で50歳と記載されていることなどから、1428年頃の生まれとされる(*1)。  確認されている限りでは、ジャンはキリスト教徒であった。通俗的には、本人ないしその父親が改宗した元ユダヤ教徒だったとされるが、その辺りの事情を証明できる史料は残っていない(*2)。  時期は不明だがシレット(Sillette)という女性と結婚し、息子ルネをもうけた。ルネはベアトリス・トゥレルと結婚したが、1479年頃に亡くなり、ベアトリスの父ジャックとジャン・ド・サン=レミの間で、ベアトリスの結婚持参金返還をめぐる係争があった(*3)。 ...
  • ジャン・マルテル
     ジャン・マルテル(Jean Martel, 1647年頃 - 1694年3月7日)は17世紀ボルドーの出版業者。当初、書店として事業を営み、のち印刷も手がけるようになった。出版業者としての活動期間は1678年頃から1694年頃である(*1)。 ノストラダムス関連書  1688年に『予言集と百詩篇集の説明』と題する8ページのパンフレットを出版した。  また、その翌年に『予言集』1689年ボルドー版を手がけた。 名前 コメント
  • ジャン・ル・プルチエ
     ジャン・ル・プルチエ(Jean Le Peletier)は、16世紀パリの医学博士。細かい経歴などは不明であるが、同時代の書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌはフロラン・ド・クローの正体をこの人物としていた。  フランス国立図書館にはジャン・ル・プルチエ名義の著書が1冊現存しているが(Récit du procès d entre damoiselle Catherine de Chavigné, veuve de... Charles Blanchard,... sieur de la Blanchardaye,... contre François Heaume, dit Cheverue, Antoine Grimault, dit Barboire, Paul de Beaubois, dit Poullain..., s.l., 1576)、同じ人物のものかは分からない。 ...
  • ジャン・ジフル・ド・レシャク
     ジャン・ジフル・ド・レシャク(Jean Giffre de Réchac, 1604年8月25日-1660年4月9日)は、ドミニコ会の聖職者。宗教上の名前はジャン・ド・サント=マリー。  1604年にアキテーヌ地方のレシャクの領主ジャン=ロジェ・ジフルの子として、キルブーフ(Quilleboeuf)に生まれた。14歳のとき、パリの修道院でドミニコ会士となり、以降学問を積んで伝道師、副修道院長などとして様々な場所に赴任した。  1637年にルーアンの小修道院長として赴任したあたりから、その予言や心霊方面での活動などで知られるようになった。その後、彼はパリに呼び戻されボルドーなどに赴任した後に、1641年からはパリの小修道院の副院長になっていた。  1645年以降、修道会の指導者(le maître de l’Ordre)のトマ・チュルコ(Thomas Turco)と...
  • ジャン・ド・トゥルヌ
     ジャン・ド・トゥルヌ(Jean de Tourne, 1504年 - 1564年9月7日)は、16世紀フランスの印刷・出版業者。1540年から1564年までリヨンで出版事業を行い、リヨンの文学活動の発展に大きく寄与した。ラテン語式にはヨアンネス・トルナエシウス(Joannes Tornaesius)と名乗り、モットーには自身の名をアナグラムした「神の内の技芸」(Son art en Dieu)を用いた。 生涯  1504年にリヨンの金銀細工師の息子として生まれた。若い頃、リヨンの出版業者トレクセル兄弟(Gaspard et Melchior Trechsel)やセバスチャン・グリフのもとで下積みを行ったが、このグリフの工房での下積み時代の同門にはエチエンヌ・ドレがいた。トゥルヌは1540年から独立して事業を営み、当初はドレが手がけた作品の再版などを多く行った。また、1547年から...
  • ジャン・デュペーブ
     ジャン・デュペーブ(Jean Dupèbe)は、フランス文学者、パリ第10大学教授(2009年時点)。以前はパリ第7大学で教鞭を執っていた。ルネサンス期のフランス文学に造詣が深い。 ノストラダムス関連  ノストラダムスに関する著作は以下の通り。 (著書)ノストラダムス 未公刊書簡集(Nostradamus Lettres inédites, Droz, 1983) (論文)人文主義者ノストラダムス("Nostradamus humaniste", Nostradamus ou le savoir transmis(未作成), Eds. M. Chomarat, 1997) (書評)ベルナール・シュヴィニャール著『ノストラダムスの予兆集』(Bibliothèque d’Humanisme et Renaissance, Tome LXIII-1, 200...
