化粧品とジャム論 (マンガー、1589年)

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  • 化粧品とジャム論 (リゴー、1572年)
     『化粧品とジャム論』は、1572年にリヨンのブノワ・リゴーによっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 EXCELLENT ET TRESVTIL OPV-scule à tous necessaire, de plusieurs exquises Receptes, diuisé en deux parties.La premiere nous monstre la façon de faire diuers Fardemens Senteurs pour illustrer la face. La seconde pour faire confitures de diuerses sortes, tant en miel, que succre, vin cuict. Composé par maistre Michel Nostradamus d...
  • 化粧品とジャム論 (1556年ポワチエ)
     『化粧品とジャム論』は、1556年にポワチエでも出版されたという。 書誌  唯一の言及はラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌である。そこでは、ノストラダムスの手がけた作品を列挙する中で、 singulières receptes pour la santé du corps humain, imprimées à Poictiers l an 1556(*1) 1556年にポワチエで出版された『人体の健康のための独特の処方集』 という簡潔な言及がある。  ロベール・ブナズラは、化粧品とジャム論の版の一つとして紹介しているだけである(*2)。パトリス・ギナール(未作成)は、後のド・マルネフ兄弟らの版と関連付けたものか、この版も彼らの出版ではないかとした(*3)。 ...
  • 化粧品とジャム論 (アルシー、1556年)
     『化粧品とジャム論』は、1556年にパリのオリヴィエ・ド・アルシーによっても再版された。 【画像】アルシー版の扉(*1)。 正式名 Excellent MOVLT VTILE OPVSCVLE A TOVTS NECESSAIRE, qui desirent auoir cognoissance de plusieurs exquises Receptes, diuisé en deux parties.La premiere traicte de diuerses façons de Fardemens Senteurs pour illustrer embellir la face. La seconde nous monstre la façon maniere de faire confitures de plusieurs sortes, ...
  • 化粧品とジャム論 (ヴォラン、1560年)
     『化粧品とジャム論』は、1560年にもリヨンのアントワーヌ・ヴォランによって再版されたようである。 正式名 Excellent moult utile Opuscule à touts necessaire, qui desirent auoir cognoissance de plusieurs exquises Receptes, diuisé en deux parties.La premiere traicte de diuerses façon de Fardemens Senteurs pour illustrer embellir la face. La seconde nous monstre la façon maniere, de faire confitures de plusieurs sortes, tant en miel, que s...
  • 化粧品とジャム論 (ヴォラン、1556年)
     『化粧品とジャム論』は、1556年にもリヨンのアントワーヌ・ヴォランによって再版された。 【画像】初版ないし1556年版の扉。説明は後述(*1)。 正式名 Excellent moult utile Opuscule à touts necessaire, qui desirent auoir cognoissance de plusieurs exquises Receptes, diuisé en deux parties.La premiere traicte de diuerses façon de Fardemens Senteurs pour illustrer embellir la face. La seconde nous monstre la façon maniere, de faire confitures de plusie...
  • 化粧品とジャム論 (ヴォラン、1555年)
     『化粧品とジャム論』の初版は、1555年にリヨンのアントワーヌ・ヴォランによって出版された。 【画像】初版ないし1556年版の扉。説明は後述(*1)。 正式名 Excellent moult utile Opuscule à touts necessaire, qui desirent auoir cognoissance de plusieurs exquises Receptes, diuisé en deux parties.La premiere traicte de diuerses façon de Fardemens Senteurs pour illustrer embellir la face. La seconde nous monstre la façon maniere, de faire confitures de plus...
  • 化粧品とジャム論 (マルネフ兄弟とブーシェ兄弟)
     『化粧品とジャム論』は1560年代後半にポワチエでも再版された。 正式名 Excellent Vtile Opvscule, à tous necessaire, qui desirent sçauoir auoir cognoissance de plusieurs exquises Receptes, diuisé en deux parties.La premiere traicte de diverses façon de Fardemens pour illustrer embellir la face, pour faire bonnes Senteurs. La seconde nous monstre à faire Confitures de plusieurs sortes, tant en miel, que sucre, vin cuit...
