マルグリット・ド・フランス

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「マルグリット・ド・フランス」で検索した結果

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  • マルグリット・ド・ノートルダム
     マルグリット・ド・ノートルダム(Margueritte de Nostredame, 1485年以前 - 没年未詳)は、ノストラダムスの叔母。ノストラダムスの父ジョームの妹。  生没年は不明だが、父ピエール・ド・ノートルダムの1485年2月付の遺言書で言及があることから(*1)、そのときにはすでに生まれていたと考えられる。  1494年12月26日にアヴィニョンの染物工ピエール・ジョアニス(Pierre Joannis)と結婚した(*2)。  ノストラダムスがアヴィニョン大学在学中に面倒を見たといわれることがあるが、史料的に裏付けることはできない。 名前 ...
  • Almanach, Pour L'an 1561.
    ...当時のサヴォワ公妃はマルグリット・ド・フランスで、ノストラダムスは1559年に直接会っていた。  ジャン=エメ・ド・シャヴィニーが転記した『散文予兆集成』第6巻(第1番~第536番)の前半に対応する散文が収録されていたと考えられ、そこには1561年向けの予兆詩13篇を含んでいた。  特認の日付は1560年10月14日である。 現存  パリのサント=ジュウヌヴィエーヴ図書館(未作成)に27の断片が残っている。  1984年にラテン語文献(1576年)の補修のために表装を剥がしたところ、その裏張りという形で断片的に発見されたらしい。その断片は、ロベール・アマドゥ(未作成)の著作『ノストラダムスの占星術』(R.Amadou, L Astrologie de Nostradamus, 1992)にファクシミリコピーが採録された。 外部リンク Prophecie...
  • ジャン・ド・ヴォゼル
     ジャン・ド・ヴォゼル(Jean de Vauzelles, 1495年? - 1557年?)は、フランスの詩人、翻訳家。著書では本名を書かずに、銘句「真の熱情で」(D un vray zèle)を筆名代わりとすることがまま見られた。 生涯  リヨンで生まれ、イタリアで法学博士号と司祭の資格を手に入れた。フランスに戻ってからは、サン=ロマンの主任司祭に任命され、後にフランス王フランソワ1世の礼拝堂司祭にも任命されている。  詩人クレマン・マロやモーリス・セーヴの知人であり、自身でも作詩を多く行った。ちなみに、兄マチュー・ド・ヴォゼルの妻はセーヴの妹クローディーヌである。  彼の詩の中で最も知られるのは、『死神の幻影と飾られた顔』である。これは、ハンス・ホルバインによる51枚の木版画に合わせて四行詩を並べたもので、エンブレム・ブックの一つである。  ヴォゼルはマルグリット・ド・...
  • ピエール・ジョアニス
     ピエール・ジョアニスないしピエール・ド・ジョアニス(Pierre de Joannis)は、ノストラダムスの叔父。ノストラダムスの父ジョームの妹マルグリットの夫。「ピエール・ド・ジョアニ」と発音した可能性もある。  1494年12月26日にマルグリットと結婚した(*1)。  息子オノレ、孫テオドール、曾孫メルキオン=ジャック・ド・ジョアニス(Melchion-Jacques de Joannis)へと家督が受け継がれていく。  なお、このメルキオン=ジャックはマルグリット・ド・ノートルダムの兄ジョームの曾孫トミーヌ・ド・ノートルダムと再婚した。  ただし、家を継いだのは最初の妻マルグリット・ド・トゥイエ(Margueritte de Touier)との子、ガブリエルであった(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連...
  • 人名一覧
    ...ン(解釈者) ま マルグリット・ド・フランス(未作成)(アンリ2世の妹) ミカエル・ド・セザール(未作成)(解釈者) ジョヴァンニ・ミキエル(16世紀の駐仏イタリア大使) 皆神龍太郎(懐疑派) 宮崎哲弥(評論家) 三山のぼる(漫画家) 霧満攔江(解釈者) 目羅公和(未作成)(英文学者/関連書の訳者) や 安田一悟(解釈者) 山口敏太郎(作家) 山田高明(作家) 山根和郎(翻訳家/関連書の訳者) 山本弘(SF作家/懐疑派) ヤンブリコス → イアンブリコス セルジュ・ユタン(秘教学者/解釈者) ら ラ・ガルド男爵(16世紀の軍人/ノストラダムスの知人) ピエール・ラグランジュ(社会学者) ラ・クロワ・デュ・メーヌ(書誌学者) ピーター・ラメジャラー(研究者) オッタービオ・チェーザレ・ラモッティ(解釈者) アンドレ・ラモン(解釈者) ジェイムズ・ランディ(未作成)(懐疑派・研究者...