  • ジャン・マルコレル
     ジャン・マルコレル(Jean Marcorelle)は、16世紀の出版業者。マルコレルは Marc Aurelle と綴られることもある。ジュネーヴで1554年から1559年の間活動し、1560年から1576年頃までリヨンで活動した(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの著書を出版したことはなかったようだが、アントワーヌ・クレスパンの『1571年6月27日にその姿を目撃された通りの彗星の提示』(1571年)を出版した。 名前 コメント
  • ジャン・ド・ノートルダム
     ジャン・ド・ノートルダム(Jean/Jehan de Nostredame, 1522年 - 1577年頃)は、フランスの法曹家、歴史家。ノストラダムスの弟のひとり。プロヴァンス史(特に文学史)の研究を行い、『最も名高い昔のプロヴァンス詩人たちの生涯』(Les vies des plus célèbres et anciens poètes provensaux(未作成))を刊行した。 生涯  ジャンはかつて1507年にサン=レミ=ド=プロヴァンスで生まれたとされていた。ただし、これは古い文献で示されていた出典の不明な記述である。  エドガール・ルロワは洗礼記録が1522年2月19日であることから、実際の生年を1522年とした(*1)。竹下節子、ジャンに関する研究で博士号を取得したカザノヴァ(J.Y.Casanova)、その研究を紹介したゲラールのように、これを支持する者...
  • ジャン・ジェラール
     ジャン・ジェラール(Jean Gérard)は、16世紀リヨンの出版業者。正確な活動時期は不明だが、アンリ・ボードリエが下請け業者として挙げていた断片的な言及をもとに判断すると、1565年から1569年までの活動が確認できる(*1)。もちろん、この前後にも活動していた可能性はある。 ノストラダムス関連  ノストラダムス本人の著書を出版したことはなかったようである。偽者であるノストラダムス2世の著書『予言あるいはその年の四季の驚異の転回』を出版したが、現存しない。 名前 コメント
  • ジャン・ブロトー
     ジャン・ブロトー(Jean Brotot, 1561年頃没)はリヨンの印刷・出版業者である。1535年ないし1542年から活動をはじめた(*1)。活動停止時期は1556年(*2)、1559年(*3)、1560年(*4)など、出典によってまちまちではっきりしていない。  ノストラダムスが知人にあてた手紙の中では、1561年5月の段階で故人として扱われている(*5)。彼の死後、事業は息子のピエール・ブロトーが引き継いだ。 ノストラダムス関連  ノストラダムスと親交があり、リヨンにおける「暦書」の中心的な版元となっていた。現存する最古の暦書(Prognostication nouuelle, & prediction portenteuse, pour Lan M. D. LV.)も彼が出版したものである。  ノストラダムスとの往復書簡によって、少なくとも1回、彼の原稿...
  • ジャン・ド・ヴォゼル
     ジャン・ド・ヴォゼル(Jean de Vauzelles, 1495年? - 1557年?)は、フランスの詩人、翻訳家。著書では本名を書かずに、銘句「真の熱情で」(D un vray zèle)を筆名代わりとすることがまま見られた。 生涯  リヨンで生まれ、イタリアで法学博士号と司祭の資格を手に入れた。フランスに戻ってからは、サン=ロマンの主任司祭に任命され、後にフランス王フランソワ1世の礼拝堂司祭にも任命されている。  詩人クレマン・マロやモーリス・セーヴの知人であり、自身でも作詩を多く行った。ちなみに、兄マチュー・ド・ヴォゼルの妻はセーヴの妹クローディーヌである。  彼の詩の中で最も知られるのは、『死神の幻影と飾られた顔』である。これは、ハンス・ホルバインによる51枚の木版画に合わせて四行詩を並べたもので、エンブレム・ブックの一つである。  ヴォゼルはマルグリット・ド・...
  • ジャン・パトラソン
     ジャン・パトラソン(Jean Patrasson, ? - 1621年12月29日)はリヨンの出版業者。正確な活動時期は不明だが、アンリ・ボードリエは1573年から1592年までの出版物を挙げている。その一方で、ボードリエによると、1565年の結婚契約書の中にパトラソンが「書肆」(Libraire)として証人になっているものがあるとのことなので、実際の開始時期は1573年よりも前なのかもしれない。  他方で、終了時期は大差ないと思われる。彼はカトリック同盟の熱烈な支持者で、その立場からパリで出版された政治的パンフレット類を多くリヨンでも出版したものの、アンリ4世勝利後には出版事業自体から手を引いてしまったためである(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス本人の著書を出版したことはなかったようである。  アントワーヌ・クレスパンの『フランス王国に訪れるに違いない三百年以...