  • アウクスブルク
    ...ダムスの主著の一つ『化粧品とジャム論』のドイツ語版(1572年、1573年、1581年、1589年)は、いずれもアウクスブルクの出版業者ミヒャエル・マンガーの手で出版された。  アウクスブルクはフランス語では Augsbourg と綴るが、『予言集』では Auspurg という変則的な綴りで登場する(初出についての話であって、後代の異本には数多くの変形が見られる)。  マリニー・ローズによると g を落とした Ausbourg という綴りは、古い綴りとして見出されるらしい。しかし、Auspurg の出所については言及していない。  そのため、そういう変則的な綴り方をした理由はよく分からないが、これがアウクスブルクを指すことには、実証主義的諸論者の間で異論がない。  Auspurg は以下の詩篇で登場している。 詩百篇第3巻53番 詩百篇第5巻12番(未作成) ...
  • ノストラダムスの万能薬
    ...ところ日本で唯一の『化粧品とジャム論』の訳書である。ただし、訳者もあとがきできちんと断っているが、転訳につぐ転訳を繰り返している。  『化粧品とジャム論』の初版は1555年だが、1557年版の時点で、章の省略や様々な異文の混入が見られた。1572年にイェレミー・マルツがドイツ語訳した版の底本は未詳だが、自身の判断で第1部第18章を省いた旨の断り書きがあるので、省略のない初版に近い系統からの訳だったのかもしれない。  ベーザーはそれを現代ドイツ語に直して Die Elixiere des Nostradamus. として刊行したが、英語版はそこで保存されていた章立てを廃止し、全部で16章分が省かれた。  日本語版はその英語版からの翻訳である。おおよその雰囲気を掴む上では有用だろうが、細部の動植物や鉱物の名前、処方などについては、本来の『化粧品とジャム論』から乖離してい...
  • The Elixirs of Nostradamus
    ... 内容  『化粧品とジャム論』の英語版である。底本はクヌート・ベーザーが1994年に編集したドイツ語版だが、問題が多い。  まずはドイツ語版で保たれていた章立てが廃止されている。さらに、本来の『化粧品とジャム論』が第1部全34章(ドイツ語版の底本になった1572年アウクスブルク版の時点で第18章が省かれていたので、全33章)、第2部全31章なのに対し、この英語版は、第1部が23章分、第2部が25章分しか訳出されていない。  訳語についても、1572年ドイツ語版から1994年ドイツ語版を経ての英語訳であるため、信頼性の点で疑問がある。  ピーター・ラメジャラーは「小便」が「飲み水用の井戸」に化けてしまっている例などを引き合いに出しつつ、「驚くまでもなく、伝言ゲームのようなものである。(略) もしあなたがこれらを容認するなら、自分で責めを負うしかない」(*1)と突き放...
  • ブーシェ兄弟
    ...ルネフ兄弟と共同で『化粧品とジャム論』ポワチエ版を出版した。 名前 コメント
  • ジョヴァンニ・バッティスタ・コンファロニエリ
    ...、ノストラダムスの『化粧品とジャム論』(特に菓子のレシピなどを扱った後半)の主要参考文献になったと推測されている(*2)。  また、同時代にフランス語訳された「ジョヴァンニ・バッティスタ・カヴァジョーリ」(Giovanni Battista Cavagioli)の『あらゆるジャムの製法』 (Manière de faire toutes confitures)も、著者名が少々異なってはいるが、コンファロニエリの著書の翻訳と推測されている。  このフランス語版は、1550年頃にパリで出た後、リヨンの出版業者ブノワ・リゴーによって、『あらゆる種類のジャム、香辛料、蒸留物、果物砂糖煮、コチニャック、香料入りワイン、染料、煎じ薬、芳香水、様々な香料、石鹸、澱粉、白粉、芥子のための実践。人体に裨益大なる良質のビネガーの作り方およびペストに対する極上の処方も併記』(*3)というタイトル...
