ブリニョール

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ブリニョール」で検索した結果

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  • アンドレ・ド・ノートルダム
    ...601年12月2日にブリニョール(未作成)(Brignoles)にて44歳で歿したとされる。ルロワは、この出典としてポレー師(l abbé Paulet)著『サン=レミ=ド=プロヴァンス』という文献を挙げる一方で、1597年に兄セザールが作成した遺言書にはアンドレへの言及がないことにも触れている。  またルロワによれば、1630年に作成されたセザールの遺言書では、サロンのフランシスコ会修道院への蔵書の寄贈を表明した際に、そこに弟(un frère)の遺灰が保存されていることに触れているという(*5)。  若くして投獄され、出所後すぐに修道士となったため、妻帯したことは全くなかったようである。子供の存在も確認されていない。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ニコラ・ロフェ未亡人、1588年)
     ニコラ・ロフェ未亡人版の『予言集』は、1588年にパリで出版された。 【画像】ロフェ未亡人版の扉(一部破損)(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamvs; Dont il y en a trois cens qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ceste presente edition. Reueues additionnees par l Autheur, pour l An mil cinq cens soyxante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie.A Paris, Pour la veufve Nicolas Roffet, sur la porte Sainc...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1561年)
     1560年ないし1561年に出版された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、パリの業者バルブ・ルニョーが手がけたものである。 伝聞  この版は現存しない。確認できる範囲での最も古い言及は、19世紀の書誌学者ブリュネの『書肆と愛書家の手引き・補遺』第2巻に見ることができる。 内容に関する研究  ダニエル・ルソ、ミシェル・ショマラ、ロベール・ブナズラといった代表的なノストラダムス書誌学者は、いずれもこの版が1588年から1589年に相次いでパリで出された版の元になったと推測している。  そのため、正式名はそれらと同じく Les Propheties de M. Michel Nostradamus ;Dont il y en a trois cents qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ...
  • Almanach pour l'An mil cinq cens soixante & un.
     1560年にバルブ・ルニョーが出版した『1561年向けの暦』(Almanach pour l'An mil cinq cens soixante un.)は、ノストラダムスの暦書の偽版である。 【画像】ルニョー版『1561年向けの暦』の扉(*1) 正式名 Almanach pour l'An mil cinq cens soixante un. Composé par Maistre Michel Nostradamus, Docteur en Medecine, de Salon de Craux, en Provence.1561年向けの暦。プロヴァンス州サロン・ド・クローの医学博士ミシェル・ノストラダムス師により構成された書。 構成  80ページからなる。  最初にカレンダーが掲載されているが、オリジナルのノストラダムスの暦書...
  • チボー・ベソー
     チボー・ベソー(Thibault Bessault)は、16世紀パリの出版業者(活動期間 1563年-1565年)。  マドレーヌ・ベルトランと結婚し、その母バルブ・ルニョーが引退した後、バルブが使っていた「ゾウ」の看板とともに出版事業を引き継いだ。  1565年頃に死去し、事業と看板は、マドレーヌの再婚相手アントワーヌ・ウイックに引き継がれた(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの『1565年向けの暦』を出版した。しかし、それは正規の『1565年向けの暦』とは似つかない粗悪な版で、既存の詩百篇などの流用を含んでいた。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1589年)
     ここで紹介するピエール・メニエ版の『予言集』は、1589年にパリで出版された。 【画像】メニエ版の扉(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamvs; Dont il y en a trois cens qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ceste presente edition. Reueues additionnees par l Autheur, pour l An mil cinq cens soyxante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie.A Paris, Par Pierre Ménier, demeurant à la ruë d’Arras, pres l...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • シクスト・ドニーズ
     シクスト・ドニーズ(Sixte Denyse)は、16世紀リヨンにいたとされる出版業者。ノストラダムスの『予言集』1556年版を出版したとされる人物だが、同時代の大書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌で言及されているのを除けば、一切の情報なし。  ラ・クロワ・デュ・メーヌの言及も、「ノストラダムスの四行詩集すなわち予言集はリヨンで1556年にシクスト・ドニーズによって刊行され、なおまたパリや他の場所で複数の年に刊行された」(Les Quadrains ou Propheties dudit Nostradamus, ont été imprimées à Lyon l an 1556, par Sixte Denyse, encore à Paris autres lieux, à diverses annees)という極めて素っ気無いものである。  同じ時期の...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ニコラ・ビュフェ未亡人)
     パリのニコラ・ビュフェ未亡人は『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を1561年に出版した。この版は2010年9月まで存在自体が全く知られていなかった。 【画像】扉(*1) 正式名 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADA-mus. Dont il y en a trois cents qui n ont encores esté imprimées, Reueues additionnées par l Auteur pour l An Mil cinq cens soixante un, de trente huict articles à la derniere Centurie. A Paris, pour la veufue N. Buffet, pres le College de Reims, 1561 未刊であ...
