M.P.エドゥアール

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「M.P.エドゥアール」で検索した結果

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  • RAYPOZ
     RAYPOZ は詩百篇第9巻44番に登場する単語で、標準的なフランス語読みならば「レポ」または「レポズ」である。アナグラムとして理解する論者が多い。 有力な説  Le contre RAYPOZ (RAYPOZの反対) は、綴りをほぼ逆にひっくり返した人名であるゾピュラ(Zopyra)を指していると考えられる(*1)。確認できる範囲では、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)の著書(改訂第4版、1939年)がこの解釈を提示した最古の例のようである。もっとも、フォンブリュヌ自身は後に RAPAX(未作成)と同じとする解釈に変更してしまっている(*2)。  この解釈は、シャルル・レノー=プランス、ロルフ・ボズウェル、アンドレ・ラモン、エドガー・レオニらが引き継いだため、海外では信奉者、懐疑派を問わず広く見られた。中には、M.-P.エドゥアール(未作成)のように、原文そのものを Zo...
  • 百詩篇第2巻24番
    ...、アンドレ・ラモン、M.P.エドゥアール(未作成)、ジェイムズ・レイヴァー、エリカ・チータム、ジョン・ホーグ、セルジュ・ユタン等々と、枚挙に暇がない(*7)。  日本でも、五島勉が『ノストラダムスの大予言』(1973年)の中でヒトラーと結びつける解釈を展開したため、広く知られることとなった。五島の場合、Ister という異文を採用し、ノストラダムスが当初 Ister と予知した名前を後の詩(百詩篇第4巻68番)で Hister に改善し、しかし Hitler までは予知し切れなかったという段階的な予知をうかがわせるものだとも言っていた(*8)。  その後、日本人でこの詩をヒトラーと結びつけた論者には、藤島啓章、池田邦吉(*9)などがいる。  もちろん、ヒトラーと解釈しなかった論者は20世紀以降にもいる。  ヘンリー・C・ロバーツは当初ヒトラーと結び付けないでかなり漠然と...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • 詩百篇第9巻44番
    詩百篇第9巻 44番* 原文 Migres1 migre2 de Genesue3 trestous4, Saturne d or en fer5 se changera, Le contre6 RAYPOZ7 exterminera tous8, Auant l a ruent9 le ciel10 signes11 fera. 異文 (1) Migres Migrés 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Ma 1627Di 1628dR 1649Ca 1650Mo 1650Ri 1667Wi 1668 1716PR 1772Ri 1791Ga 1792Du 1793Bo 1800Sa, Migrez 1644Hu 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To (2) migre ...
  • マコン
     マコン (Mâcon) はフランス、ソーヌ=エ=ロワール県の県庁所在地。 概要  古代ローマ時代にはアエドゥイ人の居住地で、古称はマティスコ・アエドゥオルム (Matisco Aeduorum)。マティスコは山や森を意味する語幹に接尾辞がついたものらしい(*1)。  16世紀にはプロテスタントの拠点として、ユグノー戦争での荒廃を経験した。  18世紀末には詩人ラマルチーヌがこの町で生まれた。現在はオートバイをはじめとする工業生産を行なっている(*2)。 ノストラダムス関連  『予言集』でマコンが直接登場するのは、正篇2篇と補遺篇1篇の計3篇である。 詩百篇第3巻69番 詩百篇第9巻70番(未作成) 詩百篇第11巻97番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • Negrepont
     ネグルポン(Nègrepont)は、ギリシアのエヴォイア島(Évvoia)およびその主都ハルキスの中世フランスでの名称。  中世の歴史家ヴィルアルドゥアンや詩人ジャン・ルメール・ド・ベルジュにも使用例がある(*1)。イタリア語ではネグロポンテ(Negroponte)という。  ただし、ギリシャ語でネグロが黒、ポントスが海を指すことから、ロジェ・プレヴォやピーター・ラメジャラーは文脈によっては「黒海」を指している可能性があると捉えている(*2)。 登場箇所 詩百篇第2巻3番 詩百篇第2巻21番(未作成) 地図 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • D.M.
