ローヌ県立古文書館

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ローヌ県立古文書館」で検索した結果

検索 :
  • Almanach pour l'an 1558 (Lyon)
    ...ている。  ローヌ県立古文書館にはジャン・ブロトーとアントワーヌ・ヴォランが取得した1558年向け暦書の特認(未作成)が残っている。そこから、この版の出版を手がけたのは彼らであるとする見解がある(*1)。 内容  ベルナール・シュヴィニャールは、『予兆集成』第3巻第1~216番に対応していると推測している。 所蔵  現存していない。 名前 コメント
  • ローラン・ヴィデル
    ...書を出版したことも、ローヌ県立古文書館(未作成)に現存する特認記録から明らかになっている (*1)。しかし、これ以外の伝記的事実は全く不明である。  同時代の書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌でも、ヴィデルはノストラダムスを批判する書を出した人物としか触れられていない。  19世紀のミショーの人名辞典では、ルイ・ヴィデル(Louis Videl)の項目に「ノストラダムスに反対する最初の書を著した」とあり、ローラン・ヴィデルとルイ・ヴィデルが同一人物であることが示されている(*2)。  ルイ・ヴィデルはブリアンソン(未作成)の医師の子で、フランソワ・ド・ボンヌ・ド・レディギエール(François de Bonne de Lesdiguières)の秘書を務めた人物である。この見方を19世紀のウジェーヌ・バレストが不正確に伝え、エドガール・ルロワも踏襲していたが(...
  • La Grand' pronostication nouvelle pour l'An Mil cinq cens soixante
    ...載されている。なお、ローヌ県立古文書館にも特認記録は現存しているが、そちらの日付は1559年10月17日だという(*2)。  最後に移動祝日の一覧が載っている。 所蔵先  かつてはエクトール・リゴーの蔵書に含まれていたが、1931年のオークションを経て、書肆で民俗学者のエミール・ヌリの手に渡った。ヌリは1935年に歿し、後継者に当たる書肆ジュール・チエボーに引き継がれたらしい。そのあと所在不明となっていたが、2010年のオークションに出現した(落札者は未詳)。  その伝本はノストラダムスの『1558年向けの新たなる占筮』リヨン版、エルキュール・ル・フランソワ(未作成)の『モンストラダムスへの最初の反論』リヨン版、ジャン・スコンネル(未作成)の『1558年向けの占筮』、ギヨーム・ドリュー(未作成)の『1560年向けの新たなる占筮』とともに製本されていた非常に貴重な...
  • Les presages de l'an 1558
     『1558年の予兆』(Les presages de l an 1558)は、1558年にアントウェルペンで出版されたノストラダムスの暦書。  かつてミュンヘンのバイエルン州立図書館に所蔵されていたらしいが、現在は失われている。詳しい書誌が残っておらず、八つ折版で「Anvers 1558」と書かれていたことしか分からない(*1)。  刊行者の記載はない。その推測に関する情報は『1558年向けの暦』アントウェルペン版を参照のこと。  暦書は前年のうちに出されるのが普通だったから、1558年に出されたということは、前年に出されていたものをコピーした可能性がある。この問題を考える上で興味深い史料がある。  当時、ルーアンのジュアン・イエス(Jehan Hiesse)が経営していた書店は、1557年12月にリヨンから、ノストラダムスの1558年向けの暦を300部(100部で4...
  • ルーアン
     ルーアン(Rouen)はセーヌ=マリティーム県の県庁所在地。セーヌ川沿岸にある河港都市。ルアンとも表記される。 歴史  古代ローマ時代の名称はロトマグス(Rotomagus)で、現在名ルーアンはそれが転訛したものである。ロトマグスの語源についてDNLFでは「市場」を意味するケルト語の magos と、恐らくは人名に由来する語の合成だろうとしている。他方で、「マゴス族の都市」を意味し、マゴスは「狩猟」の意味だったとする説もある(*1)。  中世にはノルマンディー公国の首都となった。百年戦争中にはイングランド領となり、その最中に当たる1431年には、ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた。その舞台となったヴィユー=マルシェ広場は今も残っている。その広場にあるジャンヌ・ダルク教会をはじめ、彼女の名を冠した大通り、橋、塔、博物館などが市内には存在している。  現在は下セーヌ工...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (アントワーヌ・ベソン)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、リヨンのアントワーヌ・ベソンによっても出版された。 【画像】ベソン版の扉 (*1) 正式名 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS. Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du Monde. Revûës corrigées suivant les premieres Editions i...
  • ノストラダムスの遺言書・遺言補足書
    ...ユのブーシュ=デュ=ローヌ県立古文書館に現存している。Fonds 375E no2 (Giraud) des notaires de Salon, registres 675 et 676 がそれで、676番の507葉から512葉が遺言書と遺言補足書の原本ないし謄本、ノンブルのついていない675番がそれらの抄本を含んでいる(以下、便宜的に当「大事典」では前者をマルセイユ原本、後者をマルセイユ抄本と呼ぶ)。  複写も複数作られた。フランス国立図書館には17世紀の系図学者ピエール・ドジエ (Pierre d’Hozier) が作成した写本が残っている。そこには「ベラール氏によって伝えられた。1659年」 とあるが、実際にはベラールではなく、サロンの公証人ピゾン・ベルナール (Pison Bernard) のことであろうと考えられている。ドジエの写本は、そのベルナール、別の公証人、...
