ピエール・チュレル

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ピエール・チュレル」で検索した結果

検索 :
  • ミラビリス・リベル
    ...編著者不明の予言書。ピエール・チュレル(未作成)、リシャール・ルーサ、ギヨーム・ポステル(未作成)、ノストラダムスらに対し、直接・間接的に少なからぬ影響を及ぼした。なお、ミラビリス・リベルとは『驚異の書』を意味するラテン語であるが、今日の英語圏、仏語圏などでは、訳出されることはほとんどなく、半ば固有名詞化しているため、ここでもそのように扱う。 (*1) 出現の背景  現在のところ、1522年にパリで出された版が初版と考えられている。1520年代に、他に8つの版が刊行された。なお、後述の理由により、この文書のオリジナルは1510年代後半には登場していたと考えられている。  1522年の初版では、神聖ローマ帝国の皇帝選挙(1519年)の際にフランソワ1世が選出されると理解できる「予言」が含まれていることから、現在では、元来この文書は選挙前に彼を支援する目的で...
  • ウジェーヌ・バレスト
    ...か、聖マラキの予言、ピエール・チュレル(未作成)、リシャール・ルーサ、オリヴァリウスの予言(未作成)とオルヴァルの予言(未作成)などを扱ったものである。  また、同じ頃、『「ノストラダムス」の著者による、1841年向けの挿絵入りの有用な予言暦』を刊行した。この暦書は、多彩な話題を扱った読み物として成功をおさめた。そのため、翌年以降も毎年刊行され続け、バレストの死後も少なくとも1902年まで刊行が続けられた(1849年向け以降は「『ノストラダムス』の著者」の部分が「ノストラダムスの甥」という虚偽の名義になっている)。なお、彼は同時代人からバレスタダムス(Barestadamus)などとあだ名されたこともあったという。 名前 ...
  • ピエール・リゴー
     ピエール・リゴー(Pierre Rigaud, 1631年没)は、リヨンの印刷・出版業者。ブノワ・リゴーの長男であり、一時期「ブノワ・リゴーの後継者たち」という名義を他の兄弟たちとともに用いていた時期がある。  現在確認されている範囲では、ピエール・リゴー名義の最古の刊行物は1594年のものである。これは、クロード・ミシェル(Claude Michel)という人物との共同出版であった(*1)。この後、彼の名義の出版物は1601年まで見られない(*2)。ただし、1597年から1601年には「ブノワ・リゴーの後継者たち」名義で出版事業に関わっていた。 ノストラダムス関連  17世紀初頭にノストラダムスの『予言集』を3種類出版した。これらは、タイトルページの前置詞の違い(PAR, Par, Chez)で区別されている。これらの版は、17世紀初頭の版であることがほぼ疑いないジャン...
  • ピエール・メニエ
     ピエール・メニエ1世(Pierre I Ménier / Mesnier)は、16世紀後半から17世紀初頭に活動したパリの出版業者。1581年から1605年頃までの活動が確認でき、そのころに歿した可能性がある(*1)。  なお、1588年にリヨンでも「ピエール・メニエ」が二冊刊行しているが、同一人物かは不明である(*2)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言集を少なくとも3回出版した。1589年版、刊行年の記載されていない版、1610年版で、少なくとも最後の1点は、本人ではなく息子のピエール・メニエ2世が手がけたもののようである。  また、アントワーヌ・クレスパンの『真に最も記憶されるべき事柄を含む驚異の予言』(1590年頃)も出版した。ほかに、フロラン・ド・クローの『1586年向けの暦』はアントワーヌ・ウイックの出版だが、本文中には印刷業者としてメニエの...
  • ピエール・ブロトー
     ピエール・ブロトー(Pierre Brotot)は16世紀リヨンの出版業者。  正確な活動期間は未詳だが、1561年頃に父ジャン・ブロトーが死んだことから、出版事業を引き継いだ。 ノストラダムス関連  ノストラダムスはジャン・ブロトーと親交があったが、ジャンの死後に書かれたロレンツ・トゥッベ宛ての書簡(1561年10月15日付)で、ピエール・ブロトーが事業を継いだものの不安がある旨を述べていた(*1)。  ピエールが手がけたノストラダムスの出版物は以下の2つだけである。 『1562年向けの新たなる占筮』 『1566年向けの暦』  いずれもアントワーヌ・ヴォランとの共同出版だった。 名前 ...
