ピエール・ボエスチュオー

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ピエール・ボエスチュオー」で検索した結果

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  • 百詩篇第2巻41番
    ...トラダムスと同時代のピエール・ボエスチュオー(未作成)の『驚倒すべき物語』(1560年)などにも見出すことが出来る。  以上は、ピエール・ブランダムールの読み方であり、高田勇・伊藤進も支持している(*8)。また、ピーター・ラメジャラーも基本線は同一である(*9)。  ロジェ・プレヴォは1527年10月に血の色をした彗星が数日間目撃され、人々を恐怖させたことと関連付けている。この年には晴天に三つの太陽が現れるという驚異が記録されたことや、同じ年のローマ略奪の際に教皇がオルヴィエートに避難したことなどが描写されているとする(*10)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 コメントらん 以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保する...
  • 百詩篇第3巻65番
    ...トラダムスと同時代のピエール・ボエスチュオーの著書 『驚倒すべき歴史』 では、次のように紹介されている。 「ウィクトル3世は高齢ではなく毒によって死んだ。その毒は、彼がミサを祝している間に聖杯に仕込まれたものであった」(*13)  いずれにしても「翌日」が字義通りに史実と対応するかは不鮮明であり、むしろ複数の歴史的事件を題材にアレンジを加え、高田・伊藤が指摘したように、当時としては十分に起こりうる状況を描いたに過ぎないのかもしれない。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • 百詩篇第3巻19番
    ...ダムスと同時代では、ピエール・ボエスチュオーが1555年にフリブール周辺で降った血の雨について記録していることにも言及した(*12)。  ピーター・ラメジャラーは直前の詩と同様に、ユリウス・オブセクエンスの著書に古代ローマの乳の雨の記録が多く登場することを指摘した(*13)。2003年の時点では、それと『ミラビリス・リベル』に描かれたイタリア侵攻の予言とを重ね合わせていたが、2010年にはオブセクエンスのみについて触れるにとどまった。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・デュ・リュオー)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1628年から1630年頃にトロワのピエール・デュ・リュオーによっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. A Troyes, Par Pierre Du Ruau, ruë nostre Dame. ミシェル・ノストラダムス師の予言集 1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 トロワにて、ノートル・ダム通りのピエール・デュ・リュオーによる。 第二部 Les Propheties de M. Michel No...
  • 詩百篇第1巻69番
    ...年にも噴火しており、ピエール・ボエスチュオーの『驚倒すべき物語』にも、周辺の都市への被害や噴煙で太陽が隠されてしまったことなどの報告がある。また、ポンペイの遺跡は16世紀半ばにも断片的になら知られ、都市が埋まっていることは認識されていた。  クレベールは、ノストラダムスが1555年向けの予兆(散文)の中で、1607年にベズビオ山とパエトンが多くの地方で大火災(conflagration)を引き起こすと予言していたことも紹介している(*14)。  ノストラダムスがこの詩を書いたのは1548年の噴火から間もない頃のことであり、またすぐにでもそれを超える規模の大噴火があると警戒していた可能性は、確かにあるのではないだろうか。  ピーター・ラメジャラーは『ミラビリス・リベル』に収録された複数の予言書に、シチリア島の古代ギリシア人入植地が津波などの被害を受けたときの様子が描写されて...
  • ピエール・リゴー
     ピエール・リゴー(Pierre Rigaud, 1631年没)は、リヨンの印刷・出版業者。ブノワ・リゴーの長男であり、一時期「ブノワ・リゴーの後継者たち」という名義を他の兄弟たちとともに用いていた時期がある。  現在確認されている範囲では、ピエール・リゴー名義の最古の刊行物は1594年のものである。これは、クロード・ミシェル(Claude Michel)という人物との共同出版であった(*1)。この後、彼の名義の出版物は1601年まで見られない(*2)。ただし、1597年から1601年には「ブノワ・リゴーの後継者たち」名義で出版事業に関わっていた。 ノストラダムス関連  17世紀初頭にノストラダムスの『予言集』を3種類出版した。これらは、タイトルページの前置詞の違い(PAR, Par, Chez)で区別されている。これらの版は、17世紀初頭の版であることがほぼ疑いないジャン...