  • Traité des Confitures (Gutenberg reprint, 1979)
    ...t)から出版された『化粧品とジャム論』の復刻版。  『ジャム論』という簡略な題名ではあるが、きちんと全編がアルスナル図書館所蔵の1557年プランタン版に基づいて復刻された影印版で、別冊での解説文が挟み込まれている。 名前 コメント
  • Le Traité des Confitures de Nostradamus (Deveau, 2006)
    ...ドヴォーが復刻した『化粧品とジャム論』の復刻版である。2006年にラ・ロッシェルのエートル・エ・コネートル社(Editions Etre Connaître)から出版された。 内容  『化粧品とジャム論』のうち、後半のジャム論の部分の復刻である。綴り字を現代式に直しているが、それ以外は忠実に復刻されている。底本になっているのは1556年リヨン版で、後の版で省かれることもしばしばだった巻末付録のヘルモラウス・バルバルスの書簡も復刻されている。  冒頭にはドヴォーによるルネサンス期のジャムの位置づけに関する紹介と、ノストラダムスの小伝が付けられており、巻末には70語近くの意味を記した用語集が収録されている。 名前 ...
  • Bastiment de plusieurs receptes, pour faire diuerses Senteurs & lauemens
     ミシェル・ド・ノートルダム(ノストラダムス)の『化粧品とジャム論』は、ミシェル・ド・ノストラダムス(ノストラダムス2世)によって再編集された海賊版が存在している。出版したのはパリのギヨーム・ド・ニヴェールである。 【画像】扉に使われている木版画(*1) 正式名 Bastiment de plusieurs receptes, pour faire diuerses Senteurs lauemens pour l'embellissement de la face conservation du corps en son entier Aussi de plusieurs Confitures liquides, Et autres Receptes secretes desirées non encore veües.De l'I...
  • Die Elixiere des Nostradamus
    ...。ノストラダムスの『化粧品とジャム論』の再編集版である。 書誌 Die Elixiere des Nostradamus. Ein Rezeptbuch. Mit einer Einleitung von Wulfing von Rohr und zeitgenössischen Illustrationen von Leonhard Fuchs , Knut Boeser (Hrsg.), Rowohlt Taschenbuch Verlag, Reinbek, 1994 内容  1572年にイェレミー・マルツが翻訳した『化粧品とジャム論』(アウクスブルク)を現代ドイツ語で復刻したものである。底本にはオーストリア国立図書館の蔵書を使用したという。  ノストラダムスの原著は挿絵が全くない味気のない著作であるが、ベーザーは同時代の医師・植物学者レオンハルト・フックス(...
  • 化粧品とジャム論
     『化粧品とジャム論』(Le Traité des Fardements et des Confitures)は、ノストラダムスの医師としての主著である。初版のメインタイトルは『多くの至妙の製法についての知識を得たいと思う全ての人々にとって優良かつ大変有益な二部構成の小論集』(Excellent moult utile Opuscule à touts necessaire, qui desirent avoir cognoissance de plusieurs exquises Receptes, divisé en deux parties.)となっていたが、後の版ではしばしば異なる題名が用いられ、しかもそれらがいずれも長いので、現在では『化粧品とジャム論』ないし『化粧品論』(Traité des Fardements)、『ジャム論』(Traité des Confitures)...