  • ローヌ川
     ローヌ川(le Rhône)は、スイスのアルプス山脈に発し、フランス南東部を流れて地中海に注ぐ河川。全長812 km、うちスイス領は290 km (レマン湖通過分が72 km)。古代ローマ時代の呼称はロダヌス(Rhodanus)。 流域  アルプス山脈から発し、レマン湖に流入したあと、再び流れ出てフランス領内に入る。東から西へと流れた後、リヨンでソーヌ川と合流して南下し、ヴァランス付近でイゼール川、アヴィニョン付近でデュランス川、ボーケール付近でガルドン川(ガール川)などと合流する。河口付近は肥沃な湿地帯カマルグを形成しており、中世以来、農耕・牧畜などが営まれてきた。なお、カマルグは現在では米作地帯として知られるが、これは20世紀以降のことである(*1)。 ノストラダムス関連  プロヴァンス地方に生まれただけでなく、リヨンの出版業者たちとの結びつきもあったノストラダムスに...
  • アルル
     アルル(Arles)はプロヴァンス(未作成)地方の都市。  現在はブーシュ=デュ=ローヌ県アルル郡の郡庁所在地であり、面積だけで見ればフランス最大の市(コミューン)である。古代ローマ時代の名称はアレラテ(Arelate)。  古代ローマ時代の円形劇場や円形闘技場、共同浴場などの遺跡が残っており、ロマネスク様式の旧司教座聖堂(サン=トロフィーム教会)とともに世界遺産に登録されている。 【画像】DVD『ゴッホ -アルルのひまわり-』 ノストラダムス関連  ノストラダムスは、1564年にこの都市に滞在していた国王シャルル9世(未作成)に呼ばれ、「王附常任侍医兼顧問」の称号を下賜された。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • アントワーヌ・デュ・ローヌ
     アントワーヌ・デュ・ローヌ(Antoine du Rosne, 生没年未詳)は、確認されている範囲では1545年から1562年までリヨンで出版業を営んでいた人物である(*1)。あだ名は「リズロ」(Lizerot)。彼が手がけた出版物で、確認されているものはそれほど多くない。 ノストラダムスとの関わり  ノストラダムスは1553年11月に自分の原稿をいい加減な形で出版した業者を提訴し、出版権を取り上げ、「リズロ」というあだ名を持つアントワーヌ・デュ・ロワイエ(Antoine du Royer)という人物に出版を任せている。この「アントワーヌ・デュ・ロワイエ」は、デュ・ローヌの誤記とされる(*2)。これが事実なら、ノストラダムスが著作を発表し始めた時期に、既に接点があったことになる。  その後、1557年と1558年にはノストラダムスが自由訳した著書『ガレノスの釈義(未作成)...
  • リヨン
     リヨン(Lyon)はフランス中南部の都市。かつてのリヨネー州の中心であり、現在はローヌ県の県庁所在地。フランスで第3位の人口を持つ都市(約45万人)で、大都市圏(都市共同体)としてみれば、フランス第2位(約120万人)である。 地理  ローヌ川とソーヌ川(未作成)の合流点に位置している。古代から中世にはソーヌ川の右岸に都市が発達したが、近世以降、川に挟まれた半島状の地域が中心となった。近現代にはさらにローヌ左岸に工業都市が発達した(*1)。  リヨンの周辺は、ワインの銘柄の一つ「コート・デュ・ローヌ」の産地でもある。 【画像】E.ギガル コート・デュ・ローヌ ブラン 2007 語源  当初のラテン語名はルグドゥヌム(Lugdunum)であった。その語源は「リヨーグ(ケルト神話の神)の砦のある丘」もしくは「美しい砦のある丘」とされる(*2)。現...
  • Cassich
     Cassich は意味の確定していない語。いくつもの可能性が指摘されている。 アナトール・ル・ペルチエはギリシア語 Kaisar から「カエサル」とした(*1)。 エドガー・レオニはギリシア語の Cassiterides (錫諸島)ではないかとした。これはコーンウォールのシリー諸島(Scilly)のことだという(*2)。 マリニー・ローズはブーシュ=デュ=ローヌ県の町カシ(Cassis, カシスとも)と推測した(*3)。 ジャン=ポール・クレベールは中期フランス語の cassis (排水溝)か、Classich の誤植でclasseのことではないかとした(*4)。 ピーター・ラメジャラーはシチリア島の地名カルタジローネ(Caltagirone)のこととした(*5)。  ラメジャラーの読み方は強引なようだが、ロジェ・プレヴォを踏襲した彼の解釈にひきつけて理解する分には一定...
