ピエール・デュ・リュオー

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ピエール・デュ・リュオー」で検索した結果

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  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・デュ・リュオー)
    ...630年頃にトロワのピエール・デュ・リュオーによっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. A Troyes, Par Pierre Du Ruau, ruë nostre Dame. ミシェル・ノストラダムス師の予言集 1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 トロワにて、ノートル・ダム通りのピエール・デュ・リュオーによる。 第二部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Centuries VIII....
  • Les Prophéties de M.Michel Nostradamus (Biblioteca Nacional)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』のピエール・デュ・リュオー版(1628年頃)は、ブエノスアイレスのアルゼンチン国立図書館によって1943年に復刻された。 内容  ピエール・デュ・リュオー版の影印本だが、ノストラダムス2世に由来する付録は含まれていない。 名前 コメント
  • 百詩篇第7巻43番bis
    ...底本は1628年頃のピエール・デュ・リュオー版である。この詩はその版の中でも特定の伝本にしか載っていない。ほかの版には一切登場しないため、異文が存在しない。 日本語訳 三つの百合の公正なる王は手にするだろう、 ポーの上で新たな棕櫚を。 時同じくして、各自が歩くだろう、 聖なる礼拝堂の鐘楼の上を。 訳について  3、4行目はより正確に訳すなら、「各自が聖なる礼拝堂の鐘楼の上を歩くであろう時と同時に」であるが、訳を各行に対応させる関係上、上のように訳した。 解説  この詩は1628年頃のピエール・デュ・リュオー版の一部にしか登場しないため、異文が存在しない。また、ダニエル・ルソが指摘するまで誰も認識していなかったため、本物と見なして解釈する者も出なかった。  詳細なモチーフはよく分からないが、ロベール・ブナズラはピエール・デュ・リュオー(未作成)の...
  • 予言集一覧
    ...版など 1628年頃ピエール・デュ・リュオー版Les Prophéties de M.Michel Nostradamus, Biblioteca Nacional, 1943 17世紀マルニオル/タンチヨン版 1643年クロード・ガルサン版 1644年ユグタン/ラ・リヴィエール版など 1644年~1665年頃ユグタン/ラ・リヴィエール版など 1649年ジャック・カイユエほか版 1649年頃の偽版 1650年頃ピエール・リゴー版 1650年ピエール・レファン版 1650年シルヴェストル・モロー版 1651年クロード・ラ・リヴィエール版 1653年~1662年頃アントワーヌ・ボードランほか版 1665年ラ・リヴィエール/バラン版など 1667年ダニエル・ヴィンケエルマンス版 1668年ジャン・ジャンソンほか版P.V.Piobb, Texte intégral de Nostradamu...
  • ノストラダムス大予言は贋作だった
    ...ヨ版、1628年頃のピエール・デュ・リュオー版、1649年ジャック・カイユエほか版、1650年ピエール・レファン版、1665年ジャン・バラン版、1668年ジャン・ジャンソンほか版。  その結果、特にロジェ版の注記や編集内容を重視し、アマルの残した予言は37篇分しか使われておらず、残りの詩篇の要素はごく断片的にしか使われていないと結論付けた。  彼は時間に関する暗号を見つけたと主張し、252年の加算を中心とする計算法によって、様々な事件の起こる年を解釈した。ただし、1999年の詩はノストラダムスの贋作として取り上げず、真の破局に向かう年は1992年だと主張していた。 コメント  彼の贋作説はほとんど論評するに値しない。37篇しか残らなかったという割には、70篇以上の詩を解釈しており、根本的に矛盾している。一応、贋作にも本物からとられた要素があると主張していたが、「この...
  • Recueil des revelations et propheties merveilleuses de saincte Brigide
    ...ヨ版と1628年頃のピエール・デュ・リュオー版には、第三部としてこの文献の復刻版が併録されている。 RECVEIL DES PROPHETIES ET REVELATIONS, TANT ANCIENNES QVE MODERNES. Contenant vn sommaire des revelations de saincte Brigide, S. Cyrille, plusieurs autres Saincts religieux personnages nouuellement reueuës corrigees. Et de nouueau augmentees outre les precedentes impressions. 古今の預言と啓示の集成 新たに改訂・校正された聖ビルギッタ、聖キュリロス、その他多くの聖者たちや敬虔な人々に下っ...