  • オリヴィエ・ド・アルシー
    ...ラダムス関連  『化粧品とジャム論』の再版を1556年に出版した。パリで出版された関連書としては最古の部類に属する。 名前 コメント
  • マルネフ兄弟
    ...ーシェ兄弟と共同で『化粧品とジャム論』ポワチエ版を出版した。 名前 コメント
  • ギヨーム・ニヴェール
    ...言集(1567年) 化粧品とジャム論・海賊版(1567年頃) を刊行した。 名前 コメント
  • アントワーヌ・ヴォラン
    ...  1555年に『化粧品とジャム論』の初版を出版し、1556年と1560年に再版した。  暦書の共同出版も行い、ジャン・ブロトーと共同で 『1558年向けの暦』 『1558年向けの新たなる占筮』 『1560年向けの大いなる新占筮』 を出版し、ピエール・ブロトーと共同で 『1562年向けの新たなる占筮』 『1566年向けの暦』 を出版した。 名前 コメント
  • ジャン=ミシェル・ドヴォー
    ...  2006年に『化粧品とジャム論』の後半部分を現代式に綴り直し、簡略な用語集をつけた『ノストラダムスのジャム論』を出版した。 名前 コメント
  • ノストラダムス関連年表
    ... 1555年 - 『化粧品とジャム論』の初版を刊行する。 1555年5月4日 – 『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版を刊行する。 1555年8月 - 国王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシス(未作成)に謁見。 1556年頃 - 次男シャルル・ド・ノートルダム誕生。 1556年 - アントワーヌ・クイヤールが『ル・パヴィヨン・レ・ロリ殿の予言集』を刊行する。これは『予言集』のパロディであり、最初の風刺文書である。 1557年 - 『ガレノスの釈義(未作成)』初版を刊行する(翌年には再版される) 1557年 - 『化粧品とジャム論』がアントウェルペンでも再版される。 1557年9月6日 - 『予言集』の増補版を刊行する。 1557年11月3日 - 三男アンドレ・ド・ノートルダム誕生。 1557年11月3日 - 『予言集』増補版の粗雑なコピーが刊行される。...
  • ノストラダムス2世の著書一覧
    ...まで続く驚異の予言 化粧品とジャム論 1567年 1583年まで歴年続く20年間の予言集・1567年版 予言あるいはその年の四季の驚異の転回・1567年版 1568年 予言あるいはその年の四季の驚異の転回・1568年リヨン版 予言あるいはその年の四季の驚異の転回・1568年パリ版 ノストラダムス2世名義 1568年 1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版 1569年 1583年まで歴年続く20年間の予言集・1569年版 1571年頃 1583年まで歴年続く13年間の予兆集 最も記憶されるべき諸事件の予言集・トロワ版 1574年 最も記憶されるべき諸事件の予言集・リヨン版 1575年 聖ビルギッタ、聖キュリロスや他の多くの聖者たちや敬虔な人々の啓示と驚くべき預言の集成 1577年頃 1577年向けの暦と予測(Almanach ende prognostic...
  • Almanach pour l'an 1558 (Anvers)
    ...期が近いものには、『化粧品とジャム論』1557年版と『1559年向けの占筮』英訳版がある。  前者はクリストフ・プランタン(未作成)が事業開始間もない頃に出版したもので、刊行者名の記載はやはりない。後者はロンドンの刊行物の出版地偽装と推測されている。  『1558年向けの暦書』もプランタンの刊行かどうかは何とも言えないが、アントウェルペンでの関連書の出版はこのあと20年ほど途絶える。1558年には『1558年の予兆』もアントウェルペンで出版されており、なぜこの時期だけに集中したのかは全く分からない。 名前 コメント
  • アジャン
    ...もいた。そのことは『化粧品とジャム論』でノストラダムス自身が述懐している(*2)。  1530年前後にアジャンのユリウス・カエサル・スカリゲル(ジュール・セザール・スカリジェール)と親交を深めた時期もあったらしい。  ただ、その具体的な時期は、ノストラダムスの博士課程在学期間との関連もあり、はっきりしていない。少なくともアンリエット・ダンコスとの結婚契約書の存在によって、1531年ないし1532年にアジャンにいたことは確かであろうと考えられる。 登場箇所  『予言集』では以下の詩篇に登場する。 Agen詩百篇第4巻72番 詩百篇第9巻38番(未作成) 詩百篇第9巻85番(未作成) Agennois詩百篇第7巻12番 地図 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • Nostradamus, Bibliomancer : the man, the myth, the truth
    ...年パリ版の各予言集、化粧品とジャム論1556年版、暦書の一例として『1562年向けの暦』、ローラン・ヴィデルの批判書などの全ページ分の画像データが収められている。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • Le Remede tres utile contre la peste et toutes fievres pestilentielles
    ...エドガー・レオニは『化粧品とジャム論』の第8章(ペスト治療薬)の抜粋と言われているという見解を紹介していたが(*2)、現在では1559年に英語で出版された『健康のために有益な一論文』のフランス語原本(より正確にはその再版)と見なされることがしばしばである(*3)。  とはいえ、この版の刊行者ニヴェールは偽ノストラダムスの作品を多く出す一方で、本物のノストラダムスの文献は(確認されている限りでは)一点も出していない。ゆえに、この版も先行する初版を元にした海賊版等であった可能性がある。  また、パトリス・ギナール(未作成)のように、この版と英語版『健康のために有益な一論文』が対応していること自体に懐疑的な見解もある(*4)。 名前 ...
