ピエール・リゴー2世

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ピエール・リゴー2世」で検索した結果

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  • ピエール・リゴー
    ...(*4)、むしろ甥のピエール・リゴー2世(未作成)が出版した可能性もあるだろう。その場合、少なくとも出版した側に悪意はないので偽版と呼ぶのは適切でない。  なお、扉に1566年と記載されたピエール・リゴー版もあるが、そちらは間違いなく偽版である。作成したのはおそらくジョゼフ=シャルル・シャスタニエで、1716年ころのことと考えられる(*5)。  ピエール・リゴーは、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの『七星集』の出版も手がけた。 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、1650年頃)
    ...0年代には甥にあたるピエール・リゴー2世が同じ住所で出版事業を営んでいたので、彼が出版した可能性もある。ジャン・ユグタンやジャン・ド・トゥルヌなどもそうだが、当時の業者はいちいち代数を名乗らないので、世代交代が起こった場合に同名の別人になっていることは起こりうる。  この点は2010年7月時点では海外でも誰も提唱しておらず、単なる奇説にすぎないものかもしれないが、一つの可能性として提唱しておきたい。  なお、扉の木版画はレオニも指摘するように従来のリゴー家の版では使われていなかったものだが、ノストラダムス以外の文献でならいずれもブノワ・リゴーによる使用例があり、うち一つは(そういう文脈ではなかったが)宮下志朗によって日本でも紹介されている。 【画像】宮下論文で紹介された『不思議な驚異』の扉(*9) 所蔵先 正式名の節で触れた Qui と Qni で分類...
  • ブノワ・リゴー
     ブノワ・リゴー(Benoist Rigaud, ? - 1597年)は、16世紀リヨンの出版業者。 生涯  ミリベル(Miribel)の出身で、リヨンの古文書での最古の言及は1553年の「書籍商」(marchand libraire)としてのものである。彼の名義での出版物が確認できるのは1555年以降だが、1558年までは甥のジャン・ソグラン(Jean Saugrain)と共同で出版を行っていた。ソグランとの決裂の理由は信仰によるもので、プロテスタントに傾倒したソグランに対し、ブノワ・リゴーは一貫して王党派カトリックの立場を貫いた。  ソグランと決別した時期に近い1559年頃には、最初の妻であった印刷業者コルネイユ・ド・セットグランジュ(Corneille de Septgranges)の娘ペルネット(Pernette de Septgranges)と死別した。その後間も...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、17世紀初頭)
     リヨンのピエール・リゴーは、17世紀初頭に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を少なくとも三度出版した。それらは出版者名の直前についている前置詞 PAR, Par, Chez によって区別される。 【画像】Chez の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR PIERRE RIGAVD, en rue Merciere au coing de rue Ferrandiere. Auec Permission. ミシェル・ノスト...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ピエール・リゴー版、1716年頃)
     1566年にピエール・リゴーが出版したとされる『予言集』がある。しかし、それは1716年頃に作成された偽年代版である。 【画像】偽年代版第一部の扉(*1)  上記画像の通り、全部で3つの版の存在が知られている。便宜上、太陽が擬人化されている左端の版を A 版、渾天儀が描かれている中央の版を B 版、猪に折り重なっている人物と跪く女性が描かれている右端の版を C 版としておく(*2)。 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cents qui n'ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par l'Auteur. Imprimées par les soins du Fr. Jean Vallier...
  • シモン・リゴー
     シモン・リゴー(Simon Rigaud)は、リヨンの印刷・出版業者。ブノワ・リゴーの息子で、一時期長兄ピエール・リゴーとともに「ブノワ・リゴーの後継者たち」という名義で活動していた時期があったらしい(*1)。  1595年に出版されたシモン・リゴー名義の文献が1件確認されている(*2)。本格的な活動は1603年以降のことで、1655年まで続いた(*3)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス本人の著書は出版していないが、息子セザール・ド・ノートルダムの『プロヴァンスの歴史と年代記(未作成)』(1614年)を出版し、10年後に再版した。 名前 ...