  • 予兆詩集
    ...30年頃に刊行されたピエール・デュ・リュオー版が初出になるが、ここではその点に深入りしない。 構成  1605年版で登場したときのタイトルは「ノストラダムス師の作品群から引用された1555年から1567年までの予兆詩集」(Presages tirez de ceux faictz par M. Nostradamus, és années 1555. suyuantes iusques en 1567.)で、以降、主な版にはこのタイトルも引き継がれた。  従来、141篇からなる詩集と認識されていたが、これは1605年版の出版業者が、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの『フランスのヤヌスの第一の顔』から孫引きしたため、シャヴィニーが収録していなかった詩篇については省略されていたためである。  それらをも救済して全154篇の予兆の校訂版を纏め上げたのはベルナール・...
  • ピエール・ユボー
     ピエール・ユボー2世(Pierre II Hubeault)は、16世紀ルーアンの出版業者。書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、その活動期間を1575年から1580年としていたが、ミュラーは1569年と1575年から1580年とした(*1)。ミュラーは出典をルプルーしか挙げていなかったが、1569年というのは下掲のノストラダムス2世の文献に基づいたものであろう。 ノストラダムス関連  1569年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。ルプルーは活動開始時期を特定していたわけではないので、偽年代版などを想定する必然性はないものと思われる。  実際、パリのニコラ・デュ・モンが1571年に出版した『13年間の予兆集』でも、ユボーによる1569年版への言及はあるので、1575年以降の出版と考えることはまず無理であろう。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)
    ...し、以前からトロワのピエール・デュ・リュオー(未作成)が出版したのではないかといわれてきた(*4)。ロベール・ブナズラは帯模様などの比較などを通じ、その推測には十分な根拠があることを示した(*5)。  しかし、1605年頃はリュオー家の中で活動していた人物がいない時期であったことも意識しておく必要はあるだろう。  なお、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌのように、早合点してブノワ・リゴーを出版業者名として掲げる論者もいるが、それはありえない。リゴーは1597年3月に歿しているからだ。  また、ヴァンサン・セーヴを出版業者として挙げる論者もいるが、セーヴの経歴は不明なので慎重さを欠く推測といえるだろう。 出版年  扉には「M.DCV.」とあり、1605年に出版されたと主張している。ブナズラは六行詩に添えられた献辞の日付との一致や、新しく追加された六行詩4篇などを根...
  • ピエール・リゴー
     ピエール・リゴー(Pierre Rigaud, 1631年没)は、リヨンの印刷・出版業者。ブノワ・リゴーの長男であり、一時期「ブノワ・リゴーの後継者たち」という名義を他の兄弟たちとともに用いていた時期がある。  現在確認されている範囲では、ピエール・リゴー名義の最古の刊行物は1594年のものである。これは、クロード・ミシェル(Claude Michel)という人物との共同出版であった(*1)。この後、彼の名義の出版物は1601年まで見られない(*2)。ただし、1597年から1601年には「ブノワ・リゴーの後継者たち」名義で出版事業に関わっていた。 ノストラダムス関連  17世紀初頭にノストラダムスの『予言集』を3種類出版した。これらは、タイトルページの前置詞の違い(PAR, Par, Chez)で区別されている。これらの版は、17世紀初頭の版であることがほぼ疑いないジャン...
  • ピエール・ド・ノートルダム
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame, 1430年頃 - 1485年頃)は、ノストラダムスの父方の祖父。アヴィニョンで穀物商と高利貸を営んでいた。クレカ・ド・カルカソンヌ(Crescas de Carcassonne)、ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ(Guidon Gassonnet)、ヴィド・ガソメ(Vido Gassomet)、ペロ・ド・サント=マリー(Perrot / Peyrot de Sainte-Marie)など、多くの名で公文書に記録されている(*1)。  関連文献においてカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)や、息子であるアルルのピエール・ド・ノートルダムと区別するときには、「アヴィニョンのピエール・ド・ノートルダム」と書かれることもある。 生涯  ダヴァン・ド・カルカソンヌの子供の一人...
  • ピエール・ブルヌゼ
     ピエール・ブルヌゼ(Pierre Brenouzet)は、16世紀ルーアンの出版業者だったらしい。ただし、当「大事典」では、この人物に関する情報を見つけられないでいる。  書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、ルーアンのロベール・ブルヌゼ(Robert Brenouzet)、ラ・ロッシェルのジャン・ブルヌゼ(Jean Brenouzet)らを挙げているが、ピエールへの言及は全くない(*1)。ほかの書誌学者たちも、言及していないようである。 ノストラダムス関連  1568年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。 名前 ...