  • ピエール・ブルヌゼ
     ピエール・ブルヌゼ(Pierre Brenouzet)は、16世紀ルーアンの出版業者だったらしい。ただし、当「大事典」では、この人物に関する情報を見つけられないでいる。  書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、ルーアンのロベール・ブルヌゼ(Robert Brenouzet)、ラ・ロッシェルのジャン・ブルヌゼ(Jean Brenouzet)らを挙げているが、ピエールへの言及は全くない(*1)。ほかの書誌学者たちも、言及していないようである。 ノストラダムス関連  1568年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。 名前 ...
  • ピエール・ジョアニス
     ピエール・ジョアニスないしピエール・ド・ジョアニス(Pierre de Joannis)は、ノストラダムスの叔父。ノストラダムスの父ジョームの妹マルグリットの夫。「ピエール・ド・ジョアニ」と発音した可能性もある。  1494年12月26日にマルグリットと結婚した(*1)。  息子オノレ、孫テオドール、曾孫メルキオン=ジャック・ド・ジョアニス(Melchion-Jacques de Joannis)へと家督が受け継がれていく。  なお、このメルキオン=ジャックはマルグリット・ド・ノートルダムの兄ジョームの曾孫トミーヌ・ド・ノートルダムと再婚した。  ただし、家を継いだのは最初の妻マルグリット・ド・トゥイエ(Margueritte de Touier)との子、ガブリエルであった(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連...
  • ピエール・アブグー
     ピエール・アブグー3世(Pierre III Abegou)は、ボルドーの出版業者。1639年ごろに出版業者ピエール・アブグー2世(活動1640年 - 1661年頃)の子として生まれ、1659年から1663年の間に出版業者としての活動を開始した。1664年から1692年に特に活動が顕著で、シャルル・ダビ、ジャン・マルテルなどの他の業者との共同出版もしばしば行った。その後、少なくとも1701年までの活動が確認できるが、さらにどの程度活動したのかは不明(*1)。 ノストラダムス関連  現存しないが、『予言集』1670年ボルドー版を出版した可能性がある。  また、『予言集』1689年ボルドー版が現存している。こちらはアルノー・ラランヌとの共同出版も行った可能性がある。 ...
  • ピエール・ド・ノートルダム
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame, 1430年頃 - 1485年頃)は、ノストラダムスの父方の祖父。アヴィニョンで穀物商と高利貸を営んでいた。クレカ・ド・カルカソンヌ(Crescas de Carcassonne)、ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ(Guidon Gassonnet)、ヴィド・ガソメ(Vido Gassomet)、ペロ・ド・サント=マリー(Perrot / Peyrot de Sainte-Marie)など、多くの名で公文書に記録されている(*1)。  関連文献においてカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)や、息子であるアルルのピエール・ド・ノートルダムと区別するときには、「アヴィニョンのピエール・ド・ノートルダム」と書かれることもある。 生涯  ダヴァン・ド・カルカソンヌの子供の一人...
  • 木星と土星の合
    ...  16世紀のピエール・チュレル(未作成)やリシャール・ルーサの算定では、以下のように三角宮を推移するとされていた(*5)。 三角宮 1巡目 2巡目 3巡目 火 前271年 685年 1641年 地 前32年 924年 1880年 風 207年 1163年 2119年 水 446年 1402年 2358年 ノストラダムス  『大合について』という著書を著したアブー・マアシャル、世界の変動と関連付けたリシャール・ルーサらもノストラダムスの重要な参照元と推測されているので、ノストラダムスは木星と土星の大合を当然知っていたし、その三角宮との関係性の960年周期についても熟知していたと考えられる。  実際、『1562年向けの暦』に収録されたローマ教皇ピウス4世への献辞でも、「960年ごとに白羊宮の始点で行われる木星と土星の大合(grandes conjonctio...
  • ピエール・ユボー
     ピエール・ユボー2世(Pierre II Hubeault)は、16世紀ルーアンの出版業者。書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、その活動期間を1575年から1580年としていたが、ミュラーは1569年と1575年から1580年とした(*1)。ミュラーは出典をルプルーしか挙げていなかったが、1569年というのは下掲のノストラダムス2世の文献に基づいたものであろう。 ノストラダムス関連  1569年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。ルプルーは活動開始時期を特定していたわけではないので、偽年代版などを想定する必然性はないものと思われる。  実際、パリのニコラ・デュ・モンが1571年に出版した『13年間の予兆集』でも、ユボーによる1569年版への言及はあるので、1575年以降の出版と考えることはまず無理であろう。 ...