  • 百詩篇第7巻73番
    原文 Renfort de sieges1 manubis maniples Changez2 le sacre passe sus le prosne3, Prins captif4 n arreste les prez triples, Plus parfond5 mis, esleué, mis au trosne6. 異文 (1) sieges Sieges 1672 (2) Changez Changé 1660 (3) prosne pronsne 1672 (4) captif 1588-89 captifs T.A.Eds. (5) parfond 1588Rf 1589Rg par fond 1589Me, par fonds T.A.Eds. (6) trosne Trosne 1672 (注記)底...
  • アヴィニョン
     アヴィニョン (Avignon) は、南フランス、ヴォークリューズ県の県庁所在都市。古称はアウェンニオ (Avennio)。現名称はそれが転訛したものだが、語源未詳である。  なお、ジュラ県にある同名の町の方はローマ人名アウェンヌスからではないかと推測されている(*1)。  ローヌ川とデュランス川の合流点に近く、古くからの交通の要衝であった。9世紀以降、地域の中心都市となったが、異端とされたアルビ派に加担した都市として制圧され、13世紀にはプロヴァンス伯領に編入された。  本格的な発展はいわゆる「教皇のバビロン捕囚」時代以降のことで、アヴィニョン教皇庁の所在地として栄えた。その後も教皇領となっていたが、1791年にフランス領に組み込まれた。  現在でも、特に教皇庁時代の多くの建造物群が残り、その歴史的景観は 「アヴィニョン歴史地区」 の名前で世界遺産にも登録されている...
  • ジョーム・ド・ノートルダム
     ジョーム・ド・ノートルダム(Jaume de Nostredame, 1470年頃 - 1547年頃)は、ノストラダムスの父。アヴィニョンとサン=レミで、商人、公証人などとして活動した。  ジョメ・ド・ノートルダム(Jaumet de Nostredame)、ジャック・ド・ノートルダム(Jacques de Nostredame)、ジャック・ド・サント=マリー(Jacques de Sainte-Marie)などとも記録され(*1)、ラテン語名はヤコブス・デ・ノストラ・ドミナ(Jacobus de Nostra Domina)である(*2)。 生涯  ジョームは1470年頃にアヴィニョンで生まれた(*3)。父ピエールの死は1485年頃で、ジョームが15歳頃にあたっている。ジョームは当初父の職をついでアヴィニョンで商業と貸金業を営んでいたが、1495年5月14日にプロヴァンス州サ...
  • 百詩篇第7巻82番
    原文 La stratageme simulte sera rare La mort1 en voye rebelle par contree Par le retour du voyage Barbare Exalteront la protestante entree. 異文 (1) mort Mort 1672 (注記)底本は1588Rf で、比較に用いたのは 1589Rg, 1589Me, 1605, 1611A, 1628, 1649Ca, 1649Xa, 1650Le, 1660, 1668, 1672 である。リヨンで出された版などには原則として掲載されていない。上掲の通り、この詩は異文がないに等しい。 日本語訳 憎しみの謀略は稀だろう。 地方による叛乱の途上での死。 バルバロイの旅からの帰還により 彼らはプロテスタントが入るこ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (シャルル・ロジェ、1589年)
     シャルル・ロジェ版の『予言集』は、1589年にパリで出版された。 【画像】ロジェ版の扉(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamvs; Dont il y en a trois cens qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ceste presente edition. Reueues additionnees par l Autheur, pour l An mil cinq cens soyxante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie.A Paris, Chez Charles Roger Imprimeur, demeurant en la court de Bauie...