  • エクトール・リゴー
     エクトール・リゴー(Hector Rigaux, 1841年11月23日 - 1930年7月16日)は、フランスの司祭。ノストラダムスに関する膨大な蔵書を持っていたことで知られ、書誌研究上の重要人物として知られている。司祭であったことからリゴー師(アベ・リゴー l abbé Rigaux)とも呼ばれる。生まれたときの名はエスペランス=エクトール・カファール(Espérance-Hector Caffart)だったようだが、すぐに改名されたこともあって、現在ではこの名で呼ばれることはほとんどない。  リゴーは、1841年にソンム県のモンシー=ラガシュで生まれた。1865年にアミアンで司祭に任命され、その地で4年ほど過ごした後、ソンム県アルグーヴの主任司祭に任命され、終生その地で過ごした。  リゴーは、ノストラダムスに関して信奉者の立場からの解釈を重ねていたアンリ・トルネ=シ...
  • ブノワ・リゴーの後継者たち
     ブノワ・リゴーの後継者たち(les héritiers de Benoist Rigaud)は、1597年から1601年の間に用いられていた、リヨンの出版業者の名義である。この名義で活動していたのは、ブノワ・リゴーの長男ピエール・リゴーらである。  ピエールが指揮を取っていたらしく、弟のシモン・リゴーも協力していたらしい(*1)。1601年以降、彼らは自らの名義で本格的に出版を手がけるようになる。 ノストラダムス関連  表紙に刊行年が記載されていない『予言集』を出している。 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ブノワ・リゴーの後継者たち)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのブノワ・リゴーの後継者たちによっても出版された。 【画像】後継者たち版の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, Par les heritiers de Benoist Rigaud. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 リヨンにて、ブノワ・リゴーの後継者たちによる。 特認とともに。 第二部 ...
  • ピエール・アブグー
     ピエール・アブグー3世(Pierre III Abegou)は、ボルドーの出版業者。1639年ごろに出版業者ピエール・アブグー2世(活動1640年 - 1661年頃)の子として生まれ、1659年から1663年の間に出版業者としての活動を開始した。1664年から1692年に特に活動が顕著で、シャルル・ダビ、ジャン・マルテルなどの他の業者との共同出版もしばしば行った。その後、少なくとも1701年までの活動が確認できるが、さらにどの程度活動したのかは不明(*1)。 ノストラダムス関連  現存しないが、『予言集』1670年ボルドー版を出版した可能性がある。  また、『予言集』1689年ボルドー版が現存している。こちらはアルノー・ラランヌとの共同出版も行った可能性がある。 ...
  • Les Oracles de Michel de Nostredame, 1867
     『ミシェル・ド・ノートルダムの神託集』(Les Oracles de Michel de Nostredame)は、1867年にパリで出版されたアナトール・ル・ペルチエの著作。  3部構成の内容が、2分冊の中に収められている。 正式名 Les Oracles de Michel de Nostredame, Astrologue, Médecin et Conseiller ordinaire des Rois Henri II, François II et Charles IX.Édition ne varietur, comprenant 1o Le Texte-type de Pierre Rigaud (Lyon, 1558-1566), d après l édition-princeps conservée à la Bibliothèque de Paris,...
  • ピエール・ユボー
     ピエール・ユボー2世(Pierre II Hubeault)は、16世紀ルーアンの出版業者。書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、その活動期間を1575年から1580年としていたが、ミュラーは1569年と1575年から1580年とした(*1)。ミュラーは出典をルプルーしか挙げていなかったが、1569年というのは下掲のノストラダムス2世の文献に基づいたものであろう。 ノストラダムス関連  1569年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。ルプルーは活動開始時期を特定していたわけではないので、偽年代版などを想定する必然性はないものと思われる。  実際、パリのニコラ・デュ・モンが1571年に出版した『13年間の予兆集』でも、ユボーによる1569年版への言及はあるので、1575年以降の出版と考えることはまず無理であろう。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)によっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN POYET. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Centuries VIII. ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・デュ・リュオー)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1628年から1630年頃にトロワのピエール・デュ・リュオーによっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. A Troyes, Par Pierre Du Ruau, ruë nostre Dame. ミシェル・ノストラダムス師の予言集 1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 トロワにて、ノートル・ダム通りのピエール・デュ・リュオーによる。 第二部 Les Propheties de M. Michel No...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • ピエール・メニエ
     ピエール・メニエ1世(Pierre I Ménier / Mesnier)は、16世紀後半から17世紀初頭に活動したパリの出版業者。1581年から1605年頃までの活動が確認でき、そのころに歿した可能性がある(*1)。  なお、1588年にリヨンでも「ピエール・メニエ」が二冊刊行しているが、同一人物かは不明である(*2)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言集を少なくとも3回出版した。1589年版、刊行年の記載されていない版、1610年版で、少なくとも最後の1点は、本人ではなく息子のピエール・メニエ2世が手がけたもののようである。  また、アントワーヌ・クレスパンの『真に最も記憶されるべき事柄を含む驚異の予言』(1590年頃)も出版した。ほかに、フロラン・ド・クローの『1586年向けの暦』はアントワーヌ・ウイックの出版だが、本文中には印刷業者としてメニエの...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ブノワ・リゴー版)
     この項目では、18世紀後半に出版された1568年版『予言集』の海賊版(偽年代版)について扱う。 【画像】偽年代版の扉(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Dont il y en a trois cens qui n ont encores jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par ledit Auteur.A Lyon. Par Benoist Rigaud. Avec Permission. 1568. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ブノワ・リゴーによる。認可済み。1568年。  このタイトルはブノワ・リゴー版を忠実に写したものだが、16世紀当時の表記に比べると現代の綴りに近く...