  • サロン=ド=プロヴァンス
     サロン=ド=プロヴァンス(Salon-de-Provence)は、南フランス、ブーシュ=デュ=ローヌ県の都市である。  ノストラダムスが晩年を過ごした町として、またクラポンヌ運河を建設したアダン・ド・クラポンヌの出身地として知られている。 概要  クロー平野に位置し、かつてはサロン・ド・クローとも呼ばれていた。  古来、オリーブオイルやマルセイユ石鹸の産地として知られている。現在は空軍士官学校の所在地でもある。  市の中心部近くにアンペリ城がそびえる。  かつてはアルル大司教の私邸だったが、現在は博物館に改装されている。  市庁舎の前にはアダン・ド・クラポンヌの像が飾られている(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスは1547年にこの町のアンヌ・ポンサルドと結婚したのを機に、サロンに移り住んだ。  彼は暦書などにラテン語で署名するとき...
  • ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ
     ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ(Pierre-Joseph de Haitze, 1648年頃 - 1736年7月26日)は、フランスの作家、歴史家。主としてプロヴァンスの歴史や、プロヴァンスに縁のある人物の伝記をまとめた。  エーツは、1648年頃にカヴァイヨンで生まれた。ベアルン地方の高貴な出自であったという。彼はプロヴァンスの歴史に特に興味を持ち、様々な調査も行った。その作品は文体の丁寧さや明瞭さが評価される一方、内容が皮相的であることや、調査における批判能力の不足なども指摘されている。 彼は、親戚にあたるジャン=フランソワ・ゴフリディ家に秘書として住み込んでおり、1736年にプロヴァンス地方のトレ(Trets, 現ブーシュ=デュ=ローヌ県内)で没した。 ノストラダムス関連  エーツによるノストラダムスの伝記 『ミシェル・ノストラダムスの生涯(未作成)』(1711年...
  • ブノワ・リゴー
     ブノワ・リゴー(Benoist Rigaud, ? - 1597年)は、16世紀リヨンの出版業者。 生涯  ミリベル(Miribel)の出身で、リヨンの古文書での最古の言及は1553年の「書籍商」(marchand libraire)としてのものである。彼の名義での出版物が確認できるのは1555年以降だが、1558年までは甥のジャン・ソグラン(Jean Saugrain)と共同で出版を行っていた。ソグランとの決裂の理由は信仰によるもので、プロテスタントに傾倒したソグランに対し、ブノワ・リゴーは一貫して王党派カトリックの立場を貫いた。  ソグランと決別した時期に近い1559年頃には、最初の妻であった印刷業者コルネイユ・ド・セットグランジュ(Corneille de Septgranges)の娘ペルネット(Pernette de Septgranges)と死別した。その後間も...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1649年頃の偽版)
     『国王シャルル9世の侍医にして不世出の卓抜な天文学者の一人であったミシェル・ノストラダムス師の予言集』(Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Medecin du Roy Charles IX. l un des plus excellens Astronomes qui furent iamais.)は、1649年頃に出されたと推測されている『予言集』の版のひとつである。  出版社名の記載が無い一方、出版地は全て「リヨン」になっている。表示されている刊行年は「1568年」「1611年」「1649年」の三通りがある。これらはその表示に関わらず、いずれもパリまたはトロワで出版されたと推測されている。  共通してジュール・マザランを陥れようとした政治的な偽の詩篇(第7巻42番、第7巻43番)が織り込まれている。通常マザリナード(...
  • サン=レミ=ド=プロヴァンス
     サン=レミ=ド=プロヴァンス(Saint-Rémy-de-Provence)は、南フランスのブーシュ=デュ=ローヌ県の都市である。ノストラダムスの生誕地として、また画家ゴッホの療養地として国際的に知られている。 概要  アルピーユ山脈のふもとに位置し、町の歴史は古代ローマの入植地だった頃に遡る。当時の遺跡はサン=レミの近郊に残っている(グラヌムの遺跡)。  10世紀には近隣にロマネスク様式のサン=ポール=ド=モゾル修道院が建造され、1810年から私営の精神病院に転用されている。その病院は画家ゴッホが療養のため滞在していたことがあるため、国際的に有名である(ゴッホが滞在していた部屋は見学可能)。この病院の背後には採石場跡であるマス・ド・ラ・ピラミッドがある。  現在の町の中心部には、町の歴史や文化にゆかりのある博物館がいくつもある。  サドの館(Hôtel de Sad...
  • Almanach Novveav, Pour l'An. 1562.
     『1562年向けの新たなる暦』(Almanach Novveav, Pour l An. 1562.)は、1561年に出版されたノストラダムスの暦書。パリのギヨーム・ル・ノワールとジャン・ボンフォン(未作成)が共同出版した。 【画像】『1562年向けの暦』の扉(*1) 正式名 Almanach Novveav, Pour l An. 1562. Composé par Maistre Michel Nostradamus, Docteur en Medecine, de Salon de Craux, en Prouence. Quatrain de l An vniuersel. Saison d hyuer ver bon sain mal esté/ Pernicieux automn sec froment rare./ Du vin assez mal y...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・プロメ、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にパリのピエール・プロメ(未作成)によっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions ...