  • クレール・ド・グリニャン
     クレール・ド・グリニャン(Claire de Grignan, 生没年未詳)は、ノストラダムスの長男セザールと結婚した女性。  ジャン・ド・グリニャン(Jean de Grignan)とジャンヌ・ド・クラポンヌ(Jeanne de Craponne)の娘で、セザールとは1604年に結婚した(*1)。母ジャンヌは、アダン・ド・クラポンヌの兄フレデリクの姪だという(*2)。  その容姿について、セザールは類まれなる美しさであると褒めている。  セザールとの間に子供はいなかった。  生没年に関する言及は関連書の中に見出せないが、1630年に書かれたセザールの遺言書では、遺産の受取人としてディアーヌ・ド・ノートルダムが指定されているので、それ以前に亡くなっていたものと思われる。 ...
  • アントワーヌ・ウイック
     アントワーヌ・ウイック(Antoine Houic)は、16世紀パリの出版業者(活動期間 1566年-1585年)。未亡人マドレーヌ・ベルトランと結婚(初婚または再婚)し、マドレーヌの前夫チボー・ベソーの出版事業と「ゾウ」の旗印を引き継いだ。  1585年に引退し、その後はパリ盲人院の会計係(procureur et receveur)となった。出版事業は娘マリーの婿でチボー・ベソーの息子でもあるジャン・ベソーに引き継がれた。  アントワーヌ・ウイックは1588年11月20日に薬剤師ジャン・プレオーの未亡人ジェルメーヌ・ド・バル(Germaine de Bar)と再婚(または三婚)し、少なくとも1597年までは生きていたことが確認できる(*1)。 ノストラダムス関連 ノストラダムスの著書を出版したことはなかったようである。その代わり、自称「ノストラダムスの弟子」フ...
  • Almanach, Pour L'an 1561.
     『1561年向けの暦』(Almanach, Pour L an 1561)は、ノストラダムスの暦書のひとつ。1560年にパリのギヨーム・ル・ノワールが出版した。  同じ年にバルブ・ルニョーも『1561年向けの暦』を出版しているが、そちらは全く内容の異なる偽版である。 【画像】『1561年向けの暦』の扉(一部破損)。(*1) 正式名 Almanach, Pour L an 1561. Compose par Maistre Michel Nostradamus. Docteur en Medecine, de Salon de Craux en Prouence. Le Roy Roy n aistre, du doulx la pernicie/ L an pestilent les esmeus nubileux,/ Tien qui tiendra, les ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言 (1590年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』1590年版は、アントウェルペン(未作成)のフランソワ・ド・サン=ジョールによって出版された。  曲がりなりにも「大予言」と訳せる題名を持つ最後の古い『予言集』の版であると同時に、アントウェルペンで出版された珍しい版である(アントウェルペンで出版された19世紀以前の『予言集』は、この1590年版のほかは1792年版しかない)。 【画像】『驚異の大予言』1590年版の扉(*1) 正式名 Les Grandes et Merveillevses Predictions de M. Michel Nostradamus, dont il en y a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees.Esquelles se voit representé vne partie...
  • An almanack for the yere. M. D. lxiij.
     『1563年向けの暦』(An almanack for the yere. M. D. lxiij.)は1562年頃に出版された英訳版の暦書。ノストラダムスの正規の暦書ではなく、バルブ・ルニョーによって出版された偽の『1563年向けの暦』の方を訳したものである。  出版地、出版社の記載は無いが、ロンドン(未作成)のウィリアム・パウェルが出版した無許可版と指摘する者もいる(*1)。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右) 正式名 第一部 An almanack for the yere. M. D. lxiij. Composed by M. Michael Nostradamus Doctour in Phisicke / of Salon of Craux in Prouince.Whan the sonne fayleth ý first / then...
  • Pronostication Novvelle, Pour l'an mil cinq cents soixante deux. (Lyon)
     『1562年向けの新たなる占筮』(Pronostication Novvelle, Pour l an mil cinq cents soixante deux.)は、1561年にリヨンのアントワーヌ・ヴォランとピエール・ブロトーによって出版された暦書である。 【画像】題扉(*1) 正式名 Pronostication Novvelle, Pour l an mil cinq cents soixante deux. Composee par maistre Michel Nostradamus, Docteur en Medecine, de Salon de Craux, en Prouence. 1562年向けの新たなる占筮。プロヴァンス州サロン・ド・クローの医学博士ミシェル・ノストラダムス師により構成された書  内容  24ページで、ジャン=エメ・ド・シャ...