  • トミーヌ・ド・ノートルダム
     トミーヌ・ド・ノートルダム(Thomine de Nostredame)は、ノストラダムスの甥であるクロードの娘。  1574年1月4日に洗礼を受けた。代父はサン=レミの神学博士でサン=マルタン参事会聖堂の参事会員でもあった伯父(または叔父)のピエール・ダルメラン(Pierre d Alméran)、代母はトミーヌ・リシエール(Thomine Richière)であった。  ピエール・ダルメランは、ジョーム・ド・ノートルダムが一時代理を務めた貴族アントワーヌ・アルメランの息子である。  彼女は、16世紀末にアヴィニョンの法学博士メルキオール=ジャック・ド・ジョアニス(Melchior-Jacques de Joannis(*1))の再婚相手となった。メルキオール=ジャックは、ノストラダムスの叔母に当たるマルグリット・ド・ノートルダムとその夫ピエール・ジョアニスの曾孫であ...
  • ブランシュ・ド・サント=マリー
     ブランシュ・ド・サント=マリー(Blanche de Sainte-Marie)は、ノストラダムスの父方の祖母。ブランシュ・ド・ノートルダムとも名乗った。 生涯  生年は未詳である。医師ピエール・ド・サント=マリー(未作成)の娘として生まれ、1464年にピエール・ド・ノートルダムと結婚したときには、エクス=アン=プロヴァンスに住んでいた(*1)。  ジョーム、フランソワ、ピエール、カトリーヌ、バルトロメ、マルグリットという6人の子供をもうけた。  没年も未詳だが、1503年2月15日に、借金取立ての権利を代理人ピエール・ジョアニスに譲った記録があるので、少なくともその頃までは生きていたことが明らかになっている(*2)。 名前 ...
  • ノストラダムスの往復書簡
    ...献辞】 サヴォワ公妃マルグリット・ド・フランスへ 〔1560年〕 匿名の聖職者からノストラダムスへ 〔1560年〕* S. ポールからノストラダムスへ (エクス)〔1560年頃〕* ジャン・ド・シュヴィニーからノストラダムスへ (エクス、1560年9月1日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1560年9月20日)* ノストラダムスからジャン・モレルへ (1560年10月30日)〔1560年11月30日〕レオニの著者やデュペーブの著書に収録。 ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1560年12月1日)* ジェローム・ド・ピュルピュラからノストラダムスへ 〔1560年〕* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1561年1月20日)* ハンス・ローゼンベルガーからノストラダムスへ (フィーバーブルン、1561年3月11日)* 【献...
  • 詩百篇第10巻55番
    詩百篇第10巻 55番* 原文 Les malheureuses1 nopces2 celebreront, En grande ioye, mais la fin malheureuse3 Mary mere4 nore5 desdaigneront, Le Phybe6 mort, nore7 plus piteuse8. 異文 (1) malheureuses Malheureuses 1568X, mal-heureuses 1610Po, mal heureuse 1605sn, nalheureuses 1611A, mal heureuses 1627Di 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668A (2) nopces Nopces 1672Ga (3) malheureuse mal-heureus...
  • フランソワ=ジョゼフ・ドメルグ
     フランソワ=ジョゼフ・ドメルグ(François-Joseph Domergue, 1695年 - 1773年)は、アヴィニョンの出版業者。  ルイ・ドメルグの息子で、1695年10月6日の洗礼記録がある。1721年にアヴィニョンの出版業者の娘マルグリット・マラール(Marguerite Mallard)と結婚した。子宝に恵まれ、少なくとも10人の子供がいたという。そのうち、出版事業者として知られることになるのはジャン・ジョゼフ・トマとトゥーサンの2人である。  1728年から長く事業を営み、イエズス会神学校の御用業者などもつとめた。ただし、出版業上でたびたびトラブルを起こし、有罪を宣告されている。例えば、1746年2月19日には魔術書を出版したことを認めさせられ、ドミニコ会修道院のミサにおいて奉仕することを命じられた。また、1773年8月29日には当局の認可を得ないで中...
  • 暦書
    ...ォゼル、サヴォワ公妃マルグリット・ド・フランス(未作成)などがいた。 編集  ノストラダムスは、毎年夏ごろまでには、翌年分の暦書の原稿を仕上げていたようである。ノストラダムスは、自身の原稿が適切に出版されるかにも注意を払っており、1553年11月には、いい加減な形で編集したベルトー師という業者を訴え、原稿を取り上げている。この原稿は、アントワーヌ・デュ・ロワイエ(アントワーヌ・デュ・ローヌ?)という印刷業者に渡され、彼の下で印刷されたという。  また、ノストラダムスは同じ年向けの原稿を複数執筆していたらしいことが、いくつかの記録から指摘されている(*4)。例えば、『1562年向けの暦』の序文に採用された「ピウス4世への献辞」は、実際に出版されたものとは若干異なる手稿の存在が知られている(*5)。しかし、そうした複数の版は全てが出版されたわけでなく、業者の意図で取捨選択...