  • 百詩篇第5巻62番
    原文 Sur les rochers1 sang on verra2 plouuoir3, Sol Orient.4 Saturne Occidental5 Pres d Orgon6 guerre7, à Rome grand mal voir, Nefz parfondrees8 prins9 le Tridental10. 日本語訳 (1) rochers rouchers 1568B 1568C 1568I, Rochers 1672 (2) on verra on les verra 1605 1628 1772Ri 1840 (3) plouuoir 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1627 1649Ca 1650Le 1668 1772Ri 1840 pleuuoir T.A.Eds. (4) Orien...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・リブー、1668年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1668年にパリのジャン・リブー(未作成)によっても出版された。 【画像】1668年パリ版の口絵と扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMVS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premiere...
  • ノストラダムス研究史 (伝記研究)
     ノストラダムスの伝記研究の歴史について概観する。  「ノストラダムスとは何者か」 を考えるとき、彼の生涯を実証的に裏付けてゆく作業は欠かせない。しかし、それが本格化したのは20世紀半ばになってからのことであった。 伝説の形成  ノストラダムスについての最初の評伝はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの 「ミシェル・ド・ノートルダム師の生涯に関する小論」 だろう。これは彼の著書 『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年) に収録され、17世紀以降の『予言集』 の多くの版に再録されたことで、そこに描かれたユダヤ系の名家に生まれ、医師としても予言者としても絶大な成功を収めたノストラダムスの生涯や人物像が、大いに広められた。  断片的な情報ではあったが、ノストラダムスの実子セザール・ド・ノートルダムの『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年) も、ノストラダムスについての情報を提供した...
  • エドガール・ルロワ
     エドガール・ルロワ(Edgar Leroy, 1883年4月17日-1965年4月2日)はフランスの精神科医、歴史家(郷土史家)。ノストラダムスの実証的な伝記研究に先鞭をつけた人物として、現在でもノストラダムスを歴史学的・文学的な視点で研究する論者たちから高く評価されている。 生涯  リール(未作成)に生まれ、生物学で学士号を、精神医学で博士号をそれぞれ取得した。第一次世界大戦の影響で家財を失ったあと、求めに応じてサン=レミ=ド=プロヴァンス(この記事では以下サン=レミと略記)に精神科医として赴任し、終生その町で過ごした。サン=レミでは本業の傍ら、地元にゆかりのある歴史上の有名人ゴッホとノストラダムスに関心を持ち、調査を行った。  とりわけノストラダムスについては、『プロヴァンス歴史学研究所論集』誌(Mémoires de l Institut Historique de...
  • 百詩篇第7巻41番
    原文 Les oz des piedz des mains enserrés1, Par bruit maison long temps2 inhabitee3 Seront par songes4 concauant5 deterrés, Maison salubre sans bruyt habitee. 異文 (1) enserrés enferrez 1672 (2) long temps long-temps 1644 1649Xa 1668P 1712Guy 1716, longtemps 1665 1840 (3) inhabitee inhabité 1653 1665 (4) songes songe 1653 1665 1712Guy 1840 (5) concauant conceuant 1590Ro 日本...
  • Michel Nostradamus mester profeciai
    『ミシェル・ノストラダムス師の予言集:未刊だった3巻を含む』(Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki.)  アントワーヌ・デュ・ローヌによる『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』のうち、1557年11月3日版は、2004年にも復刻された。11月3日版を所蔵しているハンガリー国立セーチェーニ図書館(ブダペスト)が、再現する復刻版を刊行したのである。  この復刻版は、11月3日版の影印版に、小冊子(ジェラール・モリスによる『予言集』の書誌学論文)がセットになっている。モリスの論文は、11月3日版が1557年でなく1556年に刊行された可能性を示唆するなど、(その主張の適否はともかく)デュ・ローヌ版に関する知見を拡大した。  ...
  • ヴェローナ
     ヴェローナ (Verona) は北イタリア、ヴェネト州ヴェローナ県の県庁所在地。フランス式にはヴェローヌ (Vérone)。 【画像】 『パズルの超達人EX検定ゴールド (世界風景) 恋の街 ヴェローナ-イタリア』 概要  アーディジェ川が大きく湾曲した場所に発達し、旧市街はさながら古代ローマ時代から交通の要衝として栄え、中世にはスカラ家、ヴィスコンティ家の支配を受けたあと、15世紀からヴェネツィア共和国領となった。イタリアへの併合は1866年のことである。  町には古代ローマ時代の円形劇場から中世・近世の城塞・教会など、数多くの歴史的建造物群が残されている。また、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』のモデルとなった出来事のあった町でもあり、モデルとなった女性ジュリエッタの墓があることでも知られる(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス自...