  • 百詩篇第7巻83番
    原文 Vents1 chaut, conseil, pleurs timidité2, De nuict au lict assailly sans les armes3, D oppression grande4 calamité, L epithalame5 conuerty pleurs larmes. 異文 (1) Vents 1588Rf 1589Rg Vent T.A.Eds. (2) timidité 1588Rf 1589Rg timidité T.A.Eds. (3) armes Armes 1672 (4) grande grand 1672 (5) L epithalame L epithalme 1660 1668P, L Epithalame 1672 (注記)底本は1588Rf で、比較に用いたのは...
  • パリ
     パリ (Paris) はフランスの首都であり、フランスはもとよりヨーロッパの政治、経済、文化に絶大な影響力を誇ってきた中心都市のひとつである。パリ市(ヴィル・ド・パリ)は県と同格の特別市を構成している。古代ローマ時代に起源を持ち、当時の名称はルテティアである。 概要  紀元前52年にローマ人によって植民都市が建設された。それ以前からケルト系のパリシー人が住んでおり、現在の名称パリの語源となった。  フランク王国の首都だったこともあるが、大きく発展するのはカペー朝の成立によってフランス王国の首都とされてからのことである。フランス最古の大学であるパリ大学の創設や、ノートルダム大聖堂の建設もその時期のことである。  百年戦争中には一時的にイングランドの手に落ちたこともあったが、15世紀末からのイタリア戦争に付随したイタリアの文化の流入は、パリの建築、文化にも影響を及ぼし...
  • クリニトゥス
     ペトルス・クリニトゥスあるいはピエトロ・クリニート(Petrus Crinitus / Pietro Crinito, 1465年 - 1507年)はイタリア・ルネサンス期の人文主義者、詩人。本名はピエトロ・リッチョ(Pietro Riccio)である(Crinitusは「髪」を意味する筆名)。  イタリア・フィレンツェに生まれ、アンジェロ・ポリツィアーノ(未作成)に師事し、ピコ・デラ・ミランドラ(未作成)たちとも交流を持った。自身の詩作などのほか、『ラテン詩人たちの生涯』と題する評伝なども著しているが、これについては正確さの面などから必ずしも芳しい評価を得られていない。ほかに『ラテン語詩について』という作品もまとめている。  彼は、教え子たちと遊んでいた際に、その一人が戯れで投げた水入りの瓶が頭に当たって絶命したという。 ノストラダムス関連  主著『栄えある学識...
  • Pronostication Novvelle Pour l'an mil cinq cents soixante deux. (Paris)
     『1562年向けの新たなる占筮』(Pronostication Novvelle Pour l an mil cinq cents soixante deux.)は、パリでバルブ・ルニョーが出版した暦書。リヨンで出されていた『1562年向けの新たなる占筮』をコピーした海賊版と思われる。 【画像】題扉(*1) 正式名 Pronostication Novvelle Pour l an mil cinq cents soixante deux. Composée par Maistre Michel Nostradamus Docteur en Medecine, de Craux en Prouuence. プロヴァンス州クローの医学博士ミシェル・ノストラダムス師により構成された1562年向けの新たなる占筮。  住所表示が「サロン・ド・クローの」(de Salon ...
  • 百詩篇第7巻80番
    原文 L Occident1 libre les isles2 Britanniques Le recongneu passer le bas, puis haut Ne content triste Rebel.3 Corss.4 Escotiques Puis rebeller par glus5 par nuict chaud. 異文 (1) L Occident L occident 1660 (2) isles Isles 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 1672 (3) Rebel. Rebel 1605 1649Xa 1672, Rebel, 1660 (4) Corss. corss. 1605 1611A 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A 1672, corr...
  • トミーヌ・ド・ノートルダム
     トミーヌ・ド・ノートルダム(Thomine de Nostredame)は、ノストラダムスの甥であるクロードの娘。  1574年1月4日に洗礼を受けた。代父はサン=レミの神学博士でサン=マルタン参事会聖堂の参事会員でもあった伯父(または叔父)のピエール・ダルメラン(Pierre d Alméran)、代母はトミーヌ・リシエール(Thomine Richière)であった。  ピエール・ダルメランは、ジョーム・ド・ノートルダムが一時代理を務めた貴族アントワーヌ・アルメランの息子である。  彼女は、16世紀末にアヴィニョンの法学博士メルキオール=ジャック・ド・ジョアニス(Melchior-Jacques de Joannis(*1))の再婚相手となった。メルキオール=ジャックは、ノストラダムスの叔母に当たるマルグリット・ド・ノートルダムとその夫ピエール・ジョアニスの曾孫であ...