  • エヴリット・ブライラー
     エヴリット・フランクリン・ブライラー(Everett Franklin Bleiler, 1920年4月30日 - 2010年6月13日)は、アメリカ合衆国の編集者、書誌学者。エヴェレット・ブレイラーとも表記される。  SFや探偵小説などの分野に造詣が深く、世界幻想文学大賞(生涯功労賞部門)、ピルグリム賞を受賞した。主な著作としては、ヒューゴー賞ノミネート作である『サイエンス・フィクション 草創期』『サイエンス・フィクション ガーンズバックの時代』などがある(*1)。  ほかに、『岡倉天心の「茶の本」』(The book of tea by Kakuzo Okakura, New York Dover Publications, 1964)、『ハンディ日本語文法』(Basic Japanese grammar, Tokyo C.E. Tuttle, 1967)な...
  • レランス諸島
     レランス諸島 (Îles des Lérins) はカンヌの南の海に浮かぶ島々で、主としてサン=トノラ島とサント=マルグリット島からなる。日本の観光関連書などでは「レラン諸島」としているものも多い(*1)。  サント=マルグリット島には紀元前3世紀の遺跡なども残っているが、その名前が知られるようになったのは、4世紀にサン=トノラ島にやってきて修道院を開いた聖ホノラトゥス(サン=トノラ)によってである。彼が開いたレランス大修道院は今も残るが、建物は後の時代に再建されたものである。  サント=マルグリット島の名前は聖ホノラトゥスの妹にちなんでおり、彼女がこの島に女子修道院を建てたという。この島の砦には1687年から1698年まで、いわゆる「鉄仮面の男」が収容されていたことで知られている。その要塞は1712年に築城の名手ヴォーバンによって補強され、星型要塞として残っている(*2...
  • 予兆詩第43番
    予兆詩第43番(旧39番) 1559年5月について 原文 Par le despit nopces, epithalame. Par les trois parts rouges, rasez partis. Au jeune noir remis par flamme l ame. Au grand Neptune Ogmius converti. (*1) 異文 (1) rouges, razes Rouges, Razes 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 (2) converti conj.(BC) convertis 1594JF 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 英訳版原文 By the despite, mariages, weddynge song...
  • ノストラダムス一族
    父方の先祖・親類 アストリュージュ・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの五世祖) ヴィタル・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの高祖父) アルノートン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの曾祖父) ヴァンゲソンヌ(ノストラダムスの曾祖母) ピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの祖父) トリスタン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの大叔父) ブランシュ・ド・サント=マリー(ノストラダムスの祖母) ジョーム・ド・ノートルダム(ノストラダムスの父) フランソワ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) アルルのピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) カトリーヌ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) バルトロメ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) マルグリット・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) 母方の先祖・親類 ジャン・ド・サン=レミ(ノストラダムスの母方の曽祖父...
  • アドリエット・ド・ルーブジャック
     アドリエート・ド・ルーベジャック(Adriète de Loubéjac)あるいはアドリエット・ド・ルーブジャック(Adriette de Loubejac)は、一部の信奉者たちによってノストラダムスの最初の妻と仮定された架空の女性。  現在では、結婚契約書の発見によって、ノストラダムスの最初の妻はアンリエット・ダンコスであったことが有力視されている。  アドリエット・ド・ルーブジャックという名は、知人ジュール=セザール・スカリジェ(未作成)の妻、アンディエット・ド・ロック=ロベジャック(Andiette de Roques-Lobéjac)が元になったものだろうと推測されている。  この誤りはアナトール・ル・ペルチエ(1867年)、チャールズ・ウォード(1891年)といった19世紀の論者の文献には見られない。最初の言及はヘンリー・ジェイムズ・フォアマン(未作成)によるという...
  • ピエール・ド・ノートルダム
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame, 1430年頃 - 1485年頃)は、ノストラダムスの父方の祖父。アヴィニョンで穀物商と高利貸を営んでいた。クレカ・ド・カルカソンヌ(Crescas de Carcassonne)、ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ(Guidon Gassonnet)、ヴィド・ガソメ(Vido Gassomet)、ペロ・ド・サント=マリー(Perrot / Peyrot de Sainte-Marie)など、多くの名で公文書に記録されている(*1)。  関連文献においてカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)や、息子であるアルルのピエール・ド・ノートルダムと区別するときには、「アヴィニョンのピエール・ド・ノートルダム」と書かれることもある。 生涯  ダヴァン・ド・カルカソンヌの子供の一人...
