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「あけみちゃんおきなさぁーい」
父は毎朝、高校生にもなる私のベッドを覗き込み目を細めながら朝の挨拶が日課。
「もおーっ!うるさいなあ」
うっとうしさの中にも父からの愛情を感じていた。
≪私も将来、お父さんとお母さんのような家庭を築きたい≫心の中でいつもそう思っていた。
今思えば、人を疑うことを知らない私はそんな暖かい家庭で両親の愛情たっぷりと受けて育ったせいではないかと思う。
絵に描いた様な理想的な家庭が父の突然の発作でいっきに崩れた。

いつものように明るい父の声で起こされた日曜日の朝。
私が友達の家に遊びに行くと言ったとたん、父が怒りだした。
「今日は外出してはいけません!約束しているのならうちに呼びなさい!!」
納得がいかなかった。
「私がどこへ誰と遊ぼうが勝手でしょう!!」と反発したが結局父の言うとおり友達を
自分の部屋へ呼び、ペチャクチャとよくある女子高校生のおしゃべりに花が咲いた。
「あけみーー!!ちょっと来て!」突然母の甲高い声で私は居間へ飛び込んだ。
目の前には目をくっきりと開けた意識のない父が横たわっていた。
私は急いで何件か先にある病院へ走り、事情を説明して医者を家に連れてきた。
医者が一本の注射を打つと父はまるで何事もなかったかのように起き上がり
泣いている母と私の顔を不思議そうに見つめた。
「お父さん今、どんな感じだったの?」
父は何もわからないと答えた。
母はほっとして洗いかけのお茶碗を洗い始めた。
医者が帰って10分もたたないうちに2度目の発作が起きた。
私は又医者を呼びに走った。医者が到着すると又、父は何事もなかったかのように
起き上がり、不安そうにしている家族の顔を順番にみつめた。
そして3度目の発作。心肺停止・・・救急車で運ばれた病院は自宅から歩いて5分程度の総合病院だった。
「ドスン!ドスン!」と大きな父の体が宙に浮く。
電気ショックで心臓回復を試みているようだった。
母は病院の床に座り込んで泣いていた。
私はまだ中学生の弟と一緒に見ていることしかできなかった。
父が私を外出させたくなかったのはこのことを予想していたのだろうか・・・


「お父さんお正月ですよ・・・」母が病院のベッドに寝ている父の体を拭きながら語りかける。
父は一点を見つめている。
あれから父の意識が戻らないまま2年半が過ぎようとしている。
高校卒業の年だった。
突然、担当の医者から呼び出され「手術をしましょう」と相談された。
「手術をすれば夫は治るんでしょうか?」母はたずねた。
医者は無言だった。
この先何年この状態が続くかわからない父を見舞う私たち家族への思いやりだった。
母と私と弟はその日病院から帰って話し合った。
そして次の日、医者に私たち家族の思いを告げた。
「たとえこのままの状態が続いても生きていて欲しい」医者はほっとして笑顔を見せた。
それから半年後父は静かに息をひきとった。父は44歳だった。

父が亡くなった日、家族でどれだけの涙をながしたかわからない。
悲しみと絶望で私たち家族には明日があるんだろうか・・・父の死と共にまるで私たち家族の将来がおしまいのように感じられた。この世のおしまいにも思えた。
その時流した私の涙は宝石箱に溜まっているとはおもいもよらなかった。