  • Almanach pour l'An 1563.
     『1563年向けの暦』(Almanach pour l An 1563.)は、1562年頃にパリのバルブ・ルニョーが出版したノストラダムスの暦書。既存の題材のつぎはぎと捏造された予言からなる粗悪な偽版である。 【画像】『1563年向けの暦』の扉(*1) 正式名 Almanach pour l An 1563. Composé par M. Michel Nostradamus, docteur en Medecine, de Salon de Craux en Prouence. Quant le deffault du Soleil lors sera./ Sur le plain jour le monstre sera veu,/ Tout autrement on l interpretera,/ Cherté n a garde,nul n y aura p...
  • マリニー・ローズ
     マリニー・ローズ(Marynie Rose, 1913年1月2日- )は、音楽教師、文学者、言語学者。  リヨンの国立高等音楽院を首席で卒業した音楽教師で、ながらく音楽教育・創作活動などに身を置いた後、リヨン第三大学にて、1980年に現代文学で修士号(La vie du peuple dans l oeuvre de la Comtesse de Ségur, L Hermès, 2002)、1988年に言語学(*1)で博士号を取得した。 ノストラダムス関連  博士論文「ノストラダムスの予言的著作群」(Les écrits prophétiques de Nostradamus(未作成))は、1998年リヨンで公刊され、抜粋版が2002年に全3巻で出版された。その第3巻は博士論文の付録だった用語辞典で、過去に出版されたノストラダムスの用語辞典(著書の中の付録も含む)の中ではもっ...
  • ピエール・ド・ノートルダム
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame, 1430年頃 - 1485年頃)は、ノストラダムスの父方の祖父。アヴィニョンで穀物商と高利貸を営んでいた。クレカ・ド・カルカソンヌ(Crescas de Carcassonne)、ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ(Guidon Gassonnet)、ヴィド・ガソメ(Vido Gassomet)、ペロ・ド・サント=マリー(Perrot / Peyrot de Sainte-Marie)など、多くの名で公文書に記録されている(*1)。  関連文献においてカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)や、息子であるアルルのピエール・ド・ノートルダムと区別するときには、「アヴィニョンのピエール・ド・ノートルダム」と書かれることもある。 生涯  ダヴァン・ド・カルカソンヌの子供の一人...
  • 予兆詩第72番
    予兆詩第72番 1561年9月について 原文 L Occident libre, les isles Britanniques. Le recongnu passer le bas puis haut. Le content triste, rebel. Corse, Scotiques. Puis rebeller par glas, par nuit chaut.(*1) 異文  この詩は従来の予兆詩集に含まれていなかった。初出である『1561年向けの暦』は断片が現存しているが、この詩が載っていたページは現存していない。そうした事情のため、異文が存在しない。  ただし、百詩篇第7巻80番としての異文なら存在する。それについてはそちらの記事を参照のこと。 校訂  3行目の Corse は、むしろ従来百詩篇第7巻80番で言われてきたように、corss...