  • 詩百篇第9巻18番
    詩百篇第9巻 18番* 原文 Le lys1 Dauffois portera dans Nansy2 Iusques en Flandres3 electeur4 de l empire5, Neufue obturee au grand Montmorency, Hors6 lieux prouez7 deliure8 à clere peyne9. 異文 (1) lys Lys 1672Ga 1716PR (2) Nansy / Nansi Nancy 1603Mo 1611B 1644Hu 1650Mo 1981EB 1672Ga (3) Flandres Flandre 1653AB 1665Ba 1720To 1840, Flanders 1672Ga (4) electeur Electeur 1605sn 1628dR 1644H...
  • アントワーヌ・デュ・ヴェルディエによる書誌情報
     アントワーヌ・デュ・ヴェルディエ(未作成)の書誌 『アントワーヌ・デュ・ヴェルディエの蔵書』(リヨン、1585年)は、ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌とともに、16世紀フランス書誌研究の双璧をなしている。ノストラダムスについての項目もあり、以下のように紹介されている(*1)。  以下に全訳を示すが、原書には段落分けが全くないので、当「大事典」で便宜的に区切った。 全訳  ミシェル・ノストラダムス (MICHEL NOSTRADAMUS)、プロヴァンス州サロン・ド・クローの医師・占星術師は、1550年以降1567年までの各年の暦書および占筮を執筆し、1566年7月2日に逝去した。  その暦書は予兆集を伴って、リヨンではジャン・ブロトーとアントワーヌ・ヴォランによってや、ブノワ・オドによって出版され、パリでも出版された。  加えて、四行詩による予言の10巻の百詩篇集は、見る...
  • La Prediction nouvelle et merveilleuse de l'an 1561
     『1561年の驚異の新予言』(La Prediction nouvelle et merveilleuse de l an 1561)は、リヨンで出されたというノストラダムスの暦書。 構成  ベルナール・シュヴィニャールはジャン=エメ・ド・シャヴィニーが転記した『散文予兆集成』第6巻(第1番~第536番)の後半に対応する散文が収録されていたと推測している(*1)。ただし、正式名自体が不明であり、シャヴィニーが転記したものに本当に対応していたのかどうかは不明である。 所蔵先  現存していない。ミシェル・ショマラによれば、ロード(I. Rode)という人物が1868年に完成させた手稿『ヌーヴヴィルのブルジョワジーの古文書類』(Archives de la Bourgeoisie de Nouveville)で言及されているという(*2)。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1557年)
     1557年にリヨンで出版された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、ノストラダムスの予言集のうち、現在確認されている範囲では、彼の生前に正規の形で出版された唯一にして最後の増補版である。  1557年版は、9月6日付のものと11月3日付のものがある。前者が正規版で後者は海賊版と見なすのが一般的である。 【画像】1557年9月6日版の扉(左)と11月3日版の扉(右)(*1) 9月6日版  この版は八つ折版(Octavo)12cmの本で、ページ数は全122ページである。 タイトルページ  メインタイトルは、初版と同じ「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」である。その下に、「前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む」(Dont il en y à [sic.] trois cents qui n ont encores jamais es...
  • mezan
     mezan は詩百篇第8巻35番にのみ登場する語。  参照可能な古語辞典には mezan / mesanはない。  いくつかの意味が提示されているが、大きく分けると地理上の名称と捉えるか、「月」(month) と捉えるかの二通りである。 アナトール・ル・ペルチエは mesa と読み替え、北フランスのムーズ川 (la Meuse) と理解した(*1)。 ミシェル・デュフレーヌはエロー県のメーズ (Mèze) かアルデンヌ県のメジエール (Mézières) と見なした(*2)。 マリニー・ローズはロット=エ=ガロンヌ県の地名ムザン (Mezin) と理解した(*3)。ジャン=ポール・クレベールも同じ読みかたである(*4)。 エドガー・レオニはラテン語で「月」(month) を意味する mensa を韻律の都合で綴り変えたものとみなした。ピーター・ラメジャラー、リチャード・シ...
  • ヴェルチェッリ
     ヴェルチェッリ(Vercelli)はイタリア北西部、ピエモンテ州ヴェルチェッリ県の県庁所在地。 概要  セージア川中流域にある都市で、古代ローマ時代の古称はウェルケラエ (Vercellae)。アルプス越えの要地のひとつであり、近隣にはハンニバルがイタリアで初勝利をおさめた場所もある。  中世のサンタンドレア大聖堂は、収蔵しているヴェルチェッリ古文書でも知られる。  現在は米作地帯の中心地であり、米の市場がある。また、郊外の米作研究所は国際的に知られている(*1)。 ノストラダムス関連  ウィキペディアフランス語版によれば、ヴェルチェッリはフランス式には Verceil と綴るようだが、ノストラダムスはそれ以外に Verseil とも綴った。  『予言集』での登場箇所は以下のとおりである。 詩百篇第1巻6番(Verseil) 詩百篇第8巻7番(Verceil) ...