  • アンリ4世
     アンリ4世(Henri IV, 1553年12月13日 - 1610年5月14日)は、フランス国王(在位 1589年 - 1610年)。ナヴァル王からフランス王になり、ブルボン朝の創始者となった。しばしば「アンリ大王」(Henri le Grand)とも呼ばれる。 【画像】アンリ4世の肖像画(*1) 生涯  父はアントワーヌ・ド・ブルボン、母はジャンヌ・ダルブレ(未作成)。幼いときからユグノー(プロテスタント)の影響が強い環境で育ち、弟のコンデ親王ともども、ユグノー勢力の中心的存在として頭角を現した。  1572年に王妹マルグリットと結婚するが、サン=バルテルミの虐殺に際して王宮に幽閉される。一度はカトリックに強制改宗させられるが、脱走後に再びプロテスタントに転じ、ユグノーの司令塔となった。  いわゆる「三アンリの戦い」を最後まで生き抜き、1589年にサリ...
  • 六行詩35番
    六行詩集 35番* 原文 Dame par mort grandement1 attristée, Mere2 tutrice au sang qui la3 quittée4, Dame5 Seigneurs, faits enfans orphelins6, Par7 les aspics8 par les Crocodilles9, Seront surpris forts Bourgs10, Chasteaux11 Villes12 Dieu tout puissant13 les14 garde des malins. 異文 (1) grandement d vn grandement 1600Mo (2) Mere Et mere 1600Mo (3) la l a 1611 1628dR 1644Hu 1649Ca (4...
  • 六行詩57番
    六行詩集 57番* 原文 Peu apres l aliance1 faicte, Auant2 solemniser3 la feste4, L Empereur le tout troublera, Et la nouuelle mariée5, Au franc pays6 par sort7 liée8, Dans peu de temps apres mourra9. 異文 (1) l aliance l Alliance 1672Ga (2) Auant Auantque 1600Au (3) solemniser solenniser 1628dR 1649Ca, solemnises 1672Ga (4) feste Feste 1672Ga (5) mariée Mariée 1672Ga (6) franc pay...
  • 百詩篇第6巻11番
    原文 Des1 sept rameaulx2 à trois seront reduictz3 Les plus aisnés4 seront surprins5 par mort6 Fratricider les deux seront seduictz, Les coniurés7 en dormans8 seront mors. 異文 (1) Des Les 1672 (2) rameaulx Rameaux 1840 (3) reduictz reduict 1627 (4) aisnés ainsnez 1627 (5) surprins surpins 1672 (6) mort morts 1588-89 1605 1611B 1628 1660 1672 (7) coniurés conjures 1672 (8)...
  • 百詩篇第3巻53番
    百詩篇第3巻 53番 原文 Quand le plus grand emportera le pris1 De Nuremberg d Auspurg2, ceux3 de Basle4 Par Aggripine5 chef6 Francqfort7 repris Transuerseront8 par Flamans9 iusques en10 Gale11 異文 (1) pris prix 1668P 1672 (2) d Auspurg d Auspourg 1568, d Ausbourg 1590Ro 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1672 1716 1772Ri 1981EB (3) ceux ceuz 1610 (4) Basle basle 1589PV 1590SJ...
  • アンリ2世
     アンリ2世(Henri II, 1519年 - 1559年)は、フランス国王(在位1547年 - 1559年)。 【画像】同時代の画家フランソワ・クルーエが描いたアンリ2世(*1) 生涯  フランソワ1世と王妃クロードの次男。パヴィアの戦いで大敗を喫しマドリードに幽閉されていた父の身代わりとして、わずか7歳のときに兄であった王太子フランソワともども、人質としてスペインに送られた。1530年にカンブレーの和約が締結された後に彼らは帰還したが、アンリは周囲に影響されないでいるには幼すぎたので、生涯を通じて、その態度物腰はフランス的というよりもスペイン的なものだった。  1533年にはカトリーヌ・ド・メディシスと結婚し、1536年に兄フランソワの死によって王太子となった。そのときから、彼は余生を完全に支配されることになる2人の人物の影響下に入った。一人は愛人のディ...
  • 今日は何の日
     ノストラダムスとゆかりのある日付をまとめる(一部にノストラダムス現象を含む)。ノストラダムスが存命中に直接関わった出来事は太字で示す(『予言集』以外での、手紙の日付を除く)。  なお、旧暦・新暦などの換算は行っていない。 1月 1月1日五島勉『イスラムvs.アメリカ 「終わりなき戦い」の秘予言』の発売日(奥付上の日付)(2002年)。 1月4日リヨン市立図書館でノストラダムスの展示『危機の時代のための予言』開催(3月22日まで)(1997年)。 1月12日フランス国立図書館でノストラダムスも含む展示『占星術と予言』開催(2月26日まで)(1994年)。 1月13日暦書あてのアンリ2世への献辞、王妃カトリーヌへの献辞のそれぞれ末尾に記された作成日(1556年)。 1月20日ノストラダムスがスペインでの宝探しに関する質問に答えた手紙の日付(1562年)。 1月23日ノストラダムスの秘...
  • ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ
     ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(Jean-Charles de Fontbrune, 1935年 - 2010年)は、フランスのノストラダムス解釈者。  父マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)もノストラダムス解釈者で、親子二代に渡る解釈者として国際的に知られている。  本名はジャン・ピジャール・ド・ギュルベール (Jean PIGEARD DE GURBERT) で(*1)、ド・フォンブリュヌという筆名は、父が使っていた分家の姓に基づく筆名を引き継いだものである。  日本では、五島勉が「ジャン・シャルル・ド・フォンブリューヌ」と表記していたが、当「大事典」では「フォンブリュヌ」と表記する。  邦訳された『新釈ノストラダムス』で「フォンブリュヌ」と表記されていたのが理由の一つである。また、フランス語の brune は brun の女性形で、その発音記号は ...
  • 1656年の伝記
    ...したアンリ2世の妹君マルグリット・ド・フランス殿下をお迎えした。公爵は10月に、公妃は12月に到着し、彼 〔=ノストラダムス〕 は彼らの御臨席の栄を賜り、どちらとも個別に会談を持った。王国全土を巡幸していたシャルル9世は、プロヴァンスに赴いた際には彼に会いにサロンへ行くことを当然欠かさず、そこでは町の側から畏敬を表明され、あわせて演説を受けた。時に1564年10月17日のことであった。  その著者 〔=ノストラダムス〕 との会談を再び持った国王と王太后の満足は並外れたものであったので、二人がリヨンに滞在したときに、ノストラダムスにまたも 〔サロンを〕 離れるようにと使者を送り、〔リヨンに来た〕 彼に国王は金貨200エキュを、王太后もほぼ同額を下賜し、あわせて王附常任侍医の資格とその俸給も下賜した。彼はサロンに戻ると、なおも16か月ほど生き、秘蹟を全て受け、よきキリスト者として...
  • 予兆詩第77番
    予兆詩第77番(旧67番) 1562年1月について 原文 Desir occult pour le bon parviendra. Religion, paix, amour concorde. L epithalame du tout ne s accordra. Les haut qui bas haut mis à la ronde. (*1) 異文 (1) occult occulte 1649Ca 1650Le 1668 (2) bon Bon 1594JF (3) L epithalame Lepithalame 1562LN, L epitalame 1649Xa 1650Le 1668 (4) à la ronde 1562LN à la corde T.A.Eds. (注記)1562LN は初出である『1562年向...
  • 詩百篇第10巻17番
    詩百篇第10巻 17番* 原文 La royne1 Ergaste2 voiant sa fille blesme, Par3 vn regret dans l estomach4 encloz, Crys5 lamentables seront lors d Angolesme6, Et au germain7 mariage fort clos8. 異文 (1) royne 1568 Royne T.A.Eds. (sauf Reyne 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To, reyne 1840) (2) Ergaste estrange 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To (3) Par Prr 1650M...
  • フランソワ1世
     フランソワ1世 (François Ier, 1494年9月12日 - 1547年3月31日) は16世紀フランスの国王(在位1515年 - 1547年)。対外的にはイタリア戦争を継続した一方、文化面での貢献は大きく、「フランス・ルネサンスの父」「文芸の父」などと呼ばれた。フランス王の中で「大王」と称される一人(*1)。 【画像】フランソワ1世の肖像画 (ジャン・クルーエ筆、1530年頃)(*2) 概要  1494年にコニャックで生まれた。父はオルレアン公ルイ(ルイ12世、在位1498年 - 1515年)のいとこに当たるアングレーム伯シャルルで、ルイ12世が継嗣のないまま没したため、サリカ法に従い、フランス王となった。  2メートルあったという巨躯をいかして武勇に秀で、即位した1515年にはイタリアのマリニャーノの戦いで華々しい勝利を挙げ、フランス中で賞賛された。 ...
  • 百詩篇第7巻43番ter
    百詩篇第7巻 43番 17世紀にリヨンで追加された詩篇 原文 Lors qu on verra les deux licornes1, L vne baissant, l autre2 baissant3, Monde au milieu, plier4 aux bornes S enfuira5 le neueu riant. 異文 (1) licornes licorneg 1650Ri (2) l autre lautre 1653 (3) baissant 1627 abaissant T.A.Eds. (4) plier pilier 1630Ma 1650Le 1650Ri 1668, pillier 1644, piller 1653 1665 (5) S enfuira S en fuira 1650Le 1650Ri 1...