  • 化粧品とジャム論 (プランタン)
     『化粧品とジャム論』は、1557年にアントウェルペン(未作成)のクリストフ・プランタン(未作成)によっても出版された。特定の章が削除された最初の版であろうと思われる。 【画像】1557年版の扉(*1) 正式名 LE VRAY ET PARFAICT EMBELLISSEMENT DE LA FACE, conservation du corps en son entierc ontenant[sic.]plusieurs Receptes secretes desirées non encore veûes. LA SECONDE PARTIE, CONTENANT LA FAÇON ET MANIERE de faire toutes confitures liquides, tant en succre, miel, qu'en vin c...
  • ブノワ・リゴー
    ...に、1572年には『化粧品とジャム論』の再版も手がけ、晩年にも1594年と1596年に『予言集』の再版を出したようだが、こうした本家ノストラダムスの文献と並行して、偽ノストラダムスや便乗した作家たちの著作も手広く手がけた。  列挙すると、ノストラダムスの一番弟子 『1567年向けの真の占筮』(1567年)、著者不明 『年々ならびに永遠の占筮』(1567年)、ノストラダムス2世 『現在から1585年までの予言』(1574年)、アントワーヌ・クレスパン 『いとも高貴にして敬虔なキリスト教徒たるフランス王シャルル9世に捧げられた書簡』(1571年)、『フランスの帝王シャルル9世の母后に宛てた書簡』(1573年)、同『彗星の予兆と影響を提示するための、国王ならびに世紀の哲学論争の当事者たちに宛てた書簡・リヨン版』(1578年)、同『1581年向けの驚異の大占筮』(1581年頃)、コル...
  • エヴリット・ブライラー
    ...告がある。明らかに『化粧品とジャム論』の英訳と思われるが、冒頭にブライラーによる注記があるという。この文献の存在は確認できず、実際に出版されたのかどうか自体がよく分からない。 名前 コメント
  • カルカソンヌ
    ... ノストラダムスは『化粧品とジャム論』の中で、若い頃に巡ったことのある町の一つとしてボルドー、トゥールーズ、ナルボンヌ、カルカソンヌなどを挙げていた(*5)。  『予言集』ではカルカス (Carcas.)という略称で 詩百篇第1巻5番 詩百篇第5巻100番 詩百篇第9巻10番(未作成) 詩百篇第10巻5番 に登場している。  また、カルカソンヌ (Carcassonne) として 詩百篇第3巻62番(未作成) 詩百篇第9巻71番(未作成) に登場している。略称の方が多いのは1行10音節という四行詩の制約によるもののはずで、それ以上の深い意味はないだろう。  なお、詩百篇第8巻67番に登場する PAR.CAR.NERSAF の CAR はカルカソンヌの略という説もある(ただし、当「大事典」ではこの可能性に否定的である)。 大きな地図で見る ※...
  • 作品一覧
    ...たという瓦版。 『化粧品とジャム論』(初版1555年)医師・料理研究家としての著作。2部構成になっており、前半で様々な薬品類の処方を説明し、後半で菓子類のレシピを紹介している。後半はフランス人による最初のジャムの製法指南書とされる。第一部には恐らくは倫理上の問題から早々と削除された章があるものの、1572年までに少なくとも7版を数え、他にドイツ語訳版も3版刊行される人気作となった。 『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』(初版1555年)3797年までの予言を収めたと称する、ノストラダムスの主著。現在「ノストラダムスの予言」として引用される詩句・散文は、基本的にこの著作のものである。本来は「百詩篇集」と呼ばれる四行詩と散文体の序文からなる著書であったが、17世紀に「予兆詩集」「六行詩集」が追加された。 『ガレノスの釈義(未作成)』(初版1557年)正確には『メノドトゥスによる人...