  • ピエール・マルニオル
     ピエール・マルニオル(Pierre Marniolles)は、17世紀フランスの出版業者。リヨンで1610年から活動し、1621年からはグルノーブルでも活動した。1623年以降はグルノーブルでの活動に一本化した。手がけた出版物は、事件ものが多かった(*1)。 ノストラダムス関連書  エチエンヌ・タンチヨンと共同で『予言集』を出版した。 名前 コメント
  • 人名一覧
    ...チータム(解釈者) ピエール・チュレル(未作成)(同時代の占星術師) 千代崎秀雄(聖書学者/その他) D.D.(解釈者) ミシェル・デュフレーヌ(解釈者) ジャン・デュペーブ(仏文学者/研究者) ジョルジュ・デュメジル(神話学者/研究者) アントワーヌ・デュ・ローヌ(出版業者) ミシェル=クロード・トゥシャール(ジャーナリスト) ロレンツ・トゥッベ(法学者/ノストラダムスの知人) 當間健一(電気工事業者/解釈者) と学会(団体) ジャン・ドラ(未作成)(詩人) アンリ・トルネ=シャヴィニー(キリスト教聖職者/解釈者) エルヴェ・ドレヴィヨン(歴史学者) な 中村惠一(社会心理学者/解釈者) 中山茂(科学史家/関連書の訳者) 中山由佳(日本語教育学者/関連書の訳者) 中山善之(翻訳家/関連書の訳者) 並木伸一郎(作家/解釈者) シャルル・ニクロー(占星学者/解釈者) ネロ(古代ローマ...
  • ラ・ピエール・ブランシュ
     ラ・ピエール・ブランシュは、メーヌ地方に残るメンヒル(古代の巨石記念物)の通称である。  サン=チレール=デュ=メーヌ(Saint-Hilaire-du-Maine)近郊にあり、エルネの町からは6 km ほどのところにある(*1)。  当時の『フランス街道案内』(1552年、増補1553年)にも載っているランドマークである。 登場箇所 詩百篇第9巻20番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ピエール・ラグランジュ
     ピエール・ラグランジュ(Pierre Lagrange, 1963年- )は科学社会学者(sociologue des sciences)。  「文化制度に関する人類学・歴史学研究所」(Laboratoire d Anthropologie et d Histoire sur l Institution de la Culture)の準研究員(2003年)。  いわゆる超常現象に関して社会学的なアプローチで分析をしており、著書に『ロズウェルの噂』(La rumeur de Roswell, 1996)などがある(*1)。 ノストラダムス関連  エルヴェ・ドレヴィヨンとともに『ノストラダムス 永遠回帰』(2003年)を出版した。これは『ノストラダムス ― 予言の真実』という題で日本語版も出版されている。 ...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの叔父)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの叔父。ピエール・ド・ノートルダムとブランシュ・ド・サント=マリーの間に生まれた子供の一人で、三男と推測されている(*1)。父のピエールやカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)と区別されるときには、「アルルのピエール・ド・ノートルダム」と表記されることがある。  父親と同じく商業を営んだが、1513年以降は活動拠点を出生地アヴィニョンからアルルに移した。その商取引に関する記録がいくつも残っている。  この人物は、ノストラダムスの親族の中で唯一人「予言的」なエピソードが公証記録に残されている点で、特徴的といえるかもしれない。  それによると、1535年9月15日に、タラスコンの商人で改宗キリスト教徒であったトマ・ド・バレーム(Thomas de Barrème)と賭けをした...