  • ラファエル・デュ・プチ・ヴァル
     ラファエル・デュ・プチ・ヴァル(Raphaël du Petit Val, 1614年1月5日歿)は、ルーアンの出版業者。ラテン語式にラパエル・パルウィウァリウス(Raphael Parvivalius)という名義を用いることもあった。  1585年頃から1614年1月5日に歿するまで出版業者として活動した。彼の名義の印刷物は1626年頃まで出続けるが、これは死後も息子のダヴィド・デュ・プチ・ヴァルがラファエルの名義で出版を続けたためだという(*1)。 ノストラダムス関連  『予言集』の1588年ルーアン版、1589年ルーアン版を立て続けに出版した。これらは、1555年アヴィニョン版と主張していたらしい失われた初期の版を考察する上で、非常に重要な版である。 名...
  • ブノワ・リゴー
     ブノワ・リゴー(Benoist Rigaud, ? - 1597年)は、16世紀リヨンの出版業者。 生涯  ミリベル(Miribel)の出身で、リヨンの古文書での最古の言及は1553年の「書籍商」(marchand libraire)としてのものである。彼の名義での出版物が確認できるのは1555年以降だが、1558年までは甥のジャン・ソグラン(Jean Saugrain)と共同で出版を行っていた。ソグランとの決裂の理由は信仰によるもので、プロテスタントに傾倒したソグランに対し、ブノワ・リゴーは一貫して王党派カトリックの立場を貫いた。  ソグランと決別した時期に近い1559年頃には、最初の妻であった印刷業者コルネイユ・ド・セットグランジュ(Corneille de Septgranges)の娘ペルネット(Pernette de Septgranges)と死別した。その後間も...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • ピエール・メニエ
     ピエール・メニエ1世(Pierre I Ménier / Mesnier)は、16世紀後半から17世紀初頭に活動したパリの出版業者。1581年から1605年頃までの活動が確認でき、そのころに歿した可能性がある(*1)。  なお、1588年にリヨンでも「ピエール・メニエ」が二冊刊行しているが、同一人物かは不明である(*2)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言集を少なくとも3回出版した。1589年版、刊行年の記載されていない版、1610年版で、少なくとも最後の1点は、本人ではなく息子のピエール・メニエ2世が手がけたもののようである。  また、アントワーヌ・クレスパンの『真に最も記憶されるべき事柄を含む驚異の予言』(1590年頃)も出版した。ほかに、フロラン・ド・クローの『1586年向けの暦』はアントワーヌ・ウイックの出版だが、本文中には印刷業者としてメニエの...
  • ピエール・ブロトー
     ピエール・ブロトー(Pierre Brotot)は16世紀リヨンの出版業者。  正確な活動期間は未詳だが、1561年頃に父ジャン・ブロトーが死んだことから、出版事業を引き継いだ。 ノストラダムス関連  ノストラダムスはジャン・ブロトーと親交があったが、ジャンの死後に書かれたロレンツ・トゥッベ宛ての書簡(1561年10月15日付)で、ピエール・ブロトーが事業を継いだものの不安がある旨を述べていた(*1)。  ピエールが手がけたノストラダムスの出版物は以下の2つだけである。 『1562年向けの新たなる占筮』 『1566年向けの暦』  いずれもアントワーヌ・ヴォランとの共同出版だった。 名前 ...
  • アントワーヌ・デュ・ローヌ
     アントワーヌ・デュ・ローヌ(Antoine du Rosne, 生没年未詳)は、確認されている範囲では1545年から1562年までリヨンで出版業を営んでいた人物である(*1)。あだ名は「リズロ」(Lizerot)。彼が手がけた出版物で、確認されているものはそれほど多くない。 ノストラダムスとの関わり  ノストラダムスは1553年11月に自分の原稿をいい加減な形で出版した業者を提訴し、出版権を取り上げ、「リズロ」というあだ名を持つアントワーヌ・デュ・ロワイエ(Antoine du Royer)という人物に出版を任せている。この「アントワーヌ・デュ・ロワイエ」は、デュ・ローヌの誤記とされる(*2)。これが事実なら、ノストラダムスが著作を発表し始めた時期に、既に接点があったことになる。  その後、1557年と1558年にはノストラダムスが自由訳した著書『ガレノスの釈義(未作成)...