  • ナルボンヌ
    ... ノストラダムスは『化粧品とジャム論』の中で、若い頃に巡ったことのある町の一つとしてボルドー、トゥールーズ、ナルボンヌ、カルカソンヌなどを挙げていた(*3)。  『予言集』ではナルボンヌ (Narbonne) という正式名で 詩百篇第1巻5番 詩百篇第8巻22番(未作成) 詩百篇第9巻38番(未作成) に登場している。  また、ナルボン (Narbon) という古称で 詩百篇第1巻72番(未作成) 詩百篇第1巻99番(未作成) 詩百篇第2巻59番 詩百篇第3巻92番 詩百篇第4巻94番(未作成) 詩百篇第6巻56番(未作成) 詩百篇第9巻34番 詩百篇第9巻63番(未作成) 詩百篇第9巻64番(未作成) に登場している。信奉者の中には「ナルボン」はナルボンヌと別の暗号だと主張する者もいるが、語源的な説得力に欠ける。特に、詩百篇第2巻59番では Mars Narb...
  • トゥールーズ
    ...しい。それは本人が『化粧品とジャム論』で「私はかつてボルドー、トゥールーズ、ナルボンヌ、カルカソンヌと、アジュノワ地方の大部分で実践していた」(*3)と明言していることからも確実視されている。  詩百篇集では、第1巻72番(未作成)、第8巻30番、第8巻86番、第9巻9番、第9巻10番(未作成)、第9巻37番、第9巻46番、第9巻72番で直接的に都市名を名指しする形で登場し、トゥールーズ市民(Toulousain)も第3巻45番、第8巻39番(未作成)に登場している。  ほかにも第8巻29番、第8巻40番、第9巻74番のように、市内の地名や建造物名と思われる言葉の存在によって、この都市がモデルと推測されている詩篇はある。  ただし、詩篇の中での扱いは必ずしも良いとは言えず、エヴリット・ブライラーは第3巻45番の解釈で、「ノストラダムスはトゥールーズが好きではない」と言い切...
  • リヨン
    ...集』初版・増補版、『化粧品とジャム論』初版といくつかの再版、暦書類のかなりの部分をリヨンで出版している。  リヨンの出版業者ジャン・ブロトーと交わした私信には、いくつか現存しているものがある。  また、ノストラダムスはリヨンを訪れた際に現地の有力者ガダーニュの屋敷に泊まったことがあるが、この館は旧市街に現存しており、マリオネット博物館になっている。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ミシェル・ショマラ
    ...00) 1555年版化粧品とジャム論(2008年) (3)インタビュー 伝説は遺産の一部(Les légende font partie du patrimoine, Lyon découverte ; été 2005) 谷崎テトラ構成「(ミシェル・ショマラ氏緊急来日インタビュー)ノストラダムスが伝えたかったメッセージは破局ではなく、愛だったのです」(『たま』第121号、1999) ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ジャン・ド・ノートルダム
    ...ストラダムスの著書『化粧品とジャム論』(1555年)の第二部には、「エクスの検事」であるジャンに宛てた献辞が収録されている。  ジャンは本業の傍らでプロヴァンス史研究を行っており、その成果の一部は『最も名高い昔のプロヴァンス詩人たちの生涯』(リヨン、アレクサンドル・ド・マルシリ、1575年)として刊行された。同じ年には同じ版元からイタリア語版も出され、そちらは1702年と1722年に再版されている。フランス語版は1913年に増補の上で復刻されており、1971年にはオリジナルの復刻版も出された。  ほか、800ページ近くに及ぶプロヴァンス史研究の草稿がエクスの市立図書館に現存している(*5)。これは生前刊行されることはなかったが、甥のセザール・ド・ノートルダムがこの研究を引き継ぎ、『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年)として出版している。  かつては159...