  • ジャン・ド・ノートルダム (早世した弟?)
     ジャン・ド・ノートルダム(Jean de Nostredame, 1522年 - 1534年以前)は、ノストラダムスの弟の一人として仮定されている人物。  ノストラダムスには、エクス高等法院検事を務めた弟のジャンがいるが、彼の生年は従来1507年とされていた。ところが、エドガール・ルロワが見つけた洗礼の記録は1522年のもので、通説とは著しくずれていた。ルロワは通説を支持せず、1522年が正しい生年としたが(*1)、ルロワの著書の改訂を手がけた人物は、高等法院検事の方を1507年生まれとした上で、1522年の洗礼の記録は、もう一人のジャンのものと位置づけた(*2)。  このジャンが1534年以前に死んでいたと推測されるのは、この年にジョーム・ド・ノートルダムが執筆した遺言書に名前がないからである。 実在していたのなら、それ以前に死んでいたということだが、逆を言えば、この...
  • ジャン・ド・ノートルダム (ベルトランの子)
     ジャン・ド・ノートルダム(Jean de Nostredame, 1547年3月 - 没年未詳)は、ノストラダムスの弟ベルトラン・ド・ノートルダムの息子。二男四女の次男(第三子)。  生まれたときの洗礼記録と、名付け親の名前(ジャン・ド・レノーとジャンヌ・ジル)以外は不明(*1)。 関連項目 ジャン・ド・ノートルダム(高等法院検事) ジャン・ド・ノートルダム (早世した弟?) ジャン・ド・ノートルダム (アントワーヌの子) 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1627年リヨン)
    リヨンでは、1627年に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』が複数の業者の手によって出版された。それらは木版画、構成が全く同じものであり、版が共有されていたとされる。第7巻43番、第7巻44番が収録された版のうち、年代が明記された版としては最も古いものである。 【画像】ユグタン版の第一部扉(左)、第二部扉(中央)、第三部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE Me. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Adioutees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN HVGVETAN. M.DC.XXVII. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前...
  • ジャン・ド・ノートルダム (アントワーヌの子)
     ジャン・ド・ノートルダム(Jean de Nostredame, 生没年未詳)は、ノストラダムスの末弟アントワーヌ・ド・ノートルダムの息子。十男十女のおそらく長男(第一子)。  1567年8月19日にサン=レミの服飾親方ピエール・スピグ(Pierre Spigue)もしくはピエール・エピゴル(Pierre Espigol)のもとに徒弟修業に出されたという記録以外は不明(*1)。 関連項目 ジャン・ド・ノートルダム(高等法院検事) ジャン・ド・ノートルダム (早世した弟?) ジャン・ド・ノートルダム (ベルトランの子) 名前 コメント
  • ステファン・ポーラス
     ステファン・ポーラス (Stephan Paulus) はノストラダムス予言の解釈者。  『ノストラダムス1999』を出版した。少なくともその日本語版『ノストラダムス 1999年から始まる惨劇』には、著者略歴の類がないので、経歴などは未詳。 名前 コメント
  • 百詩篇第7巻42番
    原文 Deux de poysou1 saisiz, nouueau2 venuz3, Dans la cuisine4 du5 grand Prince verser Par le souillard6 tous deux au fainct cogneuz7, Prins qui cuidoit de mort8 l aisné9 vexer 異文 (1) poysou 1557U poison T.A.Eds. (2) nouueau 1557U 1557B 1568 1590Ro nouueaux T.A.Eds. (3) venuz Venus 1672 (4) cuisine Cuisine 1712Guy (5) du d un 1712Guy (6) souillard 1557U 1557B 1568 1590Ro so...