  • ピエール・ジョアニス
     ピエール・ジョアニスないしピエール・ド・ジョアニス(Pierre de Joannis)は、ノストラダムスの叔父。ノストラダムスの父ジョームの妹マルグリットの夫。「ピエール・ド・ジョアニ」と発音した可能性もある。  1494年12月26日にマルグリットと結婚した(*1)。  息子オノレ、孫テオドール、曾孫メルキオン=ジャック・ド・ジョアニス(Melchion-Jacques de Joannis)へと家督が受け継がれていく。  なお、このメルキオン=ジャックはマルグリット・ド・ノートルダムの兄ジョームの曾孫トミーヌ・ド・ノートルダムと再婚した。  ただし、家を継いだのは最初の妻マルグリット・ド・トゥイエ(Margueritte de Touier)との子、ガブリエルであった(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連...
  • ラ・クロワ・デュ・メーヌ
     ラ・クロワ・デュ・メーヌ(ラ・クロワ・デュ・メーヌの領主フランソワ・グリュデ)(François Grudé, sieur de La Croix du Maine, 1552年-1592年)は、フランスの書誌学者。生涯を書誌研究に捧げたと言っても過言ではない人物であり、その記念碑的労作『ラ・クロワ・デュ・メーヌ殿の蔵書』(正式名後述)は、16世紀フランス文学に関する同時代の書誌研究として、今なお重要なものである。 生涯  ラ・クロワ・デュ・メーヌは、1552年にル・マンで生まれた。彼は、フランス国内のみならず、国外の文献書誌をも収めた一大書誌の作成を企図した。そのために、多額の私財を投じて膨大な蔵書を揃えるとともに、フランス国内外の知識人たちに著書目録の送付を依頼した。その依頼文の送付先は1万人に及んだとも言われるが、ほとんど返事はなく、思うような成果には結びつかなかった。また...
  • ピエール・アブグー
     ピエール・アブグー3世(Pierre III Abegou)は、ボルドーの出版業者。1639年ごろに出版業者ピエール・アブグー2世(活動1640年 - 1661年頃)の子として生まれ、1659年から1663年の間に出版業者としての活動を開始した。1664年から1692年に特に活動が顕著で、シャルル・ダビ、ジャン・マルテルなどの他の業者との共同出版もしばしば行った。その後、少なくとも1701年までの活動が確認できるが、さらにどの程度活動したのかは不明(*1)。 ノストラダムス関連  現存しないが、『予言集』1670年ボルドー版を出版した可能性がある。  また、『予言集』1689年ボルドー版が現存している。こちらはアルノー・ラランヌとの共同出版も行った可能性がある。 ...
  • 人名一覧
     ノストラダムスに関連する人名や団体名の一覧。  原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。また、一部日本人のペンネームは外国人名のように見えても全体で一つと見なしている(例えば、「フェニックス・ノア」は「は行」に掲載)。  なお、ノストラダムスの一族のうち、細かすぎる項目はノストラダムス一族の方に、出版業者のうちノストラダムス本人と関連性が薄い人物は出版業者の一覧の方に、それぞれ記載しているので、そちらを参照されたい。  名前の後の括弧は大まかな職業やグループわけを示している。斜線が引かれている場合、その前が職業などを指し、後ろがノストラダムス関連の立ち位置などを指す(「その他」とあるのは、専門的な研究者や信奉者的な解釈者と分類しづらい人物を示す)。 あ 明石三世(インテリ...