  • ピエール・ブランダムール
     ピエール・ブランダムール(Pierre Brind Amour, 1941年-1995年)は、カナダ人の西洋古典学者で、オタワ大学教授として在職中、逝去した。  西洋古典学の分野で、 「イソクラテスの最後の言葉」(Les dernieres paroles d Isocrate, 1967年) 「ウェルギリウスと馬の調教」(Virgile et le Dressage des Chevaux, 1972年) 「スエトニウスの作品中におけるドミティアヌスの死の物語によって喚起された占星術的・天文学的諸問題」(Problèmes astrologiques et astronomiques soulevés par le récit de la morte de Domitien chez Suétone, 1981年) などの論文を発表した(いずれも未邦訳)。  19...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1610年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1610年にピエール・メニエ(2世)によって出版されたらしい。 伝聞  パトリス・ギナールは1740年の書籍販売目録に特殊な題名を含む1610年ピエール・メニエ版の言及があることを見つけ出した。彼はそれをもとに次のように題名を復元している(*1)。 Les Propheties de M. Michel NostradamusDont trois cens sont imprimées pour la premiere fois en cette Edition. Reveuës additionnées par l Autheur, pour l An mil cinq cens soixante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie. Paris, Pier...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、17世紀初頭)
     リヨンのピエール・リゴーは、17世紀初頭に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を少なくとも三度出版した。それらは出版者名の直前についている前置詞 PAR, Par, Chez によって区別される。 【画像】Chez の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR PIERRE RIGAVD, en rue Merciere au coing de rue Ferrandiere. Auec Permission. ミシェル・ノスト...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの弟)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの弟。  父ジョーム・ド・ノートルダムが何度か執筆した遺言書の中で言及されていることから、存在が明らかになったが、生没年などの詳しいことは全く分かっていない。職業は香料商人(épicier)だったという(*1)。  1534年から1535年にかけて書かれた3通の遺言書で言及されているが、1547年の相続関連の文書では触れられていない(*2)。このことからすれば、その時点までに亡くなっていた可能性がある。ただし、その最後の文書では長男ミシェル(ノストラダムス)の名前もないが、これは執筆当時がノストラダムスの放浪期間とほぼ重なっており、消息不明だったことによるものだろう。ピエールの名前がないことも、死亡ではなく、そのような失踪の類が原因の可能性もある。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、1650年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1650年頃にもリヨンのピエール・リゴーの名義で出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimées. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, Chez PIERRE RIGAVD, ruë Merciere, au coing de ruë Ferrandiere, à l ensaigne de la Fortune. AVEC PERMISSION. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ピエール・リゴー版、1716年頃)
     1566年にピエール・リゴーが出版したとされる『予言集』がある。しかし、それは1716年頃に作成された偽年代版である。 【画像】偽年代版第一部の扉(*1)  上記画像の通り、全部で3つの版の存在が知られている。便宜上、太陽が擬人化されている左端の版を A 版、渾天儀が描かれている中央の版を B 版、猪に折り重なっている人物と跪く女性が描かれている右端の版を C 版としておく(*2)。 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cents qui n'ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par l'Auteur. Imprimées par les soins du Fr. Jean Vallier...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・デュ・リュオー)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1628年から1630年頃にトロワのピエール・デュ・リュオーによっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. A Troyes, Par Pierre Du Ruau, ruë nostre Dame. ミシェル・ノストラダムス師の予言集 1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 トロワにて、ノートル・ダム通りのピエール・デュ・リュオーによる。 第二部 Les Propheties de M. Michel No...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年頃)
     1611年版『予言集』を出版したトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)は、刊行年を記載しない版も出版していた。 【画像】左から順に第一部、第二部(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Trouuez en vne Biblioteque delaissez par l Auteur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission ミシェル・ノストラダムス師の予言集。著者の残した蔵書の中から発見された決して出版されなかった300篇を含む。 トロワにて、国王の常...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1589年)
     ここで紹介するピエール・メニエ版の『予言集』は、1589年にパリで出版された。 【画像】メニエ版の扉(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamvs; Dont il y en a trois cens qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ceste presente edition. Reueues additionnees par l Autheur, pour l An mil cinq cens soyxante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie.A Paris, Par Pierre Ménier, demeurant à la ruë d’Arras, pres l...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・アブグー、1670年)
     1670年にボルドーのピエール・アブグーも、『予言集』を出版していたとされる。 書誌  ボルドー出版業史の専門家ルイ・デグラーヴの著書『17世紀にボルドーで印刷された書物』(1971年)(*1)において、 Les Propheties de Michel Nostradamus..., A Bordeau, P. Abegou, 1670, in-8o というごく簡略な言及があるらしい。  この情報に言及したのは、エルネスト・ラバディの『16世紀から19世紀のボルドーの暦書』(1917年)(*2)が最初だったという(*3)。  ただし、ロベール・ブナズラは実在性に疑問を呈していた(*4)。 名前 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・アブグー、1689年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1689年にボルドーのピエール・アブグーによっても出版された。 【画像】左から、1689年アブグー版の扉、第一部扉、第二部扉 (*1) 正式名 全体の扉 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé se passe presentement tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, que autres parties du mo...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・プロメ、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にパリのピエール・プロメ(未作成)によっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions ...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • 詩百篇第1巻51番
    詩百篇第1巻 51番* 原文 Chef1 d Aries, Iuppiter Saturne, Dieu eternel2 quelles3 mutations !4 Puis par5 long siecle son6 maling temps7 retourne, Gaule Itale8 quelles9 esmotions !10 異文 (1) Chef Chefs 1605sn 1611A 1628dR 1649Xa 1667Wi (2) eternel Eternel 1588-89 1667Wi 1672Ga (3) quelles qu’elles 1590SJ 1665Ba (4) mutations! mutations? 1557U 1557B 1568 1590Ro 1591BR 1597Br 1606PR 160...