  • ピエール・ブロトー
     ピエール・ブロトー(Pierre Brotot)は16世紀リヨンの出版業者。  正確な活動期間は未詳だが、1561年頃に父ジャン・ブロトーが死んだことから、出版事業を引き継いだ。 ノストラダムス関連  ノストラダムスはジャン・ブロトーと親交があったが、ジャンの死後に書かれたロレンツ・トゥッベ宛ての書簡(1561年10月15日付)で、ピエール・ブロトーが事業を継いだものの不安がある旨を述べていた(*1)。  ピエールが手がけたノストラダムスの出版物は以下の2つだけである。 『1562年向けの新たなる占筮』 『1566年向けの暦』  いずれもアントワーヌ・ヴォランとの共同出版だった。 名前 ...
  • ピエール・ブルヌゼ
     ピエール・ブルヌゼ(Pierre Brenouzet)は、16世紀ルーアンの出版業者だったらしい。ただし、当「大事典」では、この人物に関する情報を見つけられないでいる。  書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、ルーアンのロベール・ブルヌゼ(Robert Brenouzet)、ラ・ロッシェルのジャン・ブルヌゼ(Jean Brenouzet)らを挙げているが、ピエールへの言及は全くない(*1)。ほかの書誌学者たちも、言及していないようである。 ノストラダムス関連  1568年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。 名前 ...
  • ピエール・ジョアニス
     ピエール・ジョアニスないしピエール・ド・ジョアニス(Pierre de Joannis)は、ノストラダムスの叔父。ノストラダムスの父ジョームの妹マルグリットの夫。「ピエール・ド・ジョアニ」と発音した可能性もある。  1494年12月26日にマルグリットと結婚した(*1)。  息子オノレ、孫テオドール、曾孫メルキオン=ジャック・ド・ジョアニス(Melchion-Jacques de Joannis)へと家督が受け継がれていく。  なお、このメルキオン=ジャックはマルグリット・ド・ノートルダムの兄ジョームの曾孫トミーヌ・ド・ノートルダムと再婚した。  ただし、家を継いだのは最初の妻マルグリット・ド・トゥイエ(Margueritte de Touier)との子、ガブリエルであった(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連...
  • 詩百篇第10巻17番
    詩百篇第10巻 17番* 原文 La royne1 Ergaste2 voiant sa fille blesme, Par3 vn regret dans l estomach4 encloz, Crys5 lamentables seront lors d Angolesme6, Et au germain7 mariage fort clos8. 異文 (1) royne 1568 Royne T.A.Eds. (sauf Reyne 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To, reyne 1840) (2) Ergaste estrange 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To (3) Par Prr 1650M...
  • ポール・アルボー博物館
     ポール・アルボー博物館(Musée Paul Arbaud)ないしポール・アルボー書誌学・考古学博物館(Musée bibliographique et archéologique Paul Arbaud)は、エクス=アン=プロヴァンスの18世紀の邸宅が元になっている博物館である。エクス市内のマザラン地区(le quartier Mazarin)、九月四日通り(Rue du 4-Septembre)2番地にある。  様々な美術品を収蔵しているが、わけても地元陶器のコレクションがしばしば特筆される(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス関連の稀覯書が多く収蔵されていることで国際的に有名である。  インターネット上での目録の公開などはしていないようなので、その蔵書については直接博物館に赴くか、ミシェル・ショマラやロベール・ブナズラの書誌などから間接的に知るしかないだ...