  • Nolle
     Nolleは、詩百篇集に2度登場するが、意味を特定しきれていない語。  詩百篇第3巻74番(未作成)に出て来る Nolle は、他の地名との対比から言っても、ナポリ近郊の都市ノーラ(Nola)であることは確実視されている(*1)。  しかし、詩百篇第8巻38番の Nolle については、以下に見るようにいくつかの説がある(以下の説のうち、ル・ペルチエとローズは第8巻38番に限定しているわけではない)。 アナトール・ル・ペルチエは、ラテン語の nolle(欲しない)、ナポリ近郊の都市ノーラ(Nola)、ギリシャ語 naulon(船荷)の3通りの読み方を提示していた(*2)。 ジャン=ポール・クレベールは、ナポリ近郊のノーラか、ノーヴ(Noves ; アヴィニョンからもローヌ川からも近い町)の韻を整えるための変形かの2通りの読みを提示していた(*3)。 マリニー・ロー...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1555年アヴィニョン)
     1555年にアヴィニョンで出版された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、初版本と同じ年に出たと伝えられる異本である。現存は確認されておらず、実在性も定かではない。正式名称は『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』であったと推測する者たちもいる。 概要  この伝聞の根拠は1590年アントウェルペン版の奥付に「1555年にアヴィニョンのピエール・ルーによって出版された予言集を再版した」とあるためである。  アンリ・ボードリエは、これを言葉どおりに受け止めて、1555年にアヴィニョンでも予言集が出版されたと見なしたが(*1)、クリンコフシュトレムはルーの出版事業開始が1557年であることを指摘した(*2)。この点はアヴィニョンの出版業史をまとめたピエール・パンシエの研究書でも裏付けとなる史料とともに追認されており、パンシエがまとめたルーに関する書誌には、1555年版の...
  • マルグリット・ド・ノートルダム
     マルグリット・ド・ノートルダム(Margueritte de Nostredame, 1485年以前 - 没年未詳)は、ノストラダムスの叔母。ノストラダムスの父ジョームの妹。  生没年は不明だが、父ピエール・ド・ノートルダムの1485年2月付の遺言書で言及があることから(*1)、そのときにはすでに生まれていたと考えられる。  1494年12月26日にアヴィニョンの染物工ピエール・ジョアニス(Pierre Joannis)と結婚した(*2)。  ノストラダムスがアヴィニョン大学在学中に面倒を見たといわれることがあるが、史料的に裏付けることはできない。 名前 ...
  • ピエール・ジョアニス
     ピエール・ジョアニスないしピエール・ド・ジョアニス(Pierre de Joannis)は、ノストラダムスの叔父。ノストラダムスの父ジョームの妹マルグリットの夫。「ピエール・ド・ジョアニ」と発音した可能性もある。  1494年12月26日にマルグリットと結婚した(*1)。  息子オノレ、孫テオドール、曾孫メルキオン=ジャック・ド・ジョアニス(Melchion-Jacques de Joannis)へと家督が受け継がれていく。  なお、このメルキオン=ジャックはマルグリット・ド・ノートルダムの兄ジョームの曾孫トミーヌ・ド・ノートルダムと再婚した。  ただし、家を継いだのは最初の妻マルグリット・ド・トゥイエ(Margueritte de Touier)との子、ガブリエルであった(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連...
  • Boni.
     Boni. は詩百篇第8巻52番の途切れた4行目に登場する何らかの固有名詞(おそらく地名)と思われる語。  ポワン(ピリオド)の存在は略しているためなのか、文末としての句読点なのか、はっきりしない。  ジャック・ガリガン版『予言集』(アヴィニョン、1791年)では、Bonieu となっている。  アナトール・ル・ペルチエが指摘するように、これはプロヴァンスの都市ボニウ (Bonnieux) と理解できる(*1)。  しかし、この異文の正統性は疑わしい。  また、文脈との整合性から、以下のような可能性も指摘されている。 エドガー・レオニは、ポワチエの少し南にあるボンヌ=ヴォー修道院(Bonnes-Vaux)の方が適切としていた(*2)。 ジャン=ポール・クレベールはボニファシオ(Bonifacio, コルシカ島の町)やボニウを挙げつつも、文脈からボニ=シュル=...
  • Chaldondon
     Chaldondon, Caldondon は意味を確定しきれていない語。  大きく分けて地名と捉える説と、占星術師と捉える説がある。詳しくは以下の通り。 スペインの都市サルドゥエンド(Zalduendo)と捉える。これは当時の地名の綴りがかなりルーズであったことに注目したロジェ・プレヴォの説で、ピーター・ラメジャラーが支持した(*1)。スペイン語版ウィキペディアを信じるならば、サルドゥエンド・デ・アラバ(Zalduendo de Álava)は中世に Çalduendo と綴られていたこともあった様である。 カレドニア(Calédonie, スコットランドの古称)の誤記。かつてジャン=ポール・クレベールが提示し(*2)、ミシェル・デュフレーヌが支持した(*3)。 朔日(Calendes)、もしくはそれを含む数語の誤植と捉える。ピエール・ブランダムールが提示した(*4)。リチ...