  • アントワーヌ・デュ・ローヌ
     アントワーヌ・デュ・ローヌ(Antoine du Rosne, 生没年未詳)は、確認されている範囲では1545年から1562年までリヨンで出版業を営んでいた人物である(*1)。あだ名は「リズロ」(Lizerot)。彼が手がけた出版物で、確認されているものはそれほど多くない。 ノストラダムスとの関わり  ノストラダムスは1553年11月に自分の原稿をいい加減な形で出版した業者を提訴し、出版権を取り上げ、「リズロ」というあだ名を持つアントワーヌ・デュ・ロワイエ(Antoine du Royer)という人物に出版を任せている。この「アントワーヌ・デュ・ロワイエ」は、デュ・ローヌの誤記とされる(*2)。これが事実なら、ノストラダムスが著作を発表し始めた時期に、既に接点があったことになる。  その後、1557年と1558年にはノストラダムスが自由訳した著書『ガレノスの釈義(未作成)...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ジャンソンほか、1668年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1668年にアムステルダムのジャン・ジャンソンと故エリゼ・ヴェイエルストレの未亡人によっても出版された。 【画像】1668年アムステルダム版の口絵と扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Alemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrig...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ヴィレ、1697年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1697年にリヨンのジャン・ヴィレによっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE MAITRE MICHEL NOSTRADAMUS,Dont il y en a trois cents qui n ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par ledit Auteur. A LYON, Chez JEAN VIRET, Ruë Merciere, au Coin de ruë Ferrandiere. M.DC.XCVII. Avec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 リヨン、メルシエール通りとフェランディ...
  • ジョーム・ド・ノートルダム
     ジョーム・ド・ノートルダム(Jaume de Nostredame, 1470年頃 - 1547年頃)は、ノストラダムスの父。アヴィニョンとサン=レミで、商人、公証人などとして活動した。  ジョメ・ド・ノートルダム(Jaumet de Nostredame)、ジャック・ド・ノートルダム(Jacques de Nostredame)、ジャック・ド・サント=マリー(Jacques de Sainte-Marie)などとも記録され(*1)、ラテン語名はヤコブス・デ・ノストラ・ドミナ(Jacobus de Nostra Domina)である(*2)。 生涯  ジョームは1470年頃にアヴィニョンで生まれた(*3)。父ピエールの死は1485年頃で、ジョームが15歳頃にあたっている。ジョームは当初父の職をついでアヴィニョンで商業と貸金業を営んでいたが、1495年5月14日にプロヴァンス州サ...
  • ジャン=エメ・ド・シャヴィニー
     ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(Jean-Aimé de Chavigny, 1536年-1605年頃?)は、ルネサンス期フランスの詩人。現在ではむしろ医師・占星術師ノストラダムスの秘書として知られる。  彼はもともとジャン・シュヴィニャール(Jean Chevignard)という名で、のちにジャン・ド・シュヴィニー(Jean de Chevigny)と改称し、さらに1581年頃からジャン=エメ・ド・シャヴィニーと名乗った。 生涯  広く流布した説によれば、シャヴィニーは1524年頃に生まれ、神学と法学の博士号を取得したあと1548年にボーヌ市の市長となり、ノストラダムスが『予言集』を執筆する少し前(1554年頃)に、市長職を捨ててノストラダムスに弟子入りしたという。また、シャヴィニーは1566年7月1日夜にノストラダムスの生前最後の姿を見たのは自分で、予言めいた言葉をか...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・マルテル、1689年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1689年にボルドーのジャン・マルテルによっても出版された。 正式名 扉 全体の扉 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, se passe presentement tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, que autres parties du monde. Reveuës corrigées suivant les pre...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ヴォルケ、1689年)
     ケルンの出版業者ジャン・ヴォルケは、『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』を1689年に出版した。現ドイツ領内で出版された18世紀以前の『予言集』は、この1冊だけである。 【画像】第一部の扉(*1) 正式名 第一部 Les Vrayes Centuries et Propheties de Maistre Michel Nostradamus,Où se void representé tout ce, qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Alemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Revëues corrigées suivant les Editions imprimées à Lyon l an 1644. à Am...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・ウルセル)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、ルーアンのジャン・ウルセルによっても出版された。 【画像】ウルセル版の扉1(左)と扉2(右)(*1) 正式名 扉1 LES VRAYES CENTURIES DE MAITRE MICHEL NOSTRADAMUS. Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Angleterre, qu autres parties du monde. Revûes corrigées suivant les premieres Editions imprimées e...