     D.M.は詩百篇第8巻66番に登場する略語。  エドガー・レオニは Diis Manibus (死者の御霊に)というラテン語の定型句と判断した。  これは古代ローマの墓碑に刻まれる定型句で、この読み方はジャン=ポール・クレベール、ピーター・ラメジャラーらから支持されている。  セザール・ド・ノートルダムの証言が正しいのなら、当初のノストラダムスの墓碑もこの2字で始まっていた(*1)。この点はクレベールも指摘していた。  ノストラダムスの墓碑は古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの墓碑の翻案というべきもので(*2)、その影響もあったのかもしれない。  なお、19世紀に再建された現在の墓碑は D.O.M. (「至高にして善なる神に」を意味するキリスト教徒の墓碑の定型句)で始まっており、セザールの証言を確認することは出来なくなっている。  なお、ピエール...
  • パドヴァ
     パドヴァ(Padova) はイタリア、ヴェネト州パドヴァ県の県庁所在地。英語名はパドゥア(Padua)、フランス語名はパドゥ(Padoue)。 概要  伝説上、トロイアの将軍であるアンテノルがトロイア陥落後にイタリアに渡ってきて建設したとされる都市で、古代ローマ時代の名称はパタウィウム(Patavium)。  紀元前4世紀頃に建設されたバッキリオーネ川沿いの都市で、河川を利用した貿易などで栄えた。ティトゥス・リウィウスの出身地でもある。  ロンゴバルト人の破壊を経験するが、中世には自由都市として再興を果たし、イタリアで2番目に古いパドヴァ大学の創立によって学芸の町としても名を馳せた。また、ジョットのフレスコ画に代表される芸術の町でもあり、13世紀前半にパドヴァ近郊で歿した聖アントーニオを記念する巡礼地でもあった。  1405年からはヴェネツィアの支配下に置かれ、18世...
  • ver.serp.
     ver.serp. はおそらく何かの略語だろうが、意味が確定されていない語。以下のような解釈がある。 フランス語 verra, serpentera(見るだろうし、屈曲するだろう)の略。これはアナトール・ル・ペルチエが推測したが(*1)、現在では支持する者はいない。 ラテン語のvera serpens(真の蛇)の略。これはエドガー・レオニが提示し、ブリューノ・プテ=ジラールらが支持している(*2)。 ミシェル・デュフレーヌは、ver.を「真の」と理解するのはすぐ上の説と同じだが、serp.はラテン語からの借用で「蛇」を意味している可能性のほか、ギリシャ語からの借用で「木の箱、柩」の可能性があるとしている(*3)。 ラテン語の versus serpens(とぐろを巻いた蛇)の略。ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌはこの表現が『ヨハネの黙示録』でサタンを指している表現をもとにし...
  • 恐怖の大王
     恐怖の大王(un grand Roi d'effrayeur)は、詩百篇第10巻72番に登場する語句である。日本ではノストラダムスの予言というと、この 「恐怖の大王」 が代名詞のように語られるが、20世紀初頭まではノストラダムスの予言の中でほとんど注目されてこなかった言葉でもある。  実証主義的な書誌研究では、そもそもこの詩が収められている詩百篇第10巻の全体が本物であるかどうか自体が決着していない。なお、恐怖の大王が来るとされた1999年という年は、ノストラダムスが重要な典拠としていたことが確実視されているリシャール・ルーサの年代観などとは全く整合せず、ノストラダムス予言全体の中では少々孤立している印象も否めない。 訳語の検証  この語は詩百篇第10巻72番に登場する。しかし、その原語 un grand Roi d'effrayeur のうち、「恐怖...
  • エドガー・レオニ
     エドガー・レオニ(Edgar Leoni, 1925年5月(*1) - )は、アメリカのノストラダムス研究者。記念碑的大著『ノストラダムス:生涯と文学』の著者。 経歴  『ノストラダムス:生涯と文学』のカバー裏見返しには著者紹介が載っている。経歴に直接関わる最初の2段落を翻訳の上引用しておく。 エドガー・レオニは職業的な意味では歴史家でも翻訳家でも作家でもない。彼は自身をそれらの分野での正当な才能に恵まれた「上級のアマチュア」(advanced amateur)と述べている。彼は数年間、保険業界で雇われていた。 彼は調査と執筆双方の大半を、歴史学を専攻していたハーバード大学在学時に行なった。かれはそこで文系学士号(B.A.)を取得し、続いてコロンビア大学で文系修士号(M.A.)を取得した。彼の就学は兵役で中断したが、本書に関わる作業が放置されることはなかった。彼が膨大な総目...