  • ローラン・ヴィデル
     ローラン・ヴィデル(Laurens Videl, 生没年未詳)は、16世紀フランスの医師・占星術師。当時有名になっていた同業者のノストラダムスを批判した人物として知られている。 生涯  ローラン・ヴィデルは、1558年に『プロヴァンス州サロン・ド・クローのミシェル・ノストラダムスの誤謬・無知・煽動の告発』を出版している。また、1559年と1560年に占星術師クロード・ファブリと共同で暦書を出版したことも、ローヌ県立古文書館(未作成)に現存する特認記録から明らかになっている (*1)。しかし、これ以外の伝記的事実は全く不明である。  同時代の書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌でも、ヴィデルはノストラダムスを批判する書を出した人物としか触れられていない。  19世紀のミショーの人名辞典では、ルイ・ヴィデル(Louis Videl)の項目に「ノストラダムスに反対する...
  • Almanach povr L'An M. D. LXIII.
     『1563年向けの暦』(Almanach povr L An M. D. LXIII.)は、ノストラダムスの暦書のひとつ。1562年にアヴィニョンのピエール・ルーが出版した。 【画像】『1563年向けの暦』の扉(1905年の復刻版)(*1) 正式名 Almanach povr L An M. D. LXIII. Auec les presages, calculé expliqué par M. Michel Nostradamus, Docteur en medecine, Astrophile de Salon de Craux en Prouuence. Dédié au tres ill. Seign. et tres excellent capitaine, le S. Françoys Fabrice de Serbellon, General pou...
  • ブリューノ・プテ=ジラール
     ブリューノ・プテ=ジラール(Bruno Petey-Girard, 生年未詳)は、フランス人の文学者。後に掲げるノストラダムス関連書籍を刊行した時点ではパリ第12大学助教授(Maîtres de conférences)だったが、のちに同大学の教授となった。ルネサンス期からバロック期にかけてのフランス文学が専門で、ギヨーム・デュ・ヴェール(Guillaume du Vair)の著書の校定版や研究書を出している。 ノストラダムス関連  ノストラダムス関連では『ノストラダムス予言集』(Nostradamus Prophéties (Flammarion, 2003)(未作成))を出版した。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • セザールへの手紙
     「セザールへの手紙」は、『予言集』第一序文の通称。  第一序文の正式名は「ミシェル・ノストラダムスがその予言集に寄せた序文 息子カエサル・ノストラダムスへ、生命と幸福を」(PREFACE DE M. MICHEL NOSTRADAMVS à ses Propheties. Ad Cæsarem Nostradamum filium, VIE ET FELICITE.)という。  その題名の通り、まだ1歳半にもなっていなかった息子セザール・ド・ノートルダムに宛てていることから「セザールへの手紙」とも呼ばれるのである。 分量と内容  約2500語からなる。  区切りが全く存在しないので、過去さまざまな論者たちが内容によって区切ってきた。 ウジェーヌ・バレストによる区切り(全55節) アナトール・ル・ペルチエによる区切り(全59節) エドガー・レオニによる区...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • ノストラダムス関連年表
     このノストラダムス関連年表では、彼の生涯やノストラダムス現象に関わりのある主な出来事についてまとめた。  信奉者側がどのような事件を的中させたと主張しているかについては的中例として有名な予言を参照のこと。 ノストラダムスの存命中の関連年表 1503年12月14日(木曜日) - 誕生。 1518年頃? - アヴィニョン大学で自由七科を学んだとされる 1520年 - 学業を中断したと推測されている。 1521年 - 各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめる(- 1529年) 1529年10月23日 - モンペリエ大学医学部に入学。数年以内におそらく除籍。 1531年 - アジャンでアンリエット・ダンコスと最初の結婚。 1530年代後半? - 最初の妻と子どもをペスト(?)で失う。以降放浪したとされる。 1545年前後? - 手稿『オルス・アポロ』を...