  • 人名一覧
     ノストラダムスに関連する人名や団体名の一覧。  原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。また、一部日本人のペンネームは外国人名のように見えても全体で一つと見なしている(例えば、「フェニックス・ノア」は「は行」に掲載)。  なお、ノストラダムスの一族のうち、細かすぎる項目はノストラダムス一族の方に、出版業者のうちノストラダムス本人と関連性が薄い人物は出版業者の一覧の方に、それぞれ記載しているので、そちらを参照されたい。  名前の後の括弧は大まかな職業やグループわけを示している。斜線が引かれている場合、その前が職業などを指し、後ろがノストラダムス関連の立ち位置などを指す(「その他」とあるのは、専門的な研究者や信奉者的な解釈者と分類しづらい人物を示す)。 あ 明石三世(インテリ...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • アジャン
     アジャン(Agen)はフランス南西部、ロト・エ・ガロンヌ県の県庁所在地。 歴史  ガロンヌ川右岸に発達した交通の要衝で、古代ローマ時代にはアギンヌム(Aginnum)と呼ばれた。中世の大聖堂などが残る。  近隣で収穫されたセイヨウスモモ(プラム、プルーン)を加工したアジャンの干しプルーン(プリュノー・ダジャン pruneau d Agen) はかつて船乗りたちの壊血病予防に重宝した。  いまなお農産物の一大集散地として機能している(*1)。 【画像】丸成商事 南仏アジャンプルーン ノストラダムス関連  ノストラダムスは医学ないし薬学の実践のためにフランス南西部を回る中で、アジャン周辺にもいた。そのことは『化粧品とジャム論』でノストラダムス自身が述懐している(*2)。  1530年前後にアジャンのユリウス・カエサル・スカリゲル(ジュール・セザ...
  • アンヌ・ポンサルド
     アンヌ・ポンサルド(Anne Ponsarde, 1582年7月18日没)は、サロン=ド=プロヴァンスの住民、ノストラダムスの再婚相手。ノストラダムスとの間に三男三女をもうけた。  名前はアンヌ・ポンサール(Anne Ponsard)と表記されることもある。最後にジュメルをつけて「アンヌ・ポンサルド・ジュメル」とされることもあるが、ジュメル(Gemelle)は中期フランス語で双子の意味であり(*1)、双子であったらしい彼女のあだ名のようなもので、名前の一部ではない(*2)。  生涯  ノストラダムスとは1547年11月11日に結婚契約書を交わした。ノストラダムスと結婚する前のアンヌの経歴は、前の夫が弁護士ジャン・ボーム(Jean Beaulme)だった事くらいしか分かっていない(*3)。  生まれた年自体が不明だが、再婚時に仲介の労をとったトミーヌ・ルースとは幼馴染であ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・リブー、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にもパリのジャン・リブー(未作成)によって出版された。 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMVS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions imprimées en Avign...
  • 暦書
     ノストラダムスは、1549年頃から翌年一年を予言した刊行物を出版していた。ここではそれらを「暦書」(れきしょ)類と総称する。「暦」、「暦本」、「占星暦」などとも訳される。 概要  ノストラダムスの年季刊行物は「暦書」と総称されることが多いが、実際には、初期に出されていたのは主に「占筮」(せんぜい)と呼ばれる散文体の予測で、1557年向けのものあたりからカレンダー形式の予測「暦書」が並行的に刊行され、1563年向けのものから両者を合本した「暦書」が出されるようになった(*1)。  「暦書」類は1550年向けから1567年向けまで出されていたが、1551年向けは内容が残っていないだけでなく、出されていたかどうかも分かっていない。  「暦書」類には各月ごとに四行詩が添えられたものもあり、これがのちに『予兆詩集』の素材となった。予兆詩は1555年向けのものが最初であり、以...
  • マルネフ兄弟
     マルネフ兄弟は16世紀ポワチエの出版業者。ジャン・マルネフ2世(Jean II de Marnef)とアンギベール・ド・マルネフ2世(Enguibert II de Marnef)の2人で、1530年から1568年の間に170点以上の出版物を確認できるが、いずれも兄弟での出版だった。また、数は少ないが、ブーシェ兄弟との共同出版は複数ある(*1)。 ノストラダムス関連  1560年代後半にブーシェ兄弟と共同で『化粧品とジャム論』ポワチエ版を出版した。 名前 コメント
  • ノストラダムス研究史 (伝記研究)
     ノストラダムスの伝記研究の歴史について概観する。  「ノストラダムスとは何者か」 を考えるとき、彼の生涯を実証的に裏付けてゆく作業は欠かせない。しかし、それが本格化したのは20世紀半ばになってからのことであった。 伝説の形成  ノストラダムスについての最初の評伝はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの 「ミシェル・ド・ノートルダム師の生涯に関する小論」 だろう。これは彼の著書 『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年) に収録され、17世紀以降の『予言集』 の多くの版に再録されたことで、そこに描かれたユダヤ系の名家に生まれ、医師としても予言者としても絶大な成功を収めたノストラダムスの生涯や人物像が、大いに広められた。  断片的な情報ではあったが、ノストラダムスの実子セザール・ド・ノートルダムの『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年) も、ノストラダムスについての情報を提供した...