  • レニエール・ド・サン=レミ
     レニエール・ド・サン=レミ(Reynière de Saint-Rémy)はノストラダムスの母。ルネ・ド・サン=レミ(Renée de Saint-Rémy)とも表記される。  父ルネ・ド・サン=レミ(René de Saint-Rémy)と母ベアトリス・トゥレルの間に生まれたが、詳しいことはわかっていない。エドガール・ルロワは、おそらくキリスト教徒だったと推測している(*1)。  生没年も不明だが、ウジェーヌ・レーは1536年以降に歿したと推測している(*2)。 名前 コメント
  • バルタザール・ギノー
     バルタザール・ギノー(Baltazar Guynaud, 生没年未詳)は、17世紀末頃のフランスの作家。ノストラダムス予言の解釈書を刊行した。現在知られている範囲内で、「恐怖の大王」について初めて解釈を展開した人物である。  ギノーの生涯についてはほとんど分かっていない。彼自身の著作にある自伝的な言及から、調馬師の資格を持ち、フランス王ルイ14世附きの小姓頭を務めた時期があったとされる。この真偽は定かではないものの、彼がルイ14世に強い思い入れがあったことは著書から明らかである。  彼の唯一の著作は『アンリ2世からルイ大王までの歴史とノストラダムス予言集との一致』である。これは1693年に刊行され、1709年と1712年に再版された。  ノストラダムスの予言を熱烈に信奉したがゆえに、ピエール・ガッサンディ(未作成)やジャン・ド・スポンド(未作成)といったノストラダ...
  • ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ
     ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ(Pierre-Joseph de Haitze, 1648年頃 - 1736年7月26日)は、フランスの作家、歴史家。主としてプロヴァンスの歴史や、プロヴァンスに縁のある人物の伝記をまとめた。  エーツは、1648年頃にカヴァイヨンで生まれた。ベアルン地方の高貴な出自であったという。彼はプロヴァンスの歴史に特に興味を持ち、様々な調査も行った。その作品は文体の丁寧さや明瞭さが評価される一方、内容が皮相的であることや、調査における批判能力の不足なども指摘されている。 彼は、親戚にあたるジャン=フランソワ・ゴフリディ家に秘書として住み込んでおり、1736年にプロヴァンス地方のトレ(Trets, 現ブーシュ=デュ=ローヌ県内)で没した。 ノストラダムス関連  エーツによるノストラダムスの伝記 『ミシェル・ノストラダムスの生涯(未作成)』(1711年...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・レファン、1650年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)はノストラダムスの『予言集』の版の一つで、1650年にライデンで出版された。現在のオランダ領内で出版された初の予言集である。 【画像】1650年ライデン版の扉(*1) 正式名 Les Vrayes Centuries et Propheties de Maistre Michel Nostradamvs.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Alemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveuës corr...
  • ノストラダムスの肖像画 (予言され裁定された歴史)
    (*1) 基本データ 作品名 Nostradamus écrit L Histoire prédite et jugée, comprenant toute l histoire de France et les grands faits de l histoire de l Eglise et des peuples étrangers. 日本語訳 ノストラダムスがフランス全史ならびに教会史上や外国人たちの大事件を含む予言され裁定された歴史を記す 作者 ロワール=ミシュレ(Loire-Michelet) 公刊時期 1878年頃 様式 版画 サイズ アトラス判(in-plano, 収録文献のサイズ) 収録文献 Henri Torné-Chavigny, Influence de Nostradamus dans le Gouvernement de la France depuis ...