  • 暦書
    ...ムへの献辞を添えた『化粧品とジャム論』、生まれたばかりの息子セザール・ド・ノートルダムに宛てた序文を添えた『予言集』初版などとは異なっている。  献辞を捧げた相手には、フランス王アンリ2世、同シャルル9世(未作成)、カトリーヌ・ド・メディシス(未作成)、ナヴァル国王アントワーヌ・ド・ブルボン、ローマ教皇ピウス4世(未作成)、文人ジャン・ド・ヴォゼル、サヴォワ公妃マルグリット・ド・フランス(未作成)などがいた。 編集  ノストラダムスは、毎年夏ごろまでには、翌年分の暦書の原稿を仕上げていたようである。ノストラダムスは、自身の原稿が適切に出版されるかにも注意を払っており、1553年11月には、いい加減な形で編集したベルトー師という業者を訴え、原稿を取り上げている。この原稿は、アントワーヌ・デュ・ロワイエ(アントワーヌ・デュ・ローヌ?)という印刷業者に渡され、彼の下で印刷さ...
  • 百詩篇第7巻14番
    ...ル・クレベールは、『化粧品とジャム論』の中で、ローマの古代遺跡を見るという場面で topographie と表現している例があることを指摘し、「見るべき場所」の意味で使われている可能性を示した(*2)。上で「地誌に描かれた場所」と訳したのは、そうした読み方を意識したことによる。  なお、ピーター・ラメジャラーは1行目の Faux を「鎌」の意味にとって、「鎌が地形をさらけ出すだろう」のように読んでいる。  2行目以降は主としてクレベールの読み方に従った。特に3行目は隠喩と見なす彼の読み方に従い、挿入的に捉えた上で言葉を補った。若干強引なようだが、4行目は明らかに2行目と直結しているので(4行目の4つの形容詞は全て女性形でなおかつ複数形になっている。この詩には複数形の女性名詞は2行目の cruches しかないため)、十分に説得力はあるものと思われる。  既存の訳につ...
  • 詩百篇第2巻53番
    ...きの凄惨な有様を、『化粧品とジャム論』(1555年)でこう綴っている。 「そこで発生したペストは非常に悪性で激しいものであって、多くの者が、神による罰であると述べていた」(*13)。  ノストラダムス自身、多くの犠牲者たちを看取る中で、その凄惨さの陰に何らかの因果関係を想定せずにはいられなかったのではなかろうか。  そう考えれば、プロヴァンスのペスト大流行とリュブロンの大虐殺を結び付けた可能性は十分にあるだろうし、新型コロナウイルスや未来の事件を引き合いに出すまでもないだろう。 外部リンク 新型コロナウイルス感染症について(厚生労働省)  日本政府の対応にも、世界保健機関の対応にも、批判が多いのは事実であり、そうした公的な情報を無条件に信じられる人は多くないかもしれない。  しかし、その不安に乗じて無責任な言説を垂れ流す輩に飛びついたところで...
  • 『ミシェル・ノストラダムスの生涯と遺言』の伝記
    ...放浪期間に関する 『化粧品とジャム論』 での仄めかしについては、後続の節で検討する。 第5節 訪問先で出会った医師・薬剤師と彼らへの評価 {{作成中}} 第6節 白豚と黒豚の話  彼は予見する素質を持っていても、それを隠し続けていた。しかし、それは彼の内での火のような存在だった。それに灰をかぶせてはいたものの、時折そこから散る火の粉として現れるのをやめなかったのである。  それで彼は時折予言をすることがあり、それが効力を持った 〔=的中した〕 ために、彼は行く先々で尋常ならざる能力を持った人物であると見なされた。〔その能力とは〕 未来を見通す天賦だという人々もいたし、もっともらしい予言によって巧みに人々を欺く能力に過ぎないという人々もいた。彼は非常に熟達した医師と見なされてはいたが、ロレーヌ地方ではフロランヴィルの領主 (le seigneur de Florin...