  • クロード・ド・ノートルダム (ベルトランの子)
     クロード・ド・ノートルダム(Claude de Nostredame)は、ベルトラン・ド・ノートルダムとトミーヌ・ルースの息子で、ノストラダムスの甥にあたる。  1568年に父ベルトランがしたためた最初の遺言書で「30に満たない年齢」とされていることから、1538年から1543年の間にサン=レミで生まれたと考えられている(*1)。もっとも、ベルトランの結婚が1540年頃とされているので、もう少し狭められるのかもしれない。  妻の名はビエル・ダルメラン(Bielle d Alméran)ないしビエローヌ・ダルメラン(Biellone d Alméran)で、彼女はジョーム・ド・ノートルダムが一時代理を務めた貴族アントワーヌ・アルメランの娘と考えられている(*2)。ジョームは、アントワーヌ・アルメランの息子ジャック・ダルメラン、ピエール・ダルメランらと仲が良かったらしい(*3...
  • クラポンヌ運河
     クラポンヌ運河(Le canal de Craponne)は、16世紀の技師アダン・ド・クラポンヌによって建設された灌漑用水路。クロー平野を肥沃にする上で大きく貢献した。現在のクロー平野には複数の運河が流れるが、その中では最古に属する。1554年に着工し、1581年に完成した。 概要  デュランス川(未作成)(カドネに近い場所)から水が引かれ、東から西に流れる。ラマノンを過ぎた辺りで西へ流れ続けるものと南へ流れるものに分岐する。後者は小さな川に合流した上でベール湖に流れ込む。前者はクロー平野を肥沃にする上で大きく貢献するものであり、アルル付近でローヌ川に合流する(途中イストル近くで分流しベール湖に流れ込むものもあり、また、ほかにも細かな支流はいくつかある)。  本流とみなされるローヌ川へ流れ込むルートの長さは約90kmである。総流量は毎秒24立方メートルだが、うち14立方...
  • 予兆詩第13番
    予兆詩第13番(旧14番) 1555年12月について 原文 La porte exclame trop frauduleuse feinte, La gueule ouverte, condition de paix. Rhosne1 au cristal, eau, neige, glace teinte. La mort, mort, vent par pluye casse2 faix. 異文 (1) Rhosne Rone 1555Br, Rosne 1605 1649Xa (2) casse 1555Br cassé T.A.Eds. 日本語訳 卑劣な虚偽の門は大いに叫ぶ。 開かれた口、平和の条件。 結晶化したローヌ川、水、雪、染まった氷。 死、また死、風は雨によって重荷を壊すだろう。 信奉者側の見解  ジャン=エメ・ド・シ...
  • arche
     arche は現代フランス語では二通りの意味がある。「箱、方舟」「櫃」やそこから派生した「ガラス製造用の反射炉」などの意味と、橋弧などのアーチ状構造物の意味である。  中期フランス語でもほぼ同じで「弧、弓形」(arc)、「箱」(coffre)の意味だった(*1)。古フランス語では「宝」(trésor)、「古文書」(archive)、「墓」(tombeau)「家畜小屋」(étable)などの意味もあった(*2)。 登場箇所 詩百篇第3巻13番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • 百詩篇第7巻22番
    原文 Les citoyens1 de Mesopotamie2, Yrés3 encontre amis de Tarraconne4, Geux5, ritz6, banquetz7, toute gent endormie Vicaire au rosne8, prins9 cité10, ceux d Ausone11 異文 (1) citoyens Citoyens 1611B 1650Le 1668 1672 (2) Mesopotamie Masopotame 1627 (3) Yrés Ires 1600 1610 1627 1644 1650Le 1653 1665 1716 1840 (4) Tarraconne Taroconne 1600 1610 1644, Taraeonne 1627, Tarragonne 1605 16...
  • モンテリマール
     モンテリマール (Montélimar) は、フランス南東部の都市で、ドローム県の西部に位置する。  ラテン語の古称はアクヌム・アクキオ (Acunum Acucio)、モンティリウム・アドヘマリ (Montilium Adhemari) など複数ある(*1)。  後者はモンテリマールに繋がった名称だが、語源はアデマール (Adhémar) という人名だという(*2)。史跡などには12世紀のアデマール城跡、16世紀のナルボンヌ塔がある(*3)。  ローヌ川とルビオン川 (Roubion, ローヌの支流のひとつ) の合流点に位置しており、1957年にはモンテリマール・ダムと発電所が建設された。  現在はヌガー(飴の一種)、厚紙などの生産で知られるほか、農村地帯における商業中心地としても機能している(*4)。 【画像】 ミルクチョコレートでモンテリマー...