  • ピエール・メニエ
     ピエール・メニエ1世(Pierre I Ménier / Mesnier)は、16世紀後半から17世紀初頭に活動したパリの出版業者。1581年から1605年頃までの活動が確認でき、そのころに歿した可能性がある(*1)。  なお、1588年にリヨンでも「ピエール・メニエ」が二冊刊行しているが、同一人物かは不明である(*2)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言集を少なくとも3回出版した。1589年版、刊行年の記載されていない版、1610年版で、少なくとも最後の1点は、本人ではなく息子のピエール・メニエ2世が手がけたもののようである。  また、アントワーヌ・クレスパンの『真に最も記憶されるべき事柄を含む驚異の予言』(1590年頃)も出版した。ほかに、フロラン・ド・クローの『1586年向けの暦』はアントワーヌ・ウイックの出版だが、本文中には印刷業者としてメニエの...
  • ピエール・ブロトー
     ピエール・ブロトー(Pierre Brotot)は16世紀リヨンの出版業者。  正確な活動期間は未詳だが、1561年頃に父ジャン・ブロトーが死んだことから、出版事業を引き継いだ。 ノストラダムス関連  ノストラダムスはジャン・ブロトーと親交があったが、ジャンの死後に書かれたロレンツ・トゥッベ宛ての書簡(1561年10月15日付)で、ピエール・ブロトーが事業を継いだものの不安がある旨を述べていた(*1)。  ピエールが手がけたノストラダムスの出版物は以下の2つだけである。 『1562年向けの新たなる占筮』 『1566年向けの暦』  いずれもアントワーヌ・ヴォランとの共同出版だった。 名前 ...
  • ピエール・ジョアニス
     ピエール・ジョアニスないしピエール・ド・ジョアニス(Pierre de Joannis)は、ノストラダムスの叔父。ノストラダムスの父ジョームの妹マルグリットの夫。「ピエール・ド・ジョアニ」と発音した可能性もある。  1494年12月26日にマルグリットと結婚した(*1)。  息子オノレ、孫テオドール、曾孫メルキオン=ジャック・ド・ジョアニス(Melchion-Jacques de Joannis)へと家督が受け継がれていく。  なお、このメルキオン=ジャックはマルグリット・ド・ノートルダムの兄ジョームの曾孫トミーヌ・ド・ノートルダムと再婚した。  ただし、家を継いだのは最初の妻マルグリット・ド・トゥイエ(Margueritte de Touier)との子、ガブリエルであった(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連...
  • ピエール・ブルヌゼ
     ピエール・ブルヌゼ(Pierre Brenouzet)は、16世紀ルーアンの出版業者だったらしい。ただし、当「大事典」では、この人物に関する情報を見つけられないでいる。  書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、ルーアンのロベール・ブルヌゼ(Robert Brenouzet)、ラ・ロッシェルのジャン・ブルヌゼ(Jean Brenouzet)らを挙げているが、ピエールへの言及は全くない(*1)。ほかの書誌学者たちも、言及していないようである。 ノストラダムス関連  1568年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。 名前 ...
  • ピエール・アブグー
     ピエール・アブグー3世(Pierre III Abegou)は、ボルドーの出版業者。1639年ごろに出版業者ピエール・アブグー2世(活動1640年 - 1661年頃)の子として生まれ、1659年から1663年の間に出版業者としての活動を開始した。1664年から1692年に特に活動が顕著で、シャルル・ダビ、ジャン・マルテルなどの他の業者との共同出版もしばしば行った。その後、少なくとも1701年までの活動が確認できるが、さらにどの程度活動したのかは不明(*1)。 ノストラダムス関連  現存しないが、『予言集』1670年ボルドー版を出版した可能性がある。  また、『予言集』1689年ボルドー版が現存している。こちらはアルノー・ラランヌとの共同出版も行った可能性がある。 ...
  • ピエール・ド・ノートルダム
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame, 1430年頃 - 1485年頃)は、ノストラダムスの父方の祖父。アヴィニョンで穀物商と高利貸を営んでいた。クレカ・ド・カルカソンヌ(Crescas de Carcassonne)、ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ(Guidon Gassonnet)、ヴィド・ガソメ(Vido Gassomet)、ペロ・ド・サント=マリー(Perrot / Peyrot de Sainte-Marie)など、多くの名で公文書に記録されている(*1)。  関連文献においてカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)や、息子であるアルルのピエール・ド・ノートルダムと区別するときには、「アヴィニョンのピエール・ド・ノートルダム」と書かれることもある。 生涯  ダヴァン・ド・カルカソンヌの子供の一人...