  • アルノートン・ド・ヴェロルグ
     ダヴァン・ド・カルカソンヌ(Davin de Carcassonne)ないしアルノートン・ド・ヴェロルグ(Arnauton de Vélorgue, 1410年頃 - 1473年頃)は、ノストラダムスの父方の曽祖父。アヴィニョンで商業を営んでいた。  ユダヤ人ヴィタル・ド・カルカソンヌの息子で、元々の名前はダヴァン(Davin)といった。父の仕事を継いで商業を始めたが、1417年に教会大分裂が収束したのを機に人口が減少し、ペスト流行と相俟って苦労が多かったようである。  1430年頃にヴァンゲソンヌと結婚した。このヴァンゲソンヌとの間にクレカ・ド・カルカソンヌが生まれた。  父ヴィタルが死んだ翌年(1453年)頃にキリスト教に改宗し、アルノートン・ド・ヴェロルグと改名した。旧姓カルカソンヌがそうであったように、ヴェロルグも南フランスの都市名である。  この改宗に...
  • ルイ・ド・ガロー・ド・シャストゥイユ
     ルイ・ド・ガロー・ド・シャストゥイユ (Louis de Galaup de Chasteuil, 1554年11月19日 - 1598年3月8日) は、16世紀フランスの詩人、行政官。  同時代には、「シャストゥイユ殿、ルイ・ド・ガロー」(Louis de Gallaup, sieur de Chasteuil) と表記されることもあった。また、ガローは Galaup とも Gallaup とも綴られ、シャストゥイユはシャスチュエイユ (Chastueil) とも綴られることがあった(*1)。  ノストラダムス関連書では「ルイ・ガロー・ド・シャストゥイユ」と表記されることも多いが、ここではフランス国立図書館のデータに従う。  エクス=アン=プロヴァンスに生まれた。アンリ4世からは国務院(コンセイユ・デタ)の評議員に任命された(*2)。詩人としては1595年に 『王家の懺悔の...
  • Voyage imprévu dans le pays des Intelligences
     『聡明な人々の国での思いがけない旅行、あるいはルカベル博士によって正確に検証され説明されたノストラダムスのいくつかの予言』(Voyage imprévu dans le pays des Intelligences, ou quelques Prédictions de Nostradamus, verifiées exactement et expliquées par le Docteur Lecabel.)は、1836年に出版されたノストラダムスの解釈書。 正式名 VOYAGE IMPRÉVU DANS LE PAYS DES INTELLIGENCES, OU QUELQUES PRÉDICTIONS TRÈS REMARQUABLES DE NOSTRADAMUS, VERIFIÉES EXACTES ET EXPLIQUÉES PAR LE DOCTEUR LECABE...
  • 六行詩44番
    六行詩集 44番* 原文 La belle rose1 en2 la France admiree, D vn tres-grand3 Prince4 à la fin desirée, Six cens dix, lors naistront ses amours Cinq ans apres, sera d vn grand blessée, Du trait d Amour, elle sera enlassée5, Si à quinze ans6 du Ciel reçoit7 secours. 異文 (1) rose roze 1600Mo 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu, Rose 1672Ga (2) en dans 1600Au (3) tres-grand tresgrand 1600Mo, tres gr...
  • ジャック・ド・ジャン
     ジャック・ド・ジャン(Jacques de Jant, 1626年 - 1676年9月)は、フランスのディジョン出身の国家官吏、著述家。著作を発表する際には、「ル・シュヴァリエ」(騎士)を冠して「ル・シュヴァリエ・ド・ジャン」(Le chevalier de Jant)としばしば称した。 生涯  ジャック・ド・ジャンは、ディジョン財務局財務官ピエール・ド・ジャンの息子として、1626年に生まれた。青年期にマルタ騎士団の騎士となり(後年の筆名はこのことに因む)、その後、国王ルイ14世の弟オルレアン公フィリップの家令(intendant)となり、貴重品陳列室守衛を兼務した。  1655年には、ルイ14世から国境警備の総責任者(capitaine et garde général des frontières)と海軍監査役(commissaire de la marine)に任...
  • ジャン・ド・トゥルヌ
     ジャン・ド・トゥルヌ(Jean de Tourne, 1504年 - 1564年9月7日)は、16世紀フランスの印刷・出版業者。1540年から1564年までリヨンで出版事業を行い、リヨンの文学活動の発展に大きく寄与した。ラテン語式にはヨアンネス・トルナエシウス(Joannes Tornaesius)と名乗り、モットーには自身の名をアナグラムした「神の内の技芸」(Son art en Dieu)を用いた。 生涯  1504年にリヨンの金銀細工師の息子として生まれた。若い頃、リヨンの出版業者トレクセル兄弟(Gaspard et Melchior Trechsel)やセバスチャン・グリフのもとで下積みを行ったが、このグリフの工房での下積み時代の同門にはエチエンヌ・ドレがいた。トゥルヌは1540年から独立して事業を営み、当初はドレが手がけた作品の再版などを多く行った。また、1547年から...