  • ラ・ピエール・ブランシュ
     ラ・ピエール・ブランシュは、メーヌ地方に残るメンヒル(古代の巨石記念物)の通称である。  サン=チレール=デュ=メーヌ(Saint-Hilaire-du-Maine)近郊にあり、エルネの町からは6 km ほどのところにある(*1)。  当時の『フランス街道案内』(1552年、増補1553年)にも載っているランドマークである。 登場箇所 詩百篇第9巻20番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ピエール・マルニオル
     ピエール・マルニオル(Pierre Marniolles)は、17世紀フランスの出版業者。リヨンで1610年から活動し、1621年からはグルノーブルでも活動した。1623年以降はグルノーブルでの活動に一本化した。手がけた出版物は、事件ものが多かった(*1)。 ノストラダムス関連書  エチエンヌ・タンチヨンと共同で『予言集』を出版した。 名前 コメント
  • この世紀のいずれかの年のための驚くべき予言
    ...法は1628年ごろのピエール・デュ・リュオー版に引き継がれるが、仮に1605年版が偽版の場合、初出であるシュヴィヨ版がいきなり第11巻として位置づけていたのに、デュ・リュオー版がわざわざその分類を無視して、大幅に構成を組み替えたことになる。  別に存在していた文書がまず別扱いで収録され、後で詩百篇へと再構成された版が出たと理解する方が自然に思われるが、1605年版が偽版の場合は、逆に詩百篇に組み込まれた状態しか知らないはずのデュ・リュオーが大幅な再構成を行い、それにあわせて書式を整えたことになる(もしくはシュヴィヨとは独立に、シュヴィヨが使ったのとほぼ同じ素材を使って一から構成したか)。 真作か偽作か  五島勉は1950年代に発見されたと述べていたが(*4)、もちろん事実ではない。  17世紀初頭の初登場以降多くの版で引き写されており、失われていた時期など存在しない(厳密...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、17世紀初頭)
     リヨンのピエール・リゴーは、17世紀初頭に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を少なくとも三度出版した。それらは出版者名の直前についている前置詞 PAR, Par, Chez によって区別される。 【画像】Chez の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR PIERRE RIGAVD, en rue Merciere au coing de rue Ferrandiere. Auec Permission. ミシェル・ノスト...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの叔父)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの叔父。ピエール・ド・ノートルダムとブランシュ・ド・サント=マリーの間に生まれた子供の一人で、三男と推測されている(*1)。父のピエールやカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)と区別されるときには、「アルルのピエール・ド・ノートルダム」と表記されることがある。  父親と同じく商業を営んだが、1513年以降は活動拠点を出生地アヴィニョンからアルルに移した。その商取引に関する記録がいくつも残っている。  この人物は、ノストラダムスの親族の中で唯一人「予言的」なエピソードが公証記録に残されている点で、特徴的といえるかもしれない。  それによると、1535年9月15日に、タラスコンの商人で改宗キリスト教徒であったトマ・ド・バレーム(Thomas de Barrème)と賭けをした...
  • ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言 (1588年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』1588年版は、ルーアンのラファエル・デュ・プチ・ヴァルによって出版された。まがりなりにも「大予言」と訳しうる数少ない古版本の一つである。 【画像】『驚異の大予言』1588年版の扉(*1) 正式名 Les Grandes et Merveillevses Predictions de M. Michel NostradamvsDiuisees en quatre Centuries. Esquelles se voit representé vne partie de ce qui se passe en ce temps, tant en France, Espaigne, Angleterre, que autres parties du monde. A Rouen, Chez Raphael dv Petit Val...
  • ニコラ・デュ・モン
     ニコラ・デュ・モン(Nicolas Du Mont)は16世紀パリの出版業者。Correcteur の資格も持ち、1569年から1584年まで出版業者として活動した(*1)。ニコラ・デュモン(Nicolas Dumont)とも綴っていた。 ノストラダムス関連  本家ノストラダムスの著書を出版した形跡は確認できない。ノストラダムス2世の『13年間の予兆集』(1571-1572年)、アントワーヌ・クレスパンの『1571年のつい先ごろの聖ミカエルの祝日に一日中続いた悲痛なる日蝕の提示』(1571年)と『皇帝の御令嬢にしてフランス王妃たる、いとも高貴にして力あるエリザベート・ドートリッシュ妃殿下に捧げられた公開書簡』(1571年)を出版した。いずれも1571年頃の出版で、他の時期のものは確認できない。 ...
  • Predictions pour vingt ans (1567)
     『1583年まで歴年続く20年間の予言集』は、1567年にパリのギヨーム・ニヴェールによって出版されたノストラダムス2世の著書。 題名  この文献は現存せず、ラ・クロワ・デュ・メーヌの以下の簡潔な言及のみで知られている。 Prédictions pour vingt ans, continuant d an en an, jusques en l annee 1583, imprimées à Paris l an 1567, par Guillaume Niverd, lequel a imprimé plusieurs de ses Prophetiés (*1) 『1583年まで歴年続く20年間の予言集』は、パリで1567年に、彼の予言を多く出版していたギヨーム・ニヴェールによって刊行された。  ラ・クロワ・デュ・メーヌはこれを「ノストラダムス」の項で扱っている...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、1650年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1650年頃にもリヨンのピエール・リゴーの名義で出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimées. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, Chez PIERRE RIGAVD, ruë Merciere, au coing de ruë Ferrandiere, à l ensaigne de la Fortune. AVEC PERMISSION. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられ...