  • ピエール・ユボー
     ピエール・ユボー2世(Pierre II Hubeault)は、16世紀ルーアンの出版業者。書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、その活動期間を1575年から1580年としていたが、ミュラーは1569年と1575年から1580年とした(*1)。ミュラーは出典をルプルーしか挙げていなかったが、1569年というのは下掲のノストラダムス2世の文献に基づいたものであろう。 ノストラダムス関連  1569年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。ルプルーは活動開始時期を特定していたわけではないので、偽年代版などを想定する必然性はないものと思われる。  実際、パリのニコラ・デュ・モンが1571年に出版した『13年間の予兆集』でも、ユボーによる1569年版への言及はあるので、1575年以降の出版と考えることはまず無理であろう。 ...
  • ピエール・マルニオル
     ピエール・マルニオル(Pierre Marniolles)は、17世紀フランスの出版業者。リヨンで1610年から活動し、1621年からはグルノーブルでも活動した。1623年以降はグルノーブルでの活動に一本化した。手がけた出版物は、事件ものが多かった(*1)。 ノストラダムス関連書  エチエンヌ・タンチヨンと共同で『予言集』を出版した。 名前 コメント
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの叔父)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの叔父。ピエール・ド・ノートルダムとブランシュ・ド・サント=マリーの間に生まれた子供の一人で、三男と推測されている(*1)。父のピエールやカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)と区別されるときには、「アルルのピエール・ド・ノートルダム」と表記されることがある。  父親と同じく商業を営んだが、1513年以降は活動拠点を出生地アヴィニョンからアルルに移した。その商取引に関する記録がいくつも残っている。  この人物は、ノストラダムスの親族の中で唯一人「予言的」なエピソードが公証記録に残されている点で、特徴的といえるかもしれない。  それによると、1535年9月15日に、タラスコンの商人で改宗キリスト教徒であったトマ・ド・バレーム(Thomas de Barrème)と賭けをした...
  • ピエール・ブランダムール
     ピエール・ブランダムール(Pierre Brind Amour, 1941年-1995年)は、カナダ人の西洋古典学者で、オタワ大学教授として在職中、逝去した。  西洋古典学の分野で、 「イソクラテスの最後の言葉」(Les dernieres paroles d Isocrate, 1967年) 「ウェルギリウスと馬の調教」(Virgile et le Dressage des Chevaux, 1972年) 「スエトニウスの作品中におけるドミティアヌスの死の物語によって喚起された占星術的・天文学的諸問題」(Problèmes astrologiques et astronomiques soulevés par le récit de la morte de Domitien chez Suétone, 1981年) などの論文を発表した(いずれも未邦訳)。  19...
  • ラ・ピエール・ブランシュ
     ラ・ピエール・ブランシュは、メーヌ地方に残るメンヒル(古代の巨石記念物)の通称である。  サン=チレール=デュ=メーヌ(Saint-Hilaire-du-Maine)近郊にあり、エルネの町からは6 km ほどのところにある(*1)。  当時の『フランス街道案内』(1552年、増補1553年)にも載っているランドマークである。 登場箇所 詩百篇第9巻20番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ピエール・ラグランジュ
     ピエール・ラグランジュ(Pierre Lagrange, 1963年- )は科学社会学者(sociologue des sciences)。  「文化制度に関する人類学・歴史学研究所」(Laboratoire d Anthropologie et d Histoire sur l Institution de la Culture)の準研究員(2003年)。  いわゆる超常現象に関して社会学的なアプローチで分析をしており、著書に『ロズウェルの噂』(La rumeur de Roswell, 1996)などがある(*1)。 ノストラダムス関連  エルヴェ・ドレヴィヨンとともに『ノストラダムス 永遠回帰』(2003年)を出版した。これは『ノストラダムス ― 予言の真実』という題で日本語版も出版されている。 ...