  • ジョゼフ=シャルル・シャスタニエ
     ジョゼフ=シャルル・シャスタニエ(Joseph-Charles Chastanier, 1717年11月8日歿)は、アヴィニョンの出版業者。エクスの出身だったが、1696年にアヴィニョンの業者ドフォルジュ(Deforge)の工房を買い取って事業を開始し、生涯現役だった。  彼の妻アンドレ・ナンチ(Andrée Nanty)はリヨンの出版業者ナンチ家の娘であり、その繋がりからか、リヨンのリゴー家の木版画なども使い回していたことで知られている。  アンドレ・ナンチにはブノワート・ナンチ(Benoite Nanty)という姉妹がおり、シャスタニエの没後、その遺産はブノワートの夫ルイ・ドメルグに引き継がれた。ドメルグ家は、以降少なくとも19世紀初頭まで出版事業を展開することになる(*1)。 ノストラダムス関連  ピエール・リゴーの1566年版『予言集』は18世紀の偽年代版であることが...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1558年)
     1558年版の『予言集』は、実在した可能性が指摘されている仮定上の版。実在したのだとすれば、予言集の最初の完全版か、第2部(アンリ2世への手紙、百詩篇第8巻、第9巻、第10巻)のみを含む版だったと推測されている。  出版を手がけた業者として名前が挙がるのはジャン・ド・トゥルヌ(1世)やブノワ・リゴーらであるが、確証があるわけではない。  実在を支持する主要な論者にはロベール・ブナズラ、ピエール・ブランダムール、ベルナール・シュヴィニャールなどが、非実在を支持する主要な論者にはミシェル・ショマラ、ブリューノ・プテ=ジラールなどがいる。この版の実在・非実在を巡る議論は、『予言集』第2部の真贋論争とも関わってくる点で極めて重要である。  過去、1558年版に基づいたとする版や1558年版を確認したとする証言なども見られたが、いずれも決定打と言えるものではなく、何らかの誤...
  • ピエール・ド・ノートルダム
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame, 1430年頃 - 1485年頃)は、ノストラダムスの父方の祖父。アヴィニョンで穀物商と高利貸を営んでいた。クレカ・ド・カルカソンヌ(Crescas de Carcassonne)、ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ(Guidon Gassonnet)、ヴィド・ガソメ(Vido Gassomet)、ペロ・ド・サント=マリー(Perrot / Peyrot de Sainte-Marie)など、多くの名で公文書に記録されている(*1)。  関連文献においてカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)や、息子であるアルルのピエール・ド・ノートルダムと区別するときには、「アヴィニョンのピエール・ド・ノートルダム」と書かれることもある。 生涯  ダヴァン・ド・カルカソンヌの子供の一人...
  • ピエール・マルニオル
     ピエール・マルニオル(Pierre Marniolles)は、17世紀フランスの出版業者。リヨンで1610年から活動し、1621年からはグルノーブルでも活動した。1623年以降はグルノーブルでの活動に一本化した。手がけた出版物は、事件ものが多かった(*1)。 ノストラダムス関連書  エチエンヌ・タンチヨンと共同で『予言集』を出版した。 名前 コメント
  • Texte intégral de Nostradamus (P.V.Piobb)
     『ノストラダムスの完全な原文』は、ピエール・ヴァンサンチ・ピオブがパリのアディヤール出版社(Editions Adyar)から出版した文献。 正式名 Texte intégral de Nostradamus.Réproduction agrandie en phototypie de l Edition d Amsterdam, 1668 Lettre à Henri II, Centuries, Présages et Sixains, précédée de la réimpression de la lettre à César, son fils d après l Edition de Lyon, 1558 avec une préface de P. V. Piobb ノストラダムスの完全な原文。1668年アムステルダム版(つまりはアンリ二世への書簡、百詩篇集、予兆...
  • Réproduction très fidèle d'un Manuscrit inédit de M. de Nostredame
     『ノストラダムスの未公刊の手稿の忠実な再版』(Réproduction très fidèle d un Manuscrit inédit de M. de Nostredame.)は、アンリ・ドゥーシェ(未作成)が1906年にマリブールで出版した復刻版。手稿『1562、1563、1564年向けの暦書の予言』を忠実に転記している。 【画像】復刻版の扉(*1) 正式名 Réproduction très fidèle d un Manuscrit inédit de M. de Nostredame. Dédié à S. S. le Pape Pie IV ローマ教皇ピウス4世に捧げられたノストラダムスの未公刊の手稿の忠実な再版 内容  当時エクトール・リゴーが所有していた手稿『1562、1563、1564年向けの暦書の予言』の復刻版である。影印本ではなく転記した...