  • Le Message de Nostradamus sur L'ère prolétaire
     『プロレタリア時代に関するノストラダムス・メッセージ』(Le Message de Nostradamus sur L ère prolétaire) は、1976年に刊行されたヴライク・イオネスクの最初の著書である。フランス語で書かれた800ページを超える自費出版であり、頒布をパリのデルヴィ=リーヴル社が請け負った。  当「大事典」で所蔵している版の背表紙には「1977」とあるので、翌年にも再版されていたようだ。この本の内容を大幅に加筆・再編したものが、『ノストラダムス 世界の秘史』(1987年)である。 内容  ジャン・フォールの序文に続く内容はかなり重厚であり、背景となる社会情勢や神秘思想の概説を踏まえて、歴史的諸事件についての予言解釈を行い、未来予測にも踏み込むものになっている。イオネスクが師と仰ぐアナトール・ル・ペルチエの『ミシェル・ド・ノートルダムの神託集』がそうで...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、1650年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1650年頃にもリヨンのピエール・リゴーの名義で出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimées. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, Chez PIERRE RIGAVD, ruë Merciere, au coing de ruë Ferrandiere, à l ensaigne de la Fortune. AVEC PERMISSION. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ピエール・リゴー版、1716年頃)
     1566年にピエール・リゴーが出版したとされる『予言集』がある。しかし、それは1716年頃に作成された偽年代版である。 【画像】偽年代版第一部の扉(*1)  上記画像の通り、全部で3つの版の存在が知られている。便宜上、太陽が擬人化されている左端の版を A 版、渾天儀が描かれている中央の版を B 版、猪に折り重なっている人物と跪く女性が描かれている右端の版を C 版としておく(*2)。 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cents qui n'ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par l'Auteur. Imprimées par les soins du Fr. Jean Vallier...
  • suard
     suard は意味が確定されていない単語。いくつかの説がある。 アナトール・ル・ペルチエは、ラテン語の sardus (サルデーニャの人)に由来する語とした(*1)。 エドガー・レオニは、説得の女神スアダ(Suada)から転じた「説得」の隠喩か、ブランシュヴィックの住民を指すラテン語スアルドネス(Suardones)から来た語ではないかとした(*2)。 ピーター・ラメジャラーは、英語の guard の誤記とした(*3)。 ベルナール・シュヴィニャールはラテン語の suadere (勧告する)や sudare (汗をかく)、suarius (豚飼い、豚の)などの意味か、プロヴァンス語の souar (一団、軍隊)の意味ではないかとした(*4)。 マリニー・ローズはバス=ピレネーにあるシュアール(Suhart)のような地名ではないかとした(*5)。 登場箇所 予兆詩第95番(旧85番)...
  • エクトール・リゴー
     エクトール・リゴー(Hector Rigaux, 1841年11月23日 - 1930年7月16日)は、フランスの司祭。ノストラダムスに関する膨大な蔵書を持っていたことで知られ、書誌研究上の重要人物として知られている。司祭であったことからリゴー師(アベ・リゴー l abbé Rigaux)とも呼ばれる。生まれたときの名はエスペランス=エクトール・カファール(Espérance-Hector Caffart)だったようだが、すぐに改名されたこともあって、現在ではこの名で呼ばれることはほとんどない。  リゴーは、1841年にソンム県のモンシー=ラガシュで生まれた。1865年にアミアンで司祭に任命され、その地で4年ほど過ごした後、ソンム県アルグーヴの主任司祭に任命され、終生その地で過ごした。  リゴーは、ノストラダムスに関して信奉者の立場からの解釈を重ねていたアンリ・トルネ=シ...
  • Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame
     『ミシェル・ド・ノストラダーム師の散文予兆集成』(Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostradame)は、1589年にジャン=エメ・ド・シャヴィニーがまとめた手稿。彼が著作をまとめる上での参考資料となったが、公刊されることはなかった。 【画像】手稿の扉(*1) 正式名 Recueil des presages prosaiques de M. Michel de Nostradame lors qu il vivoit, Conseillier du Roy tres chrien Charles IX. du nom, et medecin ordinaire de sa Magté.Oeuvre qui se peut dire a la verité, les merveilles de nost...
  • エドガール・ルロワ
     エドガール・ルロワ(Edgar Leroy, 1883年4月17日-1965年4月2日)はフランスの精神科医、歴史家(郷土史家)。ノストラダムスの実証的な伝記研究に先鞭をつけた人物として、現在でもノストラダムスを歴史学的・文学的な視点で研究する論者たちから高く評価されている。 生涯  リール(未作成)に生まれ、生物学で学士号を、精神医学で博士号をそれぞれ取得した。第一次世界大戦の影響で家財を失ったあと、求めに応じてサン=レミ=ド=プロヴァンス(この記事では以下サン=レミと略記)に精神科医として赴任し、終生その町で過ごした。サン=レミでは本業の傍ら、地元にゆかりのある歴史上の有名人ゴッホとノストラダムスに関心を持ち、調査を行った。  とりわけノストラダムスについては、『プロヴァンス歴史学研究所論集』誌(Mémoires de l Institut Historique de...
  • La Concordance des Prophéties de Nostradamus
     『アンリ2世からルイ大王までの歴史とノストラダムス予言集との一致』(La Concordance des Prophéties de Nostradamus, avec l histoire depuis Henri II jusqu à Louis le Grand)は、バルタザール・ギノーが著したノストラダムス予言の解釈書である。 【画像】1712年版の扉(*1) 出版  パリのジャック・モレル(Jacques Morel)から1693年に初版。1709年にはジャック・モレル未亡人が増補新版を出版し、1712年にも再版した。1718年にユアール(P. M. Huart)も再版しているが、これはモレル未亡人版と同じ版であるという(*2)。両家は住所表示が近いので、おそらく正式に版を譲られたのではないだろうか。 構成  この著作は三部構成になっている。第一部...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (クロード・ガルサン、1643年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1643年にマルセイユのクロード・ガルサンによっても2種類出版された。2種類の版は題名も内容も異なるが、いずれも第二部まで収められているにもかかわらず、二部構成を採用しなかった初めての版である。 【画像】扉に使われている木版画(*1) ミシェル・ノストラダムス師の予言集 正式名 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.PRINSES SVR LA COPIE IMPRIMEE à Lyon, par Benoist Rigaud.1568. A MARSEILLE, Chez CLAUDE GARCIN, Imprimeur de la Ville à la Loge. M. D. C. XXXXIII. ミシェル・ノストラダムス師の予言集1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの...
  • メドゥーサ
     メドゥーサ (Medousa) はギリシア神話に登場する三姉妹ゴルゴンの一人。髪は蛇になっていて、その目を見た者は石になってしまうという伝説で知られている。フランス語ではメデューズ (Méduse)で、一般名詞としてはクラゲの意味である。  語源は 「支配・統治する女性」 の意味で、ギリシアの先住民族が崇拝した女神の一柱であったらしい。しかし、神話では、美しい女性だったものが、海神ポセイドンと逢瀬を重ねたために女神アテナの怒りを買い、怪物の姿に変えられたことや、鏡を活用して邪視を避けた英雄ペルセウスに首を刎ねられたことなどが語られている。  古代においてメドゥーサの首は、魔除けなどの効果を持つデザインとして、様々な工芸品などに彫られた(*1)。  ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスが築いた都市レプティス・マグナ (リビアの世界遺産) の公共広場にも、メドゥーサの首が...
  • Répertoire chronologique nostradamique (1545-1989)
     『ノストラダムス年譜総覧(1545年 - 1989年)』(Répertoire Chronologique Nostradamique (1545 - 1989))は、1990年にパリのラ・グランド・コンジョンクシオン社およびラ・メニー=ギ・トレダニエル社から刊行されたロベール・ブナズラの著書。  ミシェル・ショマラの『ノストラダムス書誌』と並び、ノストラダムス書誌の記念碑的著書として名高い。 【画像】表紙 内容  序文を寄稿しているのは、当時パリ第12大学教授にして「16世紀研究フランス学会」名誉会長であったジャン・セアールである。  本編では、1545年ごろの『オルス・アポロ』に始まり、ノストラダムス自身の著書、ノストラダムス一族や偽ノストラダムスの著書、関連する便乗本や解釈本、後の時代の『予言集』の各版など、ノストラダムス関連文献が網羅され、特筆すべ...
  • 百詩篇第3巻69番
    百詩篇第3巻 69番 原文 Grand exercite1 conduict2 par iouuenceau3, Se viendra rendre4 aux mains des ennemis Mais le viellard5 nay6 au demi pourceau, Fera Chalon7 Mascon estre amis. 異文 (1) exercite exercice 1589Rg 1597 1600 1605 1610 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1668P 1716 (2) conduict condut 1600 (3) iouuenceau iuuenceau 1605 1628 1649Xa, iouuanceau 1627 (4) rendre rendra 1588Rf 158...
  • An almanack for the yere. M. D. lxiij.
     『1563年向けの暦』(An almanack for the yere. M. D. lxiij.)は1562年頃に出版された英訳版の暦書。ノストラダムスの正規の暦書ではなく、バルブ・ルニョーによって出版された偽の『1563年向けの暦』の方を訳したものである。  出版地、出版社の記載は無いが、ロンドン(未作成)のウィリアム・パウェルが出版した無許可版と指摘する者もいる(*1)。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右) 正式名 第一部 An almanack for the yere. M. D. lxiij. Composed by M. Michael Nostradamus Doctour in Phisicke / of Salon of Craux in Prouince.Whan the sonne fayleth ý first / then...
  • La Vie de Nostradamus (Haitze)
     『ノストラダムスの生涯』(La Vie de Nostradamus) は1711年にエクス=アン=プロヴァンス(未作成)で刊行されたピエール=ジョゼフ・ド・エーツによる伝記。翌年にも再版され、伝説的なノストラダムス像の形成にも影響した。 題名 LA VIE DE NOSTRADAMUS.PAR PIERRE JOSEPH. De filiis quoque Isachar, veri eruditi, qui noverat singula tempora. Paralip. Lib. 1, cap.12, v.32 A AIX, Chez la Veuve de CHARLES DAVID, JOSEPH DAVID, Imprimeur du Roi de la Ville. 1711 ノストラダムスの生涯ピエール・ジョゼフによる。 「イサカル族の者たちは、あらゆる...
  • ALMANACH PER L'ANNO D.M.LXVII
     『1567年向けの暦』(Almanach per l Anno M. D. LXVII.)は、イタリア語訳されたノストラダムスの暦書。正規の『1567年向けの暦』フランス語版に基づいていた。 【画像】『1567年向けの暦』の扉(*1) 正式名 ALMANACH PER L ANNO D.M.LXVII COMPOSTO PER M.MICHEL NOSTRADAMO DOTTOR IN MEDICINA ET CONSIGLIERO DEL RE CHRISTINISSIMO, Tradotto fidelmente del Francese nell Italiano.Con duoi diuersi Calendarii molto stupende dichiarationi dell Eclisse del Sole del presente anno 1...
  • ジャンヌ・ド・ノートルダム (ベルトランの子)
     ジャンヌ・ド・ノートルダム(Jeanne de Nostredame, 1545年8月11日 - ?)は、ベルトラン・ド・ノートルダムの娘で、ノストラダムスの姪にあたる。  サン=レミ=ド=プロヴァンスで生まれた。洗礼に立ち会った代父は、ジョーム・ド・ノートルダムが一時代理を務めた貴族アントワーヌ・アルメランの息子ピエール・アルメランで、代母はラマノンの貴族ヨハンナ・グイレマンダ(Johanna Guiremanda(*1))だった。  サロン・ド・クローの名士でたびたび市の執政官にもなっていたトロン・ド・クドゥレ家の当主(Tronc de Coudoulet)と1565年に結婚した。エドガール・ルロワの研究書では、その名は本文ではピエール・トロン・ド・クドゥレとなっているのに対し、家系図ではジャン(Jehan)となっている。  なお、ノストラダムスがサロン滞在中...
  • Réproduction très fidèle d'un Manuscrit inédit de M. de Nostredame
     『ノストラダムスの未公刊の手稿の忠実な再版』(Réproduction très fidèle d un Manuscrit inédit de M. de Nostredame.)は、アンリ・ドゥーシェ(未作成)が1906年にマリブールで出版した復刻版。手稿『1562、1563、1564年向けの暦書の予言』を忠実に転記している。 【画像】復刻版の扉(*1) 正式名 Réproduction très fidèle d un Manuscrit inédit de M. de Nostredame. Dédié à S. S. le Pape Pie IV ローマ教皇ピウス4世に捧げられたノストラダムスの未公刊の手稿の忠実な再版 内容  当時エクトール・リゴーが所有していた手稿『1562、1563、1564年向けの暦書の予言』の復刻版である。影印本ではなく転記した...
  • A Prognostication of M. Nostrodame for the year 1567
     『ノストロダーム師の1567年向けの占筮』(A Prognostication of M. Nostrodame for the year 1567)は、1566年頃にロンドンのヘンリー・ビネマンが出版したノストラダムスの暦書。偽版と考えられている。 【画像】『1567年向けの占筮』の最終ページ(*1) 正式名  扉ページが失われているため、正式名は不明である。上に掲げた A Prognostication of M. Nostrodame for the year 1567 ノストロダーム師の1567年向けの占筮 という題名はミシェル・ショマラに拠ったものである(*2)。  しかし、上の画像のように、最終ページには「『今年1567年向けの12か月分の占筮』はここで終わり」(Here endeth the prognostication of the. xi...
  • セザールへの手紙
     「セザールへの手紙」は、『予言集』第一序文の通称。  第一序文の正式名は「ミシェル・ノストラダムスがその予言集に寄せた序文 息子カエサル・ノストラダムスへ、生命と幸福を」(PREFACE DE M. MICHEL NOSTRADAMVS à ses Propheties. Ad Cæsarem Nostradamum filium, VIE ET FELICITE.)という。  その題名の通り、まだ1歳半にもなっていなかった息子セザール・ド・ノートルダムに宛てていることから「セザールへの手紙」とも呼ばれるのである。 分量と内容  約2500語からなる。  区切りが全く存在しないので、過去さまざまな論者たちが内容によって区切ってきた。 ウジェーヌ・バレストによる区切り(全55節) アナトール・ル・ペルチエによる区切り(全59節) エドガー・レオニによる区...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、17世紀初頭)
     リヨンのピエール・リゴーは、17世紀初頭に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を少なくとも三度出版した。それらは出版者名の直前についている前置詞 PAR, Par, Chez によって区別される。 【画像】Chez の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR PIERRE RIGAVD, en rue Merciere au coing de rue Ferrandiere. Auec Permission. ミシェル・ノスト...
  • Texte intégral de Nostradamus (P.V.Piobb)
     『ノストラダムスの完全な原文』は、ピエール・ヴァンサンチ・ピオブがパリのアディヤール出版社(Editions Adyar)から出版した文献。 正式名 Texte intégral de Nostradamus.Réproduction agrandie en phototypie de l Edition d Amsterdam, 1668 Lettre à Henri II, Centuries, Présages et Sixains, précédée de la réimpression de la lettre à César, son fils d après l Edition de Lyon, 1558 avec une préface de P. V. Piobb ノストラダムスの完全な原文。1668年アムステルダム版(つまりはアンリ二世への書簡、百詩篇集、予兆...
  • Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の四行詩集の解明』(Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus)は、1656年に出版されたノストラダムス予言の解釈書。著者名も出版地名も記載されていない。 【画像】この解釈書の扉と思われるページ(*1) 正式名 ECLAIRCISSEMENT des veritables Quatrains de Maistre MICHEL NOSTRADAMVS, Docteur Professeur en Medecine, Conseiller Medecin ordinaire des Roys Henry II. Francois II. Charles IX. grand Astrologue de son temps, s...
  • SEXT.
     SEXT. あるいは SEX. は、ノストラダムスの生まれたサン=レミ=ド=プロヴァンス近郊の遺跡グラヌム(未作成)に残る碑文から抜粋された言葉のようである。 実証的な読み方  グラヌムの遺跡に残る「ユリウス家の霊廟」(Mausolée des Jules)には、こういう碑文が残っている。  SEX. L. M. IULIEI C. F. PARENTIBUS SUEIS  現代では「ユリウスの息子たち、セクストゥス、ルキウス、マルクスから両親へ」と解釈される。しかし、セザール・ド・ノートルダムの証言によれば、ノストラダムスは「ユリアの夫セクストゥス・ラエリウスが両親のためにこの円柱を立てた」と解釈していたらしい(*1)。  SEX. あるいは SEXT. はこの碑文の冒頭部分に触発されたものだろう。これは、エドガール・ルロワが指摘し、エドガー・レオニ、ピ...
  • A prognostication for the yere of our Lorde God M.D.lxiii
     『1563年向けの占筮』(A prognostication for the yere of our Lorde God M.D.lxiii)は、1562年頃に出版されたと推測されている英訳版の占筮。タイトルページしか現存しておらず、内容については不明である。  英訳版『1563年向けの暦』同様、ロンドンのウィリアム・パウェルが出版した無許可版と推測する者もいる(*1)。 【画像】『1563年向けの占筮』の扉(*2) 正式名 A prognostication for the yere of our Lorde God M.D.lxiii composed by Maister Mighel Nostradamus ; translated out of French into English. ミシェル・ノストラダムス師により構成され、フランス語から英語に訳された...
  • 百詩篇第4巻23番
    原文 La legion1 dans la marine2 classe3 Calcine4, Magnes5 soulphre6, poix7 bruslera Le long repos de lasseurée8 place9 Port Selyn10, Hercle feu11 les consumera12. 異文 (1) legion Legion 1672 (2) marine Marine 1656ECL 1665 1672 (3) classe clace 1627, Classe 1712Guy (4) Calcine Caline 1627, Calciue 1656ECL(p.123) (5) Magnes magnes 1627, Magne 1649Ca 1650Le 1668, Magues 1656ECL...
  • 百詩篇第3巻87番
    百詩篇第3巻 87番 原文 Classe Gauloyse1 n’aproches2 de Corseigne3 Moins4 de sardaigne5,tu t’en6 repentiras7 Trestous8 mourres9 frustrés10 de laide11 Grogne12 Sang nagera captif13 ne me14 croyras. 異文 (1) Gauloyse gauloise 1589PV 1590Ro 1981EB (2) n’aproches n’aproche 1557B 1588-89 1597 1600 1610 1611B 1656ECL 1668 1712Guy 1716 1981EB, naproche 1672 (3) Corseigne Corsegue 1557U 1557B 1...
  • セザール・ド・ノートルダム
     セザール・ド・ノートルダム(César de Nostredame, 1553年12月18日-1630年?)は、ノストラダムスの長男で、詩人、歴史家として著作を残し、画家としてもいくつかの作品を手がけた。ノストラダムスの『予言集』の第一序文は、彼にささげられており、一般に「セザールへの手紙」といわれる。  この記事では歴史的存在としてのセザール自身の足跡と作品を扱う。「セザール」を予言の最終解読者のコードネームとする俗説については最終解読者としてのセザール・ノストラダムスを参照のこと。 【画像】『プロヴァンスの歴史と年代記』に掲載された肖像画(1614年)(*1) 生涯  1553年12月18日、プロヴァンス州サロン・ド・クロー(現在のサロン=ド=プロヴァンス。以下、サロンと略記)で、ノストラダムスとその再婚相手アンヌ・ポンサルドの間に長男(第2子)として生...
  • Chaldondon
     Chaldondon, Caldondon は意味を確定しきれていない語。  大きく分けて地名と捉える説と、占星術師と捉える説がある。詳しくは以下の通り。 スペインの都市サルドゥエンド(Zalduendo)と捉える。これは当時の地名の綴りがかなりルーズであったことに注目したロジェ・プレヴォの説で、ピーター・ラメジャラーが支持した(*1)。スペイン語版ウィキペディアを信じるならば、サルドゥエンド・デ・アラバ(Zalduendo de Álava)は中世に Çalduendo と綴られていたこともあった様である。 カレドニア(Calédonie, スコットランドの古称)の誤記。かつてジャン=ポール・クレベールが提示し(*2)、ミシェル・デュフレーヌが支持した(*3)。 朔日(Calendes)、もしくはそれを含む数語の誤植と捉える。ピエール・ブランダムールが提示した(*4)。リチ...
  • 最終解読者としてのセザール・ノストラダムス
    最終解読者としてのセザール・ノストラダムス  ノストラダムスの予言を信じる立場の論者には、『予言集』の第一序文、すなわち「セザールへの手紙」の真の宛先は、ノストラダムスの実子セザール・ド・ノートルダム(1553年 - 1630年?)ではなく、セザールの名に仮託した予言の最終解読者であると信じる者たちがいる。  しかし、原文に即して考える限り、そのような解釈を支持すべき根拠はない。 出典  日本で広く用いられてきた大乗和子訳では、「セザールへの手紙」の末尾に近いくだりは、こう訳されている。 「息子よ、この手紙を、父ミカエル・ノストラダムスの贈物として受けよ。四行連句になっている予言を、不死なる神に祈りながら、ひもとくことを私は望むのだ」(*1)  また、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの邦訳書では、同じくだりがこうなっている。 「この手紙を終えるに...
  • 人名一覧
     ノストラダムスに関連する人名や団体名の一覧。  原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。また、一部日本人のペンネームは外国人名のように見えても全体で一つと見なしている(例えば、「フェニックス・ノア」は「は行」に掲載)。  なお、ノストラダムスの一族のうち、細かすぎる項目はノストラダムス一族の方に、出版業者のうちノストラダムス本人と関連性が薄い人物は出版業者の一覧の方に、それぞれ記載しているので、そちらを参照されたい。  名前の後の括弧は大まかな職業やグループわけを示している。斜線が引かれている場合、その前が職業などを指し、後ろがノストラダムス関連の立ち位置などを指す(「その他」とあるのは、専門的な研究者や信奉者的な解釈者と分類しづらい人物を示す)。 あ 明石三世(インテリ...
  • Almanach Povr L'An M. D. LXV.
     『1565年向けの暦』(Almanach Povr L An M. D. LXV.)は、1565年にリヨンのブノワ・オドによって出版されたノストラダムスの暦書。 【画像】『1565年向けの暦』の扉(*1) 正式名 Almanach Povr L An M. D. LXV. Avecques ses tresamples significations presages d vn chacun moys, Composé par M. Michel Nostradame, Docteur en medecine, Medecin du Roy, Astrophile à Salon de Craux en Prouence.A Lyon, Par Benoist Odo, M. D. LXV. Auec Priuilege. プロヴァンス州サロン・ド・クローの医学...
  • La vie et le testament de Michel Nostradamus
     『ミシェル・ノストラダムスの生涯と遺言』(La vie et le testament de Michel Nostradamus) は、1789年にパリで刊行されたノストラダムスの伝記である。  著者は匿名の人物であるが、そこに収められたエピソードの数々は、後年のノストラダムス伝説の形成に大きく寄与した。 題名 LA VIE ET LE TESTAMENT DE MICHEL NOSTRADAMUS, Docteur en médecine, Astrophile, Conseiller-Médecin ordinaire du Roi ; né à Saint-Remy le 14 Décembre 1503, sous le regne de Louis XII.Avec l explication de plusieurs Prophéties très-curieuse...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ディディエ/ジャン・ポワイエ)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)とジャン・ディディエによっても出版された。 【画像】ディディエ/ポワイエ版の第一部扉(左)と第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN DIDIER. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 リヨンにて、ジャン・ディディエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOST...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・デュ・リュオー)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1628年から1630年頃にトロワのピエール・デュ・リュオーによっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. A Troyes, Par Pierre Du Ruau, ruë nostre Dame. ミシェル・ノストラダムス師の予言集 1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 トロワにて、ノートル・ダム通りのピエール・デュ・リュオーによる。 第二部 Les Propheties de M. Michel No...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年頃)
     1611年版『予言集』を出版したトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)は、刊行年を記載しない版も出版していた。 【画像】左から順に第一部、第二部(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Trouuez en vne Biblioteque delaissez par l Auteur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission ミシェル・ノストラダムス師の予言集。著者の残した蔵書の中から発見された決して出版されなかった300篇を含む。 トロワにて、国王の常...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1698年リヨン)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1698年にもリヨンで出版された。リヨンでは初版以来連綿と『予言集』が再版され続けてきたが、これを最後にリヨンでの再版は1984年まで途絶えることになる。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMUS,Dont il y en a trois cens qui n ont jamais esté imprimées. Ajoustées de nouveau par ledit Autheur. A LYON. M. DC. LXXXXVIII. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 リヨン。 1698年 第二部 LES PROPHETIES DE M. M...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)によっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN POYET. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Centuries VIII. ...
  • Almanach povr L'An M. D. LXIII.
     『1563年向けの暦』(Almanach povr L An M. D. LXIII.)は、ノストラダムスの暦書のひとつ。1562年にアヴィニョンのピエール・ルーが出版した。 【画像】『1563年向けの暦』の扉(1905年の復刻版)(*1) 正式名 Almanach povr L An M. D. LXIII. Auec les presages, calculé expliqué par M. Michel Nostradamus, Docteur en medecine, Astrophile de Salon de Craux en Prouuence. Dédié au tres ill. Seign. et tres excellent capitaine, le S. Françoys Fabrice de Serbellon, General pou...
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