  • 百詩篇第7巻43番bis
    1628年頃に登場した百詩篇第7巻43番 原文 Vn Iuste Roy de trois lis gaignera Dessus le Pau vne palme nouuelle, Au mesme temps qu vn chacun marchera Sur le clocher de la Saincte Chapelle. 異文  原文の底本は1628年頃のピエール・デュ・リュオー版である。この詩はその版の中でも特定の伝本にしか載っていない。ほかの版には一切登場しないため、異文が存在しない。 日本語訳 三つの百合の公正なる王は手にするだろう、 ポーの上で新たな棕櫚を。 時同じくして、各自が歩くだろう、 聖なる礼拝堂の鐘楼の上を。 訳について  3、4行目はより正確に訳すなら、「各自が聖なる礼拝堂の鐘楼の上を歩くであろう時と同時...
  • Les Prophéties de M.Michel Nostradamus (Biblioteca Nacional)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』のピエール・デュ・リュオー版(1628年頃)は、ブエノスアイレスのアルゼンチン国立図書館によって1943年に復刻された。 内容  ピエール・デュ・リュオー版の影印本だが、ノストラダムス2世に由来する付録は含まれていない。 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、17世紀初頭)
     リヨンのピエール・リゴーは、17世紀初頭に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を少なくとも三度出版した。それらは出版者名の直前についている前置詞 PAR, Par, Chez によって区別される。 【画像】Chez の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR PIERRE RIGAVD, en rue Merciere au coing de rue Ferrandiere. Auec Permission. ミシェル・ノスト...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1610年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1610年にピエール・メニエ(2世)によって出版されたらしい。 伝聞  パトリス・ギナールは1740年の書籍販売目録に特殊な題名を含む1610年ピエール・メニエ版の言及があることを見つけ出した。彼はそれをもとに次のように題名を復元している(*1)。 Les Propheties de M. Michel NostradamusDont trois cens sont imprimées pour la premiere fois en cette Edition. Reveuës additionnées par l Autheur, pour l An mil cinq cens soixante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie. Paris, Pier...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、1650年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1650年頃にもリヨンのピエール・リゴーの名義で出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimées. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, Chez PIERRE RIGAVD, ruë Merciere, au coing de ruë Ferrandiere, à l ensaigne de la Fortune. AVEC PERMISSION. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ピエール・リゴー版、1716年頃)
     1566年にピエール・リゴーが出版したとされる『予言集』がある。しかし、それは1716年頃に作成された偽年代版である。 【画像】偽年代版第一部の扉(*1)  上記画像の通り、全部で3つの版の存在が知られている。便宜上、太陽が擬人化されている左端の版を A 版、渾天儀が描かれている中央の版を B 版、猪に折り重なっている人物と跪く女性が描かれている右端の版を C 版としておく(*2)。 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cents qui n'ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par l'Auteur. Imprimées par les soins du Fr. Jean Vallier...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの弟)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの弟。  父ジョーム・ド・ノートルダムが何度か執筆した遺言書の中で言及されていることから、存在が明らかになったが、生没年などの詳しいことは全く分かっていない。職業は香料商人(épicier)だったという(*1)。  1534年から1535年にかけて書かれた3通の遺言書で言及されているが、1547年の相続関連の文書では触れられていない(*2)。このことからすれば、その時点までに亡くなっていた可能性がある。ただし、その最後の文書では長男ミシェル(ノストラダムス)の名前もないが、これは執筆当時がノストラダムスの放浪期間とほぼ重なっており、消息不明だったことによるものだろう。ピエールの名前がないことも、死亡ではなく、そのような失踪の類が原因の可能性もある。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年頃)
     1611年版『予言集』を出版したトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)は、刊行年を記載しない版も出版していた。 【画像】左から順に第一部、第二部(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Trouuez en vne Biblioteque delaissez par l Auteur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission ミシェル・ノストラダムス師の予言集。著者の残した蔵書の中から発見された決して出版されなかった300篇を含む。 トロワにて、国王の常...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1589年)
     ここで紹介するピエール・メニエ版の『予言集』は、1589年にパリで出版された。 【画像】メニエ版の扉(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamvs; Dont il y en a trois cens qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ceste presente edition. Reueues additionnees par l Autheur, pour l An mil cinq cens soyxante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie.A Paris, Par Pierre Ménier, demeurant à la ruë d’Arras, pres l...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・アブグー、1670年)
     1670年にボルドーのピエール・アブグーも、『予言集』を出版していたとされる。 書誌  ボルドー出版業史の専門家ルイ・デグラーヴの著書『17世紀にボルドーで印刷された書物』(1971年)(*1)において、 Les Propheties de Michel Nostradamus..., A Bordeau, P. Abegou, 1670, in-8o というごく簡略な言及があるらしい。  この情報に言及したのは、エルネスト・ラバディの『16世紀から19世紀のボルドーの暦書』(1917年)(*2)が最初だったという(*3)。  ただし、ロベール・ブナズラは実在性に疑問を呈していた(*4)。 名前 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・プロメ、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にパリのピエール・プロメ(未作成)によっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・アブグー、1689年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1689年にボルドーのピエール・アブグーによっても出版された。 【画像】左から、1689年アブグー版の扉、第一部扉、第二部扉 (*1) 正式名 全体の扉 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé se passe presentement tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, que autres parties du mo...