  • 人名一覧
     ノストラダムスに関連する人名や団体名の一覧。  原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。また、一部日本人のペンネームは外国人名のように見えても全体で一つと見なしている(例えば、「フェニックス・ノア」は「は行」に掲載)。  なお、ノストラダムスの一族のうち、細かすぎる項目はノストラダムス一族の方に、出版業者のうちノストラダムス本人と関連性が薄い人物は出版業者の一覧の方に、それぞれ記載しているので、そちらを参照されたい。  名前の後の括弧は大まかな職業やグループわけを示している。斜線が引かれている場合、その前が職業などを指し、後ろがノストラダムス関連の立ち位置などを指す(「その他」とあるのは、専門的な研究者や信奉者的な解釈者と分類しづらい人物を示す)。 あ 明石三世(インテリ...
  • ラ・ピエール・ブランシュ
     ラ・ピエール・ブランシュは、メーヌ地方に残るメンヒル(古代の巨石記念物)の通称である。  サン=チレール=デュ=メーヌ(Saint-Hilaire-du-Maine)近郊にあり、エルネの町からは6 km ほどのところにある(*1)。  当時の『フランス街道案内』(1552年、増補1553年)にも載っているランドマークである。 登場箇所 詩百篇第9巻20番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ピエール・ラグランジュ
     ピエール・ラグランジュ(Pierre Lagrange, 1963年- )は科学社会学者(sociologue des sciences)。  「文化制度に関する人類学・歴史学研究所」(Laboratoire d Anthropologie et d Histoire sur l Institution de la Culture)の準研究員(2003年)。  いわゆる超常現象に関して社会学的なアプローチで分析をしており、著書に『ロズウェルの噂』(La rumeur de Roswell, 1996)などがある(*1)。 ノストラダムス関連  エルヴェ・ドレヴィヨンとともに『ノストラダムス 永遠回帰』(2003年)を出版した。これは『ノストラダムス ― 予言の真実』という題で日本語版も出版されている。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1610年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1610年にピエール・メニエ(2世)によって出版されたらしい。 伝聞  パトリス・ギナールは1740年の書籍販売目録に特殊な題名を含む1610年ピエール・メニエ版の言及があることを見つけ出した。彼はそれをもとに次のように題名を復元している(*1)。 Les Propheties de M. Michel NostradamusDont trois cens sont imprimées pour la premiere fois en cette Edition. Reveuës additionnées par l Autheur, pour l An mil cinq cens soixante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie. Paris, Pier...
  • Armonique
     Armonique terre という形で詩百篇第4巻95番に登場するが、Armonique というフランス語は存在しない。  このため、1588年ニコラ・ロフェ未亡人版などに見られる異文を支持し Armorique terre の誤植と捉える立場と、 ピエール・リゴーの版などに見られる異文を支持し Armenique terre の誤植と捉える立場がある。  前者をとっているのはブリューノ・プテ=ジラールやピーター・ラメジャラーであり、アルモリカの土地、つまりブルターニュと理解している。  後者を支持しているのは、ジャン=ポール・クレベールであり、アルメニアの土地と理解している。  さて、以下は当「大事典」としての勝手な読みだが、仮に原文を最大限尊重すると、Harmonique との発音の一致にも注意されてしかるべきではないだろうか。  ノストラダムス...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの叔父)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの叔父。ピエール・ド・ノートルダムとブランシュ・ド・サント=マリーの間に生まれた子供の一人で、三男と推測されている(*1)。父のピエールやカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)と区別されるときには、「アルルのピエール・ド・ノートルダム」と表記されることがある。  父親と同じく商業を営んだが、1513年以降は活動拠点を出生地アヴィニョンからアルルに移した。その商取引に関する記録がいくつも残っている。  この人物は、ノストラダムスの親族の中で唯一人「予言的」なエピソードが公証記録に残されている点で、特徴的といえるかもしれない。  それによると、1535年9月15日に、タラスコンの商人で改宗キリスト教徒であったトマ・ド・バレーム(Thomas de Barrème)と賭けをした...