  • ジャック・ド・ジャン
     ジャック・ド・ジャン(Jacques de Jant, 1626年 - 1676年9月)は、フランスのディジョン出身の国家官吏、著述家。著作を発表する際には、「ル・シュヴァリエ」(騎士)を冠して「ル・シュヴァリエ・ド・ジャン」(Le chevalier de Jant)としばしば称した。 生涯  ジャック・ド・ジャンは、ディジョン財務局財務官ピエール・ド・ジャンの息子として、1626年に生まれた。青年期にマルタ騎士団の騎士となり(後年の筆名はこのことに因む)、その後、国王ルイ14世の弟オルレアン公フィリップの家令(intendant)となり、貴重品陳列室守衛を兼務した。  1655年には、ルイ14世から国境警備の総責任者(capitaine et garde général des frontières)と海軍監査役(commissaire de la marine)に任...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・リブー、1668年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1668年にパリのジャン・リブー(未作成)によっても出版された。 【画像】1668年パリ版の口絵と扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMVS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premiere...
  • ボードワン・ボンセルジャン
     ボードワン・ボンセルジャン(Baudoin Bonsergent)は、ノストラダムス予言の解釈者。セルジュ・ユタンの『ノストラダムス予言集』2002年版で、解釈の差し替えを行った。  著書に略歴がなく、フランス国立図書館の著者情報などにも見るべき情報がないため、生年、経歴、職業等は一切不明である。 名前 コメント
  • ノストラダムス一族
    父方の先祖・親類 アストリュージュ・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの五世祖) ヴィタル・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの高祖父) アルノートン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの曾祖父) ヴァンゲソンヌ(ノストラダムスの曾祖母) ピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの祖父) トリスタン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの大叔父) ブランシュ・ド・サント=マリー(ノストラダムスの祖母) ジョーム・ド・ノートルダム(ノストラダムスの父) フランソワ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) アルルのピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) カトリーヌ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) バルトロメ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) マルグリット・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) 母方の先祖・親類 ジャン・ド・サン=レミ(ノストラダムスの母方の曽祖父...
  • ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ
     ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(Jean-Charles de Fontbrune, 1935年 - 2010年)は、フランスのノストラダムス解釈者。  父マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)もノストラダムス解釈者で、親子二代に渡る解釈者として国際的に知られている。  本名はジャン・ピジャール・ド・ギュルベール (Jean PIGEARD DE GURBERT) で(*1)、ド・フォンブリュヌという筆名は、父が使っていた分家の姓に基づく筆名を引き継いだものである。  日本では、五島勉が「ジャン・シャルル・ド・フォンブリューヌ」と表記していたが、当「大事典」では「フォンブリュヌ」と表記する。  邦訳された『新釈ノストラダムス』で「フォンブリュヌ」と表記されていたのが理由の一つである。また、フランス語の brune は brun の女性形で、その発音記号は ...
  • フロラン・ド・クロー
     フロラン・ド・クロクスあるいはフロラン・ド・クロー(Florent de Crox, 生没年未詳)は、16世紀フランスの占星術師である。ノストラダムスに便乗して、自著の著者名に「故ミシェル・ノストラダムス師の弟子」という肩書きを常につけていたが、ノストラダムス本人との接点は確認されていない。 【画像】フロラン・ド・クローの肖像画(『1570年向けの暦』扉の木版画)(*1)  著作  この人物による著作は現存しないものも含めて5冊確認されているが、すべて暦書である。 『1570年向けの暦』(Almanach, Pour l An M.D.LXX.) 『1574年向けの暦』(Almanach pour l an 1574) 『1583年向けの暦と占筮』(Almanach et Pronostication pour l an 1583.) 『1586年向けの暦書...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・プロメ、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にパリのピエール・プロメ(未作成)によっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions ...
  • 百詩篇第6巻80番
    百詩篇第6巻 80番 原文 De Fez1 le regne2 paruiendra3 à ceulx d’Europe, Feu leur cité4, lame5 trenchera Le grand d’Asie terre mer6 à grand troupe7, Que bleux8, pers9, croix10, à mort deschaslera11. 異文 (1) Fez fez 1653 (2) regne Regne 1672 (3) paruiendra p_uiendra 1557B (4) Cité citez 1653 1665, Cité 1672 (5) lame l’ame 1557B 1589PV 1590Ro 1597 1981EB 1611B 1840, l’anne 1600 161...
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