  • 19世紀までの主要な伝記の翻訳
     ノストラダムスについては、過去に多くの論者が伝記をまとめてきた。ことに、ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)以来、19世紀ごろまでにまとめられた伝記は、真偽不明の情報も含め、ノストラダムスの伝説的な姿を作り上げることに大きく影響した。  そこで、近代のノストラダムスの伝記やそれに準ずる情報について、当「大事典」はいくらかの全訳を提供し、過去における伝説の形成過程解明の一助とすることを企図している。 ラ・クロワ・デュ・メーヌによる書誌情報(1584年) アントワーヌ・デュ・ヴェルディエによる書誌情報(1585年) ジャン=エメ・ド・シャヴィニーによる伝記(1594年)姉妹サイトのコンテンツ「シャヴィニーによるノストラダムスの伝記」を参照のこと。 1656年の伝記 テオフィル・ド・ガランシエールによる伝記(1672年) バルタザール・ギノーによる伝記(1693年) パラメド・...
  • ピエール・ラグランジュ
     ピエール・ラグランジュ(Pierre Lagrange, 1963年- )は科学社会学者(sociologue des sciences)。  「文化制度に関する人類学・歴史学研究所」(Laboratoire d Anthropologie et d Histoire sur l Institution de la Culture)の準研究員(2003年)。  いわゆる超常現象に関して社会学的なアプローチで分析をしており、著書に『ロズウェルの噂』(La rumeur de Roswell, 1996)などがある(*1)。 ノストラダムス関連  エルヴェ・ドレヴィヨンとともに『ノストラダムス 永遠回帰』(2003年)を出版した。これは『ノストラダムス ― 予言の真実』という題で日本語版も出版されている。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ピエール・リゴー版、1716年頃)
     1566年にピエール・リゴーが出版したとされる『予言集』がある。しかし、それは1716年頃に作成された偽年代版である。 【画像】偽年代版第一部の扉(*1)  上記画像の通り、全部で3つの版の存在が知られている。便宜上、太陽が擬人化されている左端の版を A 版、渾天儀が描かれている中央の版を B 版、猪に折り重なっている人物と跪く女性が描かれている右端の版を C 版としておく(*2)。 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cents qui n'ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par l'Auteur. Imprimées par les soins du Fr. Jean Vallier...
  • アントワーヌ・デュ・ヴェルディエによる書誌情報
     アントワーヌ・デュ・ヴェルディエ(未作成)の書誌 『アントワーヌ・デュ・ヴェルディエの蔵書』(リヨン、1585年)は、ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌とともに、16世紀フランス書誌研究の双璧をなしている。ノストラダムスについての項目もあり、以下のように紹介されている(*1)。  以下に全訳を示すが、原書には段落分けが全くないので、当「大事典」で便宜的に区切った。 全訳  ミシェル・ノストラダムス (MICHEL NOSTRADAMUS)、プロヴァンス州サロン・ド・クローの医師・占星術師は、1550年以降1567年までの各年の暦書および占筮を執筆し、1566年7月2日に逝去した。  その暦書は予兆集を伴って、リヨンではジャン・ブロトーとアントワーヌ・ヴォランによってや、ブノワ・オドによって出版され、パリでも出版された。  加えて、四行詩による予言の10巻の百詩篇集は、見る...
  • ジャン・デュペーブ
     ジャン・デュペーブ(Jean Dupèbe)は、フランス文学者、パリ第10大学教授(2009年時点)。以前はパリ第7大学で教鞭を執っていた。ルネサンス期のフランス文学に造詣が深い。 ノストラダムス関連  ノストラダムスに関する著作は以下の通り。 (著書)ノストラダムス 未公刊書簡集(Nostradamus Lettres inédites, Droz, 1983) (論文)人文主義者ノストラダムス("Nostradamus humaniste", Nostradamus ou le savoir transmis(未作成), Eds. M. Chomarat, 1997) (書評)ベルナール・シュヴィニャール著『ノストラダムスの予兆集』(Bibliothèque d’Humanisme et Renaissance, Tome LXIII-1, 200...
  • Predictions de Me Michel Nostradamus pour le siecle de l'an 1600
     『ラングドックのヴァンサン・オカーヌによりその年の初めに国王アンリ4世に献上された、1600年からの世紀に向けたミシェル・ノストラダムス師の予言』(Predictions de Me Michel Nostradamus Pour le siecle de l an 1600 Pntees au Roy Henri 4e au commencement de l Annee par Vincent Aucane de Languedoc.)は、フランス国立図書館に現存する予言書の手稿である。  17世紀初頭に書かれた手稿と考えられており、ここに収められた54篇の六行詩は、それから間もなくノストラダムス『予言集』に収録されるようになった六行詩集58篇の、より初期の特色を保持する手稿と見なされている。 所蔵先  フランス国立図書館に所蔵されている 『主に16世紀末から17世紀...