  • エクトール・ド・ノートルダム
     エクトール・ド・ノートルダム(Hector de Nostredame, 生没年未詳)は、ノストラダムスの弟の一人。サン=レミ=ド=プロヴァンスに生まれたが、洗礼記録などはなく、詳細は不明である。  弟のアントワーヌの息子エクトールの洗礼記録に、立ち会った代父として「商人のエクトール・ド・ノートルダム」の名が記されている(*1)。ほぼ間違いなく同一人物であろうから、エクトールの職業は商人だったと考えられる。  1546年4月26日の結婚契約書が残っている(*2)。相手の名はアントワネット・ド・モルゲート(Antoinette de Morguète)だが、アントワネットはアントネート(Anthonete)、トネート(Thonète)など、表記に揺れがある。  アントワネットはマルティーグ島のジャン・モルゲ(Jean Morguet(*3))とカトリーヌ・ド・ベランギエー...
  • 詩百篇第10巻39番
    詩百篇第10巻 39番* 原文 Premier1 fils vefue2 malheureux3 mariage, Sans nuls enfans deux Isles4 en discord5, Auant dixhuict6 incompetant7 eage8, De l autre pres plus bas sera l accord. 異文 (1) Premier Dremier 1650Ri (2) vefue veufue 1603Mo 1650Mo 1650Le 1668A 1672Ga (3) malheureux mal-heureux 1610Po 1668P, mal heureux 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le (4) Isles isles 1594JF 1772Ri (5...
  • アングレーム
     アングレーム (Angoulême) はフランス南西部、シャラント県の県庁所在地である。その周辺の地方名がアングーモワ (Angoumois) であり、旧制度下のアングーモワ州とシャラント県の範囲はおおむね一致する。フランス語で Angoumois はアングーモワ地方を指すとともに、「アングレームの(人)」も意味する(*1)。 概要  アングレームの名は、ラテン語の古称イクリスマ (Iculisma) に由来する。表記にはエコリスナ (Ecolisna)、イコリシマ (Icolisima)などの揺れもあり、中世には伯爵領としてコメス・エンゴリスメンシス (Comes Engolismensis) などとも表記された(*2)。ただし、ラテン語名の語源は未詳である(*3)。  百年戦争中にあたる14世紀の一時期、イングランド領となった時期がある。その後、ヴァロワ王家の分家、ヴ...
  • 百詩篇第7巻13番
    原文 De la cité marine1 tributaire, La teste raze prendra la satrapie2 Chasser sordide qui puis sera3 contraire, Par quatorze ans4 tiendra la tyrannie5. 異文 (1) cité marine citè marine 1627, Cité Marine 1672 (2) satrapie Satrapie 1672 (3) puis sera sera 1716 (4) ans and 1672 (5) tyrannie tyranny 1605, Tyrannie 1672 日本語訳 従属的な海辺の都市の 総督の地位を剃髪頭が得るだろう。 やがて彼に背くことになる汚い人物を追い出し...
  • sedifrague
     sedifrague は詩百篇第6巻94番にのみ登場する語。  古くから二通りの読み方の可能性が指摘されてきた。  一つ目はラテン語 sedem frangere のフランス語化で、「椅子(座、地位)の破壊者」とする読み方である。  これはアナトール・ル・ペルチエが最初に提起した読み方だが、エドガー・レオニ、マリニー・ローズ、ピーター・ラメジャラー、ブリューノ・プテ=ジラールといった学識ある研究者たちからも支持されている(*1)。  もう一つが「誓い(約束)を破る者」とする読み方である。  この最初の例は、Covenant-Breakers と訳していたテオフィル・ド・ガランシエールの英訳であろう。ただし、彼は語源的根拠を挙げていなかった(*2)。  エヴリット・ブライラーは fidefragues と読み換えて「誓いを破る者」と読んだ(*3)。  ジャン...
  • 百詩篇第4巻59番
    百詩篇第4巻 59番 原文 Deux assiegés en ardante ferueur1, De2 soif3 estainctz pour4 deux plaines tasses5 Le fort6 limé, vn viellart7 resueur, Aux8 Geneuois9 de Nira10 monstra11 trasse12. 異文 (1) ferueur fureur 1588-89 1649Ca 1650Le 1668 (2) De Ce 1867LP (3) soif soir 1649Ca (4) pour dedans 1627 1630Ma 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 (5) tasses ttasses [sic.] 1627, Tasses 1...
  • 詩百篇第1巻94番
    詩百篇第1巻 94番* 原文 Au port1 Selin2 le tyran3 mis à mort4 La liberté non pourtant recouurée Le5 nouueau6 Mars par vindicte7 remort8 Dame par force9 de frayeur10 honorée. 異文 (1) port Port 1672Ga (2) Selin selin 1588Rf 1589Rg 1612Me, Selim HCR (3) tyran ryran 1590Ro, Tyran 1649Xa, Tyrant 1672Ga (4) à mort a mort 1589Me 1612Me, a Mort 1672Ga (5) Le le 1649Xa (6) nouueau nou...