  • メソポタミア
     メソポタミア (Mesopotamia) はギリシア語に由来する言葉で、「2つの川の間の地」 を意味する。世界史用語としてはもっぱらティグリス川とユーフラテス川の間の地域 (現在のイラクにほぼ対応する) を指す。フランス式にはメゾポタミ (Mésopotamie) という。  メソポタミアについて、ノストラダムス自身は暦書においてこう述べている。  「ローヌ川とデュランス川に近い我らがメソポタミア」(Nostre Mesopotamie proche du Rhosne de la Durance)(散文予兆集成第1巻407番)(*1)  ローヌ川とデュランス川の間にある都市はアヴィニョンである。  ただ、ノストラダムスの予言に出てくる「2つの川の間」には、リヨンを想定しているらしき記述も散見される(詩百篇第2巻35番、第2巻97番)。  また...
  • 詩百篇第8巻46番
    詩百篇第8巻 46番* 原文 Pol mensolee1 mourra trois2 lieuës3 du rosne4, Fuis5 les deux prochains tarasc6 destrois7 Car Mars8 fera le plus horrible trosne9, De coq10 d aigle11 de France freres12 trois. 異文 (1) mensolee Mensolee 1672Ga (2) trois à trois 1644Hu 1650Le 1668 1712Guy (3) lieuës lieües 1568X 1591BR 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1628dR 1653AB, lieues 1590Ro 1603Mo 1672Ga 19...
  • アヴィニョン
     アヴィニョン (Avignon) は、南フランス、ヴォークリューズ県の県庁所在都市。古称はアウェンニオ (Avennio)。現名称はそれが転訛したものだが、語源未詳である。  なお、ジュラ県にある同名の町の方はローマ人名アウェンヌスからではないかと推測されている(*1)。  ローヌ川とデュランス川の合流点に近く、古くからの交通の要衝であった。9世紀以降、地域の中心都市となったが、異端とされたアルビ派に加担した都市として制圧され、13世紀にはプロヴァンス伯領に編入された。  本格的な発展はいわゆる「教皇のバビロン捕囚」時代以降のことで、アヴィニョン教皇庁の所在地として栄えた。その後も教皇領となっていたが、1791年にフランス領に組み込まれた。  現在でも、特に教皇庁時代の多くの建造物群が残り、その歴史的景観は 「アヴィニョン歴史地区」 の名前で世界遺産にも登録されている...
  • レマン湖
     レマン湖 (Lac Léman) はスイスとフランスの国境に位置するアルプス地方最大の湖。  湖面標高372 m、深さ 310 m、面積 584 km2で、うち234 km2がフランス領である。  古称はレマヌス (Lemanus / Lemannus) で、一部の湖域はジュネーヴ湖とも異称される。アルプス山脈とジュラ山脈の境にローヌ川が流入して形成されており、湖水は再びローヌ川に流出する。風光明媚なことで知られ、湖畔にはジュネーヴ、ローザンヌといった都市が発達した(*1)。  湖畔のラヴォー地方のブドウ畑景観はユネスコの世界遺産リストに登録されている。  フランス側には、ミネラルウォーターで知られるエヴィアン=レ=バンなどがある。 【画像】『旅名人ブックス31 ジュネーブとレマン湖地方』 【画像】 Evian(エビアン) ミネラルウォータ...
  • 詩百篇第9巻69番
    詩百篇第9巻 69番* 原文 Sur le mont1 de Bailly la Bresle2 Seront caichez3 de Grenoble les fiers, Oultre Lyon, Vien.4 eulx5 si grande6 gresle7, Langoult8 en terre9 n en restera10 vn tiers. 異文 (1) mont Mont 1672Ga (2) Bresle Bresse 1650Mo 1667Wi 1668P 1672Ga 1716PRb 1720To 1981EB (3) caichez 1568 1772Ri cachez T.A.Eds. (4) Vien. Vien 1607PR 1610Po 1716PRb 1981EB, Vien, 1650Mo, vien 16...
  • Charlus
     フランスには Charlus という地名はなく、いくつもの候補が挙げられている。 アナトール・ル・ペルチエロワール県のシャルリュー(Charlieu) エドガー・レオニ、ピーター・ラメジャラーなどアヴェロン県、タルン=エ=ガロンヌ県、エロー県にあるケリュス(Caylus) ジャン=ポール・クレベールドルドーニュ県のカルリュ(Carlux) タルン県のカルリュ(Carlus) マリニー・ローズタルン県のカルリュ(Carlus) アヴェロン県、タルン=エ=ガロンヌ県、エロー県にあるケリュス(Caylus)  DNLF で似たような地名を探してみると、ほかにもシャルリ(Charly)やシャリュス(Chalus)などが見つかる。  コサド(Caussade)というタルン=エ=ガロンヌ県の地名と一緒に出ていることを考えれば、最有力は同じ県内のケリュスだろう。ただし、綴り字から一番近いのは...
  • 百詩篇第5巻68番
    原文 Dans le Dannube1 du Rin2 viendra boire3, Le grand Chameau4 ne s en5 repentira Trembler du6 Rosne7 plus fort8 ceulx9 de loire10 Et pres des Alpes11 coq12 le13 ruïnera14. 異文 (1) Dannube damude 1588Rf 1589Rg, danube 1589Me 1611A (2) du Rin Rhin 1589Me, du Rhein 1627, le Rhine 1672 (3) boire beire 1665 (4) Chameau chameau 1627 1644 1650Ri 1653 1840, chnmeau 1665 (5)...