  • 人名一覧
     ノストラダムスに関連する人名や団体名の一覧。  原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。また、一部日本人のペンネームは外国人名のように見えても全体で一つと見なしている(例えば、「フェニックス・ノア」は「は行」に掲載)。  なお、ノストラダムスの一族のうち、細かすぎる項目はノストラダムス一族の方に、出版業者のうちノストラダムス本人と関連性が薄い人物は出版業者の一覧の方に、それぞれ記載しているので、そちらを参照されたい。  名前の後の括弧は大まかな職業やグループわけを示している。斜線が引かれている場合、その前が職業などを指し、後ろがノストラダムス関連の立ち位置などを指す(「その他」とあるのは、専門的な研究者や信奉者的な解釈者と分類しづらい人物を示す)。 あ 明石三世(インテリ...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • バルタザール・ギノー
     バルタザール・ギノー(Baltazar Guynaud, 生没年未詳)は、17世紀末頃のフランスの作家。ノストラダムス予言の解釈書を刊行した。現在知られている範囲内で、「恐怖の大王」について初めて解釈を展開した人物である。  ギノーの生涯についてはほとんど分かっていない。彼自身の著作にある自伝的な言及から、調馬師の資格を持ち、フランス王ルイ14世附きの小姓頭を務めた時期があったとされる。この真偽は定かではないものの、彼がルイ14世に強い思い入れがあったことは著書から明らかである。  彼の唯一の著作は『アンリ2世からルイ大王までの歴史とノストラダムス予言集との一致』である。これは1693年に刊行され、1709年と1712年に再版された。  ノストラダムスの予言を熱烈に信奉したがゆえに、ピエール・ガッサンディ(未作成)やジャン・ド・スポンド(未作成)といったノストラダ...
  • 百詩篇第3巻64番
    原文 Le chef1 de Perse remplira grande2 OLXAΔES3 Classe4 trireme5 contre gent6 Mahumetique7 De Parthe8, Mede piller9 les Cyclades10 Repos long temps11 au grand port12 Ionique13. 異文 (1) chef Chef 1672 (2) grande grand 1672, grands 1589PV 1649Ca 1650Le 1668 (3) OLXAΔES 1555 1840 Olchade T.A.Eds.(sauf Olxades 1589PV, Olchades 1627 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668) (4) ...
  • エクトール・リゴー
     エクトール・リゴー(Hector Rigaux, 1841年11月23日 - 1930年7月16日)は、フランスの司祭。ノストラダムスに関する膨大な蔵書を持っていたことで知られ、書誌研究上の重要人物として知られている。司祭であったことからリゴー師(アベ・リゴー l abbé Rigaux)とも呼ばれる。生まれたときの名はエスペランス=エクトール・カファール(Espérance-Hector Caffart)だったようだが、すぐに改名されたこともあって、現在ではこの名で呼ばれることはほとんどない。  リゴーは、1841年にソンム県のモンシー=ラガシュで生まれた。1865年にアミアンで司祭に任命され、その地で4年ほど過ごした後、ソンム県アルグーヴの主任司祭に任命され、終生その地で過ごした。  リゴーは、ノストラダムスに関して信奉者の立場からの解釈を重ねていたアンリ・トルネ=シ...
  • Les Premières Centuries ou Prophéties (édition Macé Bonhomme de 1555).