  • イアンブリコス
     イアンブリコス (Iamblichos) は3世紀半ばから4世紀前半の新プラトン主義哲学者。シリアのカルキスの出身で、後年、独自の学派(シリア派とも呼ばれる)を創設した。  日本語文献ではしばしばヤンブリコスとも表記される(*1)。フランス語ではジャンブリック(Jamblique)。 生涯  『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』、『日本大百科全書』では生年は250年ごろ、没年は330年ごろとされているが、新プラトン主義協会の会長を務めた堀江聡は、ポルフュリオスの『プロティノス伝』に見られる間接的言及から、240年から245年の生まれと推測しており、没年については偽ユリアヌスのイアンブリコス宛の書簡や弟子の動向から320年から325年と見積もっている。  「イアンブリコス」は「彼は王である」ないし「彼が王たらんことを」を意味し、カルキスでも高貴な家柄の出身であっ...
  • ノストラダムスの肖像画 (アヴィニョン、1716年)
    (*1) 基本データ 作品名 Portrait de Michel Nostradamus 日本語訳 ミシェル・ノストラダムスの肖像画 作者 ダヴィド(Jud. David) 作成時期 1716年 様式 版画 サイズ 24.3 x 18 cm 所蔵先 ポール・アルボー博物館など。かつてはダニエル・ルソも私蔵していた。 コメント  ダヴィドの名と、「アヴィニョン、1716年」という作成情報は絵の中に小さく書かれている。また、ジャン・ヴァリエの名に触れていることが重要で、この絵画の存在は偽1566年版『予言集』の刊行年を特定する上で、大きく貢献した。 名前 ...
  • 詩百篇第8巻52番
    詩百篇第8巻 52番* 原文 Le roy1 de Bloys2 dans Auignon3 regner4, D amboise5 seme6 viendra le long7 de Lyndre8 Ongle à Poytiers9 sainctes10 æsles11 ruiner Deuant Boni.12 異文 (1) roy Roy 1568C 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Mo 1653AB 1981EB 1665Ba 1667Wi 1672Ga 1716PR 1720To 1772Ri 1840 (2) Bloys bloys 1611A (3) dans Auignon Auignon 1649Ca (4) re...
  • Verbiesque
     Verbiesqueは、スペインの村ブリビエスカ(Briviesca)のことである。  この村は Birbiesca, Virviesca, Virbiesca など様々な綴り方が存在した(*1)(スペイン語では b と v に、発音上の区別はない)。  他の読み方としては、 フランス国内の地名ヴェルビール(Verbiesle)、ヴェルブリー(Verberie)などの可能性を示すマリニー・ローズの説 スペインの町ウルビクア(Urbicua)と見るアナトール・ル・ペルチエの説 などがある。 登場箇所 詩百篇第8巻48番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • Boece
     Boece はボイオティア(未作成)のフランス式綴りベオシー(Béotie)の変形と見なされるのが一般的。アナトール・ル・ペルチエ、エドガー・レオニ、マリニー・ローズ、ジャン=ポール・クレベール、ピーター・ラメジャラー、ブリューノ・プテ=ジラールらはいずれもその立場である(*1)。 登場箇所 百詩篇第6巻6番 名前 コメント
  • 詩百篇第1巻32番
    詩百篇第1巻 32番* 原文 Le1 grand empire2 sera tost translaté3 En lieu petit qui bien tost4 viendra croistre Lieu bien infime d exigue5 comté6 Ou7 au milieu viendra poser son sceptre8 異文 (1) Le grand La grand 1672Ga (2) empire 1555 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1590SJ 1650Le 1668 1772Ri 1840 Empire T.A.Eds. (3) translaté transsaté 1605sn (4) bien tost bien-tost 1644Hu 1649Xa 1772Ri ...
  • Eretrion
     Eretrion はギリシャのエレトリア(Eretrie)の変形。エドガー・レオニ、ジャン=ポール・クレベール、ピーター・ラメジャラー、マリニー・ローズらはこの立場である(*1)。  アナトール・ル・ペルチエはイオニア地方の都市エリュトライ(Erythrées)としており、ブリューノ・プテ=ジラールはこれを支持していた(*2)。 登場箇所 百詩篇第6巻6番 名前 コメント
  • oruche
     oruche は詩百篇第6巻99番にのみ登場する語。  アナトール・ル・ペルチエはギリシャ語の oros と理解して、「山」「岩」の意味とした。この読み方はブリューノ・プテ=ジラールも支持している(*1)。  しかし、エドガー・レオニ、ピーター・ラメジャラー、マリニー・ローズ、ジャン=ポール・クレベールはいずれも cruche(甕)の誤記と理解している(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
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