  • フロラン・ド・クロー
     フロラン・ド・クロクスあるいはフロラン・ド・クロー(Florent de Crox, 生没年未詳)は、16世紀フランスの占星術師である。ノストラダムスに便乗して、自著の著者名に「故ミシェル・ノストラダムス師の弟子」という肩書きを常につけていたが、ノストラダムス本人との接点は確認されていない。 【画像】フロラン・ド・クローの肖像画(『1570年向けの暦』扉の木版画)(*1)  著作  この人物による著作は現存しないものも含めて5冊確認されているが、すべて暦書である。 『1570年向けの暦』(Almanach, Pour l An M.D.LXX.) 『1574年向けの暦』(Almanach pour l an 1574) 『1583年向けの暦と占筮』(Almanach et Pronostication pour l an 1583.) 『1586年向けの暦書...
  • ピエール・ブランダムール
     ピエール・ブランダムール(Pierre Brind Amour, 1941年-1995年)は、カナダ人の西洋古典学者で、オタワ大学教授として在職中、逝去した。  西洋古典学の分野で、 「イソクラテスの最後の言葉」(Les dernieres paroles d Isocrate, 1967年) 「ウェルギリウスと馬の調教」(Virgile et le Dressage des Chevaux, 1972年) 「スエトニウスの作品中におけるドミティアヌスの死の物語によって喚起された占星術的・天文学的諸問題」(Problèmes astrologiques et astronomiques soulevés par le récit de la morte de Domitien chez Suétone, 1981年) などの論文を発表した(いずれも未邦訳)。  19...
  • Rion
    Rion は読み方の確定していない単語。以下の可能性がある。 Trionの語頭音省略もしくは誤記で、熊の星座(大熊座と小熊座)と読む。アナトール・ル・ペルチエが2つの可能性のひとつとして提示し、エドガー・レオニやブリューノ・プテ=ジラールが支持している(*1)。 Pres de Rion(プレ・ド・リオン)を Pres d Orion(プレ・ドリオン)と読み替え、「オリオン座の近くで」と読む。ピーター・ラメジャラーが提示した(*2)。 Riom(リオン)と読む。リオンはフランス中部、ピュイ=ド=ドーム県の都市である。アナトール・ル・ペルチエが提示したもうひとつの可能性がこれで、ピエール・ブランダムールやマリニー・ローズもこの立場である。Rion はオーヴェルニュの都市名だとしたテオフィル・ド・ガランシエールも同じ立場だったろうと考えられる。この説の変形として、より南に位置するリオン=エ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1610年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1610年にピエール・メニエ(2世)によって出版されたらしい。 伝聞  パトリス・ギナールは1740年の書籍販売目録に特殊な題名を含む1610年ピエール・メニエ版の言及があることを見つけ出した。彼はそれをもとに次のように題名を復元している(*1)。 Les Propheties de M. Michel NostradamusDont trois cens sont imprimées pour la premiere fois en cette Edition. Reveuës additionnées par l Autheur, pour l An mil cinq cens soixante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie. Paris, Pier...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • 百詩篇第5巻6番
    原文 Au roy1 l Augur2 sus3 le chef la main mettre Viendra prier pour la paix4 Italique A la main gauche viendra changer le5 sceptre6 De7 Roy viendra Empereur pacifique. 異文 (1) roy 1557U 1557B 1568 1589PV 1772Ri Roy T.A.Eds. (2) l Augur l Agur 1557B, laugur 1590Ro, l augur 1597 1610 1611 1644 1650Ri 1653 1660 1716 1840, l angur 1600 1867LP, langur 1627, l augure 1649Ca 1650Le 1668, l au...
  • ジョーム・ド・ノートルダム
     ジョーム・ド・ノートルダム(Jaume de Nostredame, 1470年頃 - 1547年頃)は、ノストラダムスの父。アヴィニョンとサン=レミで、商人、公証人などとして活動した。  ジョメ・ド・ノートルダム(Jaumet de Nostredame)、ジャック・ド・ノートルダム(Jacques de Nostredame)、ジャック・ド・サント=マリー(Jacques de Sainte-Marie)などとも記録され(*1)、ラテン語名はヤコブス・デ・ノストラ・ドミナ(Jacobus de Nostra Domina)である(*2)。 生涯  ジョームは1470年頃にアヴィニョンで生まれた(*3)。父ピエールの死は1485年頃で、ジョームが15歳頃にあたっている。ジョームは当初父の職をついでアヴィニョンで商業と貸金業を営んでいたが、1495年5月14日にプロヴァンス州サ...