     『初期の百詩篇集すなわち(1555年マセ・ボノム版)「予言集」』(Les Premières Centuries ou Prophéties (édition Macé Bonhomme de 1555).)は、ピエール・ブランダムールの著書。1996年にジュネーヴのドローズ社から、定評ある「フランス文学テクスト」叢書の1冊として出版された信頼度の高い校訂版である。 【画像】 表紙 正式名 LES PREMIÈRES CENTURIES OU PROPHÉTIES (édition Macé Bonhomme de 1555). Edition et commentaire de l Epître à César et des 353 premiers quatrains par PIERRE BRIND AMOUR. 初期の百詩篇集すなわち(1555年マセ・ボノム...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)
     1605年版の『予言集』は、出版社名も出版地も記載されていない版だが、内容上は非常に重要である。 【画像】第一部の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus.Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. ミシェル・ノストラダムス師の予言集1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 第二部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus.Centuries VIII.IX.X. Qui n auoient esté premierement Imprimees sont en la mesme edition de 156...
  • ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ
     ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ(Pierre-Joseph de Haitze, 1648年頃 - 1736年7月26日)は、フランスの作家、歴史家。主としてプロヴァンスの歴史や、プロヴァンスに縁のある人物の伝記をまとめた。  エーツは、1648年頃にカヴァイヨンで生まれた。ベアルン地方の高貴な出自であったという。彼はプロヴァンスの歴史に特に興味を持ち、様々な調査も行った。その作品は文体の丁寧さや明瞭さが評価される一方、内容が皮相的であることや、調査における批判能力の不足なども指摘されている。 彼は、親戚にあたるジャン=フランソワ・ゴフリディ家に秘書として住み込んでおり、1736年にプロヴァンス地方のトレ(Trets, 現ブーシュ=デュ=ローヌ県内)で没した。 ノストラダムス関連  エーツによるノストラダムスの伝記 『ミシェル・ノストラダムスの生涯(未作成)』(1711年...
  • 百詩篇第4巻11番
    百詩篇第4巻 11番 原文 Celui qu’aura1 gouuert2 de la grand cappe3 Sera4 induict a5 quelque6 cas patrer Les XII.7 rouges viendront souiller8 la nappe9 Sous meurtre, meutre10 se viendra perpetrer . 異文 (1) qu’aura quavra 1672 (2) gouuert couuert 1588Rf 1589Me 1589PV 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1981EB, gouuer 1653 1665 (3) grand cappe grand’cappe 1600, grand Cappe 1672 (...
  • ノストラダムス大予言は贋作だった
     『ノストラダムス大予言は贋作だった』は、ジョセフ・サビノによるノストラダムス解釈書。白崎綾子訳で、1992年に株式会社経済界から出版された。スペイン語から直接日本語に訳されたノストラダムス本としては、唯一のものである。 内容  日本語版の題名にもあるように、ノストラダムス予言は、より前の時代の別の「大予言者」の予言をもとに作られたものに過ぎないという仮説を展開した。  彼の仮説では、真の大予言者は6世紀にアンデスに降り立った異星人アマルで、ノストラダムスは、アマルがラテン語で書き、フランスの洞窟に隠していた予言書を手に入れて剽窃したに過ぎないという。  この仮説を導くにあたり、サビノはヨーロッパ中の図書館を巡り歩いて『予言集』の古版本を探し、以下の版を参照したという。  1568年ブノワ・リゴー版、1588年ロフェ未亡人版、1589年シャルル・ロジェ版、1611...
  • シャルル・ド・ノートルダム
     シャルル・ド・ノートルダム(Charles de Nostredame, 1556年 - 1629年12月頃)は、ノストラダムスとアンヌ・ポンサルドの間に生まれた次男(第三子)。軍人、詩人。  1556年にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に生まれた。幼いころのことはよく分かっていないが、1564年にサロンの町に国王シャルル9世(未作成)と母后カトリーヌ・ド・メディシス(未作成)が立ち寄った際には、ノストラダムスの家族全員が謁見させてもらえたとされるので(*1)、当然、シャルルもそこに居合わせたことだろう。  ノストラダムスが1566年に没した際には、遺言によって、母親、兄、弟とともに家の権利を分有した。遺言が誠実に執行されたのなら、自身が25歳になった際に100エキュを受け取ったはずだが、弟アンドレが25歳になった時点(1582年)で家の所有...