  • ノストラダムス一族
    父方の先祖・親類 アストリュージュ・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの五世祖) ヴィタル・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの高祖父) アルノートン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの曾祖父) ヴァンゲソンヌ(ノストラダムスの曾祖母) ピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの祖父) トリスタン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの大叔父) ブランシュ・ド・サント=マリー(ノストラダムスの祖母) ジョーム・ド・ノートルダム(ノストラダムスの父) フランソワ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) アルルのピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) カトリーヌ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) バルトロメ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) マルグリット・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) 母方の先祖・親類 ジャン・ド・サン=レミ(ノストラダムスの母方の曽祖父...
  • シャルル・ド・ノートルダム
     シャルル・ド・ノートルダム(Charles de Nostredame, 1556年 - 1629年12月頃)は、ノストラダムスとアンヌ・ポンサルドの間に生まれた次男(第三子)。軍人、詩人。  1556年にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に生まれた。幼いころのことはよく分かっていないが、1564年にサロンの町に国王シャルル9世(未作成)と母后カトリーヌ・ド・メディシス(未作成)が立ち寄った際には、ノストラダムスの家族全員が謁見させてもらえたとされるので(*1)、当然、シャルルもそこに居合わせたことだろう。  ノストラダムスが1566年に没した際には、遺言によって、母親、兄、弟とともに家の権利を分有した。遺言が誠実に執行されたのなら、自身が25歳になった際に100エキュを受け取ったはずだが、弟アンドレが25歳になった時点(1582年)で家の所有...
  • ポール・アルボー博物館
     ポール・アルボー博物館(Musée Paul Arbaud)ないしポール・アルボー書誌学・考古学博物館(Musée bibliographique et archéologique Paul Arbaud)は、エクス=アン=プロヴァンスの18世紀の邸宅が元になっている博物館である。エクス市内のマザラン地区(le quartier Mazarin)、九月四日通り(Rue du 4-Septembre)2番地にある。  様々な美術品を収蔵しているが、わけても地元陶器のコレクションがしばしば特筆される(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス関連の稀覯書が多く収蔵されていることで国際的に有名である。  インターネット上での目録の公開などはしていないようなので、その蔵書については直接博物館に赴くか、ミシェル・ショマラやロベール・ブナズラの書誌などから間接的に知るしかないだ...
  • ブランシュ・ド・サント=マリー
     ブランシュ・ド・サント=マリー(Blanche de Sainte-Marie)は、ノストラダムスの父方の祖母。ブランシュ・ド・ノートルダムとも名乗った。 生涯  生年は未詳である。医師ピエール・ド・サント=マリー(未作成)の娘として生まれ、1464年にピエール・ド・ノートルダムと結婚したときには、エクス=アン=プロヴァンスに住んでいた(*1)。  ジョーム、フランソワ、ピエール、カトリーヌ、バルトロメ、マルグリットという6人の子供をもうけた。  没年も未詳だが、1503年2月15日に、借金取立ての権利を代理人ピエール・ジョアニスに譲った記録があるので、少なくともその頃までは生きていたことが明らかになっている(*2)。 名前 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)によっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN POYET. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Centuries VIII. ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1561年)
     1560年ないし1561年に出版された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、パリの業者バルブ・ルニョーが手がけたものである。 伝聞  この版は現存しない。確認できる範囲での最も古い言及は、19世紀の書誌学者ブリュネの『書肆と愛書家の手引き・補遺』第2巻に見ることができる。 内容に関する研究  ダニエル・ルソ、ミシェル・ショマラ、ロベール・ブナズラといった代表的なノストラダムス書誌学者は、いずれもこの版が1588年から1589年に相次いでパリで出された版の元になったと推測している。  そのため、正式名はそれらと同じく Les Propheties de M. Michel Nostradamus ;Dont il y en a trois cents qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言 (1590年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』1590年版は、アントウェルペン(未作成)のフランソワ・ド・サン=ジョールによって出版された。  曲がりなりにも「大予言」と訳せる題名を持つ最後の古い『予言集』の版であると同時に、アントウェルペンで出版された珍しい版である(アントウェルペンで出版された19世紀以前の『予言集』は、この1590年版のほかは1792年版しかない)。 【画像】『驚異の大予言』1590年版の扉(*1) 正式名 Les Grandes et Merveillevses Predictions de M. Michel Nostradamus, dont il en y a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees.Esquelles se voit representé vne partie...
  • ブノワ・リゴー
     ブノワ・リゴー(Benoist Rigaud, ? - 1597年)は、16世紀リヨンの出版業者。 生涯  ミリベル(Miribel)の出身で、リヨンの古文書での最古の言及は1553年の「書籍商」(marchand libraire)としてのものである。彼の名義での出版物が確認できるのは1555年以降だが、1558年までは甥のジャン・ソグラン(Jean Saugrain)と共同で出版を行っていた。ソグランとの決裂の理由は信仰によるもので、プロテスタントに傾倒したソグランに対し、ブノワ・リゴーは一貫して王党派カトリックの立場を貫いた。  ソグランと決別した時期に近い1559年頃には、最初の妻であった印刷業者コルネイユ・ド・セットグランジュ(Corneille de Septgranges)の娘ペルネット(Pernette de Septgranges)と死別した。その後間も...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (マルニオル、タンチヨン)
     17世紀のリヨンでは、ピエール・マルニオルとエチエンヌ・タンチヨンによっても『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』が出版された。第7巻43番、第7巻44番の初出時期を考える上で重要な版だが、研究者によって刊行年が大きくずれている。 【画像】第一部扉(左)、第二部扉(中央)、第三部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE Me. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Adioutees de nouueau par ledict Auteur. A LYON, PAR PIERRE MARNIOLLES. Auec permission ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えら...
  • 百詩篇第7巻43番bis
    1628年頃に登場した百詩篇第7巻43番 原文 Vn Iuste Roy de trois lis gaignera Dessus le Pau vne palme nouuelle, Au mesme temps qu vn chacun marchera Sur le clocher de la Saincte Chapelle. 異文  原文の底本は1628年頃のピエール・デュ・リュオー版である。この詩はその版の中でも特定の伝本にしか載っていない。ほかの版には一切登場しないため、異文が存在しない。 日本語訳 三つの百合の公正なる王は手にするだろう、 ポーの上で新たな棕櫚を。 時同じくして、各自が歩くだろう、 聖なる礼拝堂の鐘楼の上を。 訳について  3、4行目はより正確に訳すなら、「各自が聖なる礼拝堂の鐘楼の上を歩くであろう時と同時...
  • アンヌ・ド・ノートルダム
     アンヌ・ド・ノートルダム(Anne de Nostredame, 1559年12月15日 - 1597年以前)は、ノストラダムスとアンヌ・ポンサルドの間に生まれた次女(第五子)。  1559年12月15日にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に生まれた。かつてエドガール・ルロワらの研究では1558年頃の生まれとされていたが、兄セザールの自筆らしき手稿によって正確な生年月日が特定された(*1)。  トゥーロン(未作成)の有力者ピエール・ド・スヴァ(Pierre de Seva)と結婚し、息子メルキオール・ド・スヴァ(未作成)(Melchior de Seva)を生んだ。なお、ピエール・ド・スヴァについて、イアン・ウィルソンはラングドック州ボーケールのピエール・ド・セーヴ(Pierre de Sève)として紹介している(*2)。具体的な根拠があって...
  • エドガール・ルロワ
     エドガール・ルロワ(Edgar Leroy, 1883年4月17日-1965年4月2日)はフランスの精神科医、歴史家(郷土史家)。ノストラダムスの実証的な伝記研究に先鞭をつけた人物として、現在でもノストラダムスを歴史学的・文学的な視点で研究する論者たちから高く評価されている。 生涯  リール(未作成)に生まれ、生物学で学士号を、精神医学で博士号をそれぞれ取得した。第一次世界大戦の影響で家財を失ったあと、求めに応じてサン=レミ=ド=プロヴァンス(この記事では以下サン=レミと略記)に精神科医として赴任し、終生その町で過ごした。サン=レミでは本業の傍ら、地元にゆかりのある歴史上の有名人ゴッホとノストラダムスに関心を持ち、調査を行った。  とりわけノストラダムスについては、『プロヴァンス歴史学研究所論集』誌(Mémoires de l Institut Historique de...
  • Predictions pour vingt ans (1568)
     ノストラダムス2世の『1583年まで歴年続く20年間の予言集』は、1568年にルーアンのピエール・ブルヌゼによっても出版された。ルーアンで出版されたノストラダムス関連書としては、現在確認されている範囲内で最古である。 正式名 PREDICTIONS pour vint ans continuant d An en An, iusques en l An mil cinq cens quatre vintz troys. Par lesquelles sont predittes choses merueilleuses de grande consideration, selon le Seigneur dominateur de l Année, Extraictes de diuers aucteurs, trouuée en la Biblioteque de no...
  • @wiki全体から「ピエール・チュレル」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索