  • ピエール・ブランダムール
     ピエール・ブランダムール(Pierre Brind Amour, 1941年-1995年)は、カナダ人の西洋古典学者で、オタワ大学教授として在職中、逝去した。  西洋古典学の分野で、 「イソクラテスの最後の言葉」(Les dernieres paroles d Isocrate, 1967年) 「ウェルギリウスと馬の調教」(Virgile et le Dressage des Chevaux, 1972年) 「スエトニウスの作品中におけるドミティアヌスの死の物語によって喚起された占星術的・天文学的諸問題」(Problèmes astrologiques et astronomiques soulevés par le récit de la morte de Domitien chez Suétone, 1981年) などの論文を発表した(いずれも未邦訳)。  19...
  • Recueil des revelations et propheties merveilleuses de saincte Brigide
     『聖ビルギッタ、聖キュリロスや他の多くの聖者たちや敬虔な人々の啓示と驚くべき預言の集成』(Recueil des revelations et propheties merveilleuses de saincte Brigide, sainct Cirile plusieurs autres saincts religieux personnages)は、1575年にノストラダムス2世によって出版された文献。 【画像】(左)第一部扉、(右)第二部扉(*1) 正式名 第一部 RECVEIL DES REVELATIONS ET PROPHE-ties merueilleuses de Saincte Brigide, Sainct Cirile plusieurs autres Saincts religieux personnages.Outr...
  • 王太后への書簡
     『王太后への書簡』は、ノストラダムスが当時の王太后(国王の母)カトリーヌ・ド・メディシスにあてた書簡である。1566年にブノワ・リゴーが出版した。 【画像】『王太后への書簡』の扉(*1) 正式名 LETRE DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMVS, de Salon de Craux en Prouence, A la Royne mere du Roy.A LYON, Par Benoist Rigaud, 1566. Auec permission. プロヴァンス州サロン・ド・クローのミシェル・ノストラダムス師による王太后への書簡リヨンにて、ブノワ・リゴーによる。1566年。 認可済み。  本文の冒頭に掲げられているタイトルに比べると、「医学博士」という肩書きが脱落している。文字の配置などの観点から意図的にしたのか、単なる誤植なのかは分から...
  • 今日は何の日
     ノストラダムスとゆかりのある日付をまとめる(一部にノストラダムス現象を含む)。ノストラダムスが存命中に直接関わった出来事は太字で示す(『予言集』以外での、手紙の日付を除く)。  なお、旧暦・新暦などの換算は行っていない。 1月 1月1日五島勉『イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言』の発売日(奥付上の日付)(2002年)。 1月4日リヨン市立図書館でノストラダムスの展示『危機の時代のための予言』開催(3月22日まで)(1997年)。 1月12日フランス国立図書館でノストラダムスも含む展示『占星術と予言』開催(2月26日まで)(1994年)。 1月13日暦書あてのアンリ2世への献辞、王妃カトリーヌへの献辞のそれぞれ末尾に記された作成日(1556年)。 1月20日ノストラダムスがスペインでの宝探しに関する質問に答えた手紙の日付(1562年)。 1月23日ノストラダムスの秘...
  • 予兆詩第27番
    予兆詩第27番 1558年2月について 原文 Latins esmeus, Gallots dans Rome entrez. Mars par trois pars fureur ouvrira veine. Gennes a faim, Ligurs1 mal accoustrez. Trembler l Insubre, Nice2, la demi laine.(*1) 異文 (1) Ligurs Ligueurs/ligueurs HR (2) Nice Nive HR (注記)HR はエクトール・リゴーのメモを指す。ここではダニエル・ルソとベルナール・シュヴィニャールの紹介を基にした。 日本語訳 ラティウム人は動揺させられ、ガリア人たちはローマに入らされる。 マルスは三方向から熱狂的に血管を開く。 ジェノヴァは飢え、リグーリ...
  • 化粧品とジャム論 (リゴー、1572年)
     『化粧品とジャム論』は、1572年にリヨンのブノワ・リゴーによっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 EXCELLENT ET TRESVTIL OPV-scule à tous necessaire, de plusieurs exquises Receptes, diuisé en deux parties.La premiere nous monstre la façon de faire diuers Fardemens Senteurs pour illustrer la face. La seconde pour faire confitures de diuerses sortes, tant en miel, que succre, vin cuict. Composé par maistre Michel Nostradamus d...