  • オセール
     オセール (Auxerre) はフランス、ヨンヌ県の県庁所在地であるとともに、バス・ブルゴーニュ地方の主都である。  日本語ではオーセール、オーセル、オセルなど、長音の扱いについて複数の表記がある。  当「大事典」では、『ロベール仏和大辞典』(小学館)および『仏和大辞典』(白水社)の発音記号 /ɔsɛːr/ないし/osɛːr/(最後の部分だけが長音)に基づいて、オセールと表記しておく。 概要  オセールはヨンヌ川左岸に発達した都市で、その歴史は古代ローマ時代に遡る。  フランス中部の要衝として要塞都市が築かれ、当時はアウティシオドゥルム (Autisiodurum) と呼ばれた。語源はガリアの人名アウティシオス (Autissios) と要塞を意味する duros を組み合わせたものだという(*1)。  4世紀にはガリアに最初に福音を伝えたとされる聖ゲルマニクスを輩...
  • ミシェル・ショマラ
     ミシェル・ショマラ(Michel Chomarat, 1947年11月23日- )は、フランスの出版業者、書誌学者。ノストラダムスに関する数千点に及ぶ資料を収集しており、その他の古版本、古版画、フリーメイソン関係、出版史関係を含めた約45000点の膨大な資料は、ミシェル・ショマラ文庫(未作成)(Fonds Michel Chomarat)としてリヨン市立図書館(未作成)に所蔵されている。ノストラダムスの学術的書誌研究の分野では世界的な権威。  ミシェル・ショマラ出版社(Editions Michel Chomarat)を経営する傍ら、出版史や書誌学に関する研究を行っている。書誌学上の研究としては『17世紀フランスにおける刊行書の書誌的総覧・第8巻(ローヌ・アルプ)』(*1)がある。これは多くの書誌学者が分担執筆しているシリーズの1冊である。他に、『18世紀トレヴーの印刷の虚実』(...
  • リモージュ
     リモージュ(Limoges)はフランス、オートヴィエンヌ県の県庁所在地あり、リムーザン地域圏(Limousin)の首府。リムーザンはリモージュを中心とする歴史的な地名でもあり、かつての州の名前にもなっていた。  なお、その女性形リムジーヌが、自動車の「リムジン」の語源である。 【画像】1999リンカーン ストレッチ リムジン1/38ダイキャストモデルミニカー 概要  古代ローマ街道の要衝にあり、古称はアウグストリトゥム・レモウィケンシウム(Augustoritum Lemovicensium)、のちにレモウィケス(Lemovices)。レモウィケスはこの地のケルト部族名でもあった。  12世紀に子爵領、フランス王国への正式な編入は1609年のことであった。12世紀以来、七宝焼きで知られ、フランソワ1世の時代にはリモージュ出身のレオナール・リモザンが王立工場...
  • ランス
     ランス (Reims) はフランス北部、マルヌ県の都市で、歴史的にはシャンパーニュ地方の中心都市として機能してきた。英語圏では Rheims とも綴られる。 概要  ヴェール川 (Vesle) 沿岸に発達した都市で、その歴史はガロ・ローマ時代に遡る。古代ローマ時代の古称はドゥロコルトゥルム (Durocortorum) で、4世紀までにはその地のガリア人の部族名に基づいてレミ (Remi) と呼ばれた。  クローヴィス1世がランス大聖堂でカトリックに改宗したのを機に、以降、フランスではブルボン朝の王政が途絶える19世紀まで、ほとんどの国王の戴冠式が行われるようになった。そのランス大聖堂と関連する建造物群はユネスコの世界遺産リストに登録されている。  ほか、シャンパンの本場としても知られ、中世以来の羊毛工業から発達した毛織物工業などの各種工業も発達している。 ...
  • ガスコーニュ
     ガスコーニュ(Gascogne)はフランスの南西部の地方名。かつての州の名前でもあった。ガロンヌ地方とピレネー地方に挟まれ、現在の県名で言えばジェール県(県都オーシュ(未作成))、ランド県(県都モン・ド・マルサン)、オート・ピレネー県(県都タルブ)およびアリエージュ、オート・ガロンヌ、ロト・エ・ガロンヌ、タルン・エ・ガロンヌ各県の一部を含む(文献によってはガロンヌ県、ピレネー・ザトランティック県の一部を含めるものもある)。  ビスケー湾は別名ガスコーニュ湾とも言う。 歴史  古代ローマ時代にはバスク人の祖先に当たるバスコン人(Vascons)が流入し、バスコニアと呼ばれた。これが転訛したのがガスコーニュの語源である。602年成立のガスコーニュ公国は1036年にアキテーヌ公領に併合され、途中イングランド領時代を経て、百年戦争後にフランス領として確定した。17世紀成立のギュイエンヌ...
  • @wiki全体から「ローヌ県立古文書館」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索