  • フランソワ・ド・ノートルダム
     フランソワ・ド・ノートルダム(François de Nostredame)は、ノストラダムスの叔父。ピエール・ド・ノートルダムとブランシュ・ド・サント=マリーの間に生まれた子供の一人で、次男と推測されている(*1)。  生年未詳だが、兄ジョームが1470年頃の生まれなので、当然それ以降の生まれとなる。また、1485年6月15日以降の記録に全く登場しないことから、若くして亡くなったと推測されている(*2)。 名前 コメント
  • アダン・ド・クラポンヌ
     アダン・ド・クラポンヌ(Adam de Crapponne, 1526年 - 1576年)は、16世紀フランスを代表する水利技師の一人。彼の手掛けた最大の事業であるクラポンヌ運河建設は、不毛のクロー平野を豊かな農地に変えた。  なお、彼の名は "Craponne" と綴られることが多いが、彼自身は "Crapponne" と綴った。日本のノストラダムス関連書では「クラッポン」「クロポンヌ」などと表記されることもあるが、いずれも不適切である。  また、日本語では「アダム・ド・クラポンヌ」と表記されることもあるが、フランス人名の表記としては不適切の可能性がある。  というのは、『ロワイヤル仏和中辞典』のように、Adamの発音記号に /adã/ と /adam/ を併記するものもあるが、普通は『ロベール仏和大辞典』なども含め、/adã/...
  • 予兆詩第150番
    予兆詩第150番(旧139番) 1567年9月について 原文 Longues langueurs de teste, nopce1, ennemi publique2 Par prelat3 voyage, songe du grand4, terreur. Feu ruine grande, trouvé en lieu oblique. Par torrent decouvert5, sortir noves erreurs. (*1) 異文 (1) nopce nopces 1594JF (2) ennemi publique 1594JF ennemi T.A.Eds. (3) prelat conj.(BC) Prelat T.Eds. (4) grand conj.(BC) Grand T.Eds. (5) decouvert...
  • ヴァンサン・セーヴ
     ヴァンサン・セーヴ(Vincent Sève, 1585年? - 1657年?)は、六行詩集の冒頭に掲載された前書き(しばしば「アンリ4世への献辞」といわれる)の著者。  従来は実在性自体がはっきりしなかったが、1990年代以降、郷土史家ジャン・ロッシュ(Jean Roche)の研究などによって、いくらかの点が明らかにされている。  それによると、ヴァンサン・セーヴは大工の親方アントワーヌ・セーヴと、マルグリット・ジュリアンの子として生まれたが、直接的な洗礼記録などは見つかっていないという。ただし、弟トゥーサンが1587年7月19日に洗礼を受けた記録があるため、そこからの推測で1585年ごろではないかとされる。  青少年期の多くをボーケールで過ごしたと考えられ、彼自身の手稿では、地元の愚連隊のような集団に加わっていたことを述懐しているという。  19世紀の郷土史家が持...
  • 百詩篇第3巻49番
    原文 Regne Gauloys tu seras bien changé En lieu estrange1 est translaté l empire2 En autres meurs, loys3 seras4 rangé Rouan5 Chartres6 te feront7 bien du pire. 異文 (1) En lieu estrange En lieu 1665 (2) est translaté l empire est translaté l Empire 1557B 1627 1650Le 1665 1668 1672 1716, l Empire est translaté 1589PV, l Empire translaté 1649Ca (3) meurs, loys mœurs loix 1557U ...
  • ノストラダムス関連年表
     このノストラダムス関連年表では、彼の生涯やノストラダムス現象に関わりのある主な出来事についてまとめた。  信奉者側がどのような事件を的中させたと主張しているかについては的中例として有名な予言を参照のこと。 ノストラダムスの存命中の関連年表 1503年12月14日(木曜日) - 誕生。 1518年頃? - アヴィニョン大学で自由七科を学んだとされる 1520年 - 学業を中断したと推測されている。 1521年 - 各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめる(- 1529年) 1529年10月23日 - モンペリエ大学医学部に入学。数年以内におそらく除籍。 1531年 - アジャンでアンリエット・ダンコスと最初の結婚。 1530年代後半? - 最初の妻と子どもをペスト(?)で失う。以降放浪したとされる。 1545年前後? - 手稿『オルス・アポロ』を...
  • 詩百篇第1巻44番
    詩百篇第1巻 44番* 原文 En brief1 seront2 de retour sacrifices3, Contreuenants4 seront mis à martyre5 Plus ne6 seront moines7 abbés8 ne nouices9 Le miel10 sera beaucoup plus cher11 que cire12. 異文 (1) brief 1555 1588-89 1594JF bref T.A.Eds. (sauf breb 1627Ma, breb. 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba) (2) seront soront 1627Di (3) sacrifices Sacrifices 1672Ga, sacrifice 1716PRc (4) Contreu...
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