  • アンリ・ボードリエ
     アンリ・ボードリエ(アンリ=ルイ・ボードリエ Henri-Louis Baudrier、1815年5月29日-1884年6月17日)は、フランスの法曹家、書誌学者。没後出版された『リヨン書誌』全12巻は、16世紀リヨン出版史研究に関する重要文献である。  リヨンの裁判長の息子として生まれ、自身も1841年に弁護士資格を取得した。その後、リヨン、ナンチュア、モンブリゾンなどで検事や判事を歴任した。  ボードリエは、生業の傍ら、リヨンの古版本収集や書誌の調査を丹念に行っていた。生前にはその成果はほとんど日の目を見ることはなかったが、死後、息子のジュリヤン・ボードリエによって『リヨン書誌』(Bibliographie lyonnaise(未作成))として順次まとめられていった。  最終的にジュリヤンの義理の息子も引き継いだものの、ボードリエの書誌研究の全てが公刊されるに...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・レファン、1650年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)はノストラダムスの『予言集』の版の一つで、1650年にライデンで出版された。現在のオランダ領内で出版された初の予言集である。 【画像】1650年ライデン版の扉(*1) 正式名 Les Vrayes Centuries et Propheties de Maistre Michel Nostradamvs.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Alemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveuës corr...
  • ルイ・ド・ガロー・ド・シャストゥイユ
     ルイ・ド・ガロー・ド・シャストゥイユ (Louis de Galaup de Chasteuil, 1554年11月19日 - 1598年3月8日) は、16世紀フランスの詩人、行政官。  同時代には、「シャストゥイユ殿、ルイ・ド・ガロー」(Louis de Gallaup, sieur de Chasteuil) と表記されることもあった。また、ガローは Galaup とも Gallaup とも綴られ、シャストゥイユはシャスチュエイユ (Chastueil) とも綴られることがあった(*1)。  ノストラダムス関連書では「ルイ・ガロー・ド・シャストゥイユ」と表記されることも多いが、ここではフランス国立図書館のデータに従う。  エクス=アン=プロヴァンスに生まれた。アンリ4世からは国務院(コンセイユ・デタ)の評議員に任命された(*2)。詩人としては1595年に 『王家の懺悔の...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)によっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN POYET. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Centuries VIII. ...
  • 百詩篇第2巻19番
    百詩篇第2巻 19番 原文 Nouueaux1 veneus2, lieu basti sans defense3, Occuper place4 par5 lors inhabitable. Prez, maisons, champs6, villes7 prendre à plaisance, Faim8, peste9, guerre10, arpen11 long labourable12. 異文 (1) Nouueaux Nouueau 1653 1665 (2) veneus 1555V venus 1555A T.A.Eds. (sauf veneux 1589PV, venu 1665) (3) defense 1555 1840 defence T.A.Eds. (sauf deffense 1589PV, deffenc...
  • アンヌ・ド・ノートルダム
     アンヌ・ド・ノートルダム(Anne de Nostredame, 1559年12月15日 - 1597年以前)は、ノストラダムスとアンヌ・ポンサルドの間に生まれた次女(第五子)。  1559年12月15日にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に生まれた。かつてエドガール・ルロワらの研究では1558年頃の生まれとされていたが、兄セザールの自筆らしき手稿によって正確な生年月日が特定された(*1)。  トゥーロン(未作成)の有力者ピエール・ド・スヴァ(Pierre de Seva)と結婚し、息子メルキオール・ド・スヴァ(未作成)(Melchior de Seva)を生んだ。なお、ピエール・ド・スヴァについて、イアン・ウィルソンはラングドック州ボーケールのピエール・ド・セーヴ(Pierre de Sève)として紹介している(*2)。具体的な根拠があって...
  • 百詩篇第3巻71番
    百詩篇第3巻 71番 原文 Ceux dans les isles1 de long temps2 assiegés Prendront vigueur3 force contre ennemis Ceux par dehors morts4 de faim profligés5, En plus grand faim6 que iamais seront mis. 異文 (1) isles Isles 1590SJ 1611B 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1665 1668 1672 1981EB (2) long temps long-temps 1644 1649Xa 1668P 1772Ri, longtemps 1665 (3) vigueur vigneur 1668A (4) morts mort 1557...
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