  • ノストラダムス2世
    ...家ノストラダムスの『化粧品とジャム論』などを遠慮なく剽窃し、自分名義で出版した。  ノストラダムスが生きていたときは弟子を名乗り、著書の献辞の中では「(私が本家ノストラダムスの)弟子と自認することを何ら恥じるものではありません」と相当に厚顔なことまで言ってのけていた(*2)。  ノストラダムスが死ぬと le Jeune(若い方、2世)をつけて活動するようになった。このため、同時代の大書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌもノストラダムスの子供として紹介していた(*3)。これを引き継ぐかのように、後代の研究家・書誌学者の中には実子セザール・ド・ノートルダムと混同してしまうケースも見られた。  また、テオフィル・ド・ガランシエール、バルタザール・ギノーなどのように、この人物をノストラダムスの長男と位置づけ、セザールを次男としているものも見られた。こうした位置付けは19世紀のミショー...
  • 山口敏太郎
    ...ニエリの料理本 (『化粧品とジャム論』の参考文献になった) はきちんと現存している (ノストラダムスのサインがあり、ミシェル・ショマラらが本物と認定している)。  そもそも元ネタを分からなくするために蔵書を燃やすというのも意味不明な論理である。世界に1冊しかない写本を燃やしたというのならともかく、当時数百部単位で印刷されていたであろう文献のうち、自分の持っている1冊を燃やしたところで、第三者から見て元ネタが分からなくなるはずもない。  たとえば、山口は前出の対談本で百詩篇第5巻38番の前半2行を紹介しているが(*5)、これは当「大事典」の訳文を丸写しにしたものである。出典が全く書かれていないので、引用の要件を満たしておらず、明らかに不適切な転載となっている (誰が訳してもほぼ同じにしかならない詩ならまだしも、この詩がそうでないことはその詩の記事の「訳について」節を見て頂けば...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・マルテル、1689年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1689年にボルドーのジャン・マルテルによっても出版された。 正式名 扉 全体の扉 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, se passe presentement tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, que autres parties du monde. Reveuës corrigées suivant les pre...
  • 予兆詩第68番
    予兆詩第68番(旧61番) 1561年5月について 原文 Joye non longue abandonné des siens. L an pestilent, le plus grandassailli, La Dame bonne aux champs Elysiens. Et la plus part des biens froid non cueilli. (*1) 異文 (1) le plus grand 1561LN le plus Grand T.A.Eds. (2) Elysiens helisiens 1561LN (注記)1561LN は初出である『1561年向けの暦』を指す。この文献は断片が現存しており、この詩については完全に比較が可能である。 百詩篇第7巻76番 Ioye1 non longue abandonné d...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • 予兆詩第71番
    予兆詩第71番(旧64番) 1561年8月について 原文 Mort saisi, des nonchalans le change S eslongnera en s approchant plus fort. Serrez unis en la ruine grange. Par secours long estonné le plus fort. (*1) 異文 (1) nonchalans nonchelans 1605 1649Xa (2) Serrez Sarrez 1605 1649Xa (注記)初出である『1561年向けの暦』は断片が現存しているが、この詩が載っていたページは現存しておらず、比較できない。 百詩篇第7巻79番 Mort saisi de nonchalans le change S eslongnera ...
  • 予兆詩第103番
    予兆詩第103番(旧93番) 1564年1月について 原文 Temps fort divers, discorde descouverte. Conseil belliq, changement, pris, changé. La grande1 n estre, conjurez, par eaux2 perte. Grand simulté, tous au plus grand3 rangé. (*1) 異文 (1) grande conj.(BC) Grande T.Eds. (2) eaux 1589Rec eau T.A.Eds. (3) grand conj.(BC) Grand T.Eds. (sauf Grands 1668P) (注記)1589Rec はジャン=エメ・ド・シャヴィニーの手稿『散文予兆集成』の異文。この年向けの予...
  • 予兆詩第69番
    予兆詩第69番(旧62番) 1561年6月について 原文 Courent1 de loin2, ne s apprester conflits, Triste entreprise, l air pestilent hideux. De toutes pars les grands3 seront afflits. Et dix sept assaillir vint deux. (*1) 校訂 (1) Courent conj.(PB) Court 1561LN, Course 1589Rec, Courses T.A.Eds. (2) loin 1589Rec loing 1561LN, LOIN T.A.Eds. (3) grands 1561LN 1589Rec Grands T.A.Eds. (注記)1589Rec はジャン=エ...
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