  • アンリ・ボードリエ
     アンリ・ボードリエ(アンリ=ルイ・ボードリエ Henri-Louis Baudrier、1815年5月29日-1884年6月17日)は、フランスの法曹家、書誌学者。没後出版された『リヨン書誌』全12巻は、16世紀リヨン出版史研究に関する重要文献である。  リヨンの裁判長の息子として生まれ、自身も1841年に弁護士資格を取得した。その後、リヨン、ナンチュア、モンブリゾンなどで検事や判事を歴任した。  ボードリエは、生業の傍ら、リヨンの古版本収集や書誌の調査を丹念に行っていた。生前にはその成果はほとんど日の目を見ることはなかったが、死後、息子のジュリヤン・ボードリエによって『リヨン書誌』(Bibliographie lyonnaise(未作成))として順次まとめられていった。  最終的にジュリヤンの義理の息子も引き継いだものの、ボードリエの書誌研究の全てが公刊されるに...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年頃)
     1611年版『予言集』を出版したトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)は、刊行年を記載しない版も出版していた。 【画像】左から順に第一部、第二部(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Trouuez en vne Biblioteque delaissez par l Auteur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission ミシェル・ノストラダムス師の予言集。著者の残した蔵書の中から発見された決して出版されなかった300篇を含む。 トロワにて、国王の常...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)
     1605年版の『予言集』は、出版社名も出版地も記載されていない版だが、内容上は非常に重要である。 【画像】第一部の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus.Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. ミシェル・ノストラダムス師の予言集1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 第二部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus.Centuries VIII.IX.X. Qui n auoient esté premierement Imprimees sont en la mesme edition de 156...
  • 予兆詩第34番
    予兆詩第34番 1558年9月について 原文 Fait descouvert, pris captif, mer passer. Paix, non paix, traite rompue1, non mariage. Camp, cité neuve, my-laine2 fort dresser. La pointe corne courra sus au fourrage3. 異文 (1) traite rompue traité rompu HR (2) my-laine myllayne HR (3) fourrage forage HR (注記)HR はエクトール・リゴーのメモを指す。ここではダニエル・ルソとベルナール・シュヴィニャールの紹介を基にした。 日本語訳 発見された事実、捕われた捕虜、海を通る。 平和、非平和、...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの弟)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの弟。  父ジョーム・ド・ノートルダムが何度か執筆した遺言書の中で言及されていることから、存在が明らかになったが、生没年などの詳しいことは全く分かっていない。職業は香料商人(épicier)だったという(*1)。  1534年から1535年にかけて書かれた3通の遺言書で言及されているが、1547年の相続関連の文書では触れられていない(*2)。このことからすれば、その時点までに亡くなっていた可能性がある。ただし、その最後の文書では長男ミシェル(ノストラダムス)の名前もないが、これは執筆当時がノストラダムスの放浪期間とほぼ重なっており、消息不明だったことによるものだろう。ピエールの名前がないことも、死亡ではなく、そのような失踪の類が原因の可能性もある。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・プロメ、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にパリのピエール・プロメ(未作成)によっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions ...
  • La Grand' pronostication nouvelle pour l'An Mil cinq cens soixante
     『1560年向けの大いなる新占筮』(La Grand pronostication nouvelle pour l An Mil cinq cens soixante)は1559年に出版されたノストラダムスの暦書。リヨンのジャン・ブロトーとアントワーヌ・ヴォランが出版した。 【画像】『1560年向けの大いなる新占筮』の扉(*1) 正式名 LA GRAND PRONOSTICATION NOVVELLE POVR l An Mil cinq cens soixante, auecques les figures celestes des quatre temps.Calculee par maistre Michel Nostradamus, Docteur en Medicine, de Salon de Craux, en Prouence. A LYON, ...
  • 詩百篇第8巻48番
    詩百篇第8巻 48番* 原文 Saturne en Cancer1, Iupiter auec Mars, Dedans Feurier Chaldondon2 saluaterre3, Sault Castallon4 assailly de trois pars5, Pres de Verbiesque6 conflit mortelle guerre. 異文 (1) Cancer cancer 1716PRb (2) Chaldondon Caldondon 1605sn 1611 1628dR 1649Ca 1649Xa 1981EB 1672Ga, Chal dondon 1650Mo (3) saluaterre saluterre 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Le 1650Ri 1981E...
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