  • ジョルジュ・デュメジル
     ジョルジュ・デュメジルことジョルジュ・エドモン・ラウル・デュメジル(Georges Edmond Raoul Dumézil, 1898年 - 1986年) は20世紀フランスの代表的な神話学者である。比較神話学の領域でのインド=ヨーロッパ語族三機能イデオロギーで知られる。  パリの高等師範学校に首席で入学して教授資格を取得し、のちに高等研究院とコレージュ・ド・フランスの教授を務め、アカデミー・フランセーズの会員にも選出された(*1)。 【画像】デュメジル・コレクション(3) ノストラダムス関連  晩年にあたる1984年に『「灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに」 ノストラダムスの茶番劇』を出版した。この本は英語訳されたが、日本語訳は今のところ出ていない。  この本に関連する情報はディディエ・エリボン 『デュメジルとの対話』 (松村一男 訳、平凡社、19...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの弟)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの弟。  父ジョーム・ド・ノートルダムが何度か執筆した遺言書の中で言及されていることから、存在が明らかになったが、生没年などの詳しいことは全く分かっていない。職業は香料商人(épicier)だったという(*1)。  1534年から1535年にかけて書かれた3通の遺言書で言及されているが、1547年の相続関連の文書では触れられていない(*2)。このことからすれば、その時点までに亡くなっていた可能性がある。ただし、その最後の文書では長男ミシェル(ノストラダムス)の名前もないが、これは執筆当時がノストラダムスの放浪期間とほぼ重なっており、消息不明だったことによるものだろう。ピエールの名前がないことも、死亡ではなく、そのような失踪の類が原因の可能性もある。 ...
  • ローラン・ヴィデル
     ローラン・ヴィデル(Laurens Videl, 生没年未詳)は、16世紀フランスの医師・占星術師。当時有名になっていた同業者のノストラダムスを批判した人物として知られている。 生涯  ローラン・ヴィデルは、1558年に『プロヴァンス州サロン・ド・クローのミシェル・ノストラダムスの誤謬・無知・煽動の告発』を出版している。また、1559年と1560年に占星術師クロード・ファブリと共同で暦書を出版したことも、ローヌ県立古文書館(未作成)に現存する特認記録から明らかになっている (*1)。しかし、これ以外の伝記的事実は全く不明である。  同時代の書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌でも、ヴィデルはノストラダムスを批判する書を出した人物としか触れられていない。  19世紀のミショーの人名辞典では、ルイ・ヴィデル(Louis Videl)の項目に「ノストラダムスに反対する...
  • salvaterre
     Salvaterre, salvaterreは、一般名詞ならば、ラテン語 salva terra からの造語で「安全な土地」の意味(*1)。  地名と見る場合、スペインのサルバティエラ(Salvatierra)を採る論者が多い(*2)。  マリニー・ローズは、フランスにいくつもある地名ソーヴテル(Sauveterre)、もしくは同じ「安全な土地」を語源とする地名ラ・サルヴタ(La Salvetat)を考えている(*3)。  ピエール・ブランダムールは、スペインのサルバティエラ・デ・アラバ(Salvatierra de Alava)もしくはフランス南西部のソーヴテル・ド・ベアルン(Sauveterre de Béarn)としている(*4)。  他の説としては、 ラテン語 salvator の変形で「救助者、救い主」の意味と捉えたアナトール・ル・ペルチエの...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・アブグー、1670年)
     1670年にボルドーのピエール・アブグーも、『予言集』を出版していたとされる。 書誌  ボルドー出版業史の専門家ルイ・デグラーヴの著書『17世紀にボルドーで印刷された書物』(1971年)(*1)において、 Les Propheties de Michel Nostradamus..., A Bordeau, P. Abegou, 1670, in-8o というごく簡略な言及があるらしい。  この情報に言及したのは、エルネスト・ラバディの『16世紀から19世紀のボルドーの暦書』(1917年)(*2)が最初だったという(*3)。  ただし、ロベール・ブナズラは実在性に疑問を呈していた(*4)。 名前 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・プロメ、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にパリのピエール・プロメ(未作成)によっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions ...
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