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結婚生活

夫は子供のころの病気で将来子供が出来なくなる可能性があると医者から言われていた。子供はあきらめていた。
公務員の夫の給料は非常に安かった。
子供を産む予定もなく、まだ若い私は当然専業主婦などとは考えもなく、ある大手の会計事務所に就職した。

結婚前に勤めていた会社でコンピューターの技術を身につけた私は、どこへ行っても来て欲しいと言われた。お給料も夫よりは多かった。
それでも家計は苦しかった。

大学時代、運動部の寮にいた彼が選んだアパートは仲間が近くにいる寮の傍だった。
6畳と台所だけの狭いアパートによく彼の友人が出入りし、大勢で飲み明かし、一週間でお給料を使い果たした月もあった。
生活費がなくなった私は月末になると、お財布の中を見て泣いた。
どうやって生活すればいいんだろう・・・残りわずかなお金で心細い生活を送った月が何度もあった。

夫の休日は土・日のため、金曜日の夜になると友達が来て朝まで飲み明かすことがよくあったが、私の職場は土曜日が休みではないため、睡眠不足で出勤するのが辛かった。
また、夫は住む所がない友達がいると「今日から暫く、ここにいることになった」
などと簡単に家に連れてくるのだ。
働きもせず、朝からお酒を飲んでいるような人もいた。
夫と私が仕事に出かけている間は、その男は私たちのアパートでお酒を飲みながら居るのだ。
夫よりも先に帰宅したくはなかった。
仕事が休みの日は一日中狭いアパートにアル中の男と3人でいるのは耐えられなかった。
何度もデパートの中をグルグル歩き回って時間を潰した休日もあった。
そのアル中の男がやっと出て行ったかと思うと、又違う友達を連れて来た。
ある時は友達の彼女も一緒に転がりこんで来たこともあった。
トイレの中で着替えをし、夜は押入れの中に布団を敷いて襖を閉めて寝た。

「お父さんに会いたい・・・」
その時また私は父が亡くなった時の悲しみに戻った。
押入れの中で何度も泣いた。
母が「いつでも戻っておいでね」と言ってくれた言葉が励みになった。
いつでも戻れるんだ・・・もう少し我慢しよう・・・と

友達を連れてこなくなってホットしたころ・・・
公務員の夫は6時過ぎには帰宅するはずが、遅くになっても帰らない日が多くなった。
そしてついに一週間に1度帰宅するというようになった。
友達と飲みに行き、電車がなくなると職場の近くのサウナに泊まっているという。
母には言えなかった。心配かけたくなかった。
ただ父だけはきっと空の上から心配して見ているだろうな・